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赤の聖騎士  作者: ミロ
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異世界に飛ばされたTS聖女父の日常業務

 ディアーナに先人から引き継がれた知識は膨大である。そして、膨大な知識が瞬時に焼き付けられたような状態であるから、全て自分の経験と結びついていないのである。故に、後天的に蓄積された知識は、引き出すのにワンクッション挟むような感覚がある。脳内にある辞書にアクセスする感覚……と言ってもよくわからないであろうが。

 咄嗟の判断の拠り所がこのようなアクセスに数瞬かかるようでは、戦闘中に於いては致命的であろうが、書類仕事に於いては実に有用なツールとして働くのである。そして現在、ディアーナはその書類に書かれている決裁書に目を通しながら唸っているところである。ディアーナが幸次と名乗っていたころの仕事内容とさして変わらない業務内容である。決裁内容は魔獣討伐隊結成の許可など、サインの重みは随分増してしまったのだが。

 判断するための知識は山のようにあれど、ロジックは中間管理職時代の経験を辿らなくてはならず、異世界でも胃を悪くする日が近いのかもしれないと、少し落ち込むディアーナだ。



 フィアーセは軍隊を持っている。各国からの寄進とこの教団独自の戦闘技術、それに魔術を組み合わせた戦闘力は、大陸東部随一である。戦闘能力を支える者は、通常の格闘術に魔術を加えたもので、ただでさえ少ない魔術師と相まって、フィアーセにのみ実現できる戦闘集団だ。

 とはいえ、アラフィフであったディアーナの中の人であるところの幸次は、その戦闘集団の親のようなものである。彼らの命が損なわれることの無いように、細心の注意を払うことになる。


 午前中の執務室。聖騎士が1人だけ詰めている他は、誰も居ない室内でむむむと唸るディアーナ。魔獣討伐隊の勝利条件に無理はないのか、補給計画はしっかりしているか。を行ったり来たり資料をめくる。ここまで悩む義理などこの世界には無いのであるが、そこはそれ、いい奴もいれは悪いのもいるだろうし、帰るまでの居場所も確保しといて損はないであろうし。と、自分に言い聞かせながら仕事をこなしていく。今読んでいる申請は、騎士200人、魔術師50人ほどの派遣である。これは従騎士や従者を抜いた数であるので、実際にはこの5倍ほどの人数が動くことになる。1000人。1000人を飢えさせないようになっているか、無駄に兵を損なうことなく帰せるか。などなど。多くは軍部の精査を通してあるので、つっこむところなど無いようではあるが、最後にサインをする立場であれば、あまり手を抜くわけにもいかないのである。

「ま、いいだろうな。承認承認っと」

 サラサラとサインをしていると(真似できないようにわざとクセを付けたりするのが面倒だ)、ちらりと横目で見たディアーナ付きの聖騎士が「あー」と声をあげた。

「ん? なんか拙いところでもあった?」

 緑の軍衣(聖騎士は原則ディアーナが選任する騎士であり、軍衣もディアーナがデザインしたものだ。多分に幸次の趣味が入り込んでいる)を纏った聖騎士が渋い顔で指摘する。

「それ……古い書式ですね……運営とか受理してくれるかな」

 うへぇ、という感情を隠そうともせずに苦い顔をしたディアーナは、「そこまでお役所仕事じゃないだろう……サロ、ちょっとお使い」と、書類を手渡す。

「運営に確認してきてくれる? 駄目だったら差し戻さないとだから」


 サロと呼ばれた聖騎士は、ピシリと騎士の礼を取り「いってきまーす」と一転、だるそうに出ていった。

 サロ・リージ。大陸東部の内陸部にあるヴラヤーナの第三王子でもある。肩まで伸びた癖のある茶色い髪を後ろで束ねた優男だ。聖騎士の候補に上がるだけあって、どの武器もそつなくこなす。中でもレイピアの使い手としては、随一の強さを誇るという。宮殿や聖堂での活動が多いディアーナとしては、室内で対応できる人材として選んだのである。聖騎士になる前は、王族でもある彼の名前はサロ・ウルサリージ・ヴラヤーナという国を表す姓であったが、フィアーセに所属する時点で名を捨てているのである。国に帰ればそれなりの特権はあるのであろうが、ディアーナの名代として活動することも多い聖騎士は、基本的には中立だ。この立場を明確にするために、国を示す姓は名乗ることを制限しているというわけだ。







 ディアーナの執務は続く。フィアーセは基本的には平和を尊び正義を守る集団だ。布教内容にもそんな感じの事が盛り込まれる。ただし、それはフィアーセが最大限活動できる状態に於いては、である。活動が脅かされる事象に対しては、意外と容赦なく断罪するのがこの組織のスタンスらしい。

 先日も教圏内の国を併合し、強大な力を持ちつつあった国の宰相を「君側の奸を討つ」などと色々と強引にこじつけて処刑してしまった。代わりにフィアーセから一時的に騎士と魔術師を派遣し、さらにディアーナが直々に国王への祝福を与えるなどの、いささか苦いアメを撒いたのである。あの時の屈辱に濡れた国王の顔はちょっと忘れられない。もっともフィアーセのお偉方は「神の慈悲を施したのだ」とか物凄いことをのたまっていたが。こいつら良い死に方しないだろうな、と思う。もちろん自分も含めて、かもしれないが。


 そのようなシュートな申請は、滅多にない。そんなにあったら大変である。

 訪問依頼や、会食の申請などにサラサラサインをしていく。申請時に予定の調整は大体終わっているので、ダブルブッキングの心配はほぼない。


「うーーーーー」


 椅子から立ち上がって、思いっきり伸びをする。書類仕事がひと段落したのである。お茶が飲みたいな、と喉の渇きを覚えていたところ、コンコン、と執務室のドアがノックされる。


「入ってます!」

「はいはい」


 と軽いボケを受け流しながら入ってきたのは、桜色の艶やかな軍衣を纏った女性の騎士だ。


「あ、サクラ、お茶欲しいんだけど」

「お待ちを。いつものバスティーラ葉ね」

「お願い」


 サクラと呼ばれた女性、ララ・ウェラーもまた聖騎士である。ディアーナが四六時中一緒にいる聖騎士が男性ばかりになることを危惧して選ばれた紅一点。ディアーナ(幸次)のいささかステレオタイプな知識から軍衣の色は桜色である。フィアーセの騎士をコツコツと勤めていたところ、たまたま演習を覗き見ていたディアーナに誘われる形で、聖騎士となった。女性としては大柄な170cmを僅かに超える長身と、それに見合った胸は動きにくいと、本人は若干鬱陶しく思っている。ディアーナとはよく一緒に入浴する仲で、そのたびに鼻の下を伸ばしている聖女の視線には気が付いているが、その視線の意味するところまではまだ気が付いていない。

 サクラという名前は、ディアーナが付けた呼び名だ。由来がこの世界には無い花を指すと聞き、本人もいたく気に入った様子で、本名にもこの名を入れようと考えているくらいだ。もっとも、この教会では改名も申請しないといけないので、若干億劫ではある。



「はい、どうぞ」


「ああ、ありがとう」


 執務室の休憩用に使用している(本来は来客用なのだが)ソファに座り込み、カップから立ち昇るマスカットのような香りを楽しむ。小さな羊羹のような茶菓子も添えてくれるところが、よく気が付く女性であることを窺わせる。そのような教育を受けたのかもしれないが。

 その茶菓子を頬張り、見た目の芋羊羹のような見た目に反して、ベリーの甘酸っぱい味に目を白黒させていると、サクラが口を開いた。


「御休憩中のところ恐縮ですが」

 と、全然恐縮じゃなさそうな顔で話しかけてくる。ふわりと微笑を湛えた顔は肩口までのショートカットと良く似合うと思う。ディアーナの中の幸次の部分がドキリと反応する。


「全然恐縮してないでしょ」


 と軽く睨むと、「ごめんね」と困ったように笑う。この時点で、幸次の部分は全面的に降伏である。そして幸福である。なので、続きを促す。


「午後の巡礼者との礼拝ですが、最近フィアーセの教圏に入った国からの巡礼者がいらっしゃいます」

「ふむ……」

「最近と言っても、数年は経過しているのですが、いまだに土着の宗教を信奉している方々も多いとのことで、現地では小競り合いもあるとか」

「布教が強引なのでは」

「はい、去年くらいまでは、司祭が少々強引に事を進めていたようです。人員交替で、そのようなことは無くなったのですが、まだその時の記憶が人々に残っているようです」

「うん、そうだろうね」

「それで、礼拝中にディアーナさまに害する方が現れるのではないかと、危惧する声があるようです。わたしも耳にすることがありました」

「なるほど。心配してくれる人がいるのか。まさか中止するわけにもいかないし、警備でも増やそうか」

 サクラは小さく頷き、「それがいいと思います。お側には私も付きますし、大丈夫だと思いますけど」

「そうだな」


では、手配してきます。とサクラは執務室のドアから出ていく。





「そろそろ昼か……それまで寝ようかなーっと」


 コンコンとドアが鳴った。


「仕事以外なら入っていいですよ」


 のそりと巨漢の騎士が入ってきた。今度は黄色い軍衣だ。

「お嬢、執務室なんだから、仕事は入ってくるだろそりゃ」

「あ、なんだエステヴァンか。また遊びに来たの?」

「ああ、もうすぐ昼だしな。エマさんに昼飯持たされてきた」

 と、バスケットを掲げた男はエスティヴァン・ボイーア。聖騎士だ。190cmオーバーの巨漢から繰り出すハンマーは、「暴風」と呼ばれ戦場で恐怖を体現する。さらに魔術の使い手でもあり、身体強化した体から放り出されるハンマーは、ロケット砲のような破壊力を齎す。今、目の前にいる男は、坊主頭につぶらな瞳で、侍女に使われるような気の優しい男だが。ちなみに、体格が良く軍衣が黄色ではあるのだが、無類のカレー好き、というわけではない。この世界にはカレーが無いのだ。そして聖騎士にはノックの返事を無視するような習慣はない。


「ああ、ちょっとまってくれお嬢、昼飯はちょっとお預けだった」


 いそいそとテーブルに置かれたバスケットに伸ばした手を止めるディアーナ。「何?」と首を傾げるディアーナに書類が差し出される。


「いや、さっき、サロにばったり会ってな。これを渡すように言われたんだよな。自分で渡せばいいのに、渡したら怒り出すとかなんとか」


 受け取った書類に目を通すディアーナ。


「そんなもん、ちゃちゃっとやっちまうからな! うちのお嬢は、そんなちっちぇぇことじゃ怒るわけがねぇな!」


 ガッハッハッとディアーナの肩を叩くエスティヴァン。


 ディアーナの手には、先ほど処理した魔獣討伐隊派遣申請書である。先ほどの物とはフォーマット違いである。

「……なんというお役所仕事」


 ちらちらと書かれている内容を確認しつつ、うんざりしたように呟いた。






 さらさらとサインをしている執務机の向こうでは、カチャカチャと休憩用テーブルに昼食をセッティングしているエスティヴァン。意外と細やかな手つきで茶を淹れ、昼食の料理を並べていく。軽いカナッペのようなものや、クレープのようなものに包まれた野菜などだ。


「あー、疲れた。エスティヴァンも食べよう」

「ああ、お、この上に載ってるの、川鯨の燻製だな。お嬢も食え食え」


 勧められるままに、カナッペのようなものを口に入れる。以外にもクニャッとした土台にチーズと燻製の塩気が口の中に広がる。


「あ、チーズと燻製の間にジャムが入ってるのか。これはうまいな」


 食べているディアーナが顔を綻ばす様子につられてエスティヴァンもニカッと笑う。


「だろう! このチーズはうちの実家から送ってもらったんだ。ケンタウロスの乳で作ってあるんだ」


「ち、乳! ケ、ケンタウロス!?」


 ケンタウロスの。上半身からだろうか、下半身の馬の部分だろうか。どうやって搾乳するのだろうか……



 異世界料理、驚きは尽きない。

 


2014.9.30 誤変換があったので修正しました

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