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9 婚礼衣装

 …昨夜、遅く帰った陽介にコーヒーをいれてやろうとしたら、陽介が「あ、コーヒーいいわ。今日さんざん飲んだ、作業してたから。」と言って断った。

 食事もどこかで誰かと食べて来たようだし、シャワーをあびて、歯磨きして、やっとベッドにきたと思ったら、おやすみのキスだけして、あっというまに眠ってしまった。

 だいたい根回しもすんだし、陽介に連中を紹介する方向で話をしたかったし、何より一昨日は木曜日で遅い日だったから、昨夜はあんなこともしたかったしこんなこともしたかったのに…。

 …というわけで、冴は機嫌が悪かった。

 学祭なんか世の中からなくなればいいと思った。

 これから一週間もこんな日々が続くのかと思うと、もう耐えられない、俺は多分水曜くらいに通りすがりのやつに「肩がさわった」とかいってケンカを売るにちがいない、…そう思った。

「おはよう月島。時間あるから、教室行く前に、タッチ-の壁画見るか。教室いくと、もう出られなくなるから、忙しくて。」

 須藤が玄関でさそってくれたので、連れ立って体育館へ行った。

 ステージがない代わり広大な面積を持つ第一体育館の東の壁に、ずらりと並べられた壁画を見た。

「今年も無事、全クラス間に合ったらしいな。」

「…不思議だな。なぜ間に合うんだろうな。」

「まったく。…ところでなんでお前、眉間に縦じわよってんの?」

「…恋人が冷たいんだ。」

「…タッチーの気配、さとられてんじゃねーの?」

「俺がいつ立川と浮気した?!」

「だって一線越えようっていわれたんだろ。コクハクじゃねーか。」

「立川が俺とやりたいのは立川の勝手だ。だが応じるかどうかは俺に選択権がある。」

「…その理屈がカノジョさんにも通じるといいけどな…。学祭でくっつくカップルもいれば、別れるカップルもいるんだぜ。」

 冴の眉間はますます不機嫌になった。

 立川が仕上げた絵はすぐに見つかった。

「…なんだ、ぜんぜん、あいかわらず、圧倒的にスゴイじゃないか。中学の時の比じゃねえ。」

「…すごいな。仕上げただけなのに。」

「…あのすごさは仕上げにあるんだよ、多分な。…ほかのやつが書いた部分なんざ、全部くっちまってる。」

 ふと見ると、もうひとり、立川の壁画をみている男子がいた。どこかで見た男子だな、と思った。靴紐の色から言って、1年だった。

 須藤がひそひそ言った。

「…月島、あの3段目の右から2番目見てみ。あれ、1-Eのじゃないか?…中学んときのタッチ-の絵にすごく似てる。」

 あっ、と思った。

 …高そうな緑のエプロンに、きいたこともない画材。1-Eで雷をとばしていた、駿河タイキだった。…じつは、藤原が不機嫌になる程度には、イケメンくんだったりも、する。

 ふと、向こうが視線に気付いて、こちらを見た。

 一瞬、冴を見てぼんやりしたが、2人を2年と見て取ると、さっと逃げるように立ち去った。

「…知り合い?」

「…あれが駿河だ。」

「…え、そう?」

「ああ、藤原の後輩が教えてくれた。」 

 須藤は消えた一年生の姿を追うように、体育館の入り口に目をむけた。…もういない。

「…あいつが駿河?…」

「壁画、同じクラスのやつに落書きの妨害をうけたりして大変だったらしいぞ。」

「…あんなやつだっけか?…まあいいけど…。でも、別に、無難にしあがってるじゃないか。」

「そうだな。きれいなもんだ。知らないやつが見たら、あっちが立川の絵だと思うだろう。」

「いやーどーかなー?タッチーの絵は『われこそはタッチ-!』っていう、自己主張がばばーんとあるからなあ。…そのうざったいくらいの俺様ぶりに魅せられる。」

 須藤はそう言ってくっくっと笑った。そして言った。

「…いろいろ言われたんだよ、あの二人。あまりに似てるから…。最初は年下のほうが真似だと言われるのに始まって…。

 タッチ-はお前にはあんなだが、いいだしたらきかないし、ばんばんいろんな相手を切り捨てるし、恨まれてさ…。駿河もそういうとこ、似てるらしくて…。

 落書きしてるとか、塗料ぬすんでるとかいわれてたな…。二人まるで仲が悪い仇同士みたいに…。藤原もなんか言ってたろ、あんな感じさ。

 本人同士は多分、口をきいたこともないと思う。だけど、周りがな…。」

 冴は改めて、駿河の絵を見た。

 …中学部の大ホ-ルを飾っていた4枚目の壁画を思い出す。2年間、うら若い精神を、こてんぱんに立川にやられつづけ、圧倒的な壁のように立川の鮮やかな色彩が立ちはだかり…それでも負けなかった駿河。自作をついに4枚目に並べさせた根気。立川をあそこまで追い詰めたその強靱な魂。

 中学部時代からそのまま、まっすぐに上達して。今年の絵に結晶していた。

「…だが、あんなこっそり朝早く、タッチ-の絵見てるなんてさ…ほんとは、尊敬して、憧れてんじゃないの?…陰湿な嫌がらせなんか、できっこないよな。」 

 冴はうなづいた。

「…だな。」  

 二人は教室へ向った。


     +++

「キャーッ、まってたの、月島君!!」

 教室につくなりわらわらと女子に取り囲まれた。

「ふっふっふ、今日は逃がさないわよ。」

「さあっ、これ着てっ! キャー-ーー!」

「キャーっ」

 冴は押し付けられたものをおそるおそる開いた。…メイド服だったら、背負い投げ、内また、体落としの順で女子をちぎりなげて逃げよう、と思ったが…幸いただの…否、銀色のタキシードだった。

「…がんばれ、月島。」

 あははと須藤が手をふって逃げていった。

「…お茶漬け屋でタキシードはどうだろう。」

 月島がつぶやくと、

「いいのよ! 立つのは玄関だから!! キャーっす・て・きーーーーっ!!」

…と金切り声で言われた。

 …逆らってはいけないことは、もう中学のときからわかっている。

 …このタキシード、どうしたんだ?と謎に思っていると、察したらしい女子が解説してくれた。

「…関口マリアンのお兄ちゃんが結婚式につくったんたけど、もういらないんだって。だからもらっちゃった!」

 …どこの金持ち娘の解説だ?と思った。立川のために関口ともども殺そうかと思った。

「いやん、月島くん、ぴったり!」

「すてきー、絶対似合うとおもったの。」

「やっぱり銀色は月島くんよね。」

「写真とってー! 記念写真とってー!」

「結婚式-っ! いやーっ!!」

「あたしもーーー」「あたしもーーー」「順番! 順番!!」

 ひととおり記念撮影が済むと、一足早く、金色のタキシードを着せられていた藤原がやってきた。

「…オハヨ月島。…おまえホント素敵よ?もう結婚しちゃえば。」

「…おはよう。お前も二枚目だぞ。…結婚は相手がいないとな。」

「そのへんの女、だれでもいいじゃん。」

「…それはどうだろう。」

「おれたち、玄関でチケット売りだって。」

「…金色はお色直し用か…。」

「そうらしい。兵隊さんもあるらしいぞ。」

「兵隊さんのほうがよかったな…。」

「俺も。」

「二人で記念撮影するか。…おーい須藤。」

 須藤はどこかに逃げたまま、姿をくらましていた。

 立川もいない。

「…ま、いんじゃね?」

「そうだな。…なんか二人並ぶとホモの結婚式みたいだしな。」

「ぶっ、げほげほっ!」

 藤原はやたらに咳き込んだ。


     +++

 ホームルームを終えた担任の小島が最後に冴と藤原を見て「ぶっ」と笑いをこらえたまま出て行くと、教室は一気にお茶漬け屋にトランスフォームした。

 冴たちがつくった偽もののヨシの簾や、女子がそめたうそっぱちの藍染めののれんが飾られ、お土産の手作り飴やクッキーや、だれかが特技発揮でつくったらしい竹細工のかわいい風車(これは本格的だった)や、それらをいれられるちいさな巾着がならべられ、女子はかわいい浴衣に、女給さん風の長いエプロン姿となった。インチキで書かれたなにやら和風柄の布が藤原たちがうちつけたパネルにかけられ、教室はすっかり異空間と化した。材料が運び込まれ、炊飯器と湯沸かしに電気が入った。

「じゃあそろそろ、呼び込みさんは表へいってくださーい。はいこれ、チケット。たくさん売ってね。売り上げはこれに入れてね。いってらっしゃーい!」

 …やっぱり気がつくと、女子がしきっているのだった。

「…深川は何をやってるんだ。」

「…用もなくうどんのつつみひっくりかえしてたぜ。」

「ところで立川と須藤はどうしたんだ。」

「んー、さっき二人で出てった。フケるやつらでもねーから、そのうちもどってくんじゃね。」

 二人は連れ立って玄関へ向った。…まあ、一日店内で注文をとったり運んだりするより、楽でよかった。…見られたり写真をとられたりするのは、冴はどうせ慣れている。藤原はどうなのかしらないが。

 玄関にはいろいろなクラスの怪しい格好の客引きがたくさんいたが、なぜかみんな冴をゆびさして笑った。

「クソッ、バニーガールの男に笑われる意味がわからん! むこうなぞラッコじゃないか!」

「ラッコじゃなくてカワウソくんだよ。テレビ局のキャラだろ、しらねーのか?…なぐるんじゃねーぞ、月島。…お前があまりに似合ってるからいけないんだぞ。…おまえって…高い服がデフォなのな、ほんとは…。びっくりしたわ…。なんか掃きだめに鶴をこえて、もっとこう…青空の白鳥みたい。」

 開店は10時だが、9時を過ぎるともうお客は来始めて、あっというまに月島たちは他校や中学部の女子に囲まれた。

「すてきーっ!! 写真撮ってもいいですかーっ!!」

「チケット買った奴にだけ撮影許可する。」

「…月島、お客さんなんだから…」

「やかましい、俺の顔をいくらで売ろうが俺の勝手だ!」

 …ストレスが増すにつれ、本性が出てくる冴だった。

 10時過ぎに、立川と須藤がどこかからもどってきた。

 冴が女子をかきわけて、手をあげると、立川がニャ-といいながらかけよってきて、だきゅーっと抱き着いた。

「…立川、やりすぎ。」

「ああん美しいよぉ、美しいよぉ、月島ーっ! 俺を嫁にしてくれッ!」

「…どこいってたんだ?」

 立川は周囲の女の子たちが引き潮のように引くのを横目で確かめてから月島を放した。

「…」

 立川はだまって須藤の後ろをさした。

 …大隈がいた。

「ああ、大隈を迎えに行ったのか。」

「うん。」

「御苦労さん。」

「なでてなでて。」

 冴は立川をなでなでしてやった。

「あー幸せ。…写真とったの?月島。」

「いろいろ撮られたが。」

「…とってやるよ。藤原、ちょっと並べ。」

「ウホッ、ホモの結婚式。」

 3年の呼び込らしき忍者が言った。冴もそんな感じだなと思ったので、放っておいた。藤原だけすごく困っていた。

 立川が二人の写真をとってくれて、そのまま大隈に「ちょっと俺達をまとめてとってくんねい?」と頼んで、須藤と立川も入って写真を撮らせた。

「…あとで紙に焼くよ。データより楽しいだろ。」

「有難う。」

「じゃ、俺達、中、手伝うわ。…あとで、カフェ・ネヅにコーヒー飲みにいこうぜ。さそいにくる。,」

「ああ、まってる。」 

 立川と須藤は教室のほうへ行った。


     +++

 昼を過ぎてからしばらくたって、女子が二人、交代に来てくれた。

「なんかどっか適当なクラスでお昼しなよ。衣装、よごさないでね。」

 冴たちは売り上げをあずけに教室へ寄った。お茶漬け屋はまだまだ繁盛していた。

「…」

 冴は呆然と入り口のわきの掲示板を眺めた。

 …等身大にプリントアウトされた冴の今日の写真が貼ってあって、フキだしが切り張りされていた。フキだしには「こちらです」と書かれていた。

 …なんかわかんないけど、あまり陽さんに見られたくない、と思った。

「あっ、月島くん、これすごいでしょ。さっき刷ったの。すてきーっ!!」

 女子は抱きついても問題の起きない写真のほうに、思いきり取りすがった。

 教室をあとにして、藤原と二人で少しあちこちまわった。やくたいもないバザー、食堂、クレープ屋、タコ焼き屋、焼そば屋、うどん屋…お化け屋敷、占いハウス(大弓に違いない)、映画館、劇場、ジャズカフェ…いろいろあったが、入りたいものもない。藤原は楽しそうに、廊下で3年が行商していたスーパーヒーローのお面を買って、頭にはめた。…漫画研究会とのことだった。

「漫研『マソホ』です! 社会科教室の廊下で展示と会誌リョ布とケーキ屋さんやってるので、来てね、イケメンズ。やーん、ゲイ婚すてきーっ! 金と銀!」

「…あんたんとこのケーキ、ウマイか?」

「おいしいにきまってまーす! シフォンケーキがおいしいですよーっ。」

「…もって帰れるか?」

「それは無理。」

 真剣に悩む冴をひっぱって、藤原は1-Eのおでん屋に入った。

 …みんな仲良さそうに、店をやっていた。 

 おにぎりとおでんで昼食をとりながら、ふと、冴は言った。  

「…根津はどうなったかな。」

「まだ会ってねーわ。」

「うん…。」

「あとで行くし。そんときでいいよ。…毎年、漫研と教室2分してやってるけど…さっき廊下っつってたな。」

「パンフどっかで調達するか。」

「いいかも。…玄関じゃね。」

「じゃ、俺達の持ち場だな。」

 食事がおわって玄関へ戻ると、さっきの女子が、

「ああ、もうすこし休んでていいよ。午前中ずっとやってて、疲れたデショ。きいたよ、すごい売り上げでびっくりしちゃった。」

 と言ってくれたので、パンフだけひろってそのまま立川たちを探しに教室へ戻ろうとした。

 階段のわきで、大隈と小坂をみつけた。

 …何か口論していた。

 立ち止まりかけた冴を、藤原がひっぱった。

「…ほっとけ。せっかくの学祭だぞ。」

「…だが…。」

「…多分、別れ話だと思う。」

「えっ?!」

 余計ふりかえりたがる冴を、藤原がさらにひっぱった。

「おまえ、しらなかったの?あれはカップルだっつーの。」

「知らなかった!」

「…そっとしとけ。」

「なんで大隈は自分のカノジョをひとりのこして現場放棄するような真似をしたんだ! 俺は絶対に許せない!」

「自分のカノジョだから安心してひとり残したんだろ。甘えたんだよ。…そしたらカノジョが裏切ってほかの男を頼ったんだよ。しかもその男は多分小坂が本心では最初から壁画のリーダーに欲しかった男だったし、大隈もそんなことくらい知ってたんだよ。」

「…」

「…割れ鍋にとじ蓋っていうだろ。」

「…立川は?!」

「知ってるにきまってんだろ。だから今朝ワビいれに行ったんじゃねーか。そういうつもりじゃありませんでしたが、気に触ったら御免ねって。…それで大隈が許せないつーんなら もう、別れるだけだよ。小坂だって覚悟の上だって。あそこで立川を泣いて落とした時点で、あの女に選択肢はねーの。お前なんでそんなに美しいのに世間知らずなの?」

「…」

 冴は返す言葉もなかった。…大隈を撲りにいったほうが立川のためによかったんじゃないか、いや俺が手出ししなくて本当によかった、といろいろな考えがぐるぐる頭をまわった。

「…二人が別れたら…立川は別に小坂のこと嫌いじゃねーし、…まあ、話がつけばその後は小坂とゴーじゃね?」 

「…なんでそんなにしてまで、壁画の賞なんかとりたいんだ?」

「ちげーよ、…あのな、絵描きはみんな、立川の絵が見てーんだよ。なんでかしらないけど。」

「…」

「…大隈も、ほんとは見たかったんじゃねーの?でも、男女仲のけじめは、また別の話よ。」

「…」

「…いくべ。」 

 藤原に引っぱられて、冴は今度は従って歩き出した。


     +++

 教室で、立川と須藤も合流して根津をさがそうということになった。

 立川は嬉しそうに冴の腕に抱き着いて歩き、とてもよその男から女を頂こうという立場の男には見えなかった。…さらにいえば、あんな絵を描く人物にもみえなかった。甘ったれで心優しい、気侭な猫のような友達だ、いつもどおり。

「…月島好きよ。」

「うん、もうそれはわかった。」

「…そうじゃなくて、どんなときでもいつも通りで、好きよ。俺月島にべたべた貼り付いてると、すごく安心すんの。なんでかと思ったけど、きっと月島がいつも安定してて、かわらないからなんだね。」

 …立川は微妙に察していたらしい。

「そんなこともないぞ。」

「んーん、そうだよ。」

「俺も機嫌の悪いときもあるし、陰気なときもあるぞ。」

「うん、それはそうだけど。でも、そうなんだよ。」

 立川は冴を放して、冴の肩を、ぽんぽんとたたき、先に歩き出した。

 須藤が言った。

「…どうやら文芸部は、社会科教室の前で漫画研究会と並んでいるらしいな。…さて、会誌はどうなったものやら…。」

「ぜってーできてないって。」

 藤原が言った。

「…だから、その自信はどこから来るんだ?」

 須藤が言うと、藤原は言った。

「ちょっと前なんだけどさー、根津が言ってたのよ。知合いのことって、いろいろ言いたいことあっても、失礼になっちゃいけないし、かけねーよなーって。…俺はピンときたね。あいつ、月島のこと書きたいんだよ。でも、悪いからとおもって我慢してんの。でもそれがひっかかって、別のことがかけねーんだよ。」

 立川が振り向いた。

「べつに、かいていーい?って、月島に一言いえばすむことじゃん。」

 冴はひとりあおざめた。

「いや、まて、そういう問題じゃない。…確かに、絵ならそれでいいかもしれないが…文となると…」

 …とくに、根津は、陽介のことを多分冴以上によく知っているのだ。

 そんなこんなのうちに、社会科教室の近くへやってきた。地図どおりなら、角をまがると、その廊下が、漫研・文芸部合同の「カフェ・コリド-」のはずだった。奥には美術室があり、廊下では美術の教科展示が、室内では美術部の展示が行なわれているはずだ。

 角を曲がって、冴は立ち止まった。

 …何か異質なものをみた気がした。

「あれっ、こんにちはー…」

 藤原が声をかけると、会誌をつみあげた机にちょっと腰掛けるようにして、根津と楽しそうに話していた陽介が、ぱっとこっちを向いた。そしてにっこりして「ちわー。」と藤原に言った。 

 …廊下の右すみには長い机が数本並んでいて、漫研と文芸部の会誌がずらりと積まれている。左の隅には、小さな机をはさんで向かい合った喫茶席が設置されていて、窓の前におかれたパネルは一面、イラストで飾られていた。残った間は通路だ。1メートル50センチといった幅だった。

 …そこに、陽介が、いた。

「…あ、そっか、文芸部のOBって。…陣中見舞いですか?」

 藤原が言うと、陽介はにっこりした。そこだけ、急に明るくなったような気がした。

「…誰。」

 須藤がきくと、藤原が、

「月島んちの家主さんだよ。」

と言った。

 …立川が戻って来たのに気がつかなかった。

 冴がそのまま固まっていると、立川は後ろにまわって、冴の背中を軽く叩いて、押した。

「…何ガチガチにかたまってんの、月島。」

「…えっ、…」

 冴は慌てて、歩調をあげて歩き出した。気を取り直して、声をかけた。

「陽さん…何時頃来たんですか。だいたいはずっと玄関にいたんですけど。」

「…冴、綺麗だね。藤原クンちにお嫁にいくの?」

 陽介はまったく答えずにそんな違うことを言った。

「…どこへ嫁にやる気ですか。」

「…嫁にいくなら久鹿家においでよ。」

「もう久鹿家に嫁入りして6ヶ月です。」

 陽介が笑って手を差し出したので、冴は笑ってその手をとって、当り前に抱き寄せた。触れあった指先から、音叉を鳴らしたように美しい波動が体に広がって行く。

「いつ来たんです?」

「11時頃かな。…大学によってきたから、裏ってーか、中庭から入った。」

「御飯食べました?」

「いや、まだ。でもケーキを3個食べたから、いらない。」

「まぁたそんなに甘いもの食べて。太りますよ。」

「大丈夫だって。…冴、俺は幸せだけど…みんな見てるよ。」

 陽介にやんわり言われて、冴はハッと気がついた。

 …たしかに注目されていた。そりゃそうだ、婚礼衣装で、陽介を抱いているのだから…漫研カフェの真中で。

「…」

 冴も我がことながら対応に悩んだ。

 立川が物欲しそうに言った。

「…いいなー、月島の家主さん。俺も金があったら、月島を嫁にもらうのに~。」

「タッチー…」「立川…」「タッチ…」

 残り3人は呆れ、そして脱力した。

 陽介はとんとん、と冴の胸をつついて体を離すと、立川に言った。

「いいだろ~。」

 冴は「陽さん…」と思ったが、立場上口が挟めない。

 陽介はさらに続けて言った。 

「…でも金があってもだめだよ。」

 立川は首を傾げた。

「なんで。」

 陽介はにこにこ言った。

「運がないと。」  

「…運。」

 立川はしばしばとまばたきした。 

 そして、たいそうその答えが気に入った様子で言った。

「そおかあ、金じゃなくて運かぁ。そうだよねー。」

 …まわりの腐女子衆がみな床に倒れていることなどまったくおかまいなしに、二人はほのぼの笑った。


     +++

「てゆーか、おまいら、俺んとこの会誌買いにきてくれたのと違うの?」

 頃合かな、といった調子で、根津が口を挟んだ。

「…出たのか?」

 藤原が正気にもどって訊ねた。

「出たよ。」

「…!」

「よっしゃー、よくやった根津。」

 須藤がガッツポーズをした。

「…なんであの進行具合で間に合うんだよ。」

 藤原が悔しそうに言うと、根津は新しい会誌の山をすっと押し出した。

「…手伝ってもらったし。」

「誰に。」

「久鹿先輩。昨日、来てくれて。表紙や目次かいて印刷機まわしてくれて。」

 みんなが陽介を見ると、陽介はかわいくにっこりした。

「…てゆーか、なんで藤原は悔しそうなの?」

「…おまえが間に合わないほうにランチ賭けてたから。」

「御愁傷様。…はい、今回、薄いから350ね。」

 みなごそごそポケットを探った。

「おい月島。」藤原が冴をにらんだ。

「何だ。」 

「…おまえ、…。」

「?」

 須藤が代わりに言ってくれた。

「…つまり、賭けに勝つために、家主さんを送り込みやがったな、とフジは言いたい。」

「しらん。昨日どこほっき歩いていたのか、今知った。」

「別にほっつき歩いてたわけじゃないよ。」

 陽介が言ったが、冴はチラッと目をやって、あとは無視した。冴は昨日、陽介にとても会いたくて、会いたくて、用事も、あんなこともこんなことも…あったのに、陽介はあの部室で根津に本を書かせていたのだ。

 …なんとなく、浮気された気分だった。

「…つーか、月島も賭けてたのかよ。」

「…味噌汁を賭けてた。」

「おまいらほんと人の頭のことといい月島は眼鏡といい、俺を何だと思ってんだよまったく。バツとして裏会誌と、漫研の部誌も買え!」

「…増えとるな、裏会誌。」

 冴はチップの容れ物をみた。たしかに、3種類ある。

「…それは、今朝ここに来てみたら、増えてた。先輩達の心くすぐるような出来事が、どうやら昨日あったらしいけど、俺はまだ読んでないからわかんない。」

「…武蔵野の森じゃねーの。」

 陽介が言った。

「…一緒にすんでる、かも…」

 根津はそういって眉をハの字にすると、目をとじて眼鏡をずり上げた。

「…まあ、文芸部の表会誌だけでまけといてくれ。」

 冴はそういって、真新しい陽介の書いたきれいな表紙の、薄いわりに固くて重い会誌を一冊とった。

「えー、ほかもなんかかってよー、つきしまー、ほら、スポンサーここにいるから…」

と、根津が言って陽介をさすので、冴はジロリと目を上げた。

「…貴様、俺の陽さんに表紙と目次をかかせて印刷までさせて、そのうえ俺の代わりに一緒に飯まで食ったろ。…そのくらいで満足しておけ。友達でなかったら闇討ちにあわせてるところだ。」

「…たったそれだけでなんで闇討ち?!」

 須藤が思わずつっこむと、藤原が須藤の肩をつかんで、「きくな」と小声で言った。

 陽介が冴をのぞきこんで言った。

「まあ、そういわずに。…じゃあ冴もケーキセットたべていけば。ここのコーヒーうまいよ。猫山さんちのだから。」

「あっ、俺ものむ、漫研コーヒーいつもウマイから。」

 立川がにこにこいって、一冊とった最新号の会誌のうえに、最新号のノートチップを一つおいた。


     +++

 ケーキを食べてコーヒーを飲んだ後、気がついたら、冴は陽介と二人で美術室の廊下で絵を見ていた。みんないつのまにかひきあげてくれたらしい。

「…ああ、これ…立川のだ。」

「…名前ついてないのに、わかるの?」

「わかります。…」

 冴もすっかり立川通になってしまったようだった。

 …油絵も、ひときわ目立った。ただの静物画だったが、光がふんだんにかき込まれていて、まばゆい絵だった。

「なんか、性格がわかる絵だね。」

「…どんな性格だと思いますか。」

「…美しいものばかりで世界が出来ていたなら、どれほど僕は幸福だったろう…って性格。」

「…俺にははかりしれない部分のある奴です。…寛容でお人好しなのかと思うと…意外と、人間関係に聡くて、いろいろ計算してたり…意外と、いろんな人間を切り捨ててたり…」

「うん…あたまがいいやつは考え過ぎるからさ…。不幸の近くにいるものだよ。たまに何もかもイヤになって、思考を放棄しちゃったりね…。…いつもああやって冴のこと助けてくれるの?…細やかで優しい子だよね。」

「…」

 そうなのかもしれない、と冴は思った。

 …そんなやつが、どうやってクラスの壁画なんか描いていたのか…。

「やあ、でも、その婚礼衣装はびっくり。」

 陽介はにこにこして話を替えた。

「…ああ、俺も驚きました。今朝いきなりわたされて…。玄関前で、藤原と一緒に、ずっといろんな人間に写真撮られながら、当日券売ってました。…誰ぞの兄貴が結婚式用に作って、一度使ったあとそのままほったらかしのものらしいです。」

「まあね。着らんないね。自分の結婚式以外では。」

 美術室に入って、美術部の展示を見た。…中はだれもいない。

「…あんまりたいしたことないね、美術部。」

「…立川は出さなかったらしいので…。」

 陽介はプッと笑った。

「…ほかにいないのかい、S-23高等部には。」

「どうなんですかね。」

 冴も苦笑した。絵のことはよくわからない。

 だれもいないのを良いことに、冴は陽介をそっと背中から抱いた。首筋にキスをした。

「…冴、だめだよ、学校でこんなことして。学校は聖域。よしなさい。」

 陽介がひそひそ言った。

 冴は言った。

「…昨日陽さんすぐねちゃったから、なんか…餓えてて。」

「…今日はちゃんと家でまってるよ。」

 陽介はそういって首をまげ、冴の頬にキスすると、腕から抜け出した。

「…陽さん、せっかくこんな服だから、俺と写真とりませんか。」

「いいよ。…ふふふ、なんか、凝ったシャツとかジャケットきてくればよかったね。」

「でも白系で、なかなかいいですよ。」

 陽介は白っぽいグレイのデニムに、ちょっとだけ衿に刺繍のはいった白い長袖のカットソ-を着ていた。…冴もおぼえているが、散歩の途中にある近所の教会のバザーの、ハンドメイドのワゴンで安売りしていたもので、へんなサイズ(多分失敗作)の婦人ものなのだ。陽介が「これ俺はいるんじゃね?」と言ってわざわざ試着するとぴったりで、牧師の奥さんが爆笑して売ってくれた。…陽介は、手作りの風合のものが好きなのだった。   

 あまりうまくないたくさんの絵を背景に、二人で寄り添って写真をとった。

 …なんだか幸せだった。

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