1 潔斎期間
こんな夢をみた。
冴が川原を歩いていると、一人の老人が向こうからやってきて、冴に訊ねた。
「シロツメクサとムラサキツメクサは、何が違うのですか。」
と。
冴は悩んだ末に言った。
「…色?」
と。
…目が覚めた。
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学芸ドームS-23の学校ドーム祭は、11月に一週違いで次々と行なわれる。
まず第一週土曜日の付属幼稚園の発表会にはじまり、日曜日は小学部の学芸会、その次の週が中学部の文化祭で、次の週が高等部の学校祭。最後をしめくくるのが大学部の学園祭である。ちなみにもっとも文化的香りの高いのが中学部で、もっとも商魂逞しいのが高等部、そしてなにがなんだかわからない祭風味なのが大学部である。
「ああああああ、スランプだーーーー、学祭を前になんてこった!」
坊主頭を掻いてため息をつき、眼鏡を外して眼鏡拭きで拭っている根津だ。ここ数日ずっとそんな調子だった。仲間はそれをみて、最初は同情していたが、今では皆あきれ顔になっていた。
「…おちつけよ根津。」
「学食で騒ぐと魔女に祟られるぞ。」
「だいたい、なんだ、飯時までノートなんぞひろげて…」
…根津は文芸部員だ。
文芸部は学祭といえば稼ぎどき。マッハで原稿を仕上げ、授業中に編集し、徹夜で製本したら、売るべし売るべし売るべしの2日間。…と、冴の下宿の家主は懐かしそうに笑っていた。
藤原が、黙っていた冴を促した。
「…じゃ、我らが美しき友・月島からも、一言根津くんに注意。」
「…俺の顔はどうでもいいが、…がんばれ、根津。」
冴がはげますと、根津はふっとため息をついて頭をふった。
「…がんばれ言うな。頑張ってるんだ。これ以上がんばったら、俺は多分死ぬ。」
冴は容赦なく言った。
「じゃあ諦めろ。」
ノートを閉じた根津は、飯をかきこみながら恨めしそうに月島をにらんだ。
「…月島って俺のことどんだけどうでもいいんだよ?」
「…正確にはお前がどうでもいいんじゃなくて、お前の原稿がどうでもいいんだな。」
藤原が嬉しそうに言った。
「…つーかおまいらは、学祭はそんなに暇なのかよ。」
根津が不服そうに言うと、須藤が言った。
「…クラスのほうは深川が仕切ってるからだりぃし、今年は抽選に外れたからステージもないしな。」
…須藤は軽音でベースをひいている。だがよい仲間に恵まれないこともあって、あまり熱心ではない。須藤にとっては藤原たちといるほうが楽しいらしかった。
根津は立川を見た。
「タッチーは絵は?」
「んー…俺、美術部やめよーかと思って。」
「なんで。」
「…とにかく学祭は出品しない。」
「タッチ-上手いんだからクラスの壁画やってやればいいのに。」
「…ヤダ。中学んときやったけど、ほんとろくでもなかった…。結局俺一人で遅くまでのこってさ…。他のやつらは勝手な書き方してどんどんめちゃめちゃにするし。もう耐えられない、ああいうの。3年間ずっと俺がやったんだぜ。」
「毎年入賞したんだからすげえよな。」
「賞なんかどうでもいいよ、どうせなんにもわかんねえやつらが適当に選んでンだから。」
「わかんねーやつが選んでるわりには毎年お前のいるクラスだったわな。…タッチ-ももう少し寛容にならんと。」
須藤が言うと、立川は怒った。
「寛容になってたらいいものはできないんだよ。賞取らないとぶつくさ言うクセに、人のいうことは絶対きかねーんだから、あいつら。」
ヒートアップして来たので、冴は言った。
「…立川の絵、みたことないな。俺は選択科目が技術だから。」
「…見てみたい?」
「ああ。」
冴がにっこりすると、立川はものすごく嬉しそうにでれでれした。
「うふーん、そう?なんか月島のその顔でにっこり言われると、俺ってばすげーゲイジュツカにでもなった気分よ?…多分、教科展示で1枚くらい貼られると思う。まっ、美術室の廊下でも探してみてくれ。…俺は月島の歌がきいてみたいなー。」
「歌はそれほど上手くない。」
冴が苦笑すると、須藤が言った。
「…俺はききたくない。ものすげえ音痴とかだったら月島のイメージに傷がつく。」
藤原が言った。
「ものすげえ音痴ってわけでもないんだろ?別に、フツーに朝礼で校歌うたってんじゃん。…今度みんなで歌いにいかね?このめんつで行ったことねーや。」
「いいねえ。」
立川は機嫌がよくなった。
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「…というわけなので、足が出た分、みなさんに負担をお願いします。」
学級会計からの突然の告知に、みなおのおの作業中だった2-Bの教室はざわっとざわめき、ほどなく糾弾の戦場と化した。
「おい! 会計、まてよ。貴様のミスをなんだって俺達が支払わなきゃなんねーんだ。」
「僕のミスではありません、学級発表部門の予算オーバーです。」
「お前がだすからたりなくなるんだろーー!」
「そうよ、なんで最初にちゃんと予算組まないの?!」
「だーかーらーあらかじめ伝えてありましたが、学級発表部門があ…」
「深川ーーー!!」
冴はげんなりして藤原を見た。作業のために適当な席に座っていたので、すぐ近くにいた。
「…で、いくら出せっていうんだ?」
「…一人300だと。」
「…もめずに出そう、そのくらい。」
藤原はクスッと笑って、ひそひそ言った。
「…立ち上がって、鶴の一声、そう言えよ。お前の顔で言われればみんな従う。」
「…顔は関係ない。」
冴たちの後ろにいた女子が挙手して立ち上がった。
「…今小銭を3枚だすくらい別にどうってことないけど、こういうことが何度も続くのだとしたら、とてもイヤなんですけど!」
藤原はひそひそ言った。
「…つまり、そこなんだよ、みんながこだわってるのは。金にだらしないやつってどこまでもだらしないだろ。」
女子に賛同する言葉があちこちからあがった。
学級発表部門責任者の深川がこたえた。
「えー、今回はー、連絡の不届き行きでー…」
…しかも組織のせいにしてやがる、と藤原は嘲笑った。
そのとき意外な人物が声をあげた。
「そんなんでなく、ちゃんと謝れよ深川!」
みな驚いた。
それは甘ったれで寛容で、美しい物好きの、立川の声だった。
「…それから、深川があやまったらみんな黙って金出せ!」
誰がおどろいたといって、仲良くしている須藤や藤原が一番驚いた。
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「…で、これはどうしたの、冴。」
「…帰りに寄ったボックスで立川につけられました。」
「…口紅にしちゃ下品な色だとはおもったけど、…ケチャップだよね。」
「そうです。」
「…そか…。タチカワくんが冴にぶつかってケチャップつけたおかげで、こんな素敵な冴の姿をみることができたのかー…」
上半身裸で制服の白シャツを染み抜きする冴を後ろから覗き込んで、冴の愛しい家主さんは、冴の肩の後ろあたりをクルクルと指で撫でた。
「…俺も冴の歌聞きたかったな。」
「二人でいきますか?」
「俺うたいたくねーもん。」
…我侭だ。
「…音痴ですか?…いつもベッドではいい声音だけど。」
「音痴ってほどでもないのが、むずかしいところなんだな。」
そう微妙な返事をして、陽介は、んー…と甘えて、冴の肩を吸った。わあ、そんなところに跡がついたら体育の着替えのときどうしよう、と冴はちょっと喜んだ。…どうもしやしない、なんだよこれ、と聞かれたら、黙ってニヤリと笑っておけばいいだけのことだ。
…どうやら歌については陽介は冴と同じくらいの腕前らしい。
「…陽さんは、学祭はなにをしているんですか?」
「あっ、俺、逃げた。…チケットのデザインだけひきうけて、あとはカンプナキまで逃げた。」
「チケット?…ライブ喫茶ですか?」
「…女子が男装してカフェだって。」
「うわー…ダイガクっておそろしいところですね。」
陽介はうなづいた。
「…冴のクラスは何をやってるの?」
「お茶漬け屋とかいってましたが。…毎日プラスチックの極細ストローで簾作ってます、俺は。」
「当日は期待されてると思うよ、冴は。…俺いくよ。お茶漬けたべる。」
「だめです。あんなやつらに陽さんを見せたら、陽さんが穢れます。」
「穢れないから。」
「穢れます。」
冴は洗ったシャツを脱水に放り込むと、くるっとふりかえりざま、陽介の唇を奪った。
陽介は笑って冴の首に腕を回した。
「…立川くんて、例の結婚占いの立川くんでしょ?…こんど家につれておいでよ。」
「…いやです。」
「なんで。」
「…他人に邪魔されたくないんです。」
冴が陽介を抱きすくめると、陽介は冴の肩に頬を押し付け、悪戯に冴の乳首をいじった。
「…冴、たまに他人が来てくれるのも、いろいろ新鮮味があっていいもんだよ。」
「…いやです。」
「…俺と一緒に住んでんの、人にしられるの恥しい?」
「恥しくはないですけど、絶対邪魔されますよ?…陽さんこそ自分の友達つれてくればいいのに。」
「俺の友達って、安西や楠瀬?あいつらたちわりいから。…お前のこといじって遊ぶと思う。俺はいじられんの慣れてるけど、お前は多分、イヤな思いすると思うよ。」
「…」
少し手をゆるめると、陽介は冴と額同士をくっつけて、目を合わせた。
見つめあうとなぜか、冴の胸は、懐かしさでいっぱいになる。
多分ずっと遠い過去、この人とあったことがあるんだろうな、と冴は思う。
…そのときも愛しあっていたに違いないと…。
「…冴、…」
何か言おうとした唇を口づけで塞いでしまう。
…誰もいなくてもいいじゃないか、と思う。
俺だけのものでいてくれてもいいじゃないか…と。