12 物語
学祭もようやく今日で終りだ…しつこいようだが、そう思うと、日曜の朝は清々しかった。
陽介に食事をさせて送り出したあと、冴は片付けをし、昨日はかけなかった部屋に掃除機をかけ、窓を開けて空気を入れ替えた。
縁側からいつもの鯖白のちび猫が入って来て、冴をみつけると、「冴ーっ、冴ーっ、冴-っ」とでも呼ぶかのようににゃーにゃー叫んで脚にしがみついてきた。冴は猫を抱き上げた。
「…飯か?」
話し掛けると「にー」と鳴いた。…カリカリと水をだしてやると、一生懸命がりがり食べた。
おなかいっぱいになると、縁側に座っていた冴の膝にやってきて、満足げに座りこんだ。冴があごの下をかいてやると「ああん、いやん、いやん」といった様子で喜んでいる。
出かけるのは午後だ。猫を抱いたまま、退屈したので、例のノートチップを見てみることにした。
チップには『大学生』というタイトルがつけられていた。
ビューアーがないので、テレビにつっこんでみると、「いや~ん、大画面ですね! エッチ!」とアナウンスが入って画面が切り替わった。…そこに現れたイラストについては、冴はとくにコメントはない。…まあ、倫理規定を守れば根津のごときに「ナニの裏表が逆」とか言われなくてすむからなあ、というのが、率直な感想だ。ちなみに、陽介と似ているのはかろうじて髪型だけだと冴は思った。本物の「お相手様」は、厳しいのである。いつだって「うちの陽さんはもっときれい」なのである。
「…な?そう思うだろう?」
「にやー」
猫は景気よく鳴いた。
ページをめくると、さっそく「お話」が書かれていた。
ストーリーをまとめると、こうなる。
お金持ちエリアに暮す主人公のダイガクセイは、交通事故で両親を失い、親の残してくれた生命保険と家とを頼りにひっそり暮している。学校では何の変哲もない、普通よりすこし美しい主人公Y(この新刊は何を憚ったのかイニシアルになっていた)は、その広い美しい日本家屋の庭、赤い紅葉の根元に、高校時代に愛しあったカワイイ後輩Hを、殺して埋めてある。Hは、Yを裏切って、Yの友人の女と浮気し、それを知ったYはHを永久に自分だけのものにしたのであった。そのことは誰も知らない、Yだけの秘密である。
ここまでが第一章だ。
第二章はこうだ。
その庭のある家で、Yは今、Sという途方もなく美しい高校生と二人で暮している。SはYの父方の親戚の遺児で、天涯孤独同士の二人は寄り添うように暮している。いつしか二人は愛しあうようになるのだが、Yのかかえている秘密が、なんとなく二人に溝を作ってしまう。
ある日Sが学校の友達に押し切られて、二人の住まいにその友人を上げてしまうと、Yは表面上は友達を歓迎するが、内心は不快に感じている。この家が、Hの墓所でもあるからだ。
友達が帰ったあと、SがYに詫びると、YはSを嬲りはじめる。いやがらせはエスカレート。ついに服を脱ぐように強要。そのまま流れでコトに至る。Sはたいそう傷付く。
翌日学校を休んだSは、一人でいる間に、腹いせにYの部屋を荒す。そのときに、Hの遺品を見つけてしまう。
あきらかに不審に感じたSが、かえって来たYを問いつめると、Yは淡々と真実をあかし、Sに昨日のことを詫びる。Yは愛するSにひどいことをしてしまったとひどく落胆していて、どうぞこのままケイサツにつきだしてくれて構わないと言う。
Sは衝撃をうけ、正義や倫理について深く悩むが、Yを愛していたし、Yを失ったら本当に孤独になってしまうことを恐れて、ついに通報はしないと決める。
ここまでが第二章だ。
第三章は例の友人がまた二人の家に勝手にやってくる。
友人はSのことを密かに好きだったので、二人っきりの部屋で無理矢理関係してしまう。
Sは必死で黙っているが、夜中、暗い部屋で泣き出してしまう。Sの様子がおかしいことにきづいていたYは、そっとわけを訊ねる。何もいわないで、抱いて、という話になって、二人はやっとうまく行く。
「…受攻が逆なのは年齢があるからともかくとして…SMも逆だな…。」
読み終わって冴が呟くと、猫も「にゃー」と答えた。
「よんでくれてありがとーっ! ちなみにこの本のオハナシはまっかっかーな嘘なので、絶対絶対信じないでクダサーイ! それからわたしのイラストの200倍美しくて、いつも優しい久鹿センパイ大好きでーす、キャーッだいてーっ!!」
…後書き代わりのアナウンスが大音量で流れて冴と猫はビクッとなった。
「…びっくりした…」
「…ニャ-…」
猫の逆立った毛を撫でてなだめてやり、チップを取り出した。
「…それはともかく…なんで俺が出てるんだ…しかも受攻逆で…」
冴は眉をひそめた。
+++
「あっ、チップ読んだ読んだ読んだ-ッ!!」
昼に大学部近くの待ち合わせ場所で顔をあわせるなり、立川が根津の肩をばしばし叩いて笑い出した。
「…あ、読んだ?あのヤバいやつ。」
「…つーか、あのあとどーなんの?途中でおわってるし。」
「…まあ、そのうち続編がでたりとか。…あとは自分で考えるって手もある。…でも、続きはどーでもいいんだよ、ヨシミ先輩にとっては。二人がうまくいけばそれでいいわけ。」
「やー、声だして読みそーになったわー。くすんと鼻すすって、『何も聞かないで…抱いて。』って。だって黙ってるとさー、月島くんの声で読んじゃうから-ッ。まだ俺の声のほうがいくらか可愛いかなーって。」
「…おまえ、そんな大きな声で…そりゃ俺も悩まされたけどさ、月島くんの美声には…。…どう想像しても先輩のほうがカワイイ路線の人物だし。先輩のほうが背も低いし。縁側に立たせて水ぶっかけて服脱げとかいいそうなのは、どう見ても先輩じゃなくて、月島だし。」
須藤と藤原がさりげなく月島を手招きしてくれたが、冴はとりあえずぼそっと宣っておいた。
「俺も音読してみたぞ、なるべくかわいく。3べんやって諦めたが。」
立川と根津はふいた。
…おまえらなんかいいだろ、所詮笑ってりゃいいんだから、俺なんかあのでかい図体の長髪の3年が庭に埋まってるのかと思うと衝動的に掘り返して燃やしたくなって大変なんだ…と心の中で冴は思った。…猫など、まるで冴の気持ちを読み取るように紅葉の下をほりほりしていた。
なにしろ、変なところが実話なのだ、あの話は。まるで本物の絵皿と偽物の絵皿を叩き割ってかけらを混ぜ合わせ、モザイクで新しい大皿を一枚作ったかのようだった。
「…まあ、思うに、あれ書いてる人…ヨシミちゃん?てーの?…は、多分、月島と口きいたことないね。」
「ないと思うよ。」
根津が断言した。
「…でも、名前はあってるよね。」
「…とはいえ、イニシアルだから。」
「…遠目に見たことくらいはあって…月島は有名だから、適当に噂から妄想して書いた、とか、そんな感じかなーっ。…まあ、俺は男なので、藤原クンの未亡人妄想のほうが好きです。…あの当て馬の友達がどうなるのかは、ちょっと興味あるな。」
「…二人目の犠牲者だろうな。尾藤の5男とともに庭に永久に眠るがいい。…八重桜の下もあいてるぞ。」
冴がどすのきいた声で言うと、根津と立川は、たはは、と笑った。
根津が訊ねた。
「月島、尾藤さん、本当はどうしたの。世間では行方不明とか言われてるけど…しってるんだろ?」
「…南米で日焼けしてゲリラと戦ってたらしいぞ。」
「それはまた突飛な妄想だな…。」
立川が困ったようにため息をついた。
人間、突飛な事実よりも、それなりの物語を好むものである。わかっていたのに本当のことを言ってしまった。こうなったらいくら頑張ってもこの友人たちは事実を信じないだろう。
しくじった、と冴は思った。
+++
まだ券を持っていた藤原たちに合わせて、麗人喫茶で接待を受けてから、須藤の先輩のやっているライブを聞きに行った。ロックバンドを想像していたら、なんと、ジャズで、かっこよかった。
終わったあと須藤が挨拶に行くと、友達たくさん連れて来てくれたお礼、といって、なにか券をもらった。
「…ここ笑えるよ、いってみ、って言われたんだけど…。先輩達、今日もう1ステージあっていけないんだとさ。」
…お姫さまカフェだった。
昨日さんざんやってたし、多分今日は逃げただろう、反対するわけにもいかないし、と冴と立川は希望的な憶測をしたが、実際行ってみると、冴にバレてしまった陽介は、むしろ爽やかに労働に励んでいた。
「…何で来るんだよ、根津まで連れて。」
「…せ…せんぱ…」
根津はそこまで言って、不意に眼鏡を外すと、よくレンズをぬぐって、再度かけなおし、やっとため息をついた。
「…びっくりした…息の根とまるかと思った。」
「そこまで見苦しくないだろう。」
陽介は憮然と言った。
藤原はうなづいて、言った。「綺麗です。」
須藤はこうコメントした。「…ダイガク部は恐ろしいところだ…。」
須藤のコメントがおわらないうちに、冴がにっこりして「今日も綺麗ですよ。」と言った。
立川は適当にうなづいた。
須藤が言った。
「…突然来てすみません。…俺のバンドの先輩が券をくれて…。」
「バンドって、ワイルドベリー?」
「あっ、そうです。」
「ふーん、あの人たち昨日の夜、閉店して無礼講になってから、ここで演奏してたらしいからね。よほど楽しかったのかなあ。俺はいなかったけど。…きみは何くんだっけ。」
「…須藤です。」
「須藤くんか。…おぼえとくから。貸しね。…じゃみなさん、お席にどうぞ。」
椅子にすわりながら立川が言った。
「…家主さん…じゃなくて、プレシの奥方、チップ読んだ?」
陽介は化粧した唇をつんと尖らせて答えた。
「…読みましたことよ?」
「…いいの?」
「抵抗したら、ハルキがうちの庭にホントに埋まってると思われるじゃないの。」
「…そもそも、その人物は今どうしてるの?」
「さあ。このあいだ来てたわ。とっても大きくなって、髪長くなって。…まあ、様変わりしたから、あの頃のカレはもういないという意味で死んだとか、その思い出を葬るという意味であたくしがお庭に埋めたというのも、象徴的な意味で意外と当っていたりしますのよ。一抹の真実、とか申すアレですわね。」
「…行方不明とかいう話のままなのはよくないと思う。」
「そうねえ。わたくしもそう思います。ビトウの実家…とベルジュールの御曹子…にそう言ってやってくださいな。…御注文は?」
「こぶ茶」「…玄米茶」「…ゆず茶??」「…抹茶とようかんセット。」「ウ-ロン茶ゼリー」
…ドレスのお姫さまでないメニューばかりで藤原や須藤は首をひねった。
陽介が去ると、立川が呟いた。
「…女言葉だよ、プレシの奥方。」
「…何だかんだ言っても、本当は心の底では、やってみたかったんだろうな、きっと。でも理性が邪魔して、できなかったんだろうな。」
冴がしみじみ言うと、根津はうなづいた。
「…月島のその感はあたってると思う。」
「…だよな。」冴はふっ、とため息をついて、須藤を見た。「須藤、さっきふと思ったんだが、俺は須藤の下の名前をしらない。」
「しらんのか。ヴァレリーだ。」
「…横名か。」
冴が驚くのを見て、立川が笑った。
「中学んときはヴァレリーってよばれてたよ。中学生は横名が好きだから。」
須藤が言った。
「…うちは、ひいばあさんがフランス人だ。うちでは誰もフランス語は話せないが、料理はフランス料理がでるぞ。月島今度勉強しに来るか?」
「それは是非。」
「…代わりにうちのかーちゃんに…いや、うちのままーんに、いなりずしの作り方しこんでってくんね?そのくらい作れてほしいわけよ、息子としては。」
「あんなもんは簡単にできる。一回で覚えるぞ。」
「心強いね。」
立川がブーイングした。
「えー、ヴァレリーくん、いい餌もってるじゃなーい、一気に月島くんを家まで呼ぶ気?ずーるーいー。うちにも来てよ冴~。きたなくてせまいけど。家族は歓迎するし、俺が綺麗に肖像画を描くよ?」
藤原がにっこりした。
「月島、うちきてくれたことあるよな。見舞いで。」
…そして挑戦的に立川を見た。
根津が呆れて言った。
「…月島が家にくるとなんか偉いの?じゃ俺は諦めるわ。俺のうちは海の向こうだから。」
「そういえば、根津の田舎ってどこなんだ?」
冴が訊ねると、根津は言った。
「うちは北都市。」
「北海道か!」
「そうなんだ?! しらなかった!」
「むしろ行きたい。あそこ、ドームの中を細いチューブラインが走ってるんだろう?」「俺もいきて-。連邦軍の航空基地が隣接じゃん。見れるんだよな確か。」「修学旅行、南にしちゃったからな。」「根津んちがあったのか~。それはおいしい。」
4人がわちゃわちゃ言うと、根津はこたえた。
「いいけど、俺のいるときにあらかじめ連絡してからにしてくれよ。いないときにとくに月島みたいな鶴に突然こられたら、我が家は一気に掃きだめと化す。分相応にせいいっぱい快適な住まいを作っているうちの大事なかーちゃんが自殺したら困るからな。」
「いろいろひっかかる部分もあるが、お前のいないときにいってもしょうがないので、いるかどうかは多分確かめて行くだろうな。」
冴は顔をしかめて答えた。
立川が訊ねた。
「根津ってでも名前が江戸なんだけど…。なんで北海道に?」
「エリア落ちじゃないの?だれも俺に詳しく語らないし、俺をエリアに置こうとする執着も並み大抵じゃないし。実際、祖父母は東京人だったらしいよ。」
そういえば、何かの話のついでに、根津がS-23へは中学の後半の編入と聞いたような気がした。高校入試で入るより枠だけみるときついように見えるが、実際に編入する人間は少ないので、空きさえあれば高校入試より楽にもぐり込める。中学部でもぐりこめば、高校はエスカレーターだ。究極の裏技だった。事情を知っている家庭でなければできない。
「…俺もしかして悪いこときいた?」
「…そうだな。まあでも、いいよ。俺も本当はよく知らないんだ。もしかしたら、親父が突然田舎暮しに憧れたのかもしれないし。」
根津はあっけからんと答えた。
「お待たせしました。」
顔をあげると陽介が注文の品をそろえて持って来たところだった。
+++
「…それより根津、ちょっとお前に確かめたいことがあるんだが。」
「何。」
冴はわざと陽介が注文品を並べている前で訊ねた。
「…お前、以前陽さんが俺の作った飯をくってることは、部の女子には黙っててやると恩を着せてくれたと思うんだが、覚えてるか。」
根津と陽介は申し合わせたようにぴたっ、と止まった。
「…ちゃんと覚えてるのか?」
冴はゆっくりと繰返した。
「…お前のつくった飯を先輩が食ってることを黙っててやるといったわけじゃない。土曜日の公園でアイス食ってるのは黙っててやると言ったんだ。」
根津は目を逸らして汗をかきながら、かろうじて言い逃れた。
「…そうだったか?…俺の記憶では、部の女子は生々しいのが嫌いだから、とかいってたような気がするわけだが。ということは、生活感のある部分全て、と俺は解釈していたわけだが、俺の勘違いだったというわけだな? 」
陽介は気をとりなおして、注文品を並べた。
それに勇気づけられたように根津は言った。
「…うん、お前の勘違いだよ、月島。だって別に隠すようなことでもないだろ。」
「だがそれを言ったら部の女子が何を書くかはお前は予想がついたはずだ。」
畳み掛けるように素早く言い返した。根津は言い淀んだ。
「…いや、それは…まさか縁側に立たせて水ぶっかけるような話になるとはさすがの俺でも…。」
「細かいディティールの話をしているわけじゃない。」
「…そうか?」
「お前が俺をメスライオンの環に投げ込んだということで間違いないな?」
「…まちがいございません。」
根津は鼻の上で眼鏡を直して、観念したらしく頭を下げた。
「それでも友達か。」
「…もうしわけございません、月島様。」
「なんでそういう運びになったのか、詳しく話せ。」
そ知らぬ顔でそそくさと逃げようとした陽介の、レースの手袋をはめた手を、冴はがしっと掴んでとめた。
「…あんたもちょっとまってろ。」
陽介はもう一方の手で口元を隠してしなをつくった。
「…つ、月島さま、御無体な…っ…」
「…あんたはあの日、根津と部室にいたはずだ。なぜとめない。ヨシミというライターはもともと、コメディ系の甘いハッピー路線を得意としていたライターだ。それがどうして今回いきなりちょいSMなタンビ路線なんだ?」
「作風を分析なさらないでほしいです……あの子たちは止めると…余計エスカレート…」
立川がため息をついて言った。
「…今更いったってはじまらないじゃん。…だいたい、昨日玄関にヨシミちゃんがいたら、明後日ぐらいには続編がでると思う。なんなら俺が書いてやろうか。冴がベージュの車にのって玄関前までプレシの奥方迎えに来て、玄関先で人目もはばからずちゅーちゅーやって、まっすぐSMクラブに連れ込む話。自分が男役でSならあとはどうでもいんだろ、どうせ。…年上に書いてやるよ。題名は『ロココ』でいいだろ?」
「…」「…」「…」「…」「…」
誰も一言もいえなかった。
ものすごく青ざめて微かに震える陽介の手を、冴はおそるおそる、放した。
多分、冴も同じくらい青ざめていたことだろう。
立川は昨日のささやかな復讐とこの事態の収拾を同時にやってのけたことに満足した様子で、機嫌よく羊羹を食べていた。
+++
ともあれ、日曜日も夕暮れとなった。
友達と別れて家に戻り、夕食の下ごしらえをしながら、陽介の帰宅を待った。
ひととおり仕込みが済むと、例の鯖白がいつのまにか家の中をあるきまわっていて、また冴を見つけると、「わーっ、みつけたーっ、冴ーっ、冴ーっ」とでも言うように、足にしがみついてきた。冴は猫を抱いて、リビングのソファに横になった。猫を胸のうえにのせると、猫は「しあわせーっ」とでもいうように、冴の胸にうずくまって、ぐるぐると喉を鳴らした。
「…おまえ本当に陽さんに似てるよな。実は陽さんの世を偲ぶ仮の姿なんだろ?…ん?そうなんだろ、陽ちゃん?」
悪戯に呼ぶと、「にゃー」と機嫌よく返事をした。
「…陽ちゃん。」
「にゃー。」
…何度よんでも同じだ。
「…お前の名前は陽ちゃんなのか…。…ま、陽さんの前で呼ばなきゃ大丈夫だよな。」
ぽんぽん、と背中を軽くたたくと、猫は「にー」と鳴いて、冴のセーターの胸をもみもみした。「冴だいすき、冴だいすき」と言われている気がして、なにやらものすごく満たされた。癒されるとはかような感覚であろうか、と思った。
「…陽ちゃんは、どうせ根津と話が弾んで、つい二人で俺のことばらしたんだろーなー。そうなんだろ?ん?」
猫にむかってきくと、猫は景気よく鳴いた。
「にゃー」
「やっぱりな。そうだと思ったんだ。陽ちゃんは~、ハゲがちゅきでちゅからねーっ。」
猫はまたべつのイントネーションで鳴いた。
「なーご」
「…まったく、しょうがないでちゅねー、陽たんはー、かえってきたらおしおきでちゅよー。」
冴は猫を胸に押し付けるようにぐいぐい撫でた。猫は笑っているような顔でにゃごにゃご言った。
「♪よーちゃんはね~…よーすけっていうんだ ホントはね~♪ だけどちっちゃいかーらー…」
そこまで機嫌よく歌ったところで、ガレージのおとがした。
「…帰って来たな。」
猫をちょっと持ち上げて、よいしょと起き上がった。
猫は冴の手を抜け出して、ぱーっと玄関のほうへ走っていった。
少しして、「ただーいまー」と声がした。
にゃーん、にゃーん、と大きな声で猫が出迎えている。「おっ、にゃんこー!」と嬉しそうな声。
冴は立ち上がった。
THANX.
081023




