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5 社会の歪み

 眼鏡を返すと根津は怒っていた。

「月島、あのな、お前は眼鏡があっても多少世の中が歪むだけだろうけれども、俺は眼鏡がないと困るんだ!!」

「そうか、すまん。…眼鏡無しもいい男だぞ、根津。スキンヘッドは最高だ。お前頭の形いいな。」

「禿好きもたいがいにしろ!!」

 …藤原と同じ手は到底効かない根津だった。

 しかしそこへ立川が走ってやって来た。

「和尚さーーーん!」

「わぁっ!!」

「頭にキスマークつけていい?!」

「立川、チュ-禁止! 教室内チュ-禁!!」

 …根津も内心気にしていたようだ。冴は申し訳なく思い、立川をはがいじめにすると、そっと連れ去った。

「…立川、チュ-は駄目だ。みんなびっくりするから。ここはニホン州だから。アメリカじゃないからな。」

 黒板の前でそっと言い聞かせると、立川は「えーっ」といって、イヤイヤをした。

「チュ-させろー。」

「…元気になってなによりだが、チュ-は駄目。」

「なんでだよーー」

「なんででも! 罰金とるぞ。」

「金はらえばチュ-していいのか?」

「それは罰金の概念を覆す問いだ。」

「俺がいったんじゃねーよ。ホームズだよ。」

「…知らなかった。ホームズはそんなにチュ-がすきだったのか。」

「ちげーよホームズは、汽車をとめたの。」

「…とにかく、チュ-は禁止。」

「…世の中金だな。チュ-するのにまで金がかかるなんて。エリアの金持ちは死に絶えろ。金持ちにだけうつる致死ウィルス開発すれば世の中ぐっと良くなるこったろうぜ。」

 そう言うと、立川は冴をぎゅーっと抱き締めてからぷいっと離れていった。みていた藤原が、吐き捨てるように「変態」とつぶやいた。立川はチラッとふりかえって、藤原の顔を見て、ニヤリと笑った。

「!」

 くってかかろうとした藤原を、冴は止めた。止めるな、という顔で冴をにらんだので、冴は藤原の耳に口をよせて、ひそひそ言った。

「…別にいちいち立川に刺さることはないだろう。…もし御希望であれば…後ろから抱き締めてもいいが…?」

 藤原は固まった。…冴が黙ってみていると、藤原はみるみる汗をかいた。


     +++

「立川は卑屈だ。」

 文句をいう藤原に気分転換に付き合った根津と、責任をとらされた冴の3人組は、学校の近くのフィッシュ・アンド・チキンの店にいた。肉は我慢してポテト一つをソフトドリンクで囲んでいた。

「…藤原クンはタッチ嫌いだよね。」

 根津は知ってるよんという雰囲気で言った。

「立川も俺のこと嫌ってるじゃん。二言目には人の顔見て金、金って。」

「…俺も立川の金持ちコンプレックスはどうかと思うが、…それを藤原が言うのはちょっと立川が可哀相だ。」

 冴は言った。

「なんでだよ。」

「…お前の部屋、俺の実家の部屋の2倍、いや3倍はあるぞ。天井だって高いし。」

「…でも親父の金で、俺の金じゃない。」

「…まあ、正論ではある。」

 冴がうなづくと、根津が言った。

「…タッチね、美術科進学したいけど、親に反対されたらしいよ。…うちはお金ないから、画材買えないって。」

「…」

「…」

 冴と藤原は黙った。

「…それで、あべこべに、お金ないから、できれば高校終わったら、もう学校やめて働いて家助けてほしいって言われたんだと。」

「…」

「…絵なんかさ、別に学校いかなくても描けるとはいうけど…そんな話ししたら、勉強だって学校なんかいかなくってもできるって話なわけで…。」

「…」

「…」

「…エリア税がなければね。タッチんとこはひとり息子なんだし、…親も本当はタッチに絵をかかせたいらしいけど…。でもエリア税が下がる見込みもないし、払えなくなったらエリア落ちしなきゃならないし…背に腹はかえられないだろ。」

「…」

「…タッチが金にこだわるの、わかった?」

 二人はうなづいた。

 かわるがわるポテトをひっこぬいて食べた。

「…でもだからって、あんなふうにいろんなことを金のせいにしてても、なにも始まらない。…いつもそうなのは確かだ。たしか、結婚占いも発端はそこだった。」

 冴がいうと、根津はうなづいた。

「うん、それはそう思う。…タッチは、もう少し自分の幸福のために、なにかするべきだと思う。…思うけど、それは、強制は出来ないし。それに、人間ヤケになりたいときもあるし、ヤケになる権利もあると思う。」

「ヤケになる権利なんかないぜ。はた迷惑だ。もう少し周囲のことかんがえたほうがイイと思う。」

 藤原は言った。

「…迷惑なんて言い方、少し傲慢だと思うよ、藤原。…だって、単に自分の気分が悪くなるから、うんざりするから謹めって意味なんだろ。…そんなこと言うやつは、むしろうんざりさせてやるのが功徳ってもんだ。…タッチが進学諦めるのは、タッチや家族が悪いわけじゃないだろ、社会の仕組みがおかしいんだ。違うか?…ならその歪みのツケを、どうしてタッチがひとりで払わなきゃいけないんだろう。なんでツケを払わされていることをアピールしちゃいけないんだろう。…金持ちの耳に心地よくないからか?」

「じゃあヤケになってりゃ何言ってもいいし、何してもいいってのか?」

「何してもいいとは言ってない。…タッチは別にヤケになって須藤を撲ったとか、藤原を陥れたとかじゃないだろ?ただちょっと不貞腐れて愚痴ってるだけだ。」

「…」

「…」

 冴も藤原も反論できなかった。

 …根津って偉いやつだったんだな、と冴は思った。根津の話をきいていたら、やりたい放題ケンカして、女と問題おこして、女の旦那に怪我させたあげく、エリアの金持ち、しかも死んだ父のカレに引き取られた自分が、なんだか立川に申し訳なくなった。

「…まあ、くりかえすけど、俺だってタッチはもう少し楽しくやったほうがいいとは思ってるよ。それに別に藤原が嫌いでこんなこといってるんじゃないよ。俺は藤原のことは好きだし、いいやつだと思ってるよ。」

 根津はさらさらとそう付け加えて、飲み物を飲んだ。 


     +++

「…でもおれたちにアピールされても、何もできないよな。」

「…そうだな。」

「…困る。…それにだいたいなんで社会の仕組みの歪みの苦情を俺たちが引き受けなきゃならないんだ??」

「…まあ、あまり気にしないことだ。」

「月島って、くさいものにはフタ、だよな。」

「…」

 …反論できなかった。ああ俺の人生は所詮、蓋でもしなきゃやり切れない悪臭が年中たちこめているさ、と内心クサった。

 少し黙って歩いていると、すうっと見覚えのある車が横を通り過ぎて、少し前で止まった。冴は顔をあげて、あ…、と思った。窓が開いて、実の母親に「モラトリアムの遊び人」と酷評されたビジン顔がのぞいた。

「…美しいおにーさん、学祭準備ごくろーさま。家までおくるよ。お友達も。」

 それを聞いた何も知らない藤原は咄嗟に踏出して、冴をかばった。

「よけーなお世話だ。」

「…藤原、違う。」

「えっ、何がだよ。」

「…えっと…うちの、…家主さん。…ビジンだろ?」

 藤原はその照れて最後のほう小さくなった冴を呆然と見て、それから陽介を見た。

 陽介は面白そうな顔で藤原を見て、そしてドアを開けた。

 二人で後ろの席にのった。

「冴、彼はダレくん?教えて。」

 陽介はミラーを動かして藤原の顔に合わせた。

「…ああ、藤原しげのりくんです…。…藤原、こちら久鹿陽介さん。大学部の文1の1年にいる。」

「あ…さきほどは失礼しました。…藤原です。…月島くんにはいろいろ世話に…。」

 陽介はくすっと笑った。

「…何の世話してやってんの、冴。」

「…単にそういう定型句ですよ。俺も世話されてます。陽さんもちゃんと藤原に挨拶して下さい。」

「あっ、そうか。初めまして藤原クン。うちの美しい冴がいつもお世話になってます。と、こんな感じ?…ふうん。…俺去年3年だから、学校で会ってるかもね。」

「…そうですか…」

 藤原は返事に困っている。

「…家こっちでいいの?…あ、ウチ寄ってく?」

 陽介が余計なことを言い出したので、冴はすばやく言った。

「次の角右へ行ってください。」

「えーっ、いいじゃん、うちでコーヒーでも飲まそうよ。何なら冴のつくった飯も…」

「…陽さん、」

「…あ、今日は、もう日が暮れるから…帰ります…今度、是非…」

 冴の困った様子を見て、部屋が散らかっているとでも思ったのか、藤原が言ってくれた。陽介はつまらなさそうに、右に曲がった。そして、気をとりなおして藤原に言った。

「…学祭今週末だろ、準備、進んでる?」

「…ああ、俺は別に…学級発表の裏方だから…もうパネルもできたし、あとは女子が縫い物しあげれば問題ないかなーって感じです。」

「藤原クンは壁画かいてないの。」

「…かいてません。」

「ふうん。…俺もあれには手ださなかったけどね。…どろどろしてるよね。あの配給品の絵の具みたいにさ。」

「…そうですね。…今日、事故で赤い絵の具のビンがわれちゃって、絵の具が画面にどばーっと。」

「えーっ」陽介は目を丸くした。「だって、か、すい、もく、きん…4日しかないよ?」

「…まあ、なんとか直すしかないですよね。」

「そうだねえ。」

「あ、次を左です。」

「はいはい。」

 混み合っている信号を左に曲ると、道が急にすいた。

 陽介は藤原に言った。

「…ねー、冴って、学校ではどんなやつ?」

「…陽さん…」

 冴が困って言うと、藤原はちょっと笑った。

「…極端に美しいわりには、中味は事なかれ主義の体育会系。」

 それを聞くと、陽介は笑った。

「あはははは、そうなんだ。体育会系なんだ、やっぱり。」

「やっぱりってどういう意味ですか…。」

 冴が訊ねると、陽介はぷふっと笑っただけだった。

「ねえ、学校では冴、口煩い?」

「陽さん。」

 冴が困って止めようとすると、藤原も戸惑って言った。

「いや、別に…そんなんでも…。家では、口煩いんですか?」

「…いいや。我慢してるっぽいから。」

 冴は口を挟んだ。

「別に我慢してないですよ。」

 陽介はしつこく藤原に訊ねた。

「ねーねー、冴は、学校では、怖いやつ?」

「…」

「…」

 藤原は黙って冴の顔を見た。

 冴も黙って見つめ返した。

 藤原は「ごめんっ」という勢いで目を逸らすと、言った。

「…怖いです。」

 すると陽介はものすごく陽気に笑った。

「うははははははは、やっぱり怖いんだ!」

「やっぱりってどういう意味ですか!」

 冴が厳しくつっこむと、藤原が不審そうに訊ねた。

「…家でも怖いですか?」

「んーん。ぜんぜん。いい子だよ。マメで勤勉で働き者。優しいし。美しいし。頑丈だし。料理うまいし。」

 …そのあと「セックスばりばり強いし」を慎みから笑って飲み込んだのが、冴には手に取るようにわかった。 

「…じゃあやっぱりって…なにがやっぱりなんですか…?」

 藤原がおずおず訊ねると、陽介は、んー、と少し考えた。

「…陽さん、次の道、右です。」

「はいはい。」

 陽介は道を曲った。今度は変なことをきかれないうちに、藤原が言った。

「…久鹿さんは、どういういきさつで月島を預かってるんですか?」

 …冴は「うわあ」と思った。「をぃ藤原」とも思った。

 陽介はきわめて真面目な、深刻ともとれるような口調でぼそぼそ答えた。

「…去年の夏に、ど田舎の山奥で登山してて、あるクソ暑い夜にビバークしたんだけど、真夜中、月の下で水浴びしている冴を偶然みてしまって、もう理性が消し飛んで力づくでさらって来たんだ。」

「えええ?!」

「…陽さん。」冴は力がぬけてがくっとシートに埋まった。

 陽介は陽気にアハハハハと笑った。

「…嘘だけど。」

「うわあ、びっくりした、本当かと思った!」

「思うな!」

 叫ぶ冴を尻目に、陽介はさらにクソ真面目に言った。

「…ホントはね、去年の冬の朝に、初雪のアウトエリアで、郵便を受け取ったんだ。それは当時つきあってた女が死んだっていう訃報で、…それをもってきてくれたのが、この世のものとも思えない美しい少年で、つまり健気に真冬の郵便配達にはげむ冴だったんだ。俺もナーバスだったせいか、髪にいっぱい雪つけた冴が美しいだけに不憫でならなくて…」

「不憫だ…」

「だから信じるな!!」

 陽介と、それになぜか藤原もひとしきり笑い転げた。

「…いやあ、実はね、冴のお父さんて俺の愛人だったの。なくなっちゃって毎日泣き暮らしていたら、ある日突然田舎から冴がやってきて、今日からは親父のかわりに俺が陽さんをまもってあげますって言いだして、そりゃあもうウルトラマンのように助けてくれて…あ、これは駄目?」

「…亡くなった人を茶化すのはよくない。」

 藤原は苦笑した。…冴は硬直した。

「…わかったわかった、本当はね、冴のお父さんて一時期ヤバいときに俺のボディーガードしてくれてたの。…あと親父の手伝いしてくれてたこともあって…本当に俺は冴のお父さんに世話になったんだよね。…亡くなっちゃったからさ、少しでも、本人に返せなかった恩が、遺族に返せればと思って。」

 …藤原はその答に満足したようだった。

 人間はときとして、常軌を逸した現実よりも、それなりの物語を信じたいものなのだなと、冴は思った。

 冴に関する妄想ですっかり打ち解けたらしい藤原は、家につくと、陽介に頭をさげておくってもらった礼を丁寧に言った。陽介は今度遊びにおいで、是非、と誘った。藤原はおあいそで答え、車を見送ってから、マンションに入っていった。

「…陽さん。藤原をいじって遊ばないで下さい。」

「…俺の藤原をいじっていいのは俺だけですってか?」

 陽介の凶悪な声に、冴はびっくりした。

「…何言ってるんですか?」

「まーありゃ、俺を虐めるよりさぞかし面白い玩具だわな。」

 ふん、と笑うと、陽介はそれきり黙った。

 …何が不満なんだよ、と冴は思って、不貞腐れた。…なるべく、不貞腐れた様子を表に出さないようにして言った。

「…何かお気に召さない御様子ですね。」

「…別に。」

「…あなたを紹介するときに、俺の可愛いいとしい陽さんて言わなかったのが御不満ですか。」

「んなこと言えるわけねぇだろ。アホじゃあるめぇし。」

「じゃあ何怒ってるんですか。」

「うるせぇよ。」

 冴はとりあえず黙った。

 家の玄関をはいって鍵をしめたところで、陽介の衿を掴んで引き寄せた。

「…ガキじゃないんだ、大概にしろよ、あんた。…気に入らないことがあるんならはっきり言ったらどうなんだ?」

 陽介は自分より上背のある冴を挑戦的に見返して、嘲るように言った。

「…別に。」 

「…」

 冴はそのまま鞄を玄関に放りあげると、あいた手を拳に握り、その人さし指の側面で陽介の顎を持ち上げた。

「…言えよ。」

「…はたいてりゃそのうち言うと思ってるんなら、すきなだけやれよ。」

「ああ、撲られたいのか。…困った人だな、あんたも。」

 冴は陽介の衿を掴んだまま靴を脱ぐと、そのまま陽介を引きずるようにして寝室へ連れていった。

 

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