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みぞおちヒーロー  作者: 藤本乗降
第一話 ミニチュアじゃないダックスフント
4/19

★★★★

       ★★★★


「尚くん! 今どこにいるの? 駅来てもいなかったし、ご飯冷めちゃったし、私もうお風呂上がっちゃったし! というかどうして変身してるの!?」


 ヘルメットの内側に内蔵してある無線機から思杏の質問責めが聞こえた。耳を押さえようにもこの装備では抵抗できないのだ。尚は相手にしているわんわん団よりも彼女の声によって苦悶の表情を浮かべていた。だが、どこか懐かしく聞こえるそれに深く安心したのも事実だった。電車で連絡をとってからまだ二時間も経っていないのだが、今日はあまりにも多くのことが身に起こりすぎていた。


「尚くん、今日何回目だと思ってるの!?」


 叱りつけるような怒鳴り声。


「八回目」


「やっつけた数は?」


「西街区のチュパカブラ盗賊団を約三十匹。南区のモケーレ・ンベンベ兄弟。イチマルビルを占拠したビッグフット一味と、その配下のスカイフィッシュ傭兵団。ビッグフットの方は十五体強で、スカイフィッシュの方はさすがに覚えてないや。あいつら倒すと消えるからさ。あとは新DAスタジアムの人面虎とか、中央公園の池に出没した――」


「あーあー、もういい。結構――ザザ――ってもよく覚えてらっしゃる、感心感心」


「どうも。それと追加で、ミニチュアじゃないミニチュアダックスフント軍団かっこ人食い犬かっこ閉じ、を、およそ八十匹」


「オッケー。けど尚くん、あと二分でケリをつけないとマズイよ。エネルギー充填促進機が近くにあるなら別だけど」


「了解。――あ、それと」


「なに? ――ザザザ」


「訂正。残り七十匹」


 通信のたびにノイズのような音が耳に刺さったが、それを気にしてる暇などなかった。

 尚は赤香を背にし、津波のように襲ってくるわんわん団を秒殺で捌いている。一対一の実力差は圧倒的だが、いかんせん物量の差と、そして自身の疲労が彼を苦しめていた。


「あ、アンタ何者なの!?」


「いいから上に逃げてろ! あとで全部説明するし、ついでにさっき殴ったことも謝るから!」


 そう言って尚は視線で、工事現場に立てかかる衝立を示した。その僅かな隙を狙い、一匹の爪が上半身を削りとろうと襲いかかる! それを尚は、人の反応を超えた速度で感知し、紙一重で上体を反らした――ガキンッ! と爪がベルトにぶつかった音が鳴る――反らした勢いを利用してバック宙し、棘のついた青いブーツを脳天に食らわせてやる――そこから更に宙を舞う――それを見て、餌を待つ雛鳥のように大きく口を開ける犬たち、ハッハッという荒い息遣いと長い舌、そしてむせかえるほどの熱気が尚を待ち受ける――が、瞬間、一面は血の一色に染め変えられた――亡骸に足を乗せた尚に、休む暇も与えず、別の犬が牙を向ける――それを難なく回し蹴りで蹴散らした尚の、足元、犬の亡骸の影から爪が伸びる! ジャンプして躱すが、ふくらはぎの裏から出血していた、深い傷だ、不意打ちに失敗した犬は死体に動きを封じられ、尚は振りかぶってから放つキックで、死体をもう一つ増やした。

 気がつくと、ヘルメットの中も、鎧の下も、汗が滝のように流れていた。通気性は悪くないはずだが、防御性を重視した戦闘用装備である以上、夏の暑さもまた彼の敵だった。


「うおおおおおおおッ!」


 それでも尚は、全身の力をフルに使ってわんわん団を薙ぎ倒していく。残り時間はあと三十秒といったところか。見ると、まだ五十匹以上はいる。


(――あの場にいた数よりも多い、か)


 自分が今まで倒した数だけでも百匹はゆうに超えている。なのにこの群れ、桁違いにも程がある。

 それでも尚は、諦めるわけにはいかなかった。


       *


 飛白尚は世界で――あくまで彼が元いた世界において、だが――唯一無二のヒーローである。

 毎日のように出現する怪物たちから人々を守るため、彼はマネージメント担当の宇内園思杏と共に日夜戦っていた。

 人は彼に近づかない。名探偵の泊まる宿では殺人事件が勃発するように、彼の行く先々には必ず怪物が現れるからだ。

 実際には怪物出現の知らせを受けてから出動するのだが、大衆は理屈ではなくイメージで動いた。彼の住む地区は人の少ない、土地価格も暴力的なまでに安い、年中通して陰気な町になっていった。

 なぜ自分がヒーローなのか。

 その疑問を抱いたのは中学一年。初の怪物が人々を虐殺し、彼がヒーローの力を手にした時点から数えて一年目……そして彼が、初の人生初の失敗を経験したときだった。

 なぜ自分がヒーローなのか?

 それから再び三年の月日が流れても、彼の苦悩は一向に晴れなかった。

 だが――


「『天に煌めく一番星が、悪を倒せと叫んでいる』ッ!」


 なんて、ヒーローらしいんだろう。

 月光を一身に浴びて宣言する赤香を見て、尚はそう思った。

 泣き虫で痛がりで、口先だけの女の子なのに、どうして彼女はヒーローを背負えるのか。

 その答えとして彼女が言ったこの言葉は、愚かなのかもしれない。馬鹿なのかもしれない。

 だけど、痛々しいほどまでに、ホンモノだった。


       *


「そっからよォく見てろ、笹呉赤香ァ! これが戦いだ! 殺し合いだ! それでもまだ、ヒーローがカッコイイって思うのかよ!」


 返事は聞こえなかった。骨のひしゃげる音、血飛沫が下水に跳ね返る音、絶命する犬たちの絶叫が、それをかき消したのだろう。

 残り時間は十秒。わんわん団も残り少なく、二十匹ほどだ。

 一秒に二匹殺せば、片がつく!


「あああああああッ!」


 突進、両手を使い左右の顎に一発ずつ

               ――残り九秒

 勢いで抜けた牙を離れた二匹に投げつける

               ――残り八秒

 左の壁を蹴って、右脚を毛皮の内側に深々と突き刺す

               ――残り七秒

 刺さった犬を引き抜くついでに、壁際の群れへ勢いよくぶつけてやる

               ――残り六秒

 懐に入り、手刀で喉元を切り裂く

               ――残り五秒

 背後から飛びかかる巨体に後ろ蹴りでカウンター

               ――残り四秒

 反動を利用し、円を描くように近くの敵を一掃

               ――残り三秒

 水中から不意をつかれ、左腕を噛まれながらも頭突きで撃退

               ――残り二秒


(……これで全部だな)


 地獄のような血生臭さの中、一息つこうとしたとき


「アァオオオオォォォオオオン!」


 爆音。

 それは頭上から聞こえてきた。

 工事現場の穴から射す月明かりが不意に暗くなり、そして轟音とともに何かが落下してきた。下水道全体が揺れ、土煙が高く舞った。


「な、なんだ!?」


 先ほどより大きく、無造作に拡張された穴からまばゆいほどの光が射す。それは土煙の中に潜む、轟音の正体のシルエットを浮かび上がらせた。


「――!」声が出ない。


 シルエット自体は意外でもなんでもない、さっきまで尚が戦っていたわんわん団と同じダックスフントだ。

 ただ一つ異なるのは、その大きさ。

 体長四メートルほどのわんわん団と比べ、今降ってきたそいつは倍、いや三倍はあるだろう。見上げるようにしなければ顔を見ることもできず、その全長も一目で把握するのは難しい。

 瞬時に尚は思い至った。


(そうだ、あいつ……赤香は? 確か俺に言われて穴の上に登っているはず!)


 しかし無情にも、彼に赤香を探す余裕はなかった。それどころか、下水道の天井に届きそうなほど巨大な敵を倒す時間的余裕も、あるとは言い難かった。


(まずはこいつを倒さねえと――!)


 残り時間は一秒未満。

 それ以上考えるのは止めて、全身全霊をかけた突撃をかける!

 グッと力を込めた足元のコンクリが陥没し、青き鎧は矢のごとく風を切る!


「間に合えええ!」 


 何かにすがるように、尚は目を閉じた。

 刹那の時が流れた。血がにじむほど握りしめた右拳に、感触があった。

 ――やったか!?

 目を見開く。


「な……」


 そこには、尚が思う光景とはまったく違う――具体的に言えば二点ほど違う――結果が広がっていた。

 一つは、攻撃する寸前に変身がとけ、超パワーも無敵の鎧も霧消していたこと。

 もう一つは――


 尚の拳がダックスフントではなく、笹呉赤香の鳩尾に、一分の隙も無くめり込んでいたことだった。


「……く……かはっ」


 渇いた咳が赤香の口から飛び出した。彼女の体は尚の渾身の一撃で持ち上がり、みぞおちを支点として全体重を支えている状態だ。思わず尚が手を引くと、赤香の体は受け身もとれず、正面から地面に衝突してしまった。

 な、なんで……


「なんでお前がそこにいるんだよおおッ!」


 悲鳴に近い叫びをあげる尚。しかし、彼の感情はすぐに別の驚きへと変化した。

 赤香は冷汗を浮かべて口から涎を垂らしながら、しかし確かに、笑っていた。

 途端、赤香の体が発光する。ジャージの色と同じ、燃えるような赤色。その光は二秒も経たないうちに太陽のように光度を増して、尚と敵の視界を奪った。

 巨大ダックスフントから悔しげな一吠えが聞こえる。

 瞬間的に下水道は真っ白に染まり、赤香を中心点として熱風が吹き荒れる。

 超新星爆発とも言える光が止み、尚が薄目を開くとそこには――

 真っ赤なスーツとヘルメットで全身を包んだ少女が、下水に向かって盛大に吐瀉物を吐き散らす姿があった。

 赤毛に変わったツインテールは、ヘルメットに空いた穴からピョコンと下水へ垂れている。


「何やってんの!?」


 チカチカ瞬く目を無理やりこじ開け、赤香に叫ぶ。

 しかし彼女は己の身を襲う吐き気に従うのが精いっぱいらしく、また「うおぅべえええ……」と、ヘルメットの下の隙間から液体と固形物の混じったアレを垂れ流していた。また泣いているのか、その肩は定期的に震えている。


「だ、大丈夫か!?」


 もどしてる? いや、どう考えても今それどころじゃねえだろ!

 尚はいったん、彼女をこちらに引き寄せようと手を伸ばす。こんな状態では戦えない、もう一度出直して対策を練るのだ。

 だがしかし――

 ただの人間である尚より、筋力も反射神経も優れている巨大ダックスフントの方が、彼女に手を伸ばすスピードも勝っていた。無論、その手にはスチールよりも硬い爪が備わっている。

 風を切り裂く音がした。


「逃げろッ、赤香ァー!」


 ずしいいいん――!

 地響きのような音が響き渡り、瓦礫や砂、水滴が視野を覆う。尚は衝撃で吹っ飛ばされながらも、顔を覆った手の隙間から彼女のいた場所を見つめていた。

 粉塵の中、その場所にはコンクリートをえぐった爪跡だけが残されていた。

 笹呉赤香の残滓といえば、寸前まで吐いていた吐瀉物の残りがあるだけで、他のものは一グラムたりとも場に残されてはいなかった。

 何かが、重くのしかかる感触がした。

 責任、罪悪、無力感――その正体も分からないまま、ただ押しつぶされるがままに膝をつき、涙を一滴、こぼした。


「ワオオオォォォオオオオン!」


 勝ち誇るかのように、咆哮が月夜を轟かす。

 対して尚の方は微動だにしなかった。しばらく何も考えないまま、三度目の咆哮が聞こえたとき、彼は心の中でこう呟いた。

 終わった――俺の負けだ。

 巨大ダックスフントは存分に吼えたあと、尚の方に視線を向けた。

 それはもはや、敵を見る目ではなかった。仲間の仇を討とうとする目でもなかった。

 餌を見る目――でもない。

 ただ「殺そう」と、そう言っているだけのように、尚には思えた。


「あーあァ……いつかは怪物に殺されるとは思ってたが、さすがにこんな場所で死ぬとは予想外だったな。俺もつくづく、運がねえ」


 と、尚が諦めたとき。

 巨大ダックスフントの顔が歪んだ。静かな湖の上に突如隕石が、それも何百という流星群が降り注いだかのようにグニャグニャと表情を変えた。

 それとほぼ時を同じくして、体のあちこちがボコボコとマグマのような音をたてて膨れ上がった。顔色は見る見るうちにピンクへと染まり、天を仰ぐ目からは血の涙がこぼれる。

 そしてどこからか、ピン、と糸が切れる音がして

 血液が、皮膚を突き破って噴出した。だらりと開いた口からも、まるでマーライオンのように赤い濁流が吹き出し、それに混じって骨や内臓らしきものも吐き出していく。眼球の一つが尚の足元に転がってきて尚を見つめた。

 強靭な筋線維を持つであろう四肢も、その勢いには耐えきれず、ガクガクと壊れた機械のように痙攣したあと、音をたてて崩れ落ちた。肉体はまだビクビクと動いているようだったが、よく見るとそれは流血の勢いに任せているだけで、もうどこにも、生を感じさせる動きは見られなかった。

 尚はその血を頭から浴びながらも、彼女の姿を探した。鮮血の霧の中、尚は人影を発見した。誰よりも血に濡れていた彼女は微動だにせず、倒れた巨大ダックスフントの背後に立っていた。一見するとその立ち姿は、悲しみに満ちた彫像のようにも見えた。

 そして《悪は許しま戦隊キィズダラー》『紅炎の赤』キズレッドこと笹呉赤香は、工事現場の上をぼんやり眺めながら、ふと思い出したようにこう言った。


「うう……犬のアソコくぐっちゃった……アタシまだ処女なのに」


 第一話 終


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