第陸話 ヘビオトコ ト ビショウジョ
肩が小刻みに震える。緩んだ口元から、、虚ろに吐き出される笑い声。
何もかもどうでもよくなってきてしまう。気持ちの良い、変な気分だ。何だか妙に安心する。ふらりと立ち上がる。一歩一歩、歩く。まるで宙を歩いているかのような浮遊感。蜃気楼のようにすっと、山の向こうにやけ大きな館が浮かぶ。あっちにいけば、もっとしがらみから解放される。おいで、おいで。そう、童の呼び声が守の中をこだまする。
「ふわぁ」
あくびを一つ、また一つとこぼす。頭が、前後に揺れ出す。目が、閉じていく。ふらぁ、ふらぁりとそれでも歩みは、止まらない。重たい手足を見えない糸が、からくりじみた動きで、僕を誘う。
ズルズルッ……何かが草の上を這いずり回る音がするけど遠い。まるで水中の中にいるかのように音も視界も、何もかもが遠い。
ぬるっとした生暖い何かが、絡みつく。振りほどかなきゃ、僕の邪魔をしないで、細長く生暖かいホースのようなものを掴む。強くつかまれたことをまるで生き物のように嫌がって、ぐにゃぐにゃと腕の中で暴れて、まるで生き物のみたい。みたい? 生き物そのものじゃないのか。ぐわん、ぐわんと耳鳴りがする。じわりと、紙に染みた水滴のように館が歪む。
不確かな視界で、シャーと威嚇し、大きく鎌首をもたげて無防備な首筋へ牙を伸ばすのをみた。
なんだっけ。確か前にも、こんなこなことがあったような気がする。
あぁ、入学式の日にこれに噛まれた。
首筋に走る猛烈な痛み。
「…っう、うわぁあああああ」
身体の中に異物が入り込んだ苦痛に体を苦の字に折り曲げる。身体が、カッと燃えるように熱くなる。むずっと白蛇を掴み、無理やり剝がそうとする。ちろりと細長いピンク色の舌が、頬を下から上へなめあげると、襟元から服の中に入り込む。
「うぅ、なんで僕ばっか噛むんだよ。野郎なんか噛んだって美味しくないだろう。っていうか、とっとと、服の中から出てこい。ひぃ、くすぐったいんだよ」
この蛇は、なんでこんなに僕に付きまとうのだろう。とっとと離れてどっかにいってくれ。さっきまで猛烈に感じていた眠気や安らぎのようなふわふわとした形のない靄のようなものは、白蛇のせいで何処かに吹っ飛んでいた。
早く宇野を追いかけたいのに、こんなんじゃまともな身動き一つできない。新種のダンスのように変な動きをしながら、蛇と格闘する。こんな恥ずかしい姿を、誰かに見られたら軽く死ねる。蛇に襲われているというのに、不思議と恐怖感はない。
「おや……まぁ」
駆けられた声は、聞き覚えのないアルト。せせら笑う三日月が、黒いワンピースに身を包む女子高生の真上に月光を降り注ぐ。さらりとして長い黒髪が、さらりと春の風に遊ばれている。腕を組んで仁王立ちの姿でたたずむ女生徒。
「ふむ、変質者か。確かに春になって暖かくなってきたとはいえ、夜は寒い。いくら馬鹿とはいえ、風を引くだろうに」
彼女を僕は知っている。僕だけじゃない、この学校の大半の新入生は知っている。モデルと言われても納得してしまう整った白いかんばせ、メリハリはあるが、いやらしくない品のある女性らしいプロポーション。宇野曰く、学校一のリアル美少女。彼女は、僕の一つ上の琴吹叶恵先輩だ。
その美少女に今、上半身裸の姿を見られているというわけで……。
しゃがみこむ。
どうしよう。色情況、変態、ストリッパー……どう見ても今の僕はそうだ。サイアクだ。最悪だ。この人が、今年の新入生に変態がいるんだけど、なんて口にした日には学校中に知れ渡っているに違いない。この人、美人で交友が広くて、宇野が歩く電波塔なんて評してなかったか、この先輩。
頭がグルグルしてきて思わず叫び声をあげる。
「わぁあ……ああああむぐっ。ぬわぁに」
「馬鹿者! 今の叫び声で、寮の連中に気付かれたではないか、この蛇男」
へびおとこ? なんだそりゃあ。反論しようにも口がふさがれていてはできない。なぜ、僕がこの蛇とくっ付けられなければならないのだろう。全く持って腹立たしい。
「いいか、今すぐここを離れるぞ。くそ、蛇と交わる奇特な男に足止めされていたせいで、わたしは友人を見失ってしまったではないか。どうしてくれる」
どうしようもこうもここを離れるしかない。先輩の腕を二回軽く叩き、解放するように目線で促す。
「だめだ。おまえのような変質者を、学校の風紀を司るものとして、できるわけがなかろう。そもそも、お前のような色情魔が野放しにして、わたしの超かわいい天音ちゃんが襲われたらどうする。もちろんこの私が責任をもって助けるが……おい、蛇なぜ、おまえはわたしを威嚇する。わたしは、おまえの男を取ったりはしないぞ。そんなのこっちから御免だ」
白蛇が先輩を威嚇した拍子に、拘束が緩み。口元が解放される。大きく息を吸い込み吐き出す。先輩はどうやら、多大なる誤解を受けたままだ。なんだか、頭が痛くなってきた。この蛇の毒でも回ったか。こめかみを抑えながら、ため息を吐く。
「あぁ、もう、こんな蛇男にかまってる暇ないんだ。天音を早く探さねば……どうして急に出て行ったんだ。もしや、私のことが嫌いになった……いや、そんなはずは……あぁ、でも様子がおかしかったし。どこかで、倒れているんじゃないか……」
その蛇男っていったい何なんだよ。天音さんとやら誰だか知らないけど、この先輩と四六時中いるのに疲れて逃げ出したんじゃないか。でも、まぁ、さっきまでの威勢はどこへやら、なんかだんだん一人で勝手にドツボにはまって言っている。
「宇野、僕の友人を探すついでに天音さん探し、僕も手伝いましょうか」
「な、それは助かる。でも、天音がお前の友人のついでというのが、気に喰わない」
「はいはい、天音さん探しのついでに僕の友人探し手伝ってくれませんか、先輩」
「うむ、いいだろう。それよりも、ひとつ確認しておきたいのだが、その宇野とやらをどうして探しているんだ」
「なんか、知らないけど突然ふらぁっと部屋から抜け出したんで、追いかけて来たんですよ。先生に見つかったらヤバそうだから」