和村さんと家達さん
また、彼女らの物語が書けることを祈ります。
おやすみなさい。
鳳はみ は孤独ではなかった。
母は居らず、父も家を空けがちだったが、彼女は孤独ではなかった。
そんなはみの最古の記憶は保育園にて、割れた壺の近くで怒られているシーンから始まる。
「どうしてこんなことしたの!」
壺を割ったのは彼女ではなかったのだが、割れた壺を興味深そうに観察していたため、保育士は短絡的な結論を導いていた。
「高いところに登って遊んでて割った」
反省する様子の無いはみに、保育士は更に激昂した。
しかし、はみは聞く意思すら持たずに壺の置いてあった台に登った。台やその周辺、割られた壺の欠片に水滴が付着している。
「犯人はケンタくん」
はみは知っていた。この保育園の中でケンタくんだけが手を洗った後に、ちゃんと手を拭かないことを。
だから辺りに水滴が付着しているのである。
「他人の所為にするんじゃありません!」
しかし保育士はこれを認めなかった。自分では何も推察せず、短絡的な結論を導いておきながら、突きつけた刃物を納めるところが分からないという理由だけで、はみの推理を頭ごなしに否定したのである。
「イエタツ…間違ってた?」
『いや、完璧だ。キミが合っているよ』
そんな彼女をいつも励ましてくれていたのは家達であった。
そしてはみは思った。
"誰よりも自分に構ってくれて、誰よりも自分を信用してくれて、…誰よりも自分を愛してくれる。このイエタツだけが友達なのだ"
結果、彼女は他人との意思の疎通を諦めた。
ずっと、ずっと家達と話していた。
家達の言うことはいつも正しかった。いつも家達に従った。
父に死の切っ掛けを与えることすら厭わなかった。
そのくらい、鳳はみにとっては家達が全てだったのだ。
だから、である。
その日、和村はみは孤独ではなかった。
最終話[和村さんと家達さん]
朝。
夢が嫌な記憶を呼び起こしたことにより、彼女は不機嫌だ。
「あーーーーもぅ」
その夢にはクルージング旅行を終えてから数ヶ月、ずっと少しハイだった彼女のテンションを下げるには十分すぎる効能があった。
「家達ぅ…今日の天気は?」
"私はSiriではないぞ"という回答を期待していた和村に、沈黙が送られた。
「家達?」
誰も居ない部屋を見渡すと、和村は2度寝した。
起きたのは昼過ぎ、外は晴れている。和村は昼食を食べた。
「まぁ…そういう日なのかもね」
その独り言にも、誰も答えを回さなかった。
ここで電話が鳴る。
「はい、こちら和村探偵事務所です」
"おお! 和村か! 明日、甲子園の予選の試合があるんだ! 良かったら来て応援してくれ!"
「予求ね。そんな連絡を寄越すってことは…」
"ああ! スタメン入りが決定した!"
「それは良かったわ。行けたら行くから」
"それって来ないやつじゃないのか!?"
「いいえ、仕事の時間が決まってる訳じゃあないからね。突然の事件とかがあったら行けなくなるのよ。問題無ければ行くわ」
"ありがとう! 甲子園で待ってるぞ!"
「甲子園はまだでしょうが…」
既に電話は切れていた。
「まったく…」
悪い気はしていない和村に、今度はインターホンの連打が襲い掛かる。
「師匠ぉ~! 師匠ったらヒドイんですよ師匠ぉ~!」
「訳が分からないわ」
和村家にチャージを仕掛けて来たのは八千代 陸徳であった。
「私は竹刀をブンブンと振り回したいのに、師匠ったら精神統一の座禅ばっかりやらせるんです~!」
八千代の言う師匠とは2人のことを指す。和村と安登 愛梨だ。
しかし彼女は言い替えをしないので、和村としてもどっちなのかを文脈で判断するしかないのである。
「座禅だっていいじゃない…」
「師匠までぇ~!」
和村はため息を吐いて、ボールペンを分解し、
「いい? 見てて」
バネを取り出すと、それを丁寧に縮める。
「何してるんですか?」
「これが精神統一なのよ。こうして力を溜めた後は…」
パッと離すとバネは高く跳び上がる。
「こうしていつも以上の力が出せるってわけ」
「おぉーーっ!!」
八千代は拍手し、
「さすが師匠! 分かりました! 精神統一してきます!」
家を飛び出して行った。
「本当、単純よね…」
感化されたのか、和村も着替えて外に出た。
▽
「おやぁーー? はみちゃんだ。今日はどうしたの?」
暇そうにしていた猫目巡査長は和村を見つけて欠伸をしながら立ち上がった。
「こんにちは猫目さん。特に用は無いんだけれど、そろそろ私の謹慎も解かれたかなって」
「また危ないことするなら謹慎は無期限だよ、和村さん」
奥から幻冬巡査部長もやってくる。
「でも、あの時の判断は間違って無かった…今でもそう思ってます」
「正しい正しくないってハナシじゃないんだ。和村さんは私の娘みたいなものだからね。危険な目に遭ってほしくないんだよ」
「……ありがとうございます。でも、探偵に危険は付き物ですので」
幻冬は肩を竦めると、1枚の手紙を出した。
「これは?」
「蟹村 刹那さんからのお便りだよー」
和村は封を開けて手紙を読む。
"和村はみさんへ
先日の件では本当にありがとう御座いました。
紫帆ちゃんは全国大会1回戦で負けてしまったものの、
諦めずに次の試合に向けてトレーニングを始めたそうです。
私も、もう1度 竹刀を握りたいと思いました。
紫帆ちゃん、愛梨ちゃん、陸徳、お父さん。
みんなに感謝して。みんなに謝って。
許されたなら、もう1度 剣道を学びたいと思います。
私に裏切られた、あの日の私に報いることが出来るように。
もう2度と自分の夢を斬り棄てたりしません。
こんな私に更生のチャンスを下さり、
本当にありがとう御座いました。
追伸、もしもまた道に迷った時は相談に行ってもいいですか?
蟹村 刹那"
「いつでも待ってるって伝えておいて下さい」
和村は微笑みながら手紙を封筒に仕舞った。
「あっ、はみちゃんが笑うのって珍しい!」
「そうですか? 結構頻繁に笑ってると思うんですが」
「いつものは口偏の方の"嗤う"だからね」
「こんな感じですか?」
和村はニヤッと嗤う。
「そうそう、やっぱり上手いね」
「と、そんな与太話をしに来たんじゃありません。何か事件はありませんか?」
「無いなぁ。平和なのはいいことさぁー」
「難解な事件が起きたら、すぐに伝えるよ。…協力させるのは調査だけだけどね」
「分かりました。お願いします」
和村は警察署を後にした。
▽
夏も本番に近付き、ジリジリとした日差しが和村の体力を奪う。
「暑ぃ…」
堪えきれなくなり、和村はショッピングモールに逃げ込んだ。
「あぁ~、はみちゃんだぁ、こんにちはぁ」
「ギッ…」
和村は苦手な人物と遭遇して妙な声を漏らす。
「暑そうだねぇ、どうぞぉ」
新部 智香はミルクティーを差し出した。
「結構よ。それはお連れさんのでしょ」
「えぇ~、そうだっけぇ?」
「とぼけちゃって…裏ボスの風格が漂ってるわよ」
「そんなぁ、えぇ~ん」
新部は泣いたフリをする。
「ところで安登は?」
「えぇ~、よく分かりましたねぇ、私がぁ、会長と来てるってぇ」
「何となく、今日は色んな人に会う気がしてね」
「それにぃ、"安登"ですかぁ」
新部はニヤニヤと笑う。
「なによ」
「いいえ~、私はぁ?」
「新部さんでしょ?」
「へぇ~、ですよねぇ」
「なんなのよ…」
ここで安登が合流した。
「お待たせ…って何で和村がいるのよ」
「"和村"ですかぁ。私はぁ?」
「新部さん? 質問の意味が分からないわ」
「むぅ~」
新部は安登の背中をテシテシと叩く。
「どうしたの?」
「へぇ」
和村は何かに勘づいたようで、安登に耳打ちする。
それに安登は納得したように頷いた。
「ミルクティーありがとう、"智香"」
「もぅ、それはぁ、飛ばしすぎですよぉ」
和村は2人と別れてショッピングモールを歩く。
「むっ」
「あら、本当に今日は色んな人に会うわ」
トレーニング用品店から出てきた矢倉 紫帆と遭遇した。
「和村はみか。その節は世話になった」
「全国大会は残念な結果だったようね。やっぱり片腕だけだと難しいわよね」
「なに。かの宮本武蔵は晩年、剣を抜かずとも戦いに勝利したと聞く。むしろ片腕があって邪魔なくらいだ」
「その理屈はおかしいでしょう…」
1拍置いて。
「蟹村さんを恨んだりはしてないの?」
「……少しは…な。だが、罪を償って出てきたら剣道を再び始めると聞いて嬉しさが勝った。私の片腕で1人の剣豪が復活したとなれば安いものだ」
「前向きなのね」
「後ろの屍より前の生者だ。敵に後ろを向けていては斬られるが必定」
「まぁ、たしかにね」
ここで和村は迂闊な一言を呟いてしまう。
「私も剣道やってみよっかなぁ」
言い終えてから自身の失言に気付いたのであろう。和村は固まった。
「剣道をやってみたいか! そうかそうだよな!」
「いや、でも私ほら体力とか自信無いし…」
「無ければ付ければいい! 誰だって最初の有酸素運動はハイハイから始めたんだ!」
「痛いのとかも嫌だしね…」
「だったら打たれなければいい!」
「あっ! そういえばさっき安登が居たの! 剣士らしくもなく、ミルクティーなんて飲んでたわ!」
和村はみの姑息な手段。
「別に、剣士がミルクティーを飲んでたっていいだろう?」
しかし効果が無かった!
「ぅひー…」
そのあと和村は30分もの間、矢倉のマシンガン勧誘を捌かなくてはならなかった。
▽
げっそりとした和村は帰路に就こうと、夕方の遊歩道を歩きだした。
しかしそれも短いクラクションの音に遮られる。
「近くまでお乗せ致しますよ」
運転手は秋水であった。
「あらそう。お言葉に甘えようかしら」
「どちらまで?」
「時間があるのなら、海まで頼むわ」
「ほう、それはまた」
「何となくよ」
和村は車に乗り込んだ。
「五塔と水無瀬さんの近況は?」
この質問に秋水は待ってましたと言わんばかりに語りだす。
「もう、それがですね。見ているのも恥ずかしいほどのアツアツでございます」
「じゃあいいわ、話を聞いただけで胸焼けしそうだし」
「和村様は特定の相手と…ということは無いのですか?」
これに和村はしばし考え込む。
「無いでしょうね。サザーランドみたいな人が現れたら別だけれど」
「左様ですか」
秋水は"誰でしょうか?"と思いつつ言葉を飲み込んだ。
「ところで雛菊ちゃんは最近どう?」
「やっと五塔様に少し懐いてきたところですかね」
「へぇ、あの子がねぇ」
「もう家族みたいなものですね」
「……家族か…」
和村は遠くを見る。
「これは失礼。無遠慮でした」
「いいのよ。他人の幸せを妬める性格でもないわ」
「左様ですか」
車内に沈黙が訪れる。
「音楽でもかけましょうか」
「良い案ね。ちなみにどんな曲かしら」
「ブルーハーツでございます」
「……なんか似合わないわ」
「そうでしょうか?」
スピーカーから音が鳴る。
その歌は目的地まで終わることは無かった。
▽
目的地は港。
秋水に帰りの心配をされたが、和村は「なんとかするわ」と断った。
独り、夕暮れの堤防を歩く。
沈みかけている夕日を見て溜め息を吐く和村。
やがて堤防も途切れ、その先端に腰掛けた。
水平線と、崩れる夕日を眺める。
「お嬢さん。こんなところでお1人ですか?」
肩を叩かれた和村は更に溜め息を吐いた。
「ハロー。こんにちは。久し振り」
十だ。
「今日は千客万来ね」
「それは良かった。随分とノスタルジーな背中が見えてね、心配で駆け寄ったのさ」
十は隣に腰掛けた。
「少し前に電話でした、あの話は前向きに考えてくれているかな?」
「アンタの事務所に入らないかって話? それならもう結論を言い渡した筈よ」
「そうか…残念だね」
「というか、どうしてここに?」
「先のクルージングで使った船を謎解きイベントに使っているのさ。もちろん改良も加えてね。良かったらやっていくかい?」
「へぇへぇ」
和村は興味なさそうに手を振る。
「かなりお金を掛けてしまったからね。少しでも回収しないと」
「それは御苦労様」
「流れで彼らの近況報告もしていいかな?」
「勝手にどうぞ」
「1番のニュースは蕗さんだな。ドラマのオーディションに受かったそうだ」
「あら、それは嫌味なしに良かったわね」
「死体役だそうだけどね」
「適役じゃない。あの時アンタも騙せたんだから」
「はは、それは思ったよ」
「それで?」
「健くんは平静を保てるように寺へ修行に行っているらしい」
「取り乱しまくってたからね。良い判断じゃない?」
「小牧くんは…何故か進んで探偵業を手伝ってくれているよ。家に来る機会も増えたね」
「理由は分かってるクセに…」
「…理由?」
「いいから。その時はちゃんと応援してあげなさいよ。…って何で私がそんなことを心配しなくちゃならないのかしら?」
「ともかく、次はシタナガくんだ。知ってたかな? 彼の名前は漢数字で"ニ"って書いてシタナガなんだ。私の仲間だね」
「2本線の"下"が、"長"いから"シタナガ"でしょう?」
「知ってたか。話を戻して、彼の親はテクニック志向のマジシャンらしくてね。小道具に頼るのが嫌いだったそうだが、ひた向きに小道具を作り続ける自分を見て、ようやく少し認めてくれるようになったらしい」
「親との確執があったのね。それは知らなかったわ」
「新井くんと田中さんは…相変わらずと言えば相変わらずだ。新井くんは机に向かって執筆。田中さんは台所に向かって花嫁修行を始めたらしい」
「あら、もう結婚してるのかと思ってたわ」
「条件は満たしているからね。私もすぐ結婚するものだと思っていたよ。しかし意外にも田中さんがロマンチストだったんだ」
「どういうこと?」
「"結婚は20歳になったらする"と言い放った」
「成人を機に結婚ねぇ…別によくあることじゃない?」
「いいや、そうじゃない」
十は婚姻届を取り出した。
「憶えているかい? 彼女に負い目のある私とキミは、彼女とある約束をした」
「新井くんとの件に関して協力する…だったかしら」
「ああ。そして婚姻の証人の資格は満20歳以上だ」
「なるほどね…結婚は"私と十が"20歳になったらする。と」
「まぁ、我々はキューピッドといえばキューピッドだ。役割は最後まで果たそうじゃないか」
「そうね…吝かではないわ」
報告が終わり、沈黙が流れる。
「…どうやら長いこと邪魔してしまったようだね」
「やっと気付い……いや、そうでもないわ」
和村は何故か言い直した。
「……ありがとう」
「何のことかしら?」
「あの日のことだ。和村が正義に居なかったら、俺は死んでいたんじゃないかと思ってね」
「まだ昔に引っ張られてるのね」
「そう簡単に断ち切れるものではないよ」
「"後ろの屍より前の生者"だそうよ」
「…誰の言葉だ?」
「未来の宮本武蔵」
「意味は?」
「さぁ? 過去より現在を見ろってことじゃない?」
「そのままだ」
夕日は海に解け、暗闇が噴き出す。
「そろそろ帰った方が良いんじゃないか?」
「そうね」
「送るよ」
「結構。そのまま事務所に連行されそうだし」
十は肩を竦めた。
「じゃあ、またいつか」
「ええ」
「━━前にも」
和村の言葉に十は足を止めて振り向く。
「ここに来たことがあったわ」
「クルージングの日かな?」
「いいえ、もっと前」
「目的は?」
「今日と同じよ」
「そうか」
「その時は…この暗さが不安で…前が見えなくて…死にたくなったわ。だから、それから海には来てなかったの。なんだか呑み込まれそうで」
「今は?」
「不思議と不安は感じない」
「それは…キミが変わったか、環境が変わったんだな」
「かもね」
「自分で照らすことの出来ない闇は、誰かに照らしてもらうといい」
「その誰かっていうのは、家達のこと?」
「そうでも、そうでなくてもいいさ」
「……そうね」
「今度もう一度、事務所に勧誘してもいいかな?」
「前向きに考えとくわ」
「…ありがとう」
十は、もう足を止めることなく去っていった。
和村は、もう少しの間、海を眺めていた。
▽
ただいま。
浮気? どこに本命がいるのかしら。
ただ海を見てきただけよ。
アンタはずっと家に?
だったら声くらい掛けなさいよ。
矢倉さんに絡まれて困ってた時もただ見てたの?
そんな成長はしたくないわ。
やけに喋るわね…
大丈夫だって。いつかはアンタを越えて"超名探偵"になるから。
…それまでは、頼むわよ。
そうそう。私を孤独にしたのはアンタなんだからね。
まぁ、そうね…孤独っていうのは嘘だったわ。
ありがとう。
愛してなんかいないわよ。嫌いでもないけど。
そうよ。そんなものよ。アンタと私はね。
ええ。私はシャワーを浴びてから寝るから。
おやすみ。
━━アメリカのコラムニスト、アン・ランダース曰く、
『温かさ、親切、そして友情は、世界中の人がもっとも必要としているものだ。それらを与えることのできる人は、決して孤独にはならない』
彼女の言葉を信じるのならば、
和村はみは、これからも孤独ではないだろう。
終
次回の番外話は本当におまけです




