11 花吹雪
やがてはればれと土曜日を迎えた。学祭もこの週末でおわりかと思うと、冴は気持ちが良かった。逃げ回っているわりには遅い日の多かった陽介もそうだったようで、にこにこと言った。
「…今日はけっこう早くにとにかく一回帰ってくる予定。」
「晩御飯、しゃぶしゃぶにしようかと思います。」
「わあ、嬉しい。楽しみにしてる。…俺、牛より豚がいいな…。…あっ、買い物いくなら、タクシー代いる?」
「大丈夫です、近所ですませますから。」
根津の家の近くのショッピングセンターより若干割高だが、タクシー代よりははるかに安い。…ときどき陽介の感覚がわからない冴だ。
「…じゃあ、いってくるね。…ごはん食べたあと、もしか元気あったら二人で深夜イベント行こうか。」
「そうですね。…じゃ、いってらっしゃい。」
玄関口でちゅーちゅーやってから陽介が出て行くと、冴は鼻歌を歌って片付けをし、掃除機をかけ、元気があまっていたので雑巾がけをした。
10時過ぎに一服していると、立川から電話がかかってきた。
「…ああ、立川。」
「今日暇?」
「ああ、そうだな、4時頃買い物へいくが、それまでは。」
「あのさー、なんとなくみんなで明日って感じになっちゃったんだけど、俺のいとこのにーちゃん、明日は学会でハノイ連れて行かれるんだって。だから今日来いっていわれちゃったんだ。俺そういうわけでレンチャンで大学祭いくけど、暇なら今日一緒にいかね?…」
大学部の入り口はすごい人ごみだった。今夜、日が落ちたら行灯行列が行なわれ、大学は深夜1時まで祭りで盛り上がる。サークルオーケストラの序曲にはじまり、いっぱし収入があるので有名なS-23大学部の公認演劇サークル「銀の車輪」の学祭凱旋公演、音楽科のオペレッタ、野郎ばかりのミスコンやヴォ-カルコンテスト(カラオケ大会ともいう)もある。そのあとは夜10時からアーティストや芸人を呼んでの野外ダンスイベントが恒例なのだと、S-23に小学生からいる連中が教えてくれた。ちなみに高等部は原則夜9時以降のイベントは単独参加禁止である。つまり、行灯からオペレッタまでで帰れ、ということだ。
…高等部とちがうなあ、と思うのは、入り口でチケット売りをしているのが、タキシードや縫いぐるみではなく、赤い褌一丁のヒゲの男だったり、ビキニの海パンにキャップに水中眼鏡のスイマーだったりするところだ。
「…俺、あれはやりたくないな。」
立川がぼそっといった。
「…俺も。」
冴も同意した。
中に入ると、立川が「こっちで待ち合わせ」と言って、通路の奥のホールの、だれぞのブロンズの前まで冴を連れて行った。
「中のほう広くてわかんないから、待ち合わせ、教養の建物にしてもらった。」
「それは正解だと思う。…教養だけで、高等部全部くらいあるからな。…いとこのお兄さん、学会に行くって…院生なのか?」
「いや、まだ学部の3年だよ。専攻はアジア経済だから、院はないんだ。機会があるごとに教授が学生を最前線につれていくらしい。叔母さんは早くにーちゃんが卒業してくれねーと、エリア落ちも現実味出てくるっていってひいひい言ってるよ。だれでもいいから友達をサロンに連れてこいっていわれてるんだ。こうなったら一日10人切ってやるーっ、だって。」
「ああ、美容師の叔母さんか。」
「そうそう。…月島はタダでやってくれるよ、多分。うちの叔母さん、俺と同じで美しいものダイダイ大好きだからな。」
「タダは申し訳ない。ちゃんと払う。髪を切るのはどこでもかまわないんだ、俺は。」
「そう?叔母さんきっと喜ぶわ。行きたくなったら言って。連れてくから。」
「立川の髪、叔母さんが切ってるのか?」
「そうだよ。」
…立川はけっこういつもおしゃれだ。問題ないだろう。
しばらくブロンズの前にいると、遠くから誰かが「おーい、吹雪」と呼んだ。立川はぱっと振り返って、「タツミにーちゃーん」と手を振った。
現れたのは柔道部の猛者といった感じのがっしりした男だった。精悍な顔が、急にひきつった笑顔になって、冴の前で沈黙した。
「タツミにーちゃん、もしかして、月島にびびってる?」
「び…びびってないけど、だれなんだこれは。芸能人か?」
「うちのクラスの看板スタァだよ。二枚目通り越してウツクシイというか、もう、なんとも言えないだろ、あまりに凄くて。どこにいても掃きだめに鶴、なんだ。」
「…絵のモデルにでも雇ったのか?」
「やとってないよ。友達なんだ。へへん、いいだろう~」
立川はそういって冴の腕に抱き着き、タツミを困惑させた。
「…あの、月島です。よろしく…。立川にはとてもいろいろ世話になっています。」
「あっ、ああ、すまん、こっちこそ…どうやら吹雪がハンパなく迷惑かけてるようで…俺は外山辰己。吹雪の従兄弟だ。本当にすまん。吹雪は非常識だが悪い奴じゃない、見捨てないでやってくれ。」
…母方の従兄弟なのだろう。
辰己の案内で、教養の建物を出て、キャンパスの奥のほうを回った。辰己が、せっかくきたから、といって、アジア経済と印度哲学が合同で出しているカレー屋の印度カリーをおごってくれた。なんでもインド留学がえりのメンバーがつくっているとかで、すばらしく本格的だった。
「…立川はフブキっていう名前だったんだな。知らなかった。」
「うん、俺、吹雪の朝に生まれたから吹雪。…生まれたのはエリアじゃなくて、フィールドなんだ。東北のほうだよ。外山の実家が東北の山奥なんだ。」
「…山か。」
「うん。」
「俺の親の実家も山なんだ。」
「そうなんだ。」
立川は嬉しそうにニコニコした。
「…月島もにーちゃんみたく、俺のこと吹雪って呼んでくんない?」
「え…いや、別にかまわんが…」
「ほんと?嬉しいなーっ。俺も冴って呼んでいい?」
冴が困惑していると、もっと困惑して、いや、困惑を通り越して青ざめた辰己が振り返って言った。
「吹雪! おまえおかしいぞ。男同士の会話じゃないだろう、それ!」
「いいんだよ、月島は性別がまた一味違うんだよ。」
「違わない」「ちがわない」
辰己と冴はばらばらと同じ答を返した。
「…インド哲学って、なにを学ぶんだろう?ウパニシャド?」
冴が話を逸らすと、辰己が答えた。
「サンスクリット語やったりするらしい。…寺の跡取りが多いって話だ。印哲の最大手は京都のS-56だな。うちとは留学範囲が一部被るから、けっこう仲が良い。ムンバイのドームでバッタリあったりするから。」
最後に教養の前まで二人を送り届けて、辰己はそのまま研究室に荷物をとりにいった。ハノイまでチューブラインで1時間もかからない。夕方にはハノイのドームだろう。
+++
じゃあ今度は冴の従姉妹に会うか、といって(許可した覚えはないがいつのまにか冴よばわりになっていた)、立川はポケットから文1の1年の券を出した。2Fだってさ、と地図をみながら言う。階段を登った。
「そういえばさ、根津の怪談、読んだ?」
「ああ。」
「あれさ、大弓の話じゃん。」
「ああそう…えっ?!」
冴はびっくりして振り返った。
「なに、きづかなかったの。」
「…」冴は首を振った。
「…藤原とかすぐわかったけど、俺は。…そういえば、冴はでてなかったな。」
「…全然気付かなかった。」
「うん、まあ、実際よりもおそろしくドロドロしてた。…女占い師じゃなく霊感少年になってたし。…藤原は、根津がお前を書きたかったんじゃないかとか言ってたけど、…根津は藤原が書きたかったんだろうね、あれは。だから藤原にそれとなく言ったってわけだ。…カタルにオチタね、藤原。まっ、人間誰しも、自分のことに関してはカンが鈍るってわけだ、あのカンのいい藤原でさえも。」
冴はそこまで聞いて、あの事件が自分の認識と他の人間の認識ではまったく違った事件だったことをやっと思い出した。
「…そうか…いわれてみれば大弓の一件かもしれない。」
それはともかくさあ、と立川は言った。
「…おまえらさ、よくないよ、原稿まにあうかどうを賭けにするなんて…。」
「よくないと思ったから間に合うほうに賭けたんだ。」
「だからぁ、…賭けるなよ!」
「うん、もう賭けない。」
「…あそこじゃないか?」
立川がさしたところをみると、どうやったのか廊下の壁に煉瓦が半分貼られたようになっていて、立派なスチールの看板が下がっていた。「麗人」と書かれたその看板のデザインは…
「…家主さん、だいぶ働いたみたいだね。」
「…陽さん、断りきれなかったんだな…」
中はなにやら薄暗い。入るのにちょっと躊躇した。
「あらいらっしゃい、よくきたわね。お友達も連れて来てくれたのね。券はある?」
ユウの声がしたのでふりかえったが、ユウがどこにもいない。しばらく探した後、真正面にいるオールバックの、口紅をした、小柄なバーテンダーみたいな綺麗な男がユウだと気がついた。
「…おっ、びっくりした。」
「びっくりするまで長過ぎよ、あんた。」
「…がんばっとるな、男装の麗人。」
冴はポケットからチケットを出し、立川の分もうけとって、まとめてユウに差し出した。
「何言ってんのよ、テレビみたわよ、花婿さん。なにあのインタビュー。もっと愛想よくしなさいよ。故郷の恥だわ。」
「…忙しかったんだ。」
「まっ、いいわ。どうぞ。」
ユウは手短かに説教をきりあげると、なぜかニヤリと笑って通してくれた。
+++
中へ入ると、薄暗くなっていて、背の高い女子が軒並み男装で迎えてくれた。背の低い女子はみんな衿の広く開いたトップスに、クラシックなロングスカートを合わせている。見渡す限り女ばかりだ。
「わーっ、なんかエロい~。男が入っちゃイケナイとこきちゃったってかんじーっ。なんかいいにおいするしーっ。」
立川が小声で喜んだ。…女の前では一応小声になる良識があるようだった。
「…冴の偽従姉妹、ちゃんと紹介してよ~。俺タツミにーちゃん紹介したのに~。」
「あ、うん、そうだったな、すまん。」
「…ドリンク一杯フリーです。何になさいますか。」
ユウがメニューを持って来たので、メニューを立川に渡した。
「水森、以前一度門の前であったよな?…立川吹雪だ、同じクラスで、けっこう有名な壁画職人なんだ。」
「あらっ、見たわ。今年あんたのクラス金賞とってたものね。すごく綺麗な絵だったわ。今度あたしを描いて頂戴。美人描くと上達するわよ。フフフ。…わたくしは水森ユウでござます。よろしく。」
…なんと、御指名用の名刺を差し出した。冴は呆れたが、立川は喜んだ。
「今度ぜひ。…立川です。よろしく。…俺コーヒーで。」
「冴はどうする?」
冴はメニューを開いた。
「…うーん、じゃあ、できるものなら作ってみろのアイリッシュコーヒー。」
「まっ、生意気ねっ、作ってやるわ、見てらっしゃい。うちの裏方なめんじゃないわよ。」
ユウはメニューを取り上げて奥に引っ込んだ。他に男の客がいなかったせいか、スカートの女子がわらわらよって来た。
「こんにちは~、高等部?」「何年生?」「二人は友達なの?」「仲良いのね。」「水森さんの親戚なの。」「かわいいわ。ううん、綺麗。」「撫でてもいい?」「日曜日テレビみたわ。」
口々に言いながら名刺をテーブルに置いて行く。最初は笑っていたタチカワも、だんだん汗が滲んで来た。
「…無理して笑わないほうがいいぞ、立川。顔が疲れるから。」
「えっ、でも…こんなにおねーさま来てくれてちょっと感動だし。」
「…そう言っていられるのは精々1時間くらいだ。まあ、1時間もおらんがな。」
まーっ、いてよ、1時間でも、2時間でも、そうよ遠慮しないで、ねえ、お姉さんたちのだれが好み?…とめどなく続く女の洪水だった。
「…冴って、大変なんだな。」
「…まあ、2~3回で慣れる。」
「こんなことに慣れるのって悲しい。」
…他の席で、バーテンダーが相手していたおばさんの客が、呆れ返っていた。
そのとき、入り口で「いらっしゃいませー、…あらまあっ、ほほほほほ!」という、水森の高笑いが聞こえた。何気なく目をやると、ドレスのすそが2人分見えた。ドレスというのは、普通のドレスではなくて、お姫さまみたいな、ものすごいドレスだ。ゴスロリというよりロココな感じだった。
「やだぁ、やっっっっっだぁ!! もう、お二人さんお揃いで!!」
水森はそう叫んだ後、こらえきれないとばかりにぎゃははははと笑った。
すると、冴たちを囲んでいた女子がクスクス笑って教えてくれた。
「…文1の2年はお姫さま喫茶なのよ。1年と逆なの。だから男子はみんな手伝いにいってるし、女子は逆にみんな手伝いにきているのよ。男子は今夜のミスコンに出るから、何人かは本気で綺麗よ。とくに2年にはビトウくんがいるから優勝ねらってるわね。…あなたもドレスきたらきっときれいだと思うけど、ビトウくんのほうが不健全な感じで爛れてて大人好みかもね。」
冴はその尾藤という2年を知っていた。2年前に陽介と噂になった尾藤春季の、兄にあたる人物だ。若干の因縁があり、いつも中庭で昼飯を食べているのも知っているので、冴も話したことがある。女子が騒ぎそうな、小顔できゅっとした感じの美貌の人物だった。ファンクラブもあると聞いたことが…そのとき息が止まった。
「うるせーよ、ヤメロその馬鹿笑い。殺すぞ。」
…異質な声がしたと思った。
「…一人300はらってよ。」
「文1同士は休憩割り引きでお互い200だろ。ボルな、1年。」
強気にユウを押し切って小銭を押し付け、先にがさがさ入ってきた、きりりとした化粧にものすごい金髪のカツラ、赤いドレスを着たお姫さまが、詰め物でつくった綺麗な胸をつんと突き出しているのを見て、そばにいた女子がよろこんだ。
「ほらみて、あれがビトウくんよ、きれいでしょ。」
「わあ、ほんとだ…どう見ても本物のお姫さまだ…。すげえ…」
立川がポカンと見て言った。
群がっていた女子が数人わらわらと移動して、「いらっしゃいませー」「ビトウせんぱいステキですう」「御注文は~」と向うへ近付いていった。
…冴は見ていなかった。なぜといって、もう一人入って来たのが…入って来たのが…
「夜思兄さん、俺まぢで5時で帰るからな。」
「…行灯出ないのか?7時からだぞ。」
「しらねーよ、もたもたしてたらカマコン出る羽目になんだろ。やってらんねーよ。」
「…ふうん、出ればいいのに。俺ほどでもないがまあまあきれいだぞ。優勝賞金5万、準でも1万なんだぞ?クラスのために一肌脱ごうって気はないのか?」
「冗談じゃねーよ。万が一うちの嫁にバレたら夜逃げされ…」
そこまで言って、向こうも冴をふと見て、固まった。
…どこから借りたのやら、インディゴブルーのサテンでできたふんだんに刺繍の入った宮廷ドレスを、凄いペチコートの上に着て、綺麗に化粧して、カツラを被って…それが異常に似合っていた。
「…」
「…どうした?…あっ!!」
尾藤が冴を見つけて叫んだので、立川もようやっと、あとから入って来たほうに目をやった。
「あーっ、冴んちの家主さんだー。こんにちはー。…きれー。だれかと思った。」
…陽介はそのままふらふらとその場に崩れた。
「わーっ!! 陽さんっ!!」
冴は反射的に飛び出した。
+++
「…久鹿くんて、すごい、本当に倒れるんだもん、本物の女以上だ。」
「…コルセットしめすぎたんじゃないの?」
「…彼は本物のお姫様よ。高等部のころなんか、コワオモテの送り迎えがきてたんだから。」
「…あ、そういえば。去年だよね。俺もみたことある。ベージュの車だよね。」
「そうそう。」
「コワオモテの送り迎えだったのか…俺はてっきりSのおじさんが高校生をさらって調教してんのかと思ってた…。」
「まさか。」
すっかり仲良しになったおねーさんと立川が後ろで呟きあい、尾藤がスカートをたくしあげて足を組み、真っ赤な編み上げブーツをペチコートの中から晒してココアを飲むその足許で、冴は陽介を抱き起こして介抱していた。
「…久鹿はいやがってたんだが、お前が来るのは日曜だから、土曜ならといってしぶしぶ引き受けた。」
尾藤が簡単に経緯を説明してくれた。…ちなみに、ブーツだけは自前なのだそうだ。
しばらく声をかけていると、陽介はやがて目を覚ました。
「駄目ですよ、陽さん、こんなところで倒れちゃ…。ふんばらないと…。」
「…」
冴の顔を見るなり、陽介は死んだふりをした。
「…陽さん…夜逃げしませんから…。」
「…俺は20分後に屋上から飛び下りる。」
「…飛び下りなくていいですよ。」
「はいはいお姫さま、商売のじゃまですよーおきておきてー」
ユウが冷たく大声で言うと、陽介はよろよろと起き上がった。冴は手を貸して陽介を一回立たせてやってから、ごみをはらって、尾藤の向いの席に座らせて、跪いて裾を整えてやった。
「大丈夫ですか。」
「…死にたい…。」
本気で陽介が涙ぐんだので、冴は慰めた。
「…そんな、陽さん、大丈夫です。」
「…見られたくなかった…」
「あ、あ、泣くと化粧が! …いけませんよ! …ちょっ、誰か…立川、ティッシュもってないか?!」
「…吹雪。」
「…吹雪、ティッシュ…」
「…」
立川は憮然としてティッシュを差し出した。冴はそれを受け取り、一枚ひっこぬいて、慌てて陽介の目尻を押さえた。…昔、こうやって化粧が流れないように、女の顔を拭いてやったことが複数回あるのだった。
「…別にいいじゃないか、うちの妹なぞ、婚約者と来て俺をはさんで大喜びで写真とっていったぞ。」
ココアを飲みながら尾藤が言うと、立川も言った。
「家主さんだいじょうぶだって、冴は心の広い男だから。…さいしょから、やるよーって呼べば良かったのに…そしたら根津もつれてきたのに…。な?冴。」
冴はうなづき、陽介はぶんぶん首を横に振った。…かつらがずれたので、冴は立ち上がって丁寧になおしてやった。
「…陽さんあの…」
冴がなにか慰めを言おうとしたところへ、後ろからユウが言った。
「やーねえ、大騒ぎして。ばっかみたい。」
キッ、と冴がふりかえって睨むと、ユウは勝ち誇ったように言った。
「冴、おもしろいわよ、あんたが『綺麗ですよ』っていってごらん?」
「…?」
「いいから言ってごらん。」
「…陽さん、綺麗ですよ。ほんとにお姫さまみたいですよ。」
すると突然陽介は安心した顔になった。
「…綺麗?」
「ええ。」
だっこ、のリクエストよろしく両手をさしだしたので、冴は訳もわからずそのまま抱き寄せた。すると陽介はちょっとだけ甘えてからすぐ身を離して、ちょっと赤みのさした顔でにこにこしてユウに言った。
「ここのコーヒーまずいから、レモンスカッシュね。」
+++
そのあと、お姫さまカフェのほうもお邪魔した。…綺麗なのは陽介たちの他に3人くらいで、他はギャグだった。ちゃんと女性客向けの二枚目ウェイターもいた。下の麗人カフェよりもかなり盛り上がっていた。
「もう、なんで今日くんの、冴。こないだの仕返し?」
「…10時頃に立川にさそわれて。」
「…」
陽介はがっちりマスカラとアイシャドウとアイラインの入った目で立川をちょっと恨めしそうに見た。立川はおもわず謝った。
「…すみません…」
「キミはバツとして俺の名刺を持って行け。」
陽介がそういって差し出した名刺には「アンジェリーク・プレシ・ド・ベリエ-ル」と書かれていた。…よく見ると、その名刺の飾り枠も陽介の装飾紋だ。
「…はあ、慎んでいただきます。」
立川はさっきおねーさんたちからいっぱいもらった名刺の束と一緒に、それを輪ゴムで束ねた。
陽介は、二人から食事は済んだと聞くと、「一口コロッケ」と「タコ焼き」を選んでおごってくれた。お姫さまとコロッケはものすごく合わない。合わないといって笑うのがこの店のコンセプトらしかった。ちなみにメニューには「おでん」や「みそでんがく」、「もろきゅう」などもあった。酒は5時からだそうだが、日本酒と焼酎しかないそうだ。
帰りがけ、陽介はドレスの裾をつまんでがさごそとエントランスホールまで送ってくれた。…靴はよく見ると、スニーカーだった。
「…冴、今日は俺、5時半には帰るからね。しゃぶしゃぶ…」
「はい、大丈夫ですよ。」
冴がうなづくと、陽介ははずかしげもなく冴に抱き着いて、遠慮なく唇を奪った。陽介がドレスを着ていたので全然抵抗を感じなかった冴は、喜んで陽介のコルセットで絞った腰を抱き、
「…あんたそうしてると、ほんとに女みたいだな。可愛いよ。…遠慮しないでコンテストに出たっていいんだぞ。賞に入ったらちらしか稲荷でも作るのに。」
と面白がってキスをし返し、額をくっつけて笑った。
…帰り、さしもの立川も、機嫌が微妙だった。
+++
陽介は着替えて夕方帰って来て、シャワーを浴びて、冴とのんびりしゃぶしゃぶを食べた。
二人で少し羽目をはずした格好に着替えて、深夜イベントへでかけた。
尾藤と会ったので訊ねると、ちゃんとミスコンで賞をとっていた。前夜祭の営業はもう終わったそうで、ドレスは脱いで、普通の格好にもどっていたが、化粧はそのままだった。クレンジングを手にいれ損ねたらしい。尾藤はたいていは黒服だ。その日も黒いロングコートに、黒っぽいデニムだった。
深夜イベントは野外で行なわれる。野外イベントといっても、S-23はまるごと小さなドームの中にあるので、雨がふったりする心配はない。
イベント広場のステージでは、時たまあちこちで耳にする曲が演奏されていた。二人とも大分頭をひねったのだが、歌手もタイトルも思い出せなかった。けっこう有名な曲だということだけはわかった。芸能人のライブが行なわれているのだ。行ってみると、イベント広場の周辺には、ひとまわりして帰って来たボロボロの行灯が並べられ、その内側にはフェスティバルキャラバンが出店を開き、アルコールとスナックを出していた。S-23の学校生協はいちばん遅い大学部でも8時でおわってしまう。終わると食べ物の調達は、ドームを出てエリアに入るしかない。イベント広場からはけっこう遠いので、往復1時間はとられてしまう。キャラバンをいれたのは、そうしたことへの配慮であろうと思われた。
冴と陽介はホットワインを買って飲んだ。11月末の空気はドームの中でもそれなりに冷えている。…体が温まった。
「あら。お姫さまじゃない。…花婿さんもお揃いで。」
振り返ると、ユウが女に戻っていた。
「…夜遊びか、水森。慎二さんに電話してやろうか。」
陽介がいじわるそうに言った。
ユウは高笑いした。
「あら、女装がカレにばれたくらいで自殺するって騒いだようちゃんが、大きく出たこと!」
「…水森、売り上げはどうだった。」
冴が不毛な言い争いに割り込むと、ユウはうーんと考えた。
「よくしらないわ。でもけっこう繁昌したわよ。…あんたの友達、かわいいわね。吹雪くんだっけ?先輩達が喜んでたわよ、雰囲気がチャーミング、にゃんこちゃんみたいでかーわいい、おいしそー、たべたーいって。」
「…最近株が上がり気味だ。クラスの女子とも良い感じになってるぞ。」
「あら、残念。何人か電話番号書いてたわよ。裏よくみるようにいっといて。」
「…わかった。金持ち女なら喜ぶかもしれん。伝えておこう。」
冴はうなづいた。…ユウと話しているうちに、いつのまにか陽介が冴の腕に抱き着いていた。…ユウと自分が話す「馴染みの感じ」がイヤなのだな、と冴は悟って、ユウにちょっと手を上げると、陽介を連れてその場を去った。
「…冴はあのおっかない女と、仲いいよね。」
案の定、陽介はそう言った。
「仲がいいというよりは…まあ、慣れているんでしょうね。…親戚みたいなものですから。」
「…そういえばあいつ、直人さんのこと叔父よばわりだもんな。」
「ええ。…親父はあそこの神社の薪割りやってましたからね。ユウはまだいい。もう一人の藍なぞ大変だ。下半身すりよせてきて。」
「…いやな女。とっとと結婚してくれてありがとうだぜ。」
陽介はそういって、ぷいっと顔を背けた。
そして言った。
「…女はさ、狡いよ。」
「…なんで。」
「だって、女だもん。」
「意味がわからない。」
「わかんなくていいよ。」
「…」
冴は少し考えた。
「…ひょっとして、さっき俺が、女みたいだと言ったの、なにか気に触りましたか?」
「…いいや、冴はやっぱり女が好きなんだなあ、とは思ったけど、それは別にそれだけ。…いいよ、今は、俺のこと受け入れてくれてると感じるし、それで充分。」
冴は困った。本当のこと、…冴が女とトラブルを起こしがちで、陽介のそばにいる間は、女とはどんな些細な関係も新しく築くつもりはないことを話せたらいいのに、と思った。
冴は女断ちをしてみて初めて、自分がどれほど人間関係に大雑把なのか分かった。これはトラブルになるはずだ、と小坂の一件でよく学習できた。
冴が黙っているのをどう思ったのか、陽介は言った。
「…みんなの前で抱いてくれて、嬉しかったよ。…みんなは引いてたけど…。」
…冴は実はそういう部分は非常識に無頓着なだけなのだが(好きな女が求めてくるならたとえそこが駅の階段だろうがデパートの入り口だろうが断固チュ-するタイプの男なだけなのだが)、まあ陽介が喜んでくれたならいいか、と思った。
「…陽さん、男か女かって、大きな問題ですかね?」
「…うーん。問題だと思うけどね。…雄花か雌花かの問題だからね、白い花かピンクの花かの違いじゃないからね。でも大勢に影響はないといってしまえれば、どんなにか楽だろうと俺は思うよ。」
うーん、と冴は考えた。
…さりげなく、陽介は付け加えた。
「…友人か恋人かも、意外と大きな問題だよ、冴。」
「…は?」
考えていることと違うことを言われたので、冴はなんだかよくわからなかった。
「…立川くんはいつからお前を冴ってよんでるの。」
「あーあ」冴はなるほどそれかと思った。「…突然今日からそう呼ばれています。」
「…なんで。」
「…そう呼びたいらしいです。」
「…冴。」陽介はため息をついた。
「なんですか。」
「…冴にはわからないかもしれないが、俺も含めて、男の多くは女の腐ったような奴だと考えて、まずまちがいないよ。」
「…意味がわかりません。」
「近々きっといやってほどわかると思うよ。」
「ちゃんと説明してください。」
「説明すればするほど惨めになるからしない。」
「…それもわからない。陽さんの言う『惨めになる』って、どういう意味なんですか?」
「…どうにもならない自分が情けなくて、とてもつらくなるって意味。…あのね、冴、俺と立川くんの違いは、ただピンクか白か、その程度の違いだよ。」
「そんなことはありません。」
冴ははっきりと断言した。
立川と見つめあっても懐かしくないし、触っても響く波動は生じない。
陽介はわかっているのかいないのか、少し苦笑しただけだった。
あっ、これはいけない、と思って、冴は陽介に自分のほうを向かせた。
「…陽さん、立川は、ただの友達です。ただ、奴はべたべたするのが好きなタイプなので、ゲイが見たときにカップルと誤解するようなことはしないように言い含めてあります。」
「…冴、冴はモテるから、きっと、がんばって誰かに振り向いてもらおうと努力したことがないんだろうね…。」
「…ありません。」
冴の場合は「抱きたいなあ」と思っていると向こうから飛び込んでくる。かならず絶対いつもそうだった。陽介だって例外ではなかった。男でもそうなのか、と思って驚いたものだ。
陽介はため息をついた。
「…いいよ、仕方ない。…そういうことは。」
…軽く冴の唇にキスして、陽介は冴の袖をひっぱって歩き出した。
ライブはまだ続いていた。
二人ともやっと思い出した。このアーティストは、ツカガワ・ノブユキという人物で、さっきから続いていたヒットナンバーは『花吹雪』という曲だった。
歌が終わったら、楽しいダンスのお時間だ。




