閑話・異世界飯初体験
「……」
ディアーナはテーブル上の皿を見ながら、冷や汗を流している。
「教会」の晩餐。目覚めたディアーナ(幸次)は、空腹を覚えて、傍らに佇む矢鱈と胸が大きい侍女にそれを訴えた。この侍女は入浴の世話にもなっており、その大きさには元の世界に残してきている妻のことを一瞬忘れさせ、鼻の下を伸ばすことになってしまうほどであった。ただ、残念ながら、ディアーナも関心が無かったのか心の余裕がなかったのか、名前を憶えていないのであった。記憶を探っても名前は引き出せなかった。後でそれとなく聞いてみようと思う。
「もうすぐ晩餐の時間です。軽食ならご用意できますが、もう少々お待ちになっては」
(……ふむ。腹は減っているが、初の異世界飯だ。ここは我慢しとくか)そう考えると、唐突に始まった異世界生活も少しばかり楽しみになってきた。
「あ、もうすぐそんな時間なのか、ね。お腹が空いているせいか、今日は楽しみです。わ」
使い慣れない女性の言い回しを、侍女は訝しげに聞いたが、聖女の言っている言葉の内容に驚いた。
「まあ、いつも大勢に囲まれてお食事をとっている聖女様はいつもお辛そうでしたのに……少しはここの生活もなじんでこられましたか……?」
(ん。大勢とな。宴会みたいなものか?)
「高位司祭様や、各国の総代の皆さまや教会僧侶の皆さまが列席される会食ですもの。少々ご苦労されると思いましたが……良かったです」
と微笑む侍女の顔を見て、ディアーナは慄いた。
(うわっ……っと、記憶を探ればいいのか……げっ! 昼食もかよ!)
きゅーっと、胃が収縮するのを自覚しながらディアーナはため息をついた。
「ディアーナ・ローゼ・ファウリス・フィアーナ様!」
と声が響くと、目の前の豪奢で矢鱈大きい両開きのドアが開いた。
ディアーナは眼前に広がった光景を見て、思わず半歩後ずさった。
上座と思われる一段高い席には、10人ほどの僧服を着た年をそれなりにとった僧侶たち。恐らく、彼らが高位司祭なのであろう。そして、一段低い席には100人ほどの人々。各国、各町、各村の総代達や領主、貴族っぽい出で立ちの者もいる。半数ほどは、僧服を着ていることから、同じく各町からの僧侶なのであろう。
彼らがこちらを向いて頭を下げている。
(ひぇぇぇ~~)
頭の中の記憶を頼りに、席の前に立つ。ここでは椅子ではなく、大きなクッションのようなものが使われている。この、教会内部では、このようなクッションに体を預けて食事をするのが普通なのである。
席に立つと、鐘が鳴らされる。ディアーナは頬に汗がつたわせつつ、腹に力を入れた。
長々とした聖句の独唱である。正直なんの罰ゲームかと思う。
自分が一節歌い上げると、後から会場の人々がようやく頭をあげ、ディアーナに合わせて揃って歌い始める。
一通り、聖句を歌にのせて暗唱すると、こんどは右端の高位司祭が長々と挨拶する。
もう、空腹で倒れそうだ。
最後にもう一度、ディアーナが短い聖句を唱えてクッションに着席すると(思ったよりもふわっとしていて、でんぐりかえりそうになった)、両手を上げて全員に着席を促す。
もう、いただきます。とか言ってどんぶり飯かきこみたい。
チンチンと、左隅に座る司祭が小さなベルを鳴らす。
すると、下座に座る人のうち一人が立ち上がる。
(え……ウソ)
あろうことか、ここから数人の長話を聞かせられる羽目になった。
もうだめ。ごはんください。もうあれだ。中年虐待だ。
と意識も朦朧としてくる中、発泡性の飲物と前菜(?)のようなものが出された。
「!!!!……」
(きたぁぁぁぁぁ!!!)
「うっっっ」
危うく手づかみで食べるところだったが、どうにか抑えつつ聖句を唱える。
続いて会場内の全員が唱和し、食事が開始された。
(……くそ。食器の使い方が……このトングを使うのか)
トングの先がフォークになっている食器を使い、もたもたとテリーヌのようなナニカを口に運ぶディアーナ。
「!!!!」
(なんか知らんが、甘酸っぱい!!! 前菜? こういうのが前菜なの? 初っ端から血糖値上げてくるのか?)
レバーのテリーヌのような舌触りとは裏腹に、甘酸っぱいケーキのような味わいに動転するディアーナ。というか幸次。
(あ……もう無い……これで終わりだったら暴れるぞ)
ん? と気が付く。食べる前より、胃がすっきりしている気がする。というか、空腹感が増したというべきか。
(え? ええええ? これでちゃんと前菜してたのかよ! どうなってんだ。こっちの食材は!)
「……てか、これなに……」
聞き咎めた右隣の老人が、答える。
「これは、シュルギールのシャワ蒸しでございますよ。聖女様」
「ん? あ、はい。ありがとう」
と、愛想笑いを返すが、(全然わからん。海のものなのか山のものなのか)と首をひねるのであった。
サラダがきた。
(よかった……なんの葉っぱか知らんが、緑だ。青とかだったらどうしようかと思った。食うけど)
食べ進む。謎葉っぱはシャキシャキと歯触り良く、キュウリのような何かも瑞々しい。
光合成する植物が緑なのは、赤と青の光を吸収するかららしい。残った緑は反射するので、緑に見えるとかなんとか。
……と油断したところで青が現れた。サラダの小さいボウルに残ったトマトっぽい果実。
蛍光色っぽい青。
(……ここで出やがったか! 食えるんだろうなこれ)
ちらちらと、周りを見る。見れば、トングを器用に使って青いアレも食べているようだ。
(……よし)
むんず。とソレを掴み上げ、口の中に放り込む。
モグモグと咀嚼したところで、その味が口内で炸裂した。
(にににに苦い! そしてしょっぱい!!! にがじょっばい!!! ぐえぇぇぇ!!! 美衣! 幸太! お父さんは異世界で苦労の連続だよ! 一皿単位で苦労してるよ!)
目に涙を浮かべ、目の前の飲物を一口飲む。
(ありゃ?)
最初に飲んだ時は、何の変哲もないレモン水で割った果実酒だったはずだが……
(あれ、うまい……この変トマトのせいか?)
とまたきょろきょろしてみると、トマトを口に含んでこの飲物をのんでいるようだ。
(ほうほう……ほうほう!)
合わせ技で楽しむ仕組みになっていたようだ。
続いてこれまた謎の野菜が入ったスープ。それとパン? のようなクラッカーのようなもの。
レンゲのようなスプーンですくいあげて、一口。
(……脂っこい……中性脂肪的な心配が)
ちらりと、クラッカーを見る。
(ははーん。これだな。また合わせ技だ)
と、クラッカーを口に運ぶ。
(うおおお!!! 渋い! なにこれ激渋い! こんなの子供の頃に食べた渋柿以来だぞ!)
ここでスープを口に運ぶ。
「……!」
たちまち口の中の渋みが消え失せ、コクのあるスープの味わいが口いっぱいに広がる。
(すげぇ……異世界飯は食べ合わせで勝負なのか。これはメインとか楽しみだ……ってメインとかあるんだよな?)
チンチンチン。と、またベルが鳴る。全員立ち上がる。
(おいおい……もう終わりなの? まだよね? こちとらピチピチボディの持ち主なんだよ! 元々お腹がピチピチだったし、今は全体的にピチピチだろうが! もっと栄養よこせよ!)
と、絶望的な表情をどうにか押し隠し、上座の連中についていくと、もう一階上がったステージ(?)のようなところに、同じような席があり、そこに座るようである。よく見ると、背後に大きなオーブンがある。
……人が入れそうだ。
(なーんてね……なんてね?)
若干慄きながら背後のオーブンを見る。香ばしい匂いが漂ってくる。
再度、ベルが鳴り、それを合図に挨拶が始まる。
今回は全員着席の上、口直しが出される。出されたのだが。
(……虫?)
色は赤く、カニかエビのような色合いだ。だが、その形状。
(……G?)
まさしくその形状、長い触角はアレだ。しかも大きい。
おどおどと、周囲を見渡す。腹の部分をぺろりと食べるようだ。
(……くそっ! いちいち一皿ごとに動揺してたまるかよぉぉぉ!)
動揺しているのであるが。
意を決して口に入れてみれば、濃厚なカニミソのような旨みが口の中に広がる。
(……これも美味いっていうね)
自然と笑みが浮かぶ。
スピーチが終わり、背後のオーブンが開く。
調理人が高らかに紹介する。
「本日の主菜。ナーガの香草焼き、血とプレモのソースでございます」
幸次の口からGの殻が零れ落ちた。
(蛇じゃん)
取り分けられたソレを眺める。
(まあ、普通だな。血のソースもよく考えればあっちの世界でも食った気がするし。よし、いけるいける!)
と自分を励まし、口に入れる。このメインについては、使い慣れたナイフとフォークっぽい食器である。
「!!!おいしい!」
思わず口をついて出たが、気にせず食べ進める。
(なるほど、これ……ウナギだ! でかいから、真ん中あたりは蒸されてフワフワなんだ。これはいける)
気が付くと、隣で同様に食事をとっていた司祭がディアーナを見て微笑んでいた。
同様に、全面に居並んだ僧侶や総代達も目を丸くして、あるいは喜色を浮かべながらディアーナを見ていた。
(おおう)と精神的にのけぞり、「なに? どうしたの?」と聞いてみれば……
「皆、ディアーナ様がお笑いになるのを見るのは初めてなのですよ。そんなに美味しそうに食事を召し上がられるのも我々は初めて見たもので」
ディアーナはちょっとはしゃぎすぎたかと、頭を掻いた。
結局食事が終わるころには三時間ほど経過していた。
2014.9.30 誤字修正と、字下げを行いました