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みぞおちヒーロー  作者: 藤本乗降
第三話(後) 傷だらけのチワワ
15/19

★★

       ★★


「なに暢気に寝てやがんだ、『この寝坊助』(You Sleepyhead)」


 固い何かが顔面をゴシゴシと痛いくらい擦り、口の中にじゃりじゃりとした食感がして尚は目を覚ました。途端、顔に押し付けられていた何か――グリアの革靴を押しのけで起き上がる。


「お、俺、寝てた……のか?」


「そうだよ。喜び勇んで敵討ちに向かったと思いきや、こんなところでグータラしているとは思わなかったゼ。仲間想いたァ口だけか?」


 尚はむすっとしながら、口の中の砂を屋根に吐き捨てた。


「焦りは禁物ってことだよ。休息とることもヒーローの仕事だろ?」


「それもそうだな、か弱いか弱い騎士様よォ」


「うるせえ。……で、何か用か? わざわざ用もなく俺を探すわけねえもんな」


「That`s right! ……褒めるほどの洞察力じゃねえけど」


 ヒヒ、とグリアは笑う。

 余計なことしか言えねえのかコイツは、と思う尚の眼前に、一切れのメモ用紙が突きつけられた。


「なんだこれ? 数字か……月弓の予知みてえだけど」


「俺が来た理由はよ、さっきお前さんが言った焦りは禁物って話サ。お前さんや赤香が落ち着きもなく犬捨島へと向かってりゃ聞けなかった話」


 どういうことか分からず、眉間に皺を寄せる尚。


「どうせ俺たちの目標は変わらねえだろ? 敵の居城はそこなんだから」


「そこには別の調査隊を回してる。……お前さんたちが行くべき場所はそこじゃなく、ここだ」


 と、メモ用紙をピラッと揺らす。


「これはいつもの予知なんかじゃなくてな……なんと敵さんからの宣戦布告ときたもんだ」


「せ、宣戦布告!?」


 メモ用紙を引ったくり、紙面に書かれた数字をもう一度よく読む。


『8.5. 0:00 42.926086, 140.407371』


「この数字が鳥海の体に刻まれてたんだ、獣のような爪痕でな。書かれてたのが足の裏だったから気付くのに時間かかっちまったよ。治すのに問題はねえが……傷口が完全に塞がるまで移動は控えた方がいい、って言っといたゼ」


「それでも言い足りないくらいだ……一人で島に向かった行動力を考えると、相当無茶する性格だぞアイツは」


「ああ。俺も最近まで見誤ってたくれえだ」


「……見誤りもするだろうさ。捨て駒みたいに扱ってりゃあな」


 フン、とグリアは鼻で返事する。


「数字は時間と座標だ。『その日その時に俺たちは姿を現す』ってことだろうゼ。念のため『場所の予知』も行わせたら、座標の位置と五キロ圏内で一致した」


「あんたはどう思う……? 爬苦俚獅子郎が出てくると思うか?」


「罠だな」


 即答だった。グリアはサングラス(フレームは歪んでいないから、おそらく予備)の位置を直してから続ける。


「その座標には街なんてねえ。ただ潰れた病院の跡が残ってるだけだ。守るべき人民のために我ら戦隊が出動する意味なんてNothing. 言ってる意味が分かるな?」


 尚は真っ直ぐサングラスを覗いたまま、うなずく。


「行きたきゃ勝手に行け、ってことだろ?」


「忘れるな、秘密は厳守だ。身元が判明するようなものは現場に残すなよ、死体もだ。スタッフが後処理するまでに民間人が入り込まんとも限らねえからな」


「それは……生きて戻ってこいってことか?」


「そう思いたきゃ、勝手に思うがいいさ」


 グリアはくるりと背中を向けると、片手を上げて歩き出した。尚はこの時やっと、彼がトレードマークの地球儀を手にしていないことに気づく。

 だがまあ、深く突っ込むようなことでもないので黙っていると、去り際にグリアが振り返って言った。


「敵の思惑が不明瞭な以上、アジトはここに置いたままだ、田北も防衛用としてここから離さない。だが『予知』がその一帯を指したことも確かだ。よってキズブルー、キズレッド両名に、来たる『わんわん団』討伐を命じる。注意事項は三つ。

 一、正体を民間人に知られるな。知られた場合は拘束したのち、戦隊へと引き渡すこと。やむを得ない場合は殺害を許可。

 二、半径五十メートル以内に民間人がいる場合の変身は禁じる。

 三、勝つ見込みがない場合、速やかに戦隊へと帰投すること。死亡した隊員の素性は敵、および民間人にも晒されてはならない」


 グリアはそこで一息ついて、また語りだす。


「また、キズブルーには任務の第一段階として、上記の指令内容をキズレッドへ通告。のちの判断は隊員各自に任せる。指令は以上だ、なお抗議は一切受け付けない」


 力強く言い切り、グリアは屋上に立てかけてある梯子の前に立つ。

 尚には聞こえないように、ごく小さな声で


「仲間をなんだと思ってるのかって? 俺はな、今までどんな雑兵(pawn)も捨て駒と思ったこたァねえんだよ……ヒヒヒヒッ」



 一階の東階段横にある掃除用具入れ。

 教室を一つ一つ見て回って、どこにも目当ての人物がいないことが分かり、人が隠れられそうなところを隈なく捜索し出してから四十分ほど。

 その場所で、尚はようやく赤香を発見した。

 見ているだけで息が詰まりそうな狭っ苦しい空間で、赤香は膝を抱えたままお菓子を食べていた。ずっと前、スーパーで購入したのと同じ『恒星戦隊スペクトルスナック』である。よくもまあそんな場所で物が食えるもんだと、尚は苦い顔をした。


「よォ、キズレッド。仇討ちの準備は万端か?」


 無視。赤香はちらりと尚を見てすぐ目を逸らし、無心でスナックを頬張る。

 本人はヤケ食いのつもりだろうが、低身長の栗毛ツインテールという外見からすると、えさを与えられたリスのようにしか見えない。


「……」


「それ、スペクトルだろ。いいなあ、俺のとこじゃ十年も前に生産中止してるよ。こっちの住民は分かってんな、やっぱ戦隊物じゃ後にも先にもスペクトルが一番だよ……って俺、自分がヒーローになってからはその手の番組見てねえんだけどさ……ハハハ」


 返事は返ってこない。

 行き場を無くした笑いが、隙間風と一緒に飛んでいく。

 見ると、用具入れにある穴あきバケツには同じスナック菓子の袋がいくつも捨てられていて、その数はゆうに十を超えていた。

 どんだけ食うんだコイツは……。

 しかし、萎んだ袋をしか見当たらないので、どうやら今口にしているのが最後の一袋であるらしい。とりあえず、それを食べ終わるまでは待ってみよう。

 赤香の右手は作業機械のように、次から次へとスナックを口へ放り込んでいく。

 ちゃんと噛んでいるのかと心配して見ると、やはりそんなところに気は回ってないらしい。ヒョイヒョイ、と吸い込まれるお菓子。それでも全くむせることなく赤香は食べ続け、やがてピタリ、と右手が止まった。ガサガサ、と底をあさっているようだが、もう残っているのはカスしかない。ここが切り出すタイミングだ。


「月弓のことだが――」言い始めて間もなく、赤香はジャージの下から新たなスナック菓子を取り出した。


「まだあったのかよ!」


 蹴りが放たれる――菓子袋だけをピンポイントに、尚の右足首がミドルシュートを決めた。『恒星戦隊スペクトルスナック』は孤を描いて階段の手すりに着地した。

 空を掴む形で静止した赤香の手は、おずおずと膝の裏にしまわれていく。お菓子を奪われても、赤香に呆然した様子はない。そのくらい別にどうってことないといった表情だ。


「月弓だけどさ。あいつ、なんであんなことしたんだと思う? 危険を承知で、自爆装置抱えて、たった一人で敵地潜入。はっきり言って無謀、いや、死にに行くようなもんだよ」


 赤香は膝の間に頭を寄せた。少し言いすぎたか……と、尚は唇を噛む。

 だが、しばらくそのままでいると、赤香の方から返事が返ってきた。


「…………きっとアタシたちのためだよ」


 弱弱しい、蚊の鳴くような声。

 陽気な彼女からは考えられない、悲哀の声音だった。


「ミミちゃんいつも、自分のことを役立たずだって言ってた。アタシはそうは思わないし、そんなわけないんだけど…………でも、だからミミちゃんは……」


 赤香は縮こまっていた体を、更にぎゅうっと抱きしめる。


「アタシのせいなんだ! アタシが弱いから、一人じゃ何にもできないから!」


 顔を見るまでもなく彼女は泣いていた。鼻水をすする音、言葉にならない嗚咽。それらを必死で隠すように、無理矢理抑えるように、己の体を使って目と口に蓋をした。それでも涙は止まらなかった。「う……あ……」喘ぎは途切れなかった。


「アタシが……弱いからァ……」


「それには同意だぜ。いくらスピードがあったって、地力がそれに合ってないからな。能力に関する資料とか今までの戦闘データを見させてもらったけど、お前って変身時間だけは長いだろ、数時間単位もある。だけど今の肉体であのスピードに耐え切れるのはもって五分。どんなに凄い力でも、コントロールできなきゃ宝の持ち腐れだ」


 尚は赤香を追い詰めるように、淡々と事実を突きつけていった。

 だが最後まで言い終えると、尚は床にドンッと音を立てて胡坐をかいた。立ったままだと見えなかった赤香の潤んだ瞳が、同じ目線になってようやく見えた。


「だが、もう一つは違う。月弓はお前のために――弱いお前のために一人で危険を冒したんじゃない。あいつはきっと、自分のためにそうしたんだ」


 月弓鳥海が誰のために動いたのか。

 それは、先ほど田北と相対したときに述べた内容と、まるっきり反対のことであった。

 尚は自分の中に生まれた矛盾を自覚したうえで、それを臆面もなく口にしていた。


「……そんなの、ポッと出のアンタに分かるわけないじゃん」


「分からないこともあるが、分かることだってあるぜ。俺は紛い物のヒーローだけどさ、力を持っているのに何もできねえって気持ちなら、痛いくれえ分かるんだよ」


 わんわん団を一瞬で殺害できる力を持ちながら、《傷》のせいで戦力になれない鳥海。

 完全無敵、絶対無比の力をひけらかしながら、ほんの少しの油断で無力を思い知らされた尚。

 彼には何となくだが、その痛みが理解できるような気がした。


(だけど、自分の力を知りながら怪獣退治を続けた俺より、戦闘のたびに傷つく仲間を見てきた月弓の方が、何倍も苦しかっただろうよ)


 尚は心の中でそう呟いてから、目の前の少女に向かい合った。


「どんなに強くたって、実際に役に立ってるからって、『何もできねえ痛み』を知ってるやつが満たされることなんてないんだよ。あいつは戦いが終わるごとに思ってたろうさ、傷つくのはお前だけ――赤香、目が覚めて、友達がボロボロになってて、それでも怪物の居場所を伝えなければいけないやつの気持ちを考えたことがあるか?」


 そんな痛みは尚にだって分からない。想像してみることしかできない。

 赤香の頭が少しだけ膝から離れた。泣きじゃくる声は既に止んでいた。


「だけどあいつは今回、自分の力でお前の役に立てたんだ。仲間のために傷つくことができたんだ。後悔してるかもしれねえし、泣きたいのかもしれねえ。そこんとこ、俺にはよく分かんねえけどさ……」


 尚の頭に、ふとある光景が思い出される。

 保健室で赤香が鳥海を叩いて去ったあと。ふとベッドを見ると、そこにあったのは幸せそうに綻んだ鳥海の顔。


「きっとそこには、嬉しさもあったんだろうぜ」


 だから月弓鳥海は、仲間のために無謀な作戦を決行し、自分のために戦ったのだ。

 その結果があの笑顔なのだと、尚は確信していた。

 以上はあくまで尚の推論で、もしかしたら見当違いかもしれないが……しかし、赤香の心に深く突き刺さった。

 彼女――笹呉赤香も思い出した。小学校、まだヒーローもわんわん団もいなかったころ、一人でいる赤香を見つめる人影があったことを。

 赤香が視線に気づいて見つめ返すと、小さな人影はゆっくりと自分のもとに歩いてきた。

 赤香が一人でいるときは、決まってそういう形で二人は集まっていた。

 あの体育の時間から、二人はずっとそうしてきたのだ。

 しかし互いがヒーローになり、鳥海の群を抜いたパラメーターと共に彼女の変身方法が明らかになると、戦闘に投入されるのは赤香一人だけになった。

 赤香は寂しくもあったが、でも別に構わなかった。憧れていたヒーローとして、今こうして大切な友達を守ってあげてる! その立場の違いが、無自覚に彼女を高揚させていた。

 鳥海はそれを『待つ側』であった。

 わんわん団を撃滅し、戦隊に戻った赤香を真っ先に出迎えてくれた「……おつかれ」

 そう言ってくれた鳥海の瞳が、赤香の記憶のスクリーンで徐々に拡大されていく。

 当時は気づきもしなかった、その瞳の奥に宿る色が段々とはっきりしていく。

 そしてスクリーン全体を、深い悲しみの色が覆った。


「……そうだったんだ」


 赤香が鳥海の思いに気付いた頃、尚はその場から立ち去っていた。言いたいことを全て言ったところで、もう自分にできることはないと踏んだのだろう。

 赤香は掃除用具入れの底から立ち上がると、強く頬を叩いてから「……よしっ」と気合を入れた。涙はとっくに渇いていて、充血した目と腫れた頬が真っ赤に染まっていた。

 笹呉赤香は胸を張って歩き出す。迷いない足どりで廊下を歩み、目的の場所へ到達する。

 そこは鳥海が運ばれた、年季を感じさせる保健室。

 扉を開けて奥まで進むと、膨らんでいるベッドが上下に動くのが見えた。近づいてみると、気持ちよさそうに眠っている鳥海がいた。

 とても静かに、子猫のように可愛らしい寝息をたてる彼女の口元は、どこか満足げに笑っていた。


「……ありがとねミミちゃん。アタシたちのために頑張ってくれて。そして、そんな風に笑ってくれて」


 今度は――アタシの番。

 自分の信じるヒーローとして、傷ついた彼女の友達として

 笹呉赤香は拳を大きく突き上げ、その意志を示してみせた。


 ――――その一連の様子を、保健室の窓の外からこっそり覗き見ていた人物がいた。

 飛白尚である。

 彼は赤香がここに来ることを見計らって、先ほどからその場所に待機していたのだった。赤香がここに来るかどうかで、自分の説教が通じたのかを確かめる意味として。なんとか成功したようで、尚は安堵の息を吐いた。

 それにしても……と、赤香に聞かれないよう呟く。


「俺は何のために戦ってんだろうなあ……」


 ヒーローが例外なく至るという難問。

 赤香のようなヒーロー熱はとっくに冷め、鳥海のように守りたいものなども思いつかず、田北のように戦い自体を楽しめない。

 そんな自分は、何を信条とするのだろうと考えた。


(……ま、いいか)


 天井高く突き上げられた赤香の拳を見て、尚もまた決意する。


(その意味が分かるまで、俺もこいつに付き合ってやるかな……)



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