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みぞおちヒーロー  作者: 藤本乗降
第三話(前) 豆どころじゃない柴犬
11/19

★★

       ★★


 一方、ポメラニアン戦後に行方をくらました月弓鳥海がどこへ向かったのか。

 それを語る前に、彼女が察知したものについて説明しよう。

 グリアが推測したように、変身中に意識を回復した鳥海は、キスされたことに対する精神的ショックで再び気絶するまでの十五秒ほどで、ミリ単位の『場所の予知』をやってのけた。しかも、これはほとんど無意識下で行われたことだった。わんわん団打倒の悲願と、常日頃からの『赤香の役に立ちたい』という強い思いが動揺の中でも果たすべき目的を果たさせたのだ。

 だが、予知したのは『次のわんわん団発生位置』だけではなかった。

 通常状態でも予知能力を発揮する『最強』のヒーローは図らずしも、重大極まりない『位置』を予知してしまったのだ。

 彼女が知ったもう一つの情報とは敵のアジト、もとい敵のボスの住処。

 今現在、もっとも多くのわんわん団の反応があり、ダックスフントもポメラニアンも(彼女は知らないが、九州に現れた三匹の柴犬も)比較にならないほどの存在がいる場所を感知してしまったのだ。


(でも、どうしてそれまでの覚醒では、ボスの場所が分からなかったんだろう……?)


 変身中に目が覚めたのは久しぶりだが、何も初めてのことじゃない。鳥海はそのことが気がかりだったが、考えても仕方ないと、疑問符を心の奥へ追いやった。

 そこへ一人で出向き、地形と敵戦力を調査して帰ること。それが鳥海の第一目標なのだから。

 この計画をアジトで下手に話しては赤香に聞かれてしまうかもしれない。そうすると彼女のことだ、きっと同行を申し出るだろう。

 今までずっと赤香に守られてきた(と思っている)鳥海にとって、それだけは是が非でも避けねばならないことだった。


(今度こそ、ササちゃんの役に立つんだ……。私にしかできないことで……!)



 そして現在。

 九州にて、尚が静養し、赤香と田北が来たるわんわん団を待ち構えているとき――

 鳥海は北海道西部にある船着場に立っていた。

 夏真っ盛りとはいえ北国だからか、ぶかぶかのウインドブレーカーを着用している。


「お嬢ちゃん……ホントに行く気なのかい?」


 ボートの脇に立つのは、五十代後半くらいの髭モジャの男だ。鳥海がコクンとうなずくと、彼の眉間に皺が寄せられる。


「あのなあ、さっき言ったように、あそこは『犬捨島いぬすてじま』って呼ばれてて、捨て犬が大量に住み着いてんだ。誰が最初に捨てたか知らんが、みんな凶暴で、見境なしに襲ってくる。市が動いて駆除活動をやったけども、気が付いたらまた住み着いててなあ。何度やっても犬たちは湧いてくるから、うちらも手を上げて、できるだけ近寄らんようにしてんのよ」


 髭モジャが横目で忌々しげに見つめる先には一つの島があった。拳大ほどに見える島は岩と緑に覆われ、これだけ離れていても人が住む場所ではないことが分かる。こころなしか、視界に映るどの漁船も島を避けて走っているように見える。


「お金なら……ある」


「そういう問題じゃねえんだがなァ……」髭モジャは困り顔で頭をポリポリと掻く。白くなり始めた毛の間からフケがこぼれた。


「おねがい……」


「うーむ……女の子に頭を下げられると弱いんだよなァ。だが俺も大人として――」


「どうしても駄目、なら……一人で行く」


 首を傾げるオヤジの前で、鳥海は船着場の先頭に立ち――まっすぐ伸ばした両手を頭の上で重ね合わせた。水泳の飛び込みのポーズ。


「ま、待て待て待て待て! 早まるなァ!」


「乗せて……くれるの?」


「ぐ…………ああ。おっさんの負けだ、連れてってやらァ! でも無理はすんじゃねえぞ! 危ない目にあったら船に戻るんだ、分かったな!?」


 鳥海は少し微笑んでからうなずいた。遠く離れた地で、赤香と田北が似たようなやり取りをしていることも知らず。

 そして十分後、エンジン付き小型ボートに乗り込んだ鳥海はふと昔のことを思い出していた。

 敵のアジトへ乗り込むにあたり、その緊張感が彼女に幻影を見せたのか。月弓鳥海は回想する。自分が何よりも役に立ちたいと願う、誰よりも生きていて欲しいと望む、笹呉赤香との出会いについて。


 ――――――――


 『やくたたず』『大トロ』『んーんー星人』

 小学三年生の鳥海を指す言葉は、主にその三つだった。『大トロ』というのは、動作が愚鈍な様子から、とろい、すごくトロい、大トロ、と変化させた名称だ。

 親友と呼べる友達も、昼休みに一緒に過ごす相手もいなかった。教師以外の人間に本名を呼ばれることなんて無く、その三つの名を彼女自身が認めるのに時間はかからなかった。


(そう、私は変な喋り方で、とろくて、『やくたたず』なんだ)


 このように、人との繋がりが希薄な鳥海でも同学年の笹呉赤香という名は知っていた。

 知っていたが、むしろ有名だったのは彼女を指すニックネームの方。

 『ヒーローバカ』

 上に『二組の』や『超』が付くケースも多かったが、とにかく赤香という名は知らずとも、そのニックネームを聞いたことのある生徒は大勢いた。

 休み時間になる度に男子の中に一人混じって、誰が何と言おうがヒーロー役を演じる女子。後に本物のヒーローとなる彼女の、暴走気味な『ヒーロー熱』はこの時点から健在であった。

 そして鳥海は、教室の窓からその勇姿を眺めながら(私とは正反対だなあ……)としばしば思っていた。

 女の子も男の子も、そして先生も自分を邪魔者扱いする。

 何とか話をしようと思っても、洋服やゲームをろくに持っていないので会話に入れない。加えて、何か言う度にからかわれる変な喋り方は、冗談の種にうってつけだった。


「ちゃんと日本語で喋ってみてよ、『んー』だけじゃ分かんないって! お前ほんとに日本人なのかよ、ハハハハ!」


 最初の方こそ先生や保護者に相談していたが、事態が好転しないことを悟ると、鳥海はその環境に適応しようと考えるようになった。そのうちに悪口に腹を立てることも、積極的に話すこともなくなり、必要なこと以外は口にしない習慣を身に付けた。

 そして五年生になり、鳥海は赤香と同じクラスになった。

 鳥海は『無口クイーン』という新たなニックネームを増やしていたが、赤香の方は『ヒーローバカ』のまま。彼女自身は何も変わらずヒーローに憧れていたが、変わったのは周りの方だった。

 いくら小学生といっても、五年生にもなれば大半がヒーローなんて卒業する。

 ごっこ遊びの時間は野球かサッカーに代わり、日曜朝はゆっくりと寝るようになる。

 ただ一人、変わらずヒーローを愛する赤香は取り残され、彼女もまた独りでいる割合が増えていたのだ。

 五年生になって初めての体育、余りもの同士でペアを組んだ鳥海と赤香は、そこで初めて言葉を交わす。


「あ……ごめ、ん」


 キャッチボールの途中、鳥海は明後日の方向にソフトボールを投げてしまった。ボールはグラウンドを跳ねながら、後者の裏の方へ転がっていった。


「おっと! 肩強いねアンタ。取ってくるから待っててー」


「い、いや、んーが行……」


「いいっていいって。これしきこと、ヒーローからすれば大したことじゃないよ!」


「あ……」


 赤香は駆け足で校舎裏まで走って行った。走る速さも、流れるように話すスピードも、どちらも鳥海が羨む要素だ。


「ダメだなあ……んー……」


 地面に転がる石ころに、誰にも聞かれない小ささで彼女は呟く。なんの変哲もない石ころなのに、それを眺めているだけで鳥海の心は穏やかになった。ちっぽけで、誰からも必要とされないところに、親近感を覚えたのかもしれない。

 だが、彼女の敏感な耳は聞きたくもない声もキャッチしてしまう。


「あいつ、またドジ踏んでやがる」「わざと遠くに投げたんじゃない? 捻じ曲がってるねェ」「同じチームになったらどうする?」「あきらめるに決まってんじゃん」「ありえねえよな」「謝りもしないとか、サイテーだよな」「サイテー」「サイテー」「ほんと、マジで気持ち悪い」

「役立たず」


 そのうち、どれが誰の言葉で、どの音が自分に向けられていて、それが本当に聞こえた声なのか、それとも自分の妄想なのかも分からなくなっていく。

 自分という殻を一歩でも抜けたら、すべてが自分の敵なのだ、と。

 クラスメートも、先生も、ボールを取りにいった赤香も、みんな自分を疎ましいと、役立たずだと思っているのだ、と。

 鳥海は自分でも知らぬうちに目を瞑っていた。こんな校庭の真ん中で、どうして目なんか瞑っているんだろう……これじゃ変な人みたいだ。そう思いながら、ゆっくりとまぶたを開いていく。


(きっと私みたいなのを、自意識過剰って言うんだなあ……)


 最近覚えたその言葉を呟いて、地面の小石に視線を戻した。

 そのとき、指先ほどの大きさの小石がパカッと割れた。割れ目からは真っ赤な舌と生々しい歯が覗き、鳥海に向かって大声で叫ぶ。


「ヤクタタズ!」


 次に、小さな砂粒一つが同じように口を開いた。

 それが閉じたり開いたりを繰り返して、同じ言葉を叫んでいく。数は一粒から二粒、二粒から四粒、四粒から八粒と増えていき、あっという間にグラウンドを真っ赤な口で覆い尽くす。ボールもクラスメートも校舎も消え、地平線の果てまで粘り気のある赤が広がっていく。

 砂粒たちは声をそろえて大合唱。


「ヤクタタズ! ヤクタタズ! 

 イナクナレ! ヤクタタズ!

 ドッカイケ! ヤクタタズ!

 キエチマエ! ヤクタタズ!

 シンジマエ! ヤクタタズ!

 ヤクタタズ! ヤクタタズ! ヤクタタズ! ヤクタタズ! ヤクタタズ!」


 陽気に歌う。テンポは徐々に上がり、楽しげになっていく。

 分かっている、これは幻影だ。月弓鳥海が受信する情報を、意地悪な脳みそが勝手に映像化した悪趣味な映画だ。

 嘲笑と呪詛の塊が四方から見上げている。どこからか手拍子が鳴り始める。


「ヤクタタズ! ヤクタタズ! ヤクタタズ! ヤクタタズ! ヤクタタズ!

 ヤクタタズ! ヤクタタズ! シンジマエ! シンジマエ! シンジマエ!

 シンジマエ! シンジマエ! シンジマエ! シンジマエ! シンジマエ! 

 シンジマエ! シンジマ――――」


 そのときだった。


「ぎゃッ!」


 と短い悲鳴が聞こえ、ソフトボールが何かにぶつかる音がした。


「『天にきらめく一番星が、悪をたおせとさけんでいる』ッ!」


 全力投球したままのポーズで、笹呉赤香は怒気を奮わせ、叫んだ。

 見ると、鳥海の視界から歌う砂粒や石ころは消えていて、それとは別に頭を押さえてうずくまる女子生徒の姿が見えた。鳥海はそこでようやく事態を把握した。

「悪とか、大げさな……」「やっぱ頭オカシイよあいつ……」と言った声があちこちから上がる。

 それらが聞こえているはずなのに、赤香は堂々と立ったまま女子生徒の方を見下ろしていた。


「な、なにさ……」


 しばらくその顔を睨んだまま、赤香の手がわなわなと震える。そして息を吸って、何かを言おうとしたとき――

 それより早く、鳥海は彼女の手を掴んでいた。

 クラスの誰もが注目する中、わけもわからず鳥海は赤香を連れて走った。先ほどボールを投げてしまった校舎裏に入り、下を向いたままとにかく走った! 校門を抜けて、体操服のまま、どうしてこんな真似をしているのかも知らずに、住宅街と田んぼを尻目に、道に沿って、息が切れるのも忘れながら、とにかく学校から離れようと、もし可能なら世界の果ての果てまで逃げてしまおうと――


「ストップ!」


 どれくらいの時間走ったかは分からない。ただ、知らぬ間に空はオレンジ色に染まり、電柱でカラスが鳴いていた。

 前髪の先からしずくが落ち、その先を電車が通り抜けた。

 その轟音が遠くへ去ると、カンカンカン、と踏切が上がる。

 鳥海が振り向くと、髪が顔に貼りついて妖怪みたいになった赤香の顔があった。


「…………っぷ」「…………っく」


 黄昏時の踏切前。二人とも、冬でもないのに白い息を吐いていた。

 呼吸を落ち着かせてから、鳥海は質問した。


「……なんで、したの? ……あんなこと」


「そりゃあアタシ、ヒーローだからさ。あそこで何もしないなんて、どだいムリな話なんだよ」


「そんなの……んーも、されるかも、しれないのに……」


「アタシが? あんなくっだらない、センスゼロな悪口を言われる? それくらい別に構わないよ。誰に何て言われたって、それで苦しんだからって、ヒーローはヒーローのままだもん」


「ひとり、なのに……?」


「アタシにはレッドがいるし!」


 赤香は胸を張って、鼻の穴を大きくした。口元は笑っていたが、後に『超感覚』を得ることになる鳥海の目には、彼女の瞳に孤独の色があるのを見逃しはしなかった。


「でも今回はメーワクかけちゃったね……ごめんなさい」


 鳥海が自分の目を覗きこんでいることに気づいたのか、赤香はそう言って頭を下げた。

 そのとき以来、鳥海は誓ったのだ。

 ――この子を一人にはさせない。

 どんな力を手にしても、どんなにみんなから嫌われても、この子を一人にしたらダメだ。

 それが『役立たず』の私にできること。そんなことしかできないけど、私にできる精一杯のことは、それしかないから……。


 ――――――――


 波間のボートは、おっかなびっくりするような調子で、じわじわと島との距離を詰めていく。

 ウインドブレーカーはバサバサとはためいている。


(私の力が、人に迷惑をかけるなら……)


 鳥海の脳裏にアジトへ運ばれる尚の映像が流れた。いつだったかわんわん団討伐の帰り、涙目で微笑む、傷だらけの赤香が浮かんだ。


(私はあんな力に頼らずに、私にしかできないことをするんだ)



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