八王子スクエア
――二○一五年 七月六日 土曜日
昨日の楓との約束通り、俺、翔、ナイアの三人は、《八王子スクエア》へやって来た。
待ち合わせの正午まで残り五分、というところで楓が息を切らせてやってきた。
「はぁ、はぁ……むぅ、少しは遅れて来なさいよっ」
「中々斬新な注文だな」
俺より先に来る事が出来なかったのが悔しいのか、楓は口を尖らせている。
「おう、嬢ちゃん。女は男を待たせる自由があるんだ。そんなに気にせんでもいいんだよ」
ヤンキー座りで眉間に皺を寄せる翔が言う。
「それで風土、ここは一体どういうところなのですか?」
ナイアの質問に俺はドーム場の大きな建物、八王子スクエアを見上げた。
「八王子スクエア。通称士族鍛錬所だな。このドームの中に、剣士、召喚士、魔法士が鍛錬するスペースがあるんだ」
「なるほど、しかし風土の通う学校でもそれは出来るのでは?」
当然の疑問だったが、俺と楓は互いを見て苦笑した。
そして、その疑問に対して疑問をもったのか、今度は楓がナイアに質問をした。
「ナイア、士族間があまり……というか、仲良くない事は知ってるでしょう?」
「……そういう事でしたか。失念していました」
生まれたて――しかしナイアは凄く頭が良いのだとわかる。
召喚士養成学校に在籍する俺が、魔法士養成学校に在籍する楓を連れて学校へ行く事は出来ない。
いや、出来なくはないが、非常に危ういんだ。
オフィシャルな手続きを踏んでも、険悪な雰囲気が出るくらいだしな。
あれ? それにしては――
「翔さんってナイアさんと士族が違いますけど、そういうのって大丈夫なんですか?」
「翔は特別です。何より私たちは風土の思考と嗜好をベースに生まれていますから。風土はそういった偏見がないのでしょう?」
ちらりとこちらを見やったナイア。
その顔はそこはかとなく笑みを伴っていて、俺の心臓を掴んだような気がした。
むぅ……やはり可愛いな。どことなく日本人離れしているし、この八王子スクエアの中でもかなり目立っている。
俺たちは入場料を支払うため、受付の前へ行く。
「学生二名です」
「……? 四名では?」
楓の言葉に、受付の眼鏡をかけたおばさんが奥にいた二人を見る。
「あぁ、この二人は使い魔です。使い魔は入場料がかからなかったはずですけど?」
「使い魔ぁ?」
まるで「そんな訳があるか」というような顔だ。
まぁ名も知られていない俺だという事も、勿論、学生だという事もあるのだろう。
俺はナイアに向かって一度頷き、ナイアは翔に対して無召喚を行う。
「……ぁ」
次いで俺がナイアを無召喚すると、おばさんは眼鏡を鼻の方へ傾け小さな息を漏らした。
「二名……でいいですよね?」
納得いかないような面持ちだったが、おばさんは二人分の料金で俺たちを通してくれた。
素晴らしいこの世界。大部分の公的機関はこれが通じるのだ。
そもそも毎回三人分払っていては俺の財布が悲鳴をあげるどころか、すぐにお亡くなりになるだろう。
改めて俺はナイアを、ナイアは翔を召還する。
「お? 何見てんのやワレ?」
どうしても悪目立ちする翔は、不運にも目が合ってしまった方々に一々ガンを飛ばしている。
他人の振りが出来ないというのも苦しいものだ。
「お、ラッキーだね風土」
楓の言葉通り、運がいい。
八王子スクエア内にある個別スペースに空きがあったんだ。
三人~四人が使える中々広いスペースである。
ここなら良い練習が出来そうだ。
楓、俺と続きナイアと翔が中に入ると、細長い人工芝の模擬戦場へ出た。
「ほぉ、中々ええとこじゃねぇか」
「なるほど、ここなら訓練に最適ですね」
ナイアがそう言ったのも当然で。この個別スペースにはしっかりとした防御魔法が掛けられている。
俺たち召喚士がテストを行う場所と同じようなところだ。ライフバーはないけどな。
「個別スペースは俺も初めて入ったんだよ。人数いないと入れないからね」
「私もそうよー? 普段は射撃場ばかりだし」
俺はともかく、友人が多いはずの楓も初めてというのは意外かもしれない。
射撃場か。遠隔攻撃系の魔法を集中的に鍛えてるのだろうか?
「さぁ風土? 準備はいい?」
「勿論だ」
「それじゃあ初めは簡単なところからいきましょうか。手を出して」
「手を?」
「そう、早くして」
俺は楓に言われるがまま手を前に出す。
すると、楓は自分の掌を俺の掌とあわせて見せた。
「……っ」
ぬぅ、意外に恥ずかしいもんだ。
「ふっふ~、こんなに可愛い女の子の手に触れて嬉しいでしょ~?」
「ち、違っ――い、いいから! ここからどうするんだっ?」
「今から手に私の魔法力を送るわ。その魔法力を風土の魔法力で迎えてあげて」
「いや、それだけじゃ何をどうしたらいいかわからないんだが……」
「大丈夫大丈夫。魔法士ってのは魔法力を身体で感じる事が出来る存在なんだから。私の魔法力を感じれば、風土も出し方がわかるはずよ……多分」
「おい! 結構適当だな!」
俺がそう突っ込むと、楓は小さく舌を出してはぐらかした。
くそぉ、でもまぁしかし、今は楓だけが頼りだ。
何とか選考会である程度の結果を残したいしな。
「いくわよ」
「……いつでも」
楓は静かに目を閉じた。
すると、じんわりと右手が熱くなるのを感じた。もしかして、これが魔法力?
あぁ、なるほど。なんとなくわかる。
召還力みたいに身体の奥底から絞り出すイメージじゃなく、自然に溢れて来るこっちの力を使えばいいって事が…………わかる!
「きゃっ!?」
バチンと弾かれてしまった楓の左手。
あれ? もしかして俺がやっちまったのか?
「ちょ、ちょっと風土……今の魔法力……」
「あぁやっぱり俺がやっちゃったのか。悪い。うまく調節が出来なくて」
「いや、それは私が悪いんだけど……」
「ん? どういう事だ?」
「今の風土みたいに、あぁいった暴走を踏まえて、さっき私の左手には多めの魔法力をまわしてたんだけど、風土の魔法力が見事にそれを上回ってくれちゃったわけ?」
小さく鼻息を吐いた楓が肩をすくめる。
「それって……つまりどういう事なんだ?」
「風土、それはとても良い事です。風土の内在する魔法力が、楓の予想を大きく上回っていたという事です」
ナイアが楓の説明に補足を加える。
「……おぉ!」
「喜びなさい風土、このレベルの魔法力を持ってる人間は、魔法士養成学校の一年にはいないわよ」
「おぉっ!!」
「勿論、私を除いてね?」
「おぉっ!?」
「さ、今度は大丈夫なはずよ。もう一度手を」
先程と同じ手順を追って、俺は楓に魔法力を送る。
「……っ、やっぱりかなりの魔法力ね。ほんっと、何で召喚士養成学校なんかに行っちゃったのかしら……」
悪態ともとれる楓に、俺は苦笑しつつも、楓に魔法力を送り続けた。
「く、なんの、まだまだっ!」
俺の楽しさ故か、楓の頑固さ故か、しばらく魔法力の押し合いが続いた。
そしてそれが終わると、楓は悔しそうな顔を……こちらには向けてくれなかった。
「もうっ。新人にしては可愛げがないわよ。いいえ、無さ過ぎよ!」
そっぽを向いて文句を言う楓を見て、俺とナイアはくすりと笑う。
心なしか翔の口の端も少し上がったように見えた。
「えーっと、それで次は何をすれば?」
「んー、そうね。魔法陣の形成かしらね?」
先程の悔しさが嘘のように一瞬で顔を戻した楓は、顎先に指を当ててそう言った。
そして、正面奥にある的に向かい手を伸ばす。
「これが魔法陣。テレビとかで見たことはあるでしょ?」
円形の光る魔法陣。召還陣は五芒星だが、魔法陣は六芒星とほんの少ししか違いがない。
「後はこの魔法陣に向かって魔法力を注ぎ込みながら、心の中で魔法式を印字していくの」
「あぁ、それなら召還陣と一緒だな。そうか単純に力の使い分けだけなのか」
「そうなの? それならもしかしたら簡単出来るかもね。よっ!」
楓の少しの力みが引き金となり、魔法陣の中から炎の赤球が放たれる。
的のやや右上に命中したそれは、大きな衝撃音の後、ぷすぷすと音を鳴らして消えていった。
「ほぉ、大したもんだな」
翔は自分の顎を撫でながら楓を褒めた。
「ふっふーん、そうでしょっ?」
にこりと笑い、楓は指でVの字をつくって見せた。
「大したもんだ大したもんだ……」
翔はそう呟きながら奥の方へ歩いて行く。そして的の前まで着くや否や――バッチンと、自身の頬を叩き、腰を落としたのだ。
「ほんじゃ、今度はそれを……俺に向かってやってくんな!」