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6 胃痛の火曜日

「…月島、なんか暗いぞ、お前。どしたのよ?」

 立川に心配されるようでは、と思ったが、なんとなく、今立川に抱き着かれたらよろめきそうだな、と思ったので、冴はわざとにっこりして、立川の額のあたりをぽんぽんと軽くたたいた。…とりあえず藤原の顔は見たくなかったので、そのまま藤原よけに立川をひきとめた。

「…国語のワークやってきたか?」

「やってきたよ。」

「…見せてくれ。」

「いいよ。」

 立川がワークチップを貸してくれた。机のビューアーに入れて、答えをのぞき見る。単純なところだけ、軽快にうつしとった。

「…月島ってさあ、たまに、すごく疲れてるときあんじゃん。…大家さんにコキ使われてんの?…無理しないほうがいいよ。」

 立川はそういって、月島の頭をなでなでとなでた。

 …俺このまま立川についていこうかな、と冴は少し思った。

「…別にそんなことはない。…ただ、ちょっと眠いだけだ。」

 口ではそう答えた。

 実は…朝起きてから、陽介は一言も口をきかない。それどころか食事もしなかった。コーヒーも口にしない。

 …このままどこまで粘られるのだろうか、と思うと、気が重かった。

「タッチ-があんまりべたべた触るから、月島の彼女、怒ってるんじゃないのか?」

 通りすがりに須藤が言った。

「…月島って、彼女いたんだ、やっぱり。…でもここんとこ全然あってないでしょ、みんなと遊び歩いてるもん…。駄目だよー?いくら掃いて捨てるほど女にもてるからって…。根津の頭つるつるにして喜んでる場合じゃない。」

 立川にのほほんと言われた。

 …特殊な性癖を分かりあえて甘い気分になれて住居補助までしてくれるお金持ちの恋人は、いくら冴でも掃いて捨てるほどいるというわけではない。

 それはわかっているつもりだったし、本気でやるつもりでもなかったのだが、一度手を上げたら箍が外れてしまった。

 俺って本当にあの変態親父の血をひいてるうえに、ここ一番になると抑制がきかないんだな、と思い、冴はものすごく気分が重かった。

「ところでそれはそれとしてさ、月島、来週の週末、一緒に大学部の学祭いかない?俺、いとこのにーちゃんがいるんだよね。月島だって大家さんいるだろ?それにほら、月島の従姉妹の美人のおねーさんもいるじゃない。」

 …大学祭へ行ったら、もしかしたら陽介と会ってしまうかもしれない…藤原の次は立川と会わせて、陽介は大丈夫だろうか…

 そう考えると冴はいささか心配で、返答しかねた。

「…ちょっと、今日はイマイチの気分なので、返事は保留でいいか?」

「…うん、いいよ。まあ、俺はどうせ、ひとりでも行くし。気むいたら声かけてくれればいいよ。」

 ワークチップを返して礼をいうと、立川は自分の席に戻った。


     +++

「…白がない。」

 …壁画は締切りまであと今日をいれて3日。

 ここへきて、白の塗料がたりなくなった。

 空き瓶をもって他クラスにわけてもらいにいく女子を見送りながら、立川がぼそぼそいった。

「…この時期、白はどこのクラスにもない。」

 立川のうわ言を背中に聞きながらノートを閉じようとしていた冴は、ふと、電話からノートにメール着信のサインがおくられているのに気がついた。ノートをとじてから電話をひっぱりだすと、久鹿家の下宿を世話してくれた、冴の同郷のユウからだった。

「月例面接。本日放課後、大学図書館。」とだけ書かれていた。

「今いけるが?」と返信すると、「じゃおいで」と返って来た。

 大学部の図書館は遠い。さくさく歩いても、20分かかる。そこをかるく走って、冴は10分に短縮した。

「あら、早かったわね。飲み物買っちゃったわ。」

 大学図書館の不正持ち出し防止システムの門のそばのベンチで、ユウはパックの黒酢を飲んでいた。自販機でうっているやつだ。

「…変な顔してるわね。ドロドロしちゃって。」

 ユウは冴の顔をみて、容赦なくそう評価した。冴はちょっと目を逸らした。…ユウは冴よりももっといろいろなものが見える。下手をすると、家庭の事情はすべて筒抜けだった。

「学祭はなにをやるんだ?」

「あたし?…麗人喫茶よ。」

「…なんだそれは。」

「黒いベストに蝶ネクタイ、男装でウェイターするの。」

「…あんた文1なのか?」

「そうよ。チケット買って。はい。300。」

 …さしだされたチケットは、陽介が徹夜で描いていたあれだった。…陽介とユウは同じところにいたらしい。まったく気がつかなかった。だいたい、どちらの口からもどちらの話題も出ないのだ。

 …二人ともお互いに嫌い合っているとはいえ、そして大学は人数が多いとはいえ…、仮にも下宿人を世話したりされたりする程度に訳知りな二人が、そこまで付き合いが希薄だというのも、かえって無気味だった。

 ポケットをさぐって小銭を出すと、ユウは商売人の笑顔になって言った。

「…お友達の分は?」

「…このチケット、陽さんが描いたんだ。」

「知ってるわよ。」

「…上手いだろ?」

「上手ね。」ユウはどうでも良さそうに言った。「…買ってお友達に配りなさい、5枚くらい。俺の女がかいたんだぜーっ、て。自慢できるでしょ?」

「…営業によびつけたのか?」

「そうよ。」

 冴はくるっと踵を返して歩み去った。

「これ! もう、お待ちったら。」

 ユウは足早に追いかけてきた。

「…なによ、珍しいわね。相談事でもあったの?」

「…別に。」

「なによ。いいなさいったら。」

「…」

「みずくさいわねえ。お姉様がきいてあげるわ。…そのかわりフルーツバーでもつきあってもらおうかしら。」

「金がない。その小銭で持ち金は全部だ。」

「やあね、お姉様のおごりよ。あんたのジュース代くらい馴染みのバーで恋占いの一回もやればすぐお釣が出るわ。どこか座れるとこが必要でしょ?」

 ユウは冴の腕に勝手に抱き着いて、一緒に歩き出した。

 ユウが冴をつれていったのは、学校ドームからほど近い百貨店の地下で、ギフトフルーツ店直営のフルーツバーだった。…フルーツジュースでノンアルコールのカクテルをつくってくれる。座席は20席ほどだが、まっぴるまのデパートの地下とは思えない、そこだけ深夜のバーのような異空間だった。

「…アヤシイ内装だな。」

「昼間っぽくないところがいいでしょ。今、学校で流行ってるの。」

「流行ってるわりには他に客がいない。」

「みんな学祭準備ですごいからね。大学部は行灯行列があるでしょ。町中に見られるから半端なものは作れないのよ。必死よ。」

「あんたは参加しないのか。」

 そう訊ねると、ユウは口を尖らせた。

「…大学部の行事のほとんどは、男女仲をとりもつためにあるの。…もう一人、都会にカレシできたら困るじゃない。」

 なるほど。それで陽介も参加しないのだ。

 なんでもいいと言うと、ユウが適当に注文してくれた。

「久鹿とはうまくいってるの?」

「…いや、あんまり。」

「あらやだ、どうしたのよ。」

「うーん。」

 冴は少し考えた。

「…友達に陽さんがヤキモチをやいた…んだと思う、多分。」

「多分て、そこのところがハッキリしないとどうしようもないじゃないの。」

「…聞いても言ってくれないから。」

「優しく聞きなさいよ、あんた。あいつがどんなに表面荒れてても、中味は深窓の令嬢だからね。あの男はあんたの親父にさんざんあまやかされた末に死なれて、すっかりぐずぐずにシケってるんだから。…付け火して煽ってもだめよ。燻るだけよ。」 

「…」

「…あら、解決してよかったわね。」

「…だからって今更謝るわけには…」

「まあいいから、謝ってみなさい。何事もそれからよ。カッコ悪くても気にしなくていいのよ?どうせ臍から下見せ合ってる仲じゃないの。」

「…」

「…信じてないのね、向こうがちゃんと受け入れてくれるかわからないと思ってるんでしょ。」

「…まあ、そういうことだな。…俺もそうそう行いがいいわけでもないからな。」

「そこは信じて、あんたも誠意を見せるしかないわよ。…冴、あんた田舎でイヤってほど経験したでしょ。いい、恋愛なんて、どんなにかっこつけたって所詮コメディなのよ。たとえあんたがどこにもいないような超一級の美形だろうと、たとえ相手がお金持ちで清らかで美しい深窓の令嬢だろうと、所詮はコメディでしかないの。だから失敗したっていいの。…おおいに笑わせなさい。そして、自分も笑いなさい。それでいいのよ。」

「…」

 むちゃくちゃだが、ユウのいいたいことはわかった。冴はうなづいた。

「…わかったらとりあえず、お飲み。…ビタミン不足はお肌の天敵よ。よく眠って、肌ととのえて、奴を悩殺するくらいの気迫でいなきゃだめよ。あんたはいまのところはまだ若さと美貌が売りなんだから。ほかんとこはまだ親父に全然勝ててないんだからね。…まあ、親父より、じゃっかん良識もあるけど…。」

 ユウはそう言って冴に色の綺麗なフルーツジュースを差し出した。冴は「そんなことはない。俺のほうが親父よりいい男だ。絶対に親父に勝ってやる。見てろ。」と口には出さず、心にだけ留め、ジュースを黙って受け取り、にっこりポーズをとるユウと形ばかり乾杯して、一気に飲み干した。

 …天然フルーツの甘味は、想像を絶してものすごかった。


     +++

 教室にもどると、壁画のパネルには、責任者の大隈と、女子の小坂だけが向っていた。他の連中はどこかに消えている。…学級発表のほうはぼちぼちセットも完成していて、今日は女子がチケットを印刷しているだけだった。

「駄目だ、どうしよう、どうしてもこの赤が消えない。…白もこれしかないし…」

「…」

 大隈のつぶやきに、小坂は沈黙するばかりだ。このやりとり…いや、大隈のつぶやきが、多分ここのところずっと繰返されているのであろうことは、容易に想像がついた。

 ビンをもっていたやつも、騒いでいたやつも、姿をくらましていた。

 その重い雰囲気に耐えられず、立川まで姿を消していた。あるいはもう、帰ったのかもしれなかった。

「…タッチーさがしてる?帰ったぜ。この空気が耐えられないっつって。藤原は用があるらしい。根津は部室に籠るとさ。」

 須藤だった。

「…お前はなんで残ってる?」

「今帰るとこだ。」

「俺も帰るぞ。」

 二人はかばんを持って、教室を出た。

 須藤が訊ねた。

「…お前文芸部の部室いったことあるか。」   

「いや、ない。」

「いってみないか。さっき菓子買ったんだ。おれたち根津が間に合うほうに賭けてるしな。差し入れしようぜ。」

「…俺もなにか…ああ、いいものがあるぞ。」

 冴はポケットで、先ほどのチケットを探りあてた。

「よし、行こう。」

 須藤が案内してくれたのは、西階段の下にある古風な引き戸の前だった。その物置きのような部屋には「文芸部」というプレートがついていた。

 須藤はドアを叩いて、「おーい、はいるぞ」と声をかけてから、開けた。がらがらと古風な音がした。冴は一瞬、山に帰ったような気分になった。

「あ…須藤…それに、月島。」

 部室には根津が一人いるだけだった。部屋は思ったよりもずっと広い。驚いたが、階段の幅を考えればすぐに納得できた。内部は不思議な温かさがあり、ふわっとなにか快適な湿度を感じた。

「これは…素敵な隠れ家だな。」

 冴が感心して言うと、根津はにっこりした。

「いいだろう。ようこそ文芸部へ。…今日は寒いからストーブ炊いた。」

「スト-ブ?!」

 そんなものがこの清潔で最新機器のととのった教育実験ドームの学校棟内に存在するとは、驚きだった。

 手招きに応じて中に進むと、奥のほうには木製のアンティークな本棚が並んでいる。戸ガラスは、すべてなくなっていた。中には累々と、古い会誌や色紙、原稿のファイルがならんでいる。いちばん奥には、ちゃんと窓もあって明るかった。少しあいたスペースに、旧式の、食用油を裏ごしして使うリサイクルストーブがあり、火がついている。鍋が上においてあって、水が沸騰していた。そばには足すためだろうか、魚のかたちのガラス瓶(冴の記憶が正しければ、ワインのビンだ)に水がキープしてある。…作業机の片隅に洗いカゴみたいなものがあり、そのなかにマグカップやインスタントコーヒー、インスタントスープなどが入っていた。

「…もう、どうにも、書くしかない段階にきちゃったんで、少し籠るわ。」

 根津は冴に言った。

「ああ、さっきそう聞いてな。様子をみにきたぞ。」

「あははっ、そりゃどーも。」

「根津、これさしいれ。」 

 須藤がスナック菓子を手渡すと、根津はコーヒーをすすめてくれたが、二人は断った。邪魔をするつもりできたわけではなかった。

「根津、これは俺からの陣中見舞いだ。終わってから心おきなく行ってくるもよし、永久保存もよしだ。」

 冴はユウに売り付けられたチケットを根津に渡した。根津は不思議そうな顔でそれを受け取った。

「…大学部のチケットか?」

「ああ。」

 根津は首をかしげて、ぱっと裏返した。そしてあっ、と黙り込んだ。

 …陽介はもとの文芸部の主で、その華麗な手書きの装飾紋様はいつも会誌の目次をかざっていた、…と冴は聞いている。根津はいつもその目次のデザインを楽しみに、会誌をずっと買っていたと…。

「…裏、綺麗だろう。…女子がメインの男装カフェらしい。」

「…久鹿さん、もう何も書かないのかな…?」

「…さあ。俺は文学のことは絵以上に何もわからん。」

「…そうだな、国語嫌いの月島くんだもんな。…ありがとう、月島。」

 じゃあな~、と二人は根津に手を振って、文芸部の部室を出た。

「…久鹿さんて、誰よ。」

 須藤が訊ねた。

「文芸部のもとの部長らしい。根津はファンだったんだ。」

「…そのチケットをおまえはどういうツテで入手したのよ?」

「おまえ門のところで会ったおかっぱの女覚えてるか?」

「ああ、勿論。あんな美人、一度みたらなかなか忘れない。」

「あいつに売り付けられた。有り金まきあげられたぞ。怖い女だろ?美人を信じるなよ。」

「…」

 須藤は「うさんくせー」という顔で冴を見た。冴は笑った。…どうせ藤原の口から洩れるのは時間の問題だ。

「…それで、久鹿さんはうちの家主さんだ。一緒に住んでて、俺のつくった飯を二人で食ってる。そのかわり俺の食費と部屋代はロハだ。…親父が生前、いろいろ御縁があったらしくてな。飯つくるのを条件に、俺をエリアに呼んでくれた。料理が全然出来ないんだ。」

 …須藤には、この答えは何か糸がほぐれるようなたぐいのものだったらしい。

「…そうだったのか。」

「ああ。」

 …チャイムが鳴った。


     +++

 家に帰ると、陽介は猫を抱いていた。最近よく庭にくる、鯖白の人懐っこい小さな猫だ。陽介の膝の上で我が物顔に長くなって、ぐるぐる喉を鳴らしていた。

「…陽さん、ただいま帰りました。」

「…」

 陽介が口をきかずにいると、猫がぴょんと膝からおりて、冴に歩み寄り、冴の足にたちあがってぱりぱりと爪を立てた。…痛い。冴は猫を抱き上げた。

「…陽さん、昨日は、……随分撲ってすみません。」

「…」

 猫は冴のシャツを引っぱって噛みついた。冴は猫を撫でて、大人しくさせた。

「よくない態度で…申し訳なかったと思います。…それ以前のことについても…お気に召さないところがあるのであれば、お詫びしますし…改めます。」

「ふうん。」

 陽介がいきなり言った。

 冴は黙って続きを待った。

「…別に冴が悪いわけじゃないんだし、いいんじゃないの。そんなこと言わなくても。」

「…悪くなくても、気に入らないなら言って下さい。」

「言わない。惨めになるから。」

 陽介は冴の手から猫を取り上げた。…猫は暴れた。小さな爪だったが、おもいっきり陽介の手にたて、真っ赤な傷跡を刻んだ。陽介は猫にやられ慣れているので大騒ぎはしなかったが、あきらめて猫を放した。猫は一目散に冴にかけよって足にしがみつき、みゃーっ、みゃーっ、となにか訴えるようにはげしく鳴いた。

 冴はもう一度猫を抱いた。猫は大人しくなり、冴の制服の懐に頭をつっこんで、じっと静かになった。

 冴は手を伸ばして陽介の手をとった。傷をみる。…血が滲んでいたので、手を静かに自分の口元に引き寄せて、傷を舐めた。陽介は手を冴に預けてくれた。

 冴は陽介の手を放し、もう一度すこし余計に手を伸ばして、昨日の傷跡の残る頬骨のあたりにそっと触れた。陽介は一瞬だけピクリとしたが、あとは黙ってじっとしている。少し近付いて、撲ったところをあちこち、そっと撫でた。陽介のほうから近付いて来て、猫をつぶさないように避け、猫のいないほうに身をよせた。二人の体のあいだの空気が温かくなった。

「…冴、」

「…はい。」

「…おなかすいた。…ごはん。」

「…」

 冴はそっと陽介にキスした。陽介は拒まなかった。…ほっとした。


     +++

 夜にはちゃんと一緒に眠ってくれる気になったようで、ベッドの隣をあけて、ぱふぱふと叩いて風呂上がりの冴を呼んだ。まだ居残っていた猫をベッドからつまみだし、冴に下着もパジャマも着せずに、ベッドに入れた。

 冴に足を開かせて、好きなおしゃぶりに没頭した。…冴も二人の間で保留になったまま聞かせてももらえない問題はそっちのけで、陽介の舌を堪能し、適当なところで体をいれかえ、陽介の太腿を後ろから抱えて、ゆっくりと体の中心同士で繋がり合った。陽介はため息のように擦れた声を長く吐き、冴の手にそこを愛撫されて、一緒に達した。

 陽介はお楽しみが済むと安心した様子で、またベッドに舞い戻って来た猫を二人の間に挟み、指先でその柔らかい毛並みを愛撫した。猫もじきに毛づくろいをはじめて、やがて二人の間ですうすう寝息をたて始めた。

「…陽さんは、もう文章は書かないんですか?」

「なんで。」

「…俺の友達に陽さんのファンがいて。もうかかないのかな、といってましたよ。」

「…ものずきな。おれは文才はないよ。ただ、欲望にまかせて書きまくってただけ。書くのが単に気持ちヨカッタから。本にしてたのは、印刷機いじるのと製本作業が好きだったから。…なんてやつ?」

「根津ってやつです。今年の春から文芸部員ですよ。」

「そいつか、お前にへんな裏会誌寄越したやつは。」

「…そうですけど…。ただ、やつは陽さんのマニア的なファンなだけですよ。俺と陽さんが歩いてるのを例のショッピングセンターで見かけて、俺が知らないと困るだろうと思って、アレをくれただけで。」

「…文芸部の男はまた一人?」

「らしいですね。」

「…」陽介はため息をついた。「…学祭前で大騒ぎしてるだろう。女どもは裏本で忙しいからなにも手伝わない。」

「まだ全然かけてないらしいです。」

「…まにあわないんじゃないの?」

「…どうでしょうね。がんばってますよ。ひとりで部室にこもって。」

「無理しないで在庫売ればいいんだよ。一般客に区別はつかねえって。」

 その陽介の「あーやだ」というような態度が、立川と重なった。

「…もしかして胃が痛い話でした?」

 冴が微笑して聞くと、陽介はうなづいた。

「…でもまあ、まにあったときは、なんか妙な勝利感みたいのあったけどね。」

 まんざらでもない、という口調で付け加えた。

「…充実した学祭だったみたいですね。」

「…どうなのかな。なんかしてないと、周りに申し訳ない、みたいなところがあったと思う、高校のときは。…だからそれなりに必死…な、ふりしてた、かな、今思えば。」

 陽介はそう言うと、眠っている猫に顔を近付けて、ふわふわの毛に鼻でさわった。

「…陽さん、学祭の日はどうします?」

 猫ではなくその陽介をそっと撫でて訊ねると、陽介は目を閉じて「うーん…」と言った。「…冴んとこのお茶漬けくう。だって家にいたって飯出ないじゃん。」

 冴は苦笑した。

「…陽さん、高等部じゃなくて、大学部の日。…今週末は、なにか作りおきしておきますよ。…カレーはちょっと時間がなくて無理ですが…炊き込み御飯を作って握り飯にしておきましょうか?…あと煮物作っておきますから。温めてすぐ食べられるように。」

「…いいよ別に。1日や2日ならどうとでもなるさ。前日がいちばん忙しいんだから、炊き込み御飯なんか無理だって。…来週は…まあ、一応、登校はするよ。顔だしてすぐバックレるわ。二日とも夜は、いる予定。」

「日曜日打ち上げがあるでしょう?」

「…打ち上げつーのは苦労を分かち合ったもの同士ですればいいこった。」

「チケット書いたじゃないですか。」

「…女の体臭苦手なんだよ。その気がないのに体がひっぱられるだろ。…行事のあとはみんなハイだから。」

「…」

 そう露骨に言われると、返す言葉がみつからなかった。

「…冴はうちあげ出といで。ちゃんとコネクション広げなきゃ駄目だよ。高校時代の人脈はメンテさえ怠らなければ一生ものだとうちの親父が言ってた。…俺の飯は心配しなくていい。新しいメニューくいたい店とかもあるから。」

 陽介はそういったあと、薄く目を開いた。

「…冴は、俺のことみんなに知られるの、恥ずかしいんだよね?」

 冴は撫でてる手をとめて、陽介をのぞきこんだ。

「…陽さん、何度いわせるんですか。俺はあんたとの時間を誰にも邪魔されたくないんです。」

「…だれも邪魔なんかしないよ…高校生は意外と大人なんだから。藤原くん、ちゃんと遠慮したろ…?」

 陽介はそうつぶやくと目を閉じた。

 …冴は事態を初めて理解した。 



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