★★★★
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九州北部の本丸前広場にて、赤香と田北が柴犬討伐を成功させ
北海道西部の犬捨島にて、鳥海が爬苦俚と対峙した、その三日後の早朝のことである。
「月弓が!?」
少子化の影響で廃校となった木造校舎を密かに改造して造られた『第三十二キィズダラー基地』内で、尚は声を荒げた。
まだ薄暗い元・保健室の扉を勢いよく開けて入ってきた彼が目にしたものはベッドに眠る鳥海と、彼女を見下ろすグリアと赤香であった。田北の姿は見えない。
「なんでも、北海道のとある無人島の浜に倒れていたらしい。地元の漁師が見つけて、現地の病院で処置を受けたのち、戦隊が身柄を確保したってわけだ」
「ど、どうして月弓がそんなとこに……」
グリアが声をひそめて言う。
「こいつの倒れてたその島は、地元の人間から『犬捨島』と呼ばれているんだそうだ」
「いッ!?」
「こちらとしちゃ……思うところがあるだろう?」
心当たり、どころではなかった。
犬捨島――きっとそこが敵の本拠地なのだと、この場にいる誰もが確信していた。
そして鳥海は単身で敵地へ乗り込み、返り討ちにあったのだと。
だが、それをどうしても信じられない、いや信じたくない人間が一人いた。笹呉赤香である。
「なんで……なんでさ、ミミちゃん……」
今にも消え入りそうな声で、赤香は真下――鳥海の寝顔に、小さな文句を叩きつけていた。ツインテールの先っぽがだらりと下がり、前髪が彼女の表情を静かに隠す。二つの拳は石のように握られ、短い間隔を置いて、皮に強く爪を食いこませていた。
なんで――と、何度も口にしながら。
「………………ん」
「ッ! 気がついたか!」
いち早くそれに反応したグリアが、驚いた反動で地球儀を床に落とす。
尚と赤香の視線も一気に鳥海の目へと引き寄せられる。その眼差しを一点に受ける鳥海は、一度ぎゅっとまぶたを閉じたのち、小動物のようにパチクリしながら目を覚ました。
「ん…………あ、れ?」
のんきな寝ぼけ顔を見て、グリアの顔も珍しく綻ぶ。
尚は腰に手を当てて安堵の息をついた。
そして赤香は、垂れていた栗毛を一気に頭の後ろへぶん投げて
「なんで一言も言ってくれなかったの!?」
火花が散るような音が、鳥海の頬から炸裂した。
鳥海は頬を押さえることもせず、ただ細い目つきで赤香を見ていた。
赤香もそれ以上何も言おうとしない。尚たちが唖然とする中、鳥海の真っ白な肌がうっすらと腫れていく。真っ赤な色だった。
赤香は最後に鳥海を一瞥したあと、ぷいっと横を向き、尚が中途半端に開けっ放しにしていた扉を蹴飛ばして、逃げるように去って行ってしまった。
すりガラス付き木製引き戸が音を立てて倒れる。「Oh……」とグリアが呟いた。
ガラスにひびが入る音を聞いてハッとしたのか、尚は駆け出そうとした。赤香を追うために。しかし「やめとけ」というグリアの言葉で足を止める。
「好きにさせとけよ。今はそれより大事なことがある」
「で、でもアイツ、泣いてたぞ……」
「ああなったら人の言うことなんて聞かねえゼ、バカだから。捕まえたって無駄サ無駄」
「……くッ! 月弓、お前はどうなんだよ! 何か事情があったんだろ、あいつに言い返してやらなくてもいいのかよ!」
尚は鳥海に詰め寄るが、彼女からの返答はない。
「…………」
「月弓ッ!」
「だーかーらー、やめとけっつーの」
グリアが尚の襟首をむんずと掴み、そのまま後ろの壁に引き寄せる。背中が勢いよく叩きつけられ、戸棚の薬品が一つだけ落ちた。壁とグリアに挟まれて、サングラスの奥の鋭い目つきが尚を射抜く。
「ミミをやられたんだ」
一瞬、尚はそれを鳥海のニックネームのことかと思った。
「聴覚を完全にやられちまったのサ。ジェット機の噴射音にスピーカーを当てて、それを耳元で聞かされたような凄まじい音によってな。おかげでさっきの赤香の文句も、お前の必死な言動も、あいつにゃ全く伝わっちゃいねえってわけサ。ヒヒ、Luckyだったなァ」
尚の顔が驚愕に歪み、額に青筋が浮かぶ。
「だがまあ、あいつの『超感覚』にかかれば、相手が何を言いたいかなんて大体推測できるんだろうけ――グッ!?」
尚の右手――完全に繋がってからまだ数日しか経っていない右手がグリアの口元を掴んだ。
ぎりぎり、と力を込めるたびにグリアの額から汗が滲み出る。サングラスがずれ、その眼球が直接尚の目を捉えた。
「グフ……ぷはあっ! Hahaha ……リハビリは、うまくいってるよう……だな。今なら前線に出しても……足手まといにゃならねえ……」
グリアは強烈な握力に苦しみながらも、軽口を叩くことを止めない。
とうとう、尚は掴んだままの腕を床に思い切り叩きつけた。戸棚から薬ビンがまた落ちて、パリンという音と共に中身をまき散らした。
右手の下、フレームの歪んだサングラスの付近からグリアの笑い声が聞こえる。
「――なんでそんなことが言えるんだよッ! お前は司令官だろ! 赤香も月弓も、大事な仲間なんじゃねえのかよ!?」
そう喚き散らす尚の背を、そっと誰かが抱き寄せた。
子供のように小さい手、細いながらも力のこもった腕。
月弓鳥海によって、尚はグリアから引き剥がされた。
今や五感の一つを失ってしまった彼女には尚がグリアを一方的に襲っていたようにしか見えなかったのだろうか? ゆえに、弱者救済とか判官贔屓とかいった思考回路に従い、グリアの味方をしようとしたのか?
ベチン!
鳥海はグリアに軽いビンタを食らわせた。それは尚の推理が間違っていることを示している。
そして彼女は男二人によく見えるように、空中にこう書いたのだった。
『うるさい』
それは鳥海なりの冗談……なのかもしれなかった。
その後、静かになったグリアと尚(といっても関係は修復するはずもなく、座る距離はわざとらしいくらい離れていた)に対して、鳥海は事態の詳細を告げた。告げたといっても筆談で。
「ふむ……捜索網は全国どころか世界中に張ってあったはずだが、うまく隠れたもんだな」
『たぶん、んーと同じような能力』
「獣を指揮する着ぐるみ男、その名も爬苦俚獅子郎。犬なのに獅子とは、まったくふざけた名前だゼ」
「ああ、本当に……ふざけた名前だ」
尚は舌打ちをして、虚空を睨みつけた。
『場所はすでに変えられている可能性が高い。けど、あの島を調べる価値はある、かも』
筆談でも若干たどたどしい鳥海の文字は、その分丁寧な楷書体である。
「よし、急いで調査部隊を向かわせよう。それに、赤香ときいろの奴にも事情を説明しとかねえとな……おい、飛白」
「……なんでしょうか司令官殿」
「皮肉めいた言い方だが、今は気にしないでおこう。――お前はきいろのところに行って、今の話を報告してこい。時間があれば赤香のところにも行って欲しいが、まあ、あのバカへの報告はお互い手が空いてからにしようじゃねえか」
「先に赤香じゃダメなのか?」
「なんだァ? きいろじゃ不満ってか? ……さてはお前、ロリコンだろう」
尚は近くに転がっていた薬品を蹴飛ばした。プラスチック容器のそれは、グリアの鼻先を掠めてゴミ箱へとシュートされる。
「Bravo」
「うるせえよ」
「可愛げがねえなァ……単純に、行き先が判明してる方から先に報告してやるべきだろ。頭の回転とカルシウムが足りねえゼ、ヒーローくん」
「……で、田北の居場所ってのは?」
グリアは人差指を天井に向けて言い放った。
「天国に一番近えとこ」
大袈裟な物言いをしたところで、その正式名称はなんてことはない。屋上である。
といっても、時代に取り残された古い木造校舎だ。昼休みにカップルが弁当を食べたり、放課後に男女が告白したりするような、ああいう平べったい屋上など存在せず……
田北きいろは三角屋根の上で、紫色に染まる空をぼうっと眺めていた。
肌に触れる朝靄は、夏とはいえ少し肌寒く感じる。
手にはいつものように人形が握られている。よく見るとそれには細やかなレースで装飾された丈の短いゴシックロリータが着せられ、髪は長いブロンドヘアになっている。屋根から足を滑らせないよう注意して近づくと、人形の顔にステッカーが貼ってあり、細い足にはミニチュアサイズのラジオペンチが巻き付けてあるのが分かった。
彼女はいつも、彼女自身を抱きかかえ、彼女自身の髪を梳かしていたのである。
「鏡って、好きじゃないのよ」
尚の視線に気が付いたのか、田北は空を見上げつつ語る。
「どう頑張ったって、鏡は左右対称の私しか映してくれない。そりゃあ左右対称の私も好きと言えば好きよ、世界に蔓延る有象無象共に比べれば何十倍もね。でも、そこに映ってるのは私であって私じゃない。本物の、今ここにいる私と比べたら何億倍にも劣るゴミよ」
「ゴミって……そこまで言うかよ」
「言うわよ。第一、鏡如きが私の姿を完璧に写し取ることなんて最初から出来やしないんだから、当然と言えば当然よね。カメラもおんなじ、ビデオもおんなじ、私の目がプカプカ浮けない限り、私は私を見ることができない。私だけが私を見ることができない……ふふふ、世界にこれ以上の不条理があるかしら?」
すっかり陶酔しているようだ。
だが尚も、退院してアジト入りしてから数日間、このような田北を何度も見ていたので今更顔をしかめるようなことはしなかった。
「だから、このお人形さんを私の代わりとして愛でてあげるの。でも所詮はこれも偽物……私に似せて作られた別物に過ぎないわ。つまり、この子のお洋服を整えてあげるのも、お風呂に入れてあげるのも、全部遊びなの……思い込みと錯覚を利用した、たきたっきー育成シミュレーションとでも言うのかしらね」
ほんとうに、自分のこととなると口が止まらなくなる奴だ、と尚は少々呆れ気味に思った。
「で、ミミが帰ってきたんでしょう?」
田北はさっきまでのうっとりした表情から一転、急に素面に戻った。
尚はその予想外の変わりように、うっかり足を滑らせた。膝がしらを打ち付け、慌てて屋根のてっぺんを掴んで持ち直す。なんで知ってるんだ――そう言いたげな目つきで、薄紫色の下に立つゴスロリ女を見上げた。
「あら、図星だったかしら? 私はあなたの顔に書いてある文字を読んだだけなのに」
「嘘だな。お前が人の顔をじろじろ観察するわけがない」
それを聞いて田北はクスリと微笑する。
「それこそ図星ね。……ええ、ただの勘よ。さすがのミミでも総力をあげたスタッフからこれ以上逃げ切れるとは思わないからね」田北の推測は外れていたが、わざわざ訂正しようとも思わなかった。
「グリアからも聞いたことがあったけど……その『スタッフ』とやらは何者なんだよ。何度か耳にはしたけど、俺は今まで一人も見たことがないぞ」
「あら? しばらく入院してたとき、お世話になったんじゃないの?」
「そういえば一人、俺の見張りだっていう看護師がいたっけな。『スタッフ』とは名乗らなかったし、特に情報は聞けなかったけど」
「ふーん。まあどうでもいいけど、ヒーローに見張りが一人だけってのはあり得ないわね」
尚が入院していたのは普通の人間も利用していたようだったが、まさか他の看護師の中にもそいつらが混じっていたというのか。
「奴らなら医者や職員どころか、患者やその家族、医療用品の営業マンまで、関わる人間すべてを演じきることも可能でしょうしね」
「うげ……マジかよ」
「私だって全貌は知らないわ。知るつもりもない。ただ……」
「ただ?」
「私が一人旅に出かける度に、あの人たちは邪魔してくるのよ。ああもう! うっとおしいったらありゃしないわ! 私を殺そうとするなら兎も角、ただ無理矢理捕まえるだけだなんて、こっちはフラストレーション溜まりまくるんだから!」
田北きいろは戦闘後の混乱に乗じて姿を消し、自殺名所へ旅行するのが趣味らしい――それだけではなく、そこで実際に飛び下りたり首を吊ったりするところまでが『趣味』に含まれているため、彼女の動向は厳重にチェックされているのだと、尚は聞いていた。
大量に人を殺してきた自殺名所も『田北きいろを殺しうるもの』の候補なのだとか。
「で、月弓が帰ってきたことは事実なんだが、今回は『スタッフ』とやらの仕事どうこうよりも、あいつが体験したことが重要事項で……まあ、そこも含めて一から報告するから大人しく聞いててくれ」
田北は返事をしなかった。尚は軽く一息吐いたあと、鳥海から筆談で聞いた話を一字一句そのままに語っていった。
そして鳥海が爬苦俚獅子郎という男と対峙した場面を話していた最中
「その男が、わんちゃんたちの親玉ってこと?」
「ん? ああ、月弓が聞いたところだとそうなるな。だけど信用できるかは疑問だね、こちらの目を欺くためのフェイクかもしれない」
「そんなの考えたって仕方ないでしょ。その男が今までのわんちゃんたちより強いってことが分かれば十分よ。――さ、早く詳しい場所を教えなさい。その島は北海道のどこにあるの?」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
屋根の端、苔蒸した雨樋の傍まで瓦を下っていく田北。
「何かしら? 他に言いたいことがあるの?」
「あるに決まってんだろ! 爬苦俚が人を襲う理由とか、月弓がどんな目に遭わされたかとか、他にも――」
「なァんだ……そんなの要らないわ」
期待外れだ、という目つきで田北はそう言った。その淡々とした口調に愕然とする尚。
「…………普通はさ、なんかこう、あるだろ? 人間として奴らは敵だとか、仲間を傷つけた奴は許せないとか、そういう動機があって初めて敵に立ち向かおうとする……ヒーローって普通そういうもんじゃないのか?」
震える声で、絞り出すように言った。答えは分かりきっていたのに。
それを聞いた田北は立ち止まり、昇る朝日を見ながら、またも平然とした返事する。
「私はただ、自分を殺せる奴がいるか知りたいだけよ。この世の果てから果てまで私の殻を破れるものがいるのか、それともいないのか。そうしてどこにもそいつがいないと証明されたなら、今度は私が私を全力で殺してみせる……この証明がなされて、初めて私は『攻め』にまわるつもりよ……」
田北は――きっともう何度も同じ台詞を心の中で宣言してきたのだろう――流れるような言い回しで語った。
「あくまで自分のため、か……」
「軽蔑したかしら? それでも私は一向に構わないけれど」
「いや、そんなことねえよ。誰だってみんな自分のために生きてんだからな――」
でも、と尚は続ける。田北の背中に向けて。
「でも……それだけじゃねえ人間もいるんだよな」
「ミミは昔からそうよ、あの子は他人のために生きられる。そういう生き方だけをしてきたの。だから私とは馬が全然合わなくってねェ……最後に話したのは何か月前かしら? 覚えてないわ。ま、それでも私は一向に構わないけれど」
その言い回し、ちょっと気に入ってんじゃねえよ……と尚は心の中でつっこんだ。
それから彼は田北の隣、雨樋の一歩手前まで慎重に降りていき、彼女の横顔を睨んだ。
そして歯を見せて
「勝負をしようぜ」
田北が不信感丸出しの目で見た。
「いきなり何? ホビー漫画の主人公じゃあるまいし」
「お前が勝ったら、犬捨島への行き方を事細かに教えてやろう」
「あのね……言ったでしょ? 私は私を殺せる奴がいるかどうか、そこにしか興味は湧かないの。場所なんてあなたから教えてもらわないでも、司令から聞けばいいことよ」
「じゃあもう一つおまけに、あんたのメリットを教えてやろう」
「……だから、私が欲しい物なんて何も――」
「お前を殺す」
風が吹く。
尚の人差指が田北の首元を狙って、爪先が白い肌に届くギリギリのところで浮いていた。
田北は気づく、無意識のうち、自分が太もものラジオペンチに手を伸ばしていることに。
(殺気に体が反応した、って言うの? こんな平たい、通常状態の肌にも傷一つ付けられやしない、他人の爪なんかに?)
「……ふ、ふふふふふ」
「どうだ? 悪くない条件だろ。あんたが勝てば、俺は残りの人生すべてを懸けてでも田北きいろの爪を破ってみせる。絶対にだ」
そんなことは無理だと、田北は知っていた。なぜなら尚の能力はパワーに卓越したタイプではない。敏捷性も赤香の『超スピード』には及ばず、防御性能は田北に、探知能力は鳥海に後れをとる。言うなれば彼は何でもできて何にもできない、そんな中途半端な力で、わんわん団の牙も弾きかえす田北の爪が破れるはずがないのである。
だが、彼女はあろうことか「ええ」と首を縦に振った。
「そう言ってくれて助かるぜ。じゃあ早速勝負の内容を……っとその前に」
「もう一人が勝ったとき、獲得するものを聞かせてもらわないとね」
尚は笑顔でうなずいた。
いつの間にか朝日はすっかり昇りきり、西の空から二人の横顔を照らしていた。
「ああ。俺が勝ったらそんときは――
第三話(前) 終




