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フラワー・オブ・ライフ

作者: いっちー

 色鮮やかな季節、春。

 清綾高校フラワーアレンジメント部(通称・フラ部)は、新入部員を迎え、三日月(みかづき)ハナは先輩になった。

「抹茶アイスにレインボーチョコかけたような――この籠を作った、二年の三日月さん」

 コの字に机を並べた教室中央教壇、女部長の紹介でハナは席を立った。

 前に置かれた花籠を持ち上げる。

 色に統一感のない花が飛び出た様は、部長の言葉通りだ。

「三日月ハナです。美味しそうにできました」

 新入生に明るく微笑むと、部長が額に手をあてる。席から笑いが漏れた。

「アレンジは分からないけど、花のことなら何でも聞いてくださいね。よろしくです」

「ここ、アレンジメント部なんだけどねー!」

 ツッコミを飛ばした部長は、続いてコロリと声を変え、ハナの隣の男子生徒を示した。

「そして、フラ部の花形! 3年の――」

名氷(なごり)(そう)です」

 言葉を中途で遮り、彼は立ち上がるとすぐさま着席した。

 妙な沈黙が落ちる。

「み、みんな知ってるかもだけど、入学式の時、壇上の花をデザインしたのは彼なんだよ。去年の全国コンクールじゃ、最優秀――」

「そういうのいいから」と、名氷は澄まし顔で終止符を打った。

 彼の甘い面にふやかされていた一年生たちが固まる。

 部長は口の端を戦慄かせたが、無理矢理笑むと話題を変えた。

「じゃあ次は……五月三日からの文化祭について。一年は基本的にお手伝い。二、三年は二人でペアになって一つの作品を作ります」

 ハナはそっと隣の名氷を盗み見た。

 彼を眩しく感じるのは、その美しく整った容姿のせいだけではない。

 ハナは彼が好きだ。彼の作品が、大好きだ。

 彼の手にかかれば、どんな花でも一等地のホテルのロビーや、ブライダルホールの顔になる。

 今も、彼の目の前にある桃色のミニバラと赤のガーベラは、誇り高く、研ぎ澄まされた、完璧な美しさでもってそこにあった。

 ハナは熱く名氷を見つめた。

 次はどんなアレンジだろう。考えるだけで、ワクワクする。

「早速、二人組を決めましょ!」

 ぼんやりしていた部長にせっつかされ、クジを引く。

 そして――ハナは真っ青になって立ち尽くした。

「ぶ、部長……わ、私じゃ足手まとい――」

 部長のスカートの裾を引き、目で訴える。

 その様子に全てを理解した彼女は、力強い笑みを浮かべると、ハナの耳に唇を寄せた。

「やったじゃん。一気に仲良くなるチャンス」

 きょとんとしたハナは、その後、頬を真っ赤にして「確かに!」と目を輝かせた。

「仲良くなれる……あわよくば、名氷先輩の、アレンジを貰って帰れる!?」

 暫しの沈黙の後、「そうね……」と、部長は残念そうに微笑むと、ハナを今し方決まったパートナー――名氷の元へ押し出した。

「なっ、名氷先輩! 私、先輩とペア――」

「邪魔はするなよ」

 鞄を手に席を立っていた名氷は、一言、そう言って教室を出ていってしまった。

 ハナは、握手しようと手を差し出したまま固まった。


* * *


 部員の顔合わせを済ませた次の水曜日、フラ部は半日公休を取って日本最大の面積を誇る青果・花きの卸市場、大田市場に出かけた。

 二、三年生にとっては、文化祭で出すアレンジのイメージを膨らませる大切な一日だ。

 なので、一年生を引率する部長以外は、ペアで行動するのだったが……

「先輩! まだアマリリスが出てますよ! 今年は例年より、寒いからですからね」

 名氷に必死で追いつきながら、ハナは辺りをキョロキョロ見渡し、声をあげた。

 競りは終わってはいたが市場は十分に活気に満ち、声と香りと色が渦巻いている。

 通路左右の棚には所狭しと様々な花が並び、床のバケツにもいっぱいに花が寄せられていた。

「これだけたくさんあると、目移りしちゃいません? どれを使いましょうか!」

 ハナの必死さに対し名氷の反応は薄い。むしろ無だ。

 ハナの笑顔は引きつり始めていた。

 『花の王子様』――とは、名氷のあだ名だ。

 容姿端麗、上位大学進学を目指す特待科でトップの成績を誇り、かつ地元で知らぬ者ない大地主の一人息子。更に某大企業の社長を父に持つ名氷は、フラワーアレンジメントコンクールでも上位入賞者。

 絵に描いたようなアイドル的存在だ。

 けれど、同じ部活内だけでなく、同級生でも彼に近づく者はいない。彼の気むずかしさゆえだ。

「見てる分にはいいけど一緒になって何かするのはちょっと」の意味を兼ねての、あだ名である。

 ハナはめげずに名氷に話しかけた。

 個人的な想いのためでなく、二人で作るブーケのために。

 共に作業するには、信頼が必要だ。

「先輩が好きな花って何ですか? 私は……」 と、口を開いたハナが、好みの真っ赤なガーベラに目を奪われたのは一瞬だった。

「あんな感じのガーベラが好きですねえ――って、先輩? せせ先輩!? え、いない!?」

 喧噪の中、ハナは一人、立ち尽くした。

『お、その花いいね』『ですよね!?』『じゃあ、これをメインに作ろう』『わあ素敵!!』

 ぐるぐると脳内にシュミレートした映像が空しく流れた。……簡単には仲良くなれないだろう。

 でもきっと、お互い花好き同士、やがては意気投合して一緒に楽しくアレンジメント――そんなものは都合の良い夢だった。

「名氷先輩いいいいいいい!!」

 ハナは名氷を探して市場中を走り回った。

 酸欠で目が回るほど市場を見てから、ハナはダメもとで最寄り駅へ向かった。

 名氷は、いた。改札を通るところだった。

「先輩!」ハナの声を気にもせず、名氷はICカードを改札機に当て入場してしまう。

 ハナは大急ぎで自分も定期入れを取り出し追った。

 腕を掴んでやっと名氷は振り返った。

「ど、どう、どうして、帰っちゃ……」

「もう必要な花は見たからな」

 名氷に悪びれる様子はない。

「必要って……ぶ、文化祭のですか。でも、まだ、デザイン――」

「もうできたよ」

 ハナは、一瞬、整えかけていた息を引きつらせた。続いて、まじまじと名氷を見つめた。

 彼は続けた。

「ちょっと大きめのにする。真ん中にポンポン咲きの菊を使って、サイドには」

「でも、私……まだ一案も出してません」

 名氷は不思議そうな顔をした。

 ハナは少しだけ悲しげに名氷を見てから、嘆息した。

「部長は二人で協力してやれって言ってたんです。先輩一人でやるなら、その旨をちゃんと部長に言ってください」

「俺が独善的で勝手しいと?」

「全くその通りなんですが」

 名氷は眉尻をつり上げた。

「俺は実力で言ってるんだ。より魅力的なデザインを採用するのは当たり前だろうが」

「私のデザインを見もせずにですか」

 ハナの言葉に押し黙った名氷は、やがてつまらなさそうに肩を竦めた。

「……分かった。見よう。それで、俺の方が優れていたら、このまま変更なしだ」

「望むところです!」

 と、拳を握りしめるハナに、名氷は通学鞄から一枚の紙を取り出し、差し出した。

「これだ」

「え?」と、間抜け顔で受け取った彼女に、名氷は噛んで含めるように続けた。

「俺のデザインは、これだ」

 ぴらり、と鼻先に押しつけられたそのプリントに、ハナは目が寄るほど見入った。

 そこには、綺麗な月型――クレッセントの色鮮やかなブーケが、精緻に描かれていた。

 余白には花の名前がびっしり書かれている。

「せいぜい頑張れよ」

 言って、紙を鞄に戻した名氷の顔面に、

「とりゃあ!」

 かけ声と共に、ハナはポケットから取り出した紙を、叩きつけた。

「がっ……お、おま、な、何――」

「私のデザインです!」

 紙ごと鼻先を押さえて顔を背けた名氷は、ハナの応えに押し黙った。

 そっと手の中の紙を開く。

 そこには、幼子が書いたような絵が――辛うじてクレッセントだと分かる月型のブーケが描かれていた。

「もう考えてたのか」

 愁眉を開き、名氷はニヤリと口の端を上げた。続いて、指先で紙を繰り、訝しげにした。

「で。どうして3枚あるんだ?」

「そ、それは」ハナはもじもじ目線を逸らす。

 名氷は考えに思い至ったようで、目を細めた。

「まさか――四方見か?」

 3枚の紙は、1つの月型ブーケを、左右ハイアングルと、正対から描いたものだった。

 例年、文化祭では教室を一室貸し切り、壁にそって作品を飾る。そのため、背面は意識しない三方見の形が基本だった。けれどハナは、丸テーブルの中央に置けるような、四方から楽しめるデザインを提案していた。

「ですです。クレッセントで四方見なんてほとんどないですけど……せっかくメインポジだし、度肝抜くようなアレンジしてみたいなって。教室の中央に机を置いて、左からも右からも、上からも後ろからも楽しめるような」

 視線を落としたまま口早に告げてから、ハナはおずおずと名氷の顔色を伺う。

「……や、やっぱり、ダメ、ですよね」

 消え入るように言って肩を落とすと、「いや」と名氷は首を振った。

「面白いと思う」

 彼は顎に手をやり、唸るように続けた。

「ただ、この花選びはセンス皆無だな。これなら――いや、中が桃色の百合もいい……」

 いまいち彼の言葉を理解できずに、ハナがぽかんとしていると、名氷は紙を丁寧に折りたたみ、返しながら言った。

「四方見って発想は俺には無かった」

「要するに?」

発想起用する。だが、お前が選んだ花材はダメだ。色の統一感もないし、それぞれの花の役割を全く意識していない」

「そこは先輩の超絶テクでちょちょいっと」

 人差し指を胸の辺りでくるりと回し、

「これぞ協力――だと思うのですが?」

 半眼で見つめてくる名氷に、ハナはわざとらしく上目遣いで首を傾げてみせる。

 名氷は大仰に溜息をつくと、「戻るぞ」と言い捨て、踵を返した。

 隣に走り寄り、「どこに?」と、尋ねるハナの鼻先を指先で弾く。

「市場だよ」

 一年分の運動量と思われるほど歩きに歩いて、ハナは暫く筋肉痛に悩まされた。


 * * *


 花材選びは図鑑を使って、行うことが多い。

 ハナと名氷も例外ではなく、放課後の図書室で図鑑を前にひたすら花材候補をメモしていた。

 たった一案だけでも大変なのに、名氷は幾つものパターンを用意し、その中で「一番」を選ぶと言う。

 彼の隣の席に座れるハナにとって、それは辛くとも至福の時間だった。

「先輩って、いつも熱心ですよね」

 帰宅を促す放送に顔をあげ、ハナは言った。

「最後だからな」

 未だペンを走らせながら名氷が応える。

「そっか。三年生ですもんね」

 夏の大会やコンクールを控えていない三年は、春の文化祭を最後の活動として、本格的に受験に備える。フラ部も同じだった。

「先輩は大学でもやっぱりフラ部ですか。現役大学生フラワーコーディネーター! ってお茶の間を賑わしちゃったりするのかなぁ」

「文化祭が終わったら、もう花には触らない」

 応えた声音がいつもと変わらなかったから、ハナは一瞬、意味を取りあぐねた。

 名氷はペンを筆入れにしまい、ハナに向き直った。

「だから、本当に最後なんだよ」

 淡々と告げる。

「ど、どうしてですか」

「そういう約束をしてるんだよ。父親と」

「でも、でも、先輩は――」

 花が好きなのに。慌てて言葉を飲み込めば、

「仕方ないんだよ」

 と、名氷は穏やかに言った。

「……ちょっと、残念です」

 ハナは目を瞬かせてから、目線を落とした。

 それが、悩み抜いた末に出された答えなのだろう。

 一生懸命アレンジする彼が、軽々しく辞めるなどと口にするはずがない。

 だからハナは、無理に笑顔を作った。

「この三日月、力及ばせながら、全力で先輩のお手伝いをさせていただきます!」

 手を額に起立する。

 名氷は大きく頷いた。

「ああ。だから、もう10案提出な」

「……花材は先輩が選ぶべきだと」

「勉強だよ。お前な、アレンジは花が好きなだけじゃどうしようもないぞ」

 図星を指されたハナは「うはあ」と気が抜ける声を漏らすと、しぶしぶ図鑑の貸し出し処理をしにカウンターへ向かった……



 校門を出ると、ハナと名氷は帰路についた。

 名氷とは全く別方向なはずだったが、ハナは追求しなかった。

 どんな理由であれ、少しでも側にいられるのは嬉しい。

 コンクリートの道の端や、空き地には、白や紫の野花、零れ種だろうか、チューリップも咲いていた。

「勿忘草は使います」

 図鑑を抱えて歩きながらハナは宣言した。

「霞草でもいいんじゃないか」

「いえ。これは私のこだわりです」

 鼻息荒く言い切る。

 名氷はハナが図鑑の上にもう一つ、ポケットサイズの本を載せているのに気づいて、訝しげにした。

「お前、何を読んでる?」

「なんでもありません」

 ハナは素早く花言葉の本を隠した。

 告白はできないが、思いの丈は込めたいのだ。

「まあ、いい。で、メインは?」

「どーんと、ひまわり! を希望します!」

 花言葉は『あなただけを見つめている』。

 拳を振り上げたハナに、名氷は首を振った。

「あれは合わせるのが難しい。それに夏のイメージが強すぎて、テーマに合わない」

「うっ……じゃ、じゃあ赤のキク」

 花言葉は『あなたを愛しています』。

「普通だな」

「自分だってキクを使うつもりだったくせに」の言葉を、ハナは慌てて飲み込んだ。

 他に恋を告白する花、と考えると、赤いバラが浮かぶが、合わせるのが難しい気がする……メインやサブと言う役割を全く失念していたハナである。

 再び、ハナは図鑑のページを繰った。

 が、美しく撮影された花に、ハナの目は滑るばかりだ。

 彼女は図鑑を閉じて鞄に押し込み、辺りを見渡した。

「あれ! あの木蓮なんてどうでしょ!」

 次いで、ハナはある民家の敷地に咲く木蓮を指さした。

 中央は濃い桃色、外は白と言う珍しい色合いの木蓮の花だ。

「木じゃないか。馬鹿を言うな」

「えー。気品があるし、いい香りだし、珍しい可愛い色だしで、素敵だと思うんですけど」

 花言葉より美しさ優先で提案したものの、一蹴されて、ハナはすねるとしゃがみこんだ。

 それから「じゃあですねー」と言って、足下に咲く白い花をつつく。

「このコとか」

「ハルジオン? メインは無理だな」

 眉根を寄せた名氷に、ハナは目を丸くした。

 やがて面に笑みを滲ませると、続けて問うた。

「これは? あと、これとこれと」

 足下に咲く、紫の小さな花と、黄色の花を指す。

 どれも恋の花言葉を持つ、野の花だ。

「ネジバナは横長の形には向かない。オニタビラコもスラッとしたとこを生かした方が――何だ? 気持ち悪い奴だな」

 にへら、と笑い出したハナに、名氷が訝しげにする。

「嬉しくて」とハナは零した。

「みんな、野花の名前なんて知らないから。何でかな。先輩が知ってて嬉しかったんです」

「……本当に花が好きなんだな」

 頬を紅潮させるハナに、名氷は呆れるような、感心するような、溜息を漏らした。

「もちろん! 大好きです!!」

 スカートの裾を叩いて立ち上がり、ハナは満面の満面の笑みで応えた。

「花はイイです。見ているだけで心も身体もぽかぽかします! 先輩も花が好きだったからフラ部に入ったんでしょう?」

 特待科では、名氷のように部に所属する生徒は珍しい。

 それに、とハナは確信していた。

 野花を雑草と一蹴しなかったことが、何より花が好きな証拠だと思った。

「……そうだな」

 暫くの沈黙の後、名氷は頷いた。

「俺は花が……好き、なんだな」

 ぽつりと言った名氷は、見た事もない優しげな表情をしていた。

「お、お揃いですね!」ハナはパッと背を向けた。

 胸がドキドキしすぎて、直視できない。

 それきり会話は成立しなかった。

 ハナは幾度か口を開いては、閉じを繰り返し、

「あの……先輩。ここ、うちです」

 気がつけば、家に着いてしまっていた。

「ああ、そうか。じゃあ、また明日な」

 何事も無かったように去ろうとする名氷に、ハナは勇気を出して訊いてみた。

「これから、どちらかに行かれるんですか」

「いや? 家に帰るよ」

 すたすたと歩き出した彼は、次の角でバスにでも乗るのだろう。

 ハナは声を絞り出した。

「送ってくれて、ありがとうございました」

 名氷の背に頭を下げる。

 否定はなく、彼は片手を振って応えた。

 ハナはぎゅっと手を組んだ。

 送ってくれた――いやいや、そんなの気のせいだ。でも……彼は否定しなかった!

 角を曲がる時、一瞬だけ、名氷が振り返った。

 ハナが頭を再度下げると、彼は苦笑した。

 ハナは名氷の姿が見えなくなると自室にダッシュして、ベットに飛び込んだ。

 顔を枕に押しつけ、一緒に帰れた時間の余韻に浸りながら、ハナはごろんごろんと微睡んだ。


* * *


 文化祭の作品配置が決定した。

 入口は教室の黒板側。「新たな出発」のテーマに沿い、入口から寒色―暖色のグラデーションになるよう作品を並べる。

 よって、教室中央の丸テーブルに飾られるハナと名氷の作品は、入口からは寒色、出口側からは暖色に見えるデザインとなる。

 アレンジに使う花も無事決まった。

 寒色サイドのメインは薄紫のトルコキキョウ、サブに薄桃色のスプレーカーネーション等。

 暖色サイドは、珍しい種類の桃と白の混色の百合を中心に赤のペチュニアを散らす。

 文化祭一週間前、発注していた花材が到着した。

 部員たち全員で、校舎裏に止まったトラックから花を部室の冷蔵庫に運んだ。

 届いた花材は、完璧なコンディションに思われた。

「百合は、二日前くらいに外に出しておけばちょうど良いですよね」

 取り寄せた百合はまだ蕾が固い。

 時期が夏の百合は、使う前に外へ出しておくことで開花を管理し、当日に八分咲きするようにする。

 ハナの確認に名氷は頷いた。

 ハナは感慨深く冷蔵庫の中の花を見つめた。

 これが名氷にとって最後のアレンジだと思うと切なくもあり、その彼と作品を仕上げられることは、とても貴重で誇らしかった。

 絶対に成功させるんだ。

 自分と同じように冷蔵庫を見つめる名氷を見上げ、ハナは決心を強くした。けれど――

 事件は文化祭当日におきた。



「すいませんでした!!」

 頭を下げる後輩に、ハナは途方にくれた。

 文化祭開始まであと数時間。

 2日前から常温保存で開花待ちをさせていた百合の花を、後輩があやまって冷蔵庫へ戻してしまったのだ。

 開場まで時間僅かと言うのに、該当の百合は三分咲きにも満たない。

「他に、代わりになる花……」と部長が言いかけるのに、「これがメインなんです」と思わずハナは声を荒げてしまった。

 びくりと一年生の肩が揺れる。

 涙を目いっぱいためる後輩に、ハナは唇を引き結んだ。

 カスケードと言う、珍しい百合だ。

 外は白味とピンクのグラデーションがかかり、中は濃い桃色。

 夏開花の花だし、今の時期では市場で見かけるのも珍しい。

 今更発注しても間に合わないし、近場の花屋にはおいていないだろう。

 遠出しては文化祭に間に合わない。

 名氷たちの作品は、部の目玉なのだ。

 誰にだって失敗はある。それを責めてはダメだと、ハナは理解している。

 それでも、どうして今日、どうして名氷先輩の花を、と思わずにいられなかった。

 何より、昨日、昼休みに確認したからと、帰りに花材を見なかった自分を許せなかった。

「普通の百合なら、余りもあるだろう。他のペアから分けて貰えばいい」

 名氷の提案に、ハナは首を振った。

「ダメです。色が変わっちゃいます」

「仕方ないよ」

「だって、これは、先輩の最後の……」

 どうしても名氷のデザインを完成させたかった。

 彼の色使いは完璧だ。花の形、色つや、全体の曲線美……それは、彼の3年の想いがつまっている。

 メインは単色ではいけないのだ。彼の作品を代表するのは、あの流れるような色のグラデーション、そして、しなやかで、気品のある、優美な姿が必要だった。

「先輩のデザインは――絶対なんです」

 決意めいた瞳で告げると、ハナは踵を返した。

「おい!」と、名氷の呼び止める声を無視し、一生の気力と体力を振り絞って、全力で走った。

 ――向かった先は帰宅路にある民家だ。

「すいませーん!」とハナは息も絶え絶えに、門の外から声をかけた。

「木蓮のあの部分、頂きたいんですけれども」

 開口一番、家主だろう女性に頼み込んだ。

 敷地の一角で、澄み渡る青空を背景に、桃色の濃淡が珍しい花が揺れていた。

 名氷と帰った日に、ハナが話題にしたものだ。

 形は違えども、カスケードの代わりはこれしかないとハナは直感的に感じたのだった。

「私、フラワーアレンジメント部で、今日文化祭で、使うはずの花が使えなくなってしまって、でも、どうしても色を変えたくなくて」

 深々と頭を下げる。

「突然で大変恐縮なのですが、どうしても、お願いできませんでしょうか」

 沈黙の後、女性は困ったように応えた。

「ごめんなさいね。前に勝手に切ったら凄く怒られちゃって……主人の木なのよ」

「でも、あの、今年で最後の文化祭なんです。お願いです。一枝だけ、分けてください」

 顔を上げ、必死に懇願する。非常識だと自覚はあったが、引き下がれなかった。

 再び頭を下げ、じっと応えを待っていると、

「俺からも、お願いします」

 横からテノールの声が落ちた。

「せ、先輩! ど、どうして……」

 見れば、肩で息をする名氷が、ハナと同じように頭を下げていた。

「困ったわねえ」

 夫人が困り切ったように頬に手をあてる。

 その時だった。

「何だ? 何か問題事か?」

 背後から、野太い声がした。

「あら、あなた。どうしたの」

「忘れ物をしてな。何かあったのか」

 振り返ると、恰幅の良い、スーツ姿の男性がいた。ここの主人らしい。

「突然すいません。僕たち――」と、ハナに代わり、名氷が丁重に、事の説明をした。

 男性は話を聞くにつれて、表情を曇らせた。

 ハナは祈るように男性の応えを待った。

 木蓮の枝振りは見事だった。

 自分でも躊躇うとハナは思った。

 剪定したら、その枝はもう生えてはこない。見知らぬ学生に大切な木の枝を切り落とすなんて――

「仕方ないな。いーよ。持っていきな」

 ハナが諦めかけた頃、男性が言った。

「枝は別のとこが伸びるが、お前さんたちの文化祭は今日しかないんだろう」

 そう言い切って、彼はニッと笑った。

 ハナは名氷を見た。名氷もハナを見た。

「ありがとうございます!」

 声を揃えて、二人で頭を下げた。



「これで、よしっと」

 勿忘草を台座に差し込み、ハナは一端手を止めて全体を見下ろした。

『私を忘れないで』

 花言葉に想いを乗せて、作品を仕上げる。

「いい感じにできましたよね?」

「そうだな。木蓮が奇抜で面白い」

 二人で顔を見合わせて笑う。

 ハナはぐっと涙を飲み込んだ。

 優しく楽しげで、それでいて真剣な名氷の横顔を、一生忘れないだろうと思った。



 五〇センチにも及ぶ月の形のアレンジは、たくさんのカメラに収められ、アッと言う間に文化祭は終わった。


* * *


 ハナと名氷は、せめてものお礼にと、木蓮を分けてくれた夫婦へ、作品を届けた。

 学校に戻ると、すでに後夜祭は始まっていた。

「楽しかったな」と名氷がぽつりと口を開いたのは、運動場のキャンプファイヤーの前で、たこ焼きを二人で食べている時だった。

「お前とペアがくめて良かったよ」

 最後のたこ焼きを口中に放ったばかりだったハナは、咳き込んだ。

 名氷はハナの背を撫でてやりながら、ぽつぽつと話し始めた。

「父は花が嫌いでね。フラ部に入る代わりに、卒業したらもう触らないって約束したんだ」

「先輩。本当に、辞めちゃうんですか」

 思い切って問うと、名氷は「そうだな……」と呟くと、肩を竦めた。

「実は辞めたくないって思った。好きな気持ちに嘘はつきたくないって。だから……格好悪いかもしれないけど、うまくいかないかもしれないけど……父にかけあってみようと思ってる。続けたいって」

 ハナを真っ直ぐ見つめて、名氷は言った。

「お前が勇気をくれたんだよ。ありがとう」

 ハナはぎゅっと唇を引き結んだ。

 それから、何とかして、言葉を絞り出す。

「お、お役に立てたのでしたら幸いでス」

 ちょびっとだけ涙が零れそうになった。

 文化祭が終わればもう接点はなくなってしまうと思っていた。

 けれど、花さえ続けていれば……また、彼と交錯する時がくるかもしれない。

 それまでは、また前のように――そう考えたハナは、息を飲んだ。

 ペアを組む前の自分には戻れないと気づいたのだ。

 名氷が好きだ。

 前よりも、今の方がもっと。

 側にいたい。

 ずっと一緒にいたい。

「なんて顔してんだよ」

「た、ただ、ちょっと……寂しいなあ、と」

 スカートの裾を握りしめる。

「忘れないよ」

 と、名氷の柔らかな声が落ちた。

 不思議そうに顔を上げたハナに、彼はニヤリと笑った。

「勿忘草の花言葉。私を忘れないで、だっけ」

 ハナは固まった。

「やけに拘るな、とは思ってたんだ」

 堪えきれず、ハナは両手を顔に当てて、「ぎゃー!」と悲鳴を上げた。

 勿忘草に気づかれたと言うことは、他の花の言葉も知られているわけで……ハナは真っ青になった。

「す、すいません、あの、本当、まさか、バレるとはおも、おもおもおお思わなくて」

「お返し」

「ひいっ」ずい、と差し出された手に、ハナは変な声をあげた。

 恐る恐る目を開け、名氷の手の上を見ると、そこには作ったアレンジの一部に収まっていた、紅色の花弁が乗っていた。

「くしゃくしゃで申し訳ないけど」

「ペチュニアの花?」

「花言葉、調べて決めたんじゃなかったのか」

 首を傾げるハナの反応に、意外そうに名氷は問うた。一拍の間の後。

 ぼんっ

 ハナは自分が爆発したと思った。

 ペチュニアの花言葉は『あなたと一緒だと心が安らぐ』。

 差し出された花びらを受け取ったハナは、知れず、それにパクついていた。

 ペチュニアはエディブルフラワーであるからして食べるもので……混乱した頭は、お返しって何の? と言う疑問を無視していた。

「食べるなよ。……おい。おい!」

 手をむんずと掴まれる。

 ハッとしたハナは、混乱で、半泣きで、訴えをまくし立てた。

「だって私の勘違いだったら凄く空しくて。でも、もし。もしなら、先輩に失礼だしで」

「分かった。今のなしな」

 ぴしゃりと告げて、名氷はハナに背を向けた。すたすたと校門へ向かって歩き出す。

 ハナの目が点になった。そして焦った。

「えええ!? ちょ、やっぱり勘違いってことですか!? ってか何処に行くんですか!?」

「花屋だよ」振り返って、名氷は応えた。

「このタイミングで!? どうして!」

「薔薇を買いに。赤の」

 ハナはぽかんと口を開けた。

「お前も行くか? 渡す手間が省けるんだが」

 口元に小さく笑みを称えて、名氷は手を差し出した。

 暫く唇を無意味に開閉させていたハナは、やがて、何とか言葉を絞り出す。

「ひまわりでも良いんですよ?」

「夏になったらな」

「じゃあ、その次は私、菊を用意しますね」

 くしゃりと笑い、ハナは名氷の手を取った。



フラワー・オブ・ライフ(了)

お読み下さり、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 春らしく爽快感のある読後感! [一言] 互いに惹かれていく理由がすごくよくわかって、短編なのにこれはすごいなぁと。最後思わずひまわりと菊の花言葉を調べてしまいました。 勿忘草の花言葉はなん…
2016/03/14 19:48 退会済み
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