魔法少女 4
濃紺の幕が空を覆い尽くし、風は夜の匂いを運び吹き付けていた。
町の灯りを頼りに家路についた真那は、いつからか、どこか不穏な空気を感じ始めていた。
たとえるなら、なにか嫌なものに追われているような、そんな感覚。
ねっとりと纏わりつくような不安感に身震いしながら小路に入ると、突如、耳鳴りと共に前後不覚に陥った。
揺れる足元。じくりと痛む頭。けたたましく止まない耳鳴り。このまま続けばいずれ立っていられなくなるというところで唐突にその感覚が途切れた。
訪れもいきなりなら、止む時もいきなりだった。訝しく思いながらも、気を取り直して家路を急ごうと顔を上げた真那の目に、信じなられない光景が飛び込む。
『ゲ……ゲゲ……ァァア』
あまりにも不穏な――表現するなら瘴気という言葉がぴったりなほど――紫煙を口と思しき穴から噴き出し、同じ穴からは不快な音を漏らし、ずるずると鈍い音をたてて這いずる謎の巨体。
頭部は心底から恐怖を掻き立てるような形状をし、腕や足の代わりに風に揺らめく触手が異質さを際立てている。
一目でわかる、その異形はまさしく怪物というに相応しい。
そんな怪物が、数十メートル先からこちらへ向かっている。
真那の脳裏を雑多な思考が埋め尽くす。
――なんだろう、あの奇妙極まりない物体は?
――生物、なのだろうか? 地球外生命体?
――僕はこのままここに立っていたら……食べられる?
――逃げるべきだろうか。小路をこのまま戻るか?
――写真くらいは撮っておこうかな……?
いきなりのことで混乱した頭から、ある光景が温度を奪っていく。
ネコだろうか。愛らしい毛むくじゃらの動物。今はおぞましい嘆きの断末魔をあげて、咀嚼されていく。
血が噴き出し、痛みを訴え……しかし異形の怪物は意にも介さず、ゆるやかに動き続ける。
全身が冷たく、まるで金縛りにあったかのように自由を失う。
動かなければ、数秒後にはあのネコのように、今度は真那が食われてしまうというのに。
恐怖。その感情が真那をその場に縫い付け、固まらせてしまう。
気付けば距離は半分程埋まり、真那の耳には金切音のような不快な咆哮がはっきりと聞き取れるようにまでなっていた。
『ゲアァァァァァァアアアアアアア――――――――アッ!!』
吹き付ける生ぬるい風。腐臭漂う息が届く距離まで来ても、依然として身体は動かない。
ただ、身体の芯が熱くなるのを感じ、これが未知を、死を前にした恐怖なのかと目を閉じた、瞬間。
甘く、どこか覚えのある匂いが夜風に乗って真那に届く。
恐る恐る目を開けると、そこには神秘的な光景が広がっていた。
幻想的なまでに少女趣味なコスチュームに身を包んだ、真那と同じ年頃の少女。
その手に握られた大振りな剣は、鈍く紅蓮に輝き、うっすらと陽炎を纏っているようにすら見える。
少女は毅然とその手の剣を怪物めがけて突き立てると、剣からたちまちに炎が上がり、怪物が苦しげにうめく。
その隙にも、少女は次から次に斬りつけ、斬撃の数と比例して剣の輝きがより鮮やかに、より激しく増していく。
マグマのように、なにもかもを溶かしてしまいそうなほど鮮烈な光を放った、その瞬間の一振り。
刀身がにわかに燃え上がり、怪物の全身を、傷口から蝕むように燃やしていく。激しい炎は火柱となって、怪物の苦悶の叫びと共に夜空に舞い上がり、火の粉を撒き散らす。
最後に一際猛ると、炎は嘘のように静かに収まり、後には怪物の姿形も残さずに燃やし尽くしてしまった。
一連の出来事を、まるでスクリーン越しのことのように見て固まっていた真那は、ようやくあることに気が付いた。
真っ赤に滾った剣を瀟洒な鞘に納め、踵を返した少女。前髪をピンで留めていて、眼鏡もかけていないが――
「帚木……さん……?」
帚木こころ。いつもは野暮ったい眼鏡や長い前髪に隠れ、運動オンチで、コミュニケーション不全を患っている、真那のクラスメート。
地味で、おとなしげで、病弱気味で、見ているものの庇護欲をかきたてるような少女だったはずの彼女は、
夜風に茶がかった黒髪をなびかせ、蠱惑的なメルヘンコスチュームを着こなし、いつもと違ってはっきりと表情を覗かせて。
「え……みな、もと……くん?」
物騒な剣を慎ましやかな胸に抱いて、そこにいた。