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「アンタが何言ってるか知らないけどさ、今やった体がビリビリくるやつ、あれが『大声』なんだよね?」
爬苦俚の目が大きく見開かれる。
彼の全呼吸器官、全筋肉、全精力を尽くした『咆哮』を受けて立ち上がれる動物など、地上にいるはずもないのに。少なくとも聴覚を持つ者ならば、これをまともに聞いて立っていられるなどあり得ない。
例外があるとすれば、使い手の爬苦俚獅子郎自身――それも、これほどの威力となれば自分の肉体も相応に強化していなければ耐え切れない、いわば諸刃の剣なのだ。
こんな……こんなちゃちな赤ヘルメットに防げるような音じゃあない! と爬苦俚は心の中で叫んだ。
だが、現実は彼にノーを突きつける。
笹呉赤香はヘルメットを外し、無傷の頭部を晒した。無傷で当たり前……彼女は先ほどからダメージを極力避けた戦い方を心がけていたのだ。
戦隊側の秘策――最後の切り札として。
「よっと」
赤香は両耳に指を突っ込み、半透明の小さな物体を出した。
「み、耳栓!? そんなもので、この私の『咆哮』が――」
「サンキュね、たきたっきー」
薄く目を閉じ、礼を言う赤香。それを聞いて、爬苦俚は絶句する。
伸縮自在の最強の盾――田北きいろの爪。
伸縮自在というからには、一平方センチメートルほどに過ぎない爪を一万倍の盾に広げることも、逆に元より小さなサイズにすることも可能だ。
そして彼女の爪は、人間をすっぽり覆うほどまで広げてもわんわん団の攻撃をいとも容易く防ぎきれるほどの硬さを誇る。
そんなものが赤香の耳孔、〇.八センチ×〇.五センチという大きさまで圧縮されたらどうなるか……。
あらゆる音を弾く、無敵の耳栓に生まれ変わるのである。
なぜ赤香は、爬苦俚に『咆哮』という一撃必殺があるのを知っていたのか?
それは鳥海が単身行った調査の結果に他ならない。相手を殺さず、聴覚だけを完膚なきまでに破壊する技といえば一つしかないのだから。
もし鳥海一人ではなくヒーロー全員で島に赴いていたとしたら……想像したくない結果になっていただろう。
そしてこの二枚の爪は、鳥海が帰還した日の朝、尚が田北との『勝負』によって獲得したものだった。
赤香は深く深呼吸して、尚に言われた作戦内容を思い返す。
『手は出すな、隙を伺うフリだけでいい。力を温存して回避に専念しろ』
『会話は俺がフォローするから黙ってろ。時機が来そうになったら、俺が肩を叩く。一回なら今すぐ逃げろ、二回なら読み通り、三回なら耳栓を外せ、だ』
(『大声』は爬苦俚の切り札、終盤で使うだろうってアオくんの読みは当たった。そこから先は確か……『油断した隙に後ろから殺れ』と『油断した隙に全力で逃げろ』の二つ、か)
どちらも実行に移せる状況ではなかった。
「最後まで小賢しい真似をしてくれる……だがいいだろう、今の私は五割強、貴様の相手をするには十分すぎるほどの余力だ」
爬苦俚はククク……と笑う。
たしかに、いくら損傷しているとは言え、赤香一人では勝ち目など無い。
だが、笹呉赤香は怖気づくことなく、面と向かって言い放つ。
「アンタに切り札があるように、アオくんに謎の力があるように、アタシにだって誰にも言ってない隠し事はあるんだよ。いくらヒーローって言ったって、女の子ですからね」
「何が言いたい……?」
爬苦俚の言葉を無視し、赤香は近くに落ちていたガラス片を手にした。
「……そんな鈍で、どうしようと言うのだ」
すると赤香は信じられない行動をとった。
――グチュッ
「――――イィ、あああああああああああああ!」
「き、き、気でも狂ったか貴様ァ!?」
鈍いガラス片を、鳩尾へと突き刺した。
「いいいい、いっったいいいいいいいいい!」
ただでさえ痛覚に過敏な少女の悲鳴。
しかし彼女は自らを更に苦しめようと、ガラス片を奥へねじ込む!
「いやああああああああああ!」
赤いスーツの上から、その赤とは比較にならないほどの『赤』がとめどなく溢れだす。
爬苦俚は目の前の光景が信じられなかった。絶対的な力の差に絶望した少女が自害しようとするならまだしも……進んで痛みを味わおうとしているのだから。
すると、気絶していた尚の瞼が薄く開いた。彼の片耳は感覚器官としての役目を終えている、しかし赤香の絶叫が肌を震わせたのか、何にせよここで彼が意識を取り戻したのは奇跡に等しかった。
(あ……れ? あの子は……たしか……)
赤香の姿と、デパートで倒れた少女が、彼の目で重なる。
燃え盛る火炎、血に染まる衣服、涙に濡れた頬、そして凶器が突き刺さった鳩尾。
(そうか……あっちの君は、こっちのヒーローだった、のか……)
「うおおおおおっ!」
赤香の全身が発光する。今までの変身と同じような発動方法だが、しかし温度と色、包み込む光の性質は違っていた。
赤香を包むのは光というより、燃え盛る炎そのものだった。
ヘルメットを脱ぎ捨てた彼女のツインテールの先には二つの炎が灯り、黒目の部分がオレンジの火へと変化する。光も影も燃やし尽くす、豪炎のオーラを全身に纏って。
「な、何者だァ貴様!?」
目にも留めなかった『青き鎧』の付き添いに過ぎないはずの少女。
そんなちっぽけな存在が、今では太陽の如き輝きを放っている。
『紅炎の赤』キズレッドは、人差指をまっすぐ天に向けて突き出した。
「『煌めくは天の一番星! 遍くは地の灯火よ!』」
彼女の背後。『咆哮』によってヒビの入った壁が音を立てて崩落する。
『括目せよ! 傾聴せよ!』
崩れた壁の向こう、西の空から太陽の光が昇ってくる。
「『俺の拳は燃えている! 熱き血潮も滾ってる! 気炎万丈、義気凛然!』」
恒星戦隊スペクトルの必殺口上――フルバージョン。
「『これが俺の』……いや――」
笹呉赤香は仁王立ちだ。
「――これがアタシの、一番星だああーーッ!」
そして赤香は、一筋の炎となって爬苦俚の懐に潜り込む!
破裂音。
『超スピード』が音を置き去りにした瞬間――
「ぐうッ!」
爬苦俚の胸に、赤香の全身が深く沈みこんだ。避けようと思う暇さえなかった。
「うりゃあああああああああああああ!」
「ぐおおおおおおおおおおおおおおお!」
笹呉赤香は止まらない。
全身に纏う炎がブーストの役目を果たして爬苦俚の体を押しやり――持ち上げる!
爬苦俚は足指を突き立ててブレーキをかける。だが頑強な爪も、後方へ流される体を引き止めることはできない。八本の爪痕だけが床に伸びていく。
赤香と爬苦俚は今までの戦いで空いた穴をすべて通り抜け、病院の外壁をも突き破ろうとしていた。
(驚かせおって、別段何のことはない、ただの体当たりではないか!)
爬苦俚はある算段を練った。このまま落下するエネルギーに任せて赤香の首をへし折る計画である。
が、瞬時にそれは不可能であると、爬苦俚は思い知ることになった。
「行っけええええ! ヒーロおおおおおおお!」
力を振り絞った尚の声援が、赤香を後押しする。
「とっっっべえええええええ!」
ミシッ……と鳴ったか鳴らないかの間に、廃病院外壁が押し破られた
二人の体も空中へと投げ出される。
一瞬の間をおいて感じる、地球重力の支配を受けて彼女は――
(お、落ち――――ない!?)
爬苦俚の意に反し、眼下の樹林は下へ下へと遠ざかっていく。廃病院はミニチュアの大きさに縮んでいく。
赤香は飛翔する。彼女はすでに一筋の炎であった。
――いや、彼女の決め台詞から引用して、こう言った方がらしいだろう。
笹呉赤香は★(星)であった、と。
*
赤香と爬苦俚が空の彼方へと飛び去り、六時間五十分後。
『咆哮』によって倒壊した廃病院跡を一人の女性が歩いていた。
女の名は田北きいろ。ゴスロリ服に身を包んだ、気味の悪いくらい色白の戦闘員『キズイエロー』である。
彼女は瓦礫の山を一つ一つ撤去しながら、ある探し物をしているようだった。
ちなみに九州にいるはずの田北がなぜここに来られたかというと、これもグリアからの指令によるものだった。
『夜が明けても、うちの大事な戦闘員が連絡をよこさない。お前さんなら死ぬことはねえから、あいつらが生きてるかどうか調べてこい』と命じられて。
田北としても、それに反抗する要素は無かった。理由は二つある。
一つは、うまくいけばその場所でヒーロー二人を死に至らしめた爬苦俚獅子郎とやらと手合せできるかもしれないから、という理由。
あともう一つは――
「……みぃつけた」
尚に貸していた爪の回収である。
瓦礫のどけて見つかった尚の傍に、二つの小さな爪が転がっていた。
「これとこれがササなんかの耳に入っちゃってたのね……ああ可哀想、私の大事な大事な私の爪ちゃん。早くおうちへ帰りましょうねェ」
そう言って胸元から透明な瓶を取り出す。中身の半分ほどは剥がされた爪で埋まっている。
丁寧な手つきで二枚を瓶にしまうと、今度は尚の傍にしゃがんだ。
「最後の一枚は、え~っと……左耳か」
尚の頭を横にしてポンポンと後頭部を叩くと、やがて一枚の爪が転がり出て来た。満足げにうなずいて、その爪も瓶へとしまう。
「それにしても、こいつも無謀な賭けに出たわよねェ……じゃんけん四回勝負。自分が一勝する度に爪一枚、一回でも負けたら人生を私のために使うなんて……正気の沙汰とは思えないわ」
田北はそう言ってから、ふと頭上に気配を感じる。
見上げると、謎の赤い飛行物体がこちらへ向かって飛んでくるのが見えた。
「あら、何かしら」
*
そして赤香の方はというと
流れ星。
その日の午前中にかけて彼女の姿を見た者は、みな一様にして同じことを思った。
『こんな朝に流れ星が見えるなんて、珍しいこともあるもんだ』と。
笹呉赤香は止まらなかった。
日本、北海道西部。北緯四二.九二六〇八六・東経一四〇.四〇七三七一地点から北へ向けて、一直線に彼女は飛翔する。
樺太、ロシアの上空を飛ぶ。
(それにしてもなんて速さだ! 肉質を硬化させて衝撃波を防がねば!)
赤香は徐々にスピードを上げ、北極上空にたどり着くころには超音速であるマッハ五に達していた。
海を越え、南アメリカの空を突っ切る。
(まだだ……私はまだ耐えられるッ!)
南極……オーストラリア……ニューギニア……
(こいつ、能力が切れる気配が一向にない? どうなっている!?)
爬苦俚獅子郎は知らない。この世界におけるヒーローと『傷』との因果関係を。
そして赤香以外の誰も知らなかった。彼女の真の『傷』が鳩尾への打撃などではないことを。
大気の潮流、コリオリの力、そんなものを一切無視するような無尽蔵のエネルギー。
ただ、爬苦俚の必死の抵抗が赤香の軌道をわずかにずらしていた。そのズレが、自転で移動した廃病院の位置とピッタリ重なり、流れ星は再び北海道上空へ戻ってくる。
彼女がここまでに要した時間、実に六時間五十六分二十一秒!
およそマッハ五――秒速三四〇メートルという文字通りの『超スピード』を発揮しなければ出せない数値である。
そしてその最高時速のまま、赤香は眼下に半透明の塊があるのを見つけた。
その正体に気付いたときにはもう既に、爬苦俚の体は投げ飛ばされていた。
秒速三四〇メートルのスピードで約四万キロもの旅路を経た爬苦俚は、そのまま超音速プラス重力加速度の『超・超スピード』で地面へ向けて真っ逆さまに落下する!
「き、貴様如きに! 貴様如きに、この私が倒されてなるものかあああああ!」
「アタシ一人の力でなら、そりゃ無理でしょうよ! だけど戦隊ヒーローってのは仲間で力合わせれば無敵なんだ! それは……それはアンタだって知ってたんじゃないのォ!?」
しかし、その言葉が爬苦俚に届くことはなかった。
*
「流れ星ね。あれなら私を壊せるかしら?」
超音速で接近する光に対し、田北は避けようとはしない。ただ条件反射的にラジオペンチで爪を剥ぎ、シールドを作った。
「この私が倒されてなるものかあああああ!」
喋る流れ星は、そのまま一直線に田北の爪へ飛び込んだ。
轟雷のような大気振動が辺り一帯に衝撃を走らせる。
田北の長い髪は力強くはためき――そして、鋼のような筋線維を持つ爬苦俚の肉体はスライムのようにひしゃげた。
秒速三四〇メートルプラス重力加速度プラス赤香がぶん投げた力を、田北の爪シールドはそっくりそのまま爬苦俚の体に反射したのだ。
皮と
血と
肉と
骨が圧縮される音が鳴る。
ざわ、と空気が揺れ、半球状の波動が砂と埃を纏って外へ広がる。
やがて全ての衝撃が拡散し終え、空気中の土埃が地に落ち始めると同時に、爬苦俚の体も爪からずり落ちた。
立つものは一人。辺りは不気味なほど静かだ。
爪にはヒビ一つ走らず、田北はやっぱりね、という風に息をついた。
――四人のヒーローの中で最も常軌を逸しているのは、間違いなく彼女なのだろう。
炎のブーストを枯渇させた赤香が、田北の真上へと落下してくるのはそれから間もなくであった。