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みぞおちヒーロー  作者: 藤本乗降
第二話 ふさふさすぎるポメラニアン
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 第二話 ふさふさすぎるポメラニアン


       ★


「…………う」


 西の空からカーテン越しに光が射して、尚はまぶたを開けた。横になっている体を起こそうとし、自分がロープで縛られているのに気付く。しかも下着姿だ。夏だというのに尚は小さくくしゃみをした。

 目を擦ることもできず、何回も強くまばたきをして視界を良好にする。どうやら尚がいるのは小さな応接室のような部屋らしい。体を巻いているロープの上から更に、寝ているソファごとぐるぐる巻きに縛られている。やれやれ、厳重なことで……と寝起きの顔を歪ませる。向かい側にはこれと同じような大きさの革張りのソファもあるようだ。

 二つのソファに挟まれる形でガラス製のテーブルが置かれ、上には空の灰皿とチェス盤が乗っている。よく見ると部屋の奥側、入り口と向かい合う位置にも一つ、革張りの椅子が見えた。

 首を九十度曲げて天井を見ると、虫の死骸の入った蛍光灯が点いていた。壁際には木製の古びた本棚が三つほど並んでいるが、中身はどれも空っぽ。灰皿はあるというのにタバコの匂いやコーヒーの残り香がしないのは掃除が行き届いてるせいか? どうも違うように感じる。言うなれば、ここは中途半端な廃墟だ。電気はきてるし荒らされてもないが、人の気配が全然しない。

 場の認識としてはこんな感じだろう。では、自分が今縛られているのは何故か。尚はその問題へと頭脳をシフトさせた。

 疲労はとれているものの、筋肉には確かに酷使した感触がある。やはり昨晩、いつもの怪物退治に加え、あの「わんわん団」とやらを相手にしたのは間違いない。重要なのはその後だ。

 昨日、笹呉赤香と共闘し犬たちを全滅させたあと、尚は彼女に案内されて、とある明かりのついてないビルへと向かったのだ。赤香が中に入ってしばらくすると大きなサイレンが街に鳴り響き、間もなく人々の話し声がざわざわと耳に入ってきた。歩道の電灯がいっせいに灯り、夜だと言うのに辺り一帯は昼のように明るくなった。


(それから、赤香がビルの階段を降りてきて手招きをして……中に入ってから、ええと……)


 思い出したのは空洞のような黒い一つ目、いや、あれは銃口だった。

 赤香の肩越しに銃口が見え、それから先のことは覚えていない、どんな夢を見たかさえ。

 考えるに、赤香が入ったのは戦隊のアジトというところだろう。そしてその中に銃を持った人影がいた、ということは……。

 尚の頭の中で警報が鳴る。

 尚はもう一度部屋を見回して、赤香の姿を探す。しかし、尚の見える範囲に人の姿はない。

 ここは敵のアジトだろう。いや、赤香が連れてきたということは元・戦隊のアジトかもしれないが、そんなのはどっちでも同じことだ。

 縄をほどこうともがくが、よほどきつく縛っているのか、ソファがガタガタ揺れるだけで緩む感覚はいっこうにこない。クソ! 悪態をついても状況は改善しなかった。

 そうして縄と格闘するうち


「うわああっ!」


 背もたれ側から、ソファが倒れてしまった。おかげでソファを縛っていた縄が解けたのか、芋虫のような格好で転がる尚。壁にぶつかり、痛みで……というより屈辱で顔をしかめた。

 そこで尚はある事実に気付く。


「んん~~?」


 昼寝を起こされた猫のような不機嫌そうな声がして、のそりと誰かが起き上がった。

 扉を開けて入ってきた人間ではない。その誰か――小柄なショートカットの、全身から睡眠願望を漂わす少女は、元からこの部屋にいたのだ……ソファの下に。


「んん……んるさくて眠れないよぅ。んあ……」


 彼女は大きく欠伸をし、またその場に寝転がった。尚から見ればちょうど、倒れたソファの影に隠れた形になる。


「いや、寝るなよ! これ解くか、せめてこの場所がどこかってことぐらい説明してくれよ! 頼むから!」


 尚の必死の懇願もむなしく、スヤスヤと気持ちのよさそうな寝息が聞こえてくる。


(何なんだコイツは……?)


 昨日から何度目の「何なんだ?」になるか知らないが、飽きもせずそう思った。

 その後、時を待たずして扉が開けられた。

 入ってきたのは痩せた中年らしき男だった。『らしき』と言うのは、男がマスクとサングラスを装着していたからだ。服は高級感あふれる黒のスーツ。離れて見てもブランド物だということが分かる。髪は銀髪で、どこか日本人離れしていた。


「Good morning, baby! did you have a nice dream?」


 唐突な英語に目が点になる。しかも発音はかなり流暢で、日本人離れしているという見解は早くも的中したようだった。


「おいおい基礎英語だゼ? こんなのも分かんねえでどうすんだよ、詰むゾ将来」


 尚に英語が通じないと判断したのか、男は日本語で言った。


「……夢は見なかったよ」


「分かってんならさっさと答えろよ。おじさん傷ついちまうゼ」


 床から見上げていたので判別しにくかったが、男は小型の地球儀を手にしていた。それをガラステーブルに置いてから、倒れたソファを起こし、芋虫状態の尚をソファに寝かせる。そうしてから自分は向かい側のソファにどっしりと腰を下ろした。


(これ、さっきの女の子もまだ下にいるんだよな。寝かせたままでいいのか?)


 尚は目だけを下方向に送るが、少女からも男からも何の反応もなかった。男はソファにふんぞり返ったまま、サングラスの奥の目を光らせた。


「さて、挨拶はそんくらいにして本題に入ろうか。――聞くがお前さん、敵の一員か? それともマスコミ関係者じゃないだろうなァ?」


 マスコミ、というのは昨日も聞いた気がする。この世界では秘密主義が主流なのか。

 だとしても、そう尋ねられて「はいそうです」というスパイはいないだろう。


「違う。一緒にいたやつから聞いてないのか? 俺はたまたま道に迷ってただけだ」


「赤香のやつはそう言ってるが、いかんせんアイツは騙されやすいからなァ。変な虫は寄り付かねえようにしねえといかんわけサ」


 騙されやすい、というのには大きく同意だった。

 そして口ぶりから判断するに、この男はわんわん団ではなく『悪は許しま戦隊キィズダラー』側の人間なのだろう。それが分かって尚は安堵の息をはいた。


「特にマスコミなんかは大変よ。ダイアナ王女殿下の話は知ってるだろう? 俺はこの仕事につく前から、王女殿下の件でマスコミは大っ嫌いだったのサ。俺たちみてえな有名人からすりゃあ、雑誌記者っていう人種は害悪以外の何でもねえよ。人の秘密にこぞって寄ってきやがる害虫の中の害虫」


 言いながら男は地球儀をクルクルと回転させる。隠された表情は読めないが、不機嫌さは十分感じ取ることが出来た。

 ちなみに尚にはその王妃に関する知識がなかったので、男の話す内容をすべて理解することはできなかった。尚にとって教養や知識とは誰かに教わるものであって、自分で調べるものではなかったのだ。


「ま、お前さんが通信機やカメラ、ボイスレコーダーとかを持ってないことは分かってる。……こいつ以外はな」


 男は地球儀を回す手を止め、ポケットから携帯電話を取り出した、尚の使っていたものだ。


「だがこいつにも赤香に関するデータはない。俺が調べたんだから間違いねェ」


「じゃあ分かってくれただろ。俺はシロ、潔白の身だ。分かったらさっさとこいつを解いてくれよ」


「まあ待てよ、そう急ぐことはないじゃねえか……。確かに、脳波を見た限り催眠にかけられてる様子もなかった。お前さんがどっかの黒幕の操り人形じゃねえことも確かなわけだ」


「だったら早く――」


「Wait, wait. 待てって言ってんだろ、飛白尚クン。おじさんこう見えて用心深い性格だからサ、この携帯に乗ってる電話番号ぜーんぶ調べたわけよ。そしたら何が分かったと思う?」


 男が次に言おうとする言葉を、尚は予想できた。それは昨晩、道に迷ってる途中で尚も発見した事実のことだろうと。

 案の定、男は思った通りのことを口にした。


「全部――といってもお前さんの携帯、十件も登録されてねえけど――どの連絡先も存在してなかったんだよ。『この電話番号は現在以下略』ってな。こいつァどういうイタズラだい?」


 男は携帯を開き、顔にくっつきそうになる距離まで画面を近づけてきた。ドットが視認できる近さで『宇内園思杏』の文字が見え、吐く息で白く濁る。


「そして、だ」


 男は携帯を閉じ、元の姿勢に戻って続ける。


「赤香に聞いたんだが、お前さん『飛白尚』ってんだろ? なあ、理解力の足りねえおじさんにもう一つ説明してやってくれないかね……そんな名前の人間、この国にも、世界にも、過去に遡っても、どこにもいやしないんだよ。赤香のやつの聞き間違いか? いや、確かに携帯には『飛白尚』の名義で登録がされている。偽造工作にしちゃ手が込んでるなァ」


 地球儀がまた回転する。

 正直言って、自信がなかった。本当のことを話して、男を納得させる自信だ。しかし自分が存在しない世界に、なぜ自分が存在するのか。そして何故ヒーローの力を有しているのか。これらのことを説明するためには、やはり真実を話す方法が一番手っ取り早い気がした。

 自分が別世界から来たヒーローであること、そして昨日の夕方より一連のことを伝えると、男はしばらく考え込んでいた。

 よく考えると、赤香には自分の正体などを離していなかったことを思い出す。よくもまあ、得体の知れない人間と共闘し、アジトまで連れて帰ったものだ。

 ……ん?

 尚は、顎に手を当てて思考中の男の、その手に既視感を覚える。骨ばった、ごつごつした右手。あれはもしかして……


「昨日俺を撃ったのって、お前か?」


「ああ。そうだが、何か?」


 何かもクソもあるか、と矢継ぎ早に怒鳴りたてようとする尚を男は制し


「いいじゃねえか、水に流そうぜ過去のことなんて。それにあれ麻酔銃だったシ」


 そういう問題じゃない!


「とにかく、お前さんがその、UMAだらけのパラレルワールドから来たとするなら筋は通るな。内容も赤香から聞いた話と食い違いはないようだし――」


 ようやく誤解が解けたらしく、ほっと一息つく。だが――


「だが、そいつは名探偵が犯人を名指しして『犯人は超能力を使ったんです!』って言うようなもんだ……お前さん、嘘をつくんならもっとマシな嘘をつくんだな。ま、もっとも……」


「お、おい待て。何する気だ!」


 男は立ち上がり、手にした地球儀を軽く振ってみせた。北半球がガラステーブルの角にぶつかり、激しい音を立ててガラスの破片が飛散する。

 地球儀には傷一つない。何で出来ているのかは知らないが、ガラスを砕いたときの弾けるような音、あれは木やプラスチックの音では断じてない!


「ヒーローの顔、名前、アジトの場所。こいつらを知られたからには、お前さんが異世界人だろうがヒーローだろうが、生かしておく理由はねえんだわ。赤香を助けてくれたことには礼を言うが、それとこれとは別問題なんでなァ……」


 振りかぶる。尚の脳天を、男はじっと見据えていた。

 変身しようにもベルトは奪われているようだし、縛られた状態では体を捻ることすらままならない。万事休すか、と思われたその時


「んそじゃないよ」


 下方から声がした。ずっと隠れていて――というか眠っていて忘れていたが、そうだ、部屋にはもう一人、あの子がいたんだった。


「……嘘かどうかは関係ない、鳥海とりみ


 男は振りかぶった姿勢のまま言った。

 ソファのしたからズリズリと這い出る音がして、埃が立つ。天の岩戸から出てきた少女は寝転んだまま、天井に顔を向けていた。「まぶし……」と呟いて目を細める。


「こいつが情報を外に漏らすとどうなるか分かるか? 顔と名前から赤香は外で満足に買い物もできなくなるゾ。俺たちがここを離れても、痕跡を百パーセント除去することは不可能だ。すぐにとは言わねえが、いつかは戦隊の正体が日の下に晒されるゼ。そうなったら敵は戦力を集中して攻めてくるだろうな……あいつらだって馬鹿じゃねえ。今のままじゃ、下手したら全員死ぬゼ?」


 男は早口でまくし立てる。鳥海、と呼ばれた少女はそれを無表情で聞いていた。


「なら、なおさら人が必要」


「……だが、今言ったリスクに見合う戦力かというと――」


「その点なら心配いりませんよ」


 聞き覚えのある声、赤香だ。

 彼女は半開きの扉に寄りかかるようにして立っていた。額には熱を冷ますためのシートが貼られ、頬はかすかに上気している。


「赤香、休んでなくていいのか?」


 男の言葉に、首を縦に振る赤香。


「大丈夫です。司令、その人の能力はかなりバランスがいいんです。反射速度、運動量ともにBクラス上位くらいはありますし、耐久性能だって悪くないと思います」


「器用貧乏ってやつか? こんなクソ性能がたった一人で治安維持とは、どうやらあちらの世界の化け物さんは、どいつもこいつもchicken野郎だとみえるなァ」


 頭にくる言い方だが、ここで無駄口を挟んでも仕方ないと思い、押し黙る。


「司令、よく考えてください。確かに情報漏洩の危険はありますし、身元も正体も不明の人物です。けど……」


「けど?」


「常識人です」


 なんだそりゃ、と尚はずっこけそうになったが、司令らしき男には通用したようだ。

 通用というか痛感している。返す言葉もないようだ。

 ううむ、と眉間に皺を寄せる司令。ずっと床の方から二人の会話を眺めていた鳥海が、こちらを見て言った。


「んーが行くべきところは、ん」


 これが司令へのとどめの一言になったようだ。「あー、クソッ! What the hell!?」と天井を見ながら叫んでいる。

 鳥海の言葉の意味は『あなたが行くべきところはここ』という意味だろうか? 何の根拠もない、ただ言ってみただけの言葉に聞こえたが、司令は結局尚を仮入隊という形で認めてくれたようだった。

 常識人であるということと、一人の少女の勘(?)によって、飛白尚はこの世界に新たなる居場所を手に入れたのだった。


 戦隊に関する諸々の注意事項を司令――織骨おりぼねグリアという名らしい――からくどくどと聞かされている間、尚はあることに着目した。

 それはさっきから見ていて、実は違和感を覚えていた物についてだった。


「あの、司令」


「お前さんなんぞに司令と呼ばれる筋合いはない!」頑固親父かよ!。


「……ええと、その地球儀、よく見てもいいか?」


「見るぶんには構わねえが、指紋はつけんなよ」


 やっぱり変だ。尚はそう感じ、この世界が異世界であることを再認識した。

 学のない尚でも確信が持てる。グリアの持っていた地球儀の地軸は、尚の知っている方と逆側へ傾いていたのだ。



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