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異世界に行ってきたts父の日常( http://ncode.syosetu.com/n9489ca/ )と関連するお話です。なんか今更ですが。
早朝、いつもと変わらない食卓。母、アンナと弟、タルヴォと3人でテーブルを囲んでいる。銀細工職人である父ウーノは、夜が明けぬうちから出かけている。細かな細工を行う職人は、日が出ている間に作業をしてしまわなくてはならないからだ。この世界には明かりを灯す魔術はあるが、魔術師の絶対数が少なすぎるのだ。庶民で使えるのは殆どいない。この村でも、教会に1人だけ治癒術を使う聖職者が居るのみである。
アンナは火にかけていた鍋から木の皿にスープをよそいながら、ラルスに問う。
「今度はどこまでなんだい? 」
「フィンクスの辺りらしいな。ま、3、4日で帰るよ」
アンナは心配そうな目で息子を見つめる。このたびの招集は、港町であるフィンクスとラルス一家が住んでいるハル村の、ちょうど中間付近に出没しているオーガの駆除。大きいと4m近くになる巨大な魔族。巨体から繰り出す素手の一撃は、戦士が持つハンマーの一撃に等しいと言われている。ラルスはそのような怪物と戦うのである。心配もするであろう。オーガが村とフィンクスの間に居座られると、当然物資の流通が滞ることになる。村にとっても死活問題になるのだ。
「今回は傭兵にマルコも派遣されるらしいからな。大丈夫だろ」
マルコは兵団所属の数少ない魔術師の一人である。傭兵団に所属する魔術師は、主に身体を強化する術を得意としている。攻撃するための魔術はコストが高く使いにくい。その点、身体強化であればコストが低い。兵士にかけてその力を持って敵を殲滅することが可能だ。被術者の戦闘能力が強いと、その分だけ身体強化にかけるコストが下がり、効果が上がる。
首都の本部から派遣されるマルコも身体強化の術で、仲間のサポートを行うのが主な役割だ。ハル村の兵団支部には一人も魔術師がいない。
弟のタルヴォは、固いパンをちぎりながらラルスに話しかける。
「兄ぃは、もうすぐ従士の 試験じゃなかった? 大丈夫なの? 」
「んー、まだ3月は先だよ。そんなに大きな怪我はしないさ」
バスティーラで騎士を目指しているラルスは、今度の従士試験を受けようと思っている。フィアーセ兵士の試験で一度挫折しているが、力を発揮すると今度の試験は間違いなく合格するだろうと思う。その為に修練を積み、兵団でも一目置かれる存在になった。もうすぐ20になる。そろそろ平民で騎士を目指すには、遅い部類になりつつある。次こそは……の思いは強いのだ。
「おっと、そろそろ集合の時間かな」
ラルスはそう言って、スープを喉に流し込む。
荷物を背負い、外套を羽織り、剣をとる。
剣は4年前から使っている片手剣だ。騎士は馬上では片手剣や槍を好んで使う。両手がふさがる大きな剣は、持ち運びと取扱いが非常に難しい。それでも両手剣を扱う者は、持ち運び専用の従者を使う。
最終的には、騎士になることを夢見る青年は、片手剣を使うようにしている。
「んじゃ行ってくる」
「気を付けて行ってくるんだよ」
アンナは家の外まで見送りだ。
「ああ……母さんも留守よろしくな」
なんとなく外まで見送られるのが気恥ずかしいラルスは、照れたように笑いながら手を振る。
湿った空気と、低く垂れこめた灰色の空。
「雨の臭いがするなぁ」
ラルスは門に向って歩き出す。
まだ商店が開くには早い時間。人気もまばらな道を歩く。風の音とジャリ、ジャリと自身の足音だけが響く。
今回の仕事は、ラルスがこれまで磨き上げてきた武技を発揮するいい機会だ。武技を以って自分の大切なものを脅かす者を制す。騎士になればその手がさらに伸びるのだ。自然と体に力が入る。最も、これから騎士などという宮仕えが務まるのかどうか、若干の不安はあるのだが。
「おう! ラルス気合入ってるな! 」
馴染みの声。この村で共に育った傭兵仲間、カリだ。隣には、ローブ姿の男。
「おう、おはよう。マルコも久しぶりだな」
「ああ、こっちに回してくれるように団長に直訴してきたからな。やっとまた一緒に仕事できるなあ」
と笑った。魔術師は多くが自分の他人には無い力に驕り、術に磨きをかけるため、内向きで傲慢な性格になるのだが、魔術を道具の一つとしてしか見ないマルコは、人当たりの良さもあり、兵団では便利に使われることが多い。
ラルスとの波長が合うこともあって、ラルスが駆け出しの時からよく一緒に仕事をしていたので、今回のオーガ退治に志願したというわけだ。
「全員、揃ったか」
ラルスたちが村の入口まで歩いたとき、ラルスたちの前方で腕組みをしていた男が口を開いた。
「はい、マルコ、カリ、ラルスです。コスティ隊長」
コスティと呼ばれた男は、頷いて両隣にいる男に目線を送る。
「今回はニクとペッカを合わせて6人での仕事だ。全員顔は分かっているだろ。よろしく頼む」
全員が頷く。「今回は2体のオーガだ。番である可能性もあるので、マルコの助力を得ることにした。期待してるぞ魔術師。それとベテランであるニクにも出てきてもらっている。そろそろガタが来てもおかしくないのに悪いな」
「お任せを」 マルコは笑って返事をする。
「ぬかせ。まだ動けるわ。剣もまだまだいけるさ。若造共」 苦笑しつつ、背中の大剣を示してニクが応じる。
コスティはニヤリと笑みを浮かべて、全員に声を掛ける。
「ラバに荷物を積んだら出発だ。準備しろ」
2頭のラバに引かれた荷車に荷物を積んでいく。
途中、雨に降られはしたが、道中はいたって順調であった。常に魔族や国同士の戦争が、どこかで起こっている大陸東部である。物取りや魔族と出くわし、戦闘になることも多いのだ。途中の道がオーガに分断されており、人通りがほとんどない状況であることも順調である原因であろうか。
現場は小さな山の峠道であった。旅人が休むために中を整えられた洞窟。ここをオーガはここを拠点に活動しているようである。周囲は木々で覆われているため、人間では中々洞窟の様子が、遠目ではわからないというわけだ。
ラルスがその辺りになんとなく引っ掛かりを覚え、コスティに声を掛ける。
「妙に頭回る気がしませんか? 」
少し、コスティは顎鬚に手をやり、考え込む。ふと、後ろを向き、ベテランであるニクに問う。
「ニクさん、どう思う? たまたまこの洞窟を使っているだけにも思えるが」
「番の一匹はロードかもしれんな。気を付けていかなくてはならんか」
それを聞いて、全分の顔が強張る。
オーガロードはオーガの上位種と見做されている種だ。基本的にはオーガより一回り大きい程度なのだが(それでも十分脅威だ)、知恵が回るのも特徴だ。大雑把ながら、戦術的な動きをすることもある。知恵を頼りに相対する人間から見ると、かなり厄介な相手ではある。
「少し揺さぶってみるか。ラルス、頼めるか? マルコ、強化頼む」
「はい」「はいっす」
マルコはラルスに向けて手をかざし、陣を実体化するための詠唱を行う。
「ストラウ・コヴィツ・ガルコ・ブィブィティアコ」
「ラルス、多分10分ほどの効果だ。気をつけろよ」
「了解」
剣を抜き、走り出す体制になるラルス。そこに魔力が流し込まれる。
ふわりと体が軽くなるような感覚を覚えたラルスは、術が成功したことを知る。
「成功だ。では行ってくる」
「こちらは、オーガが出てきたところを迎え撃つ。マルコ、出来る範囲で強化を頼む」
頷いたマルコが詠唱を始めたところで、ラルスが駆け出す。身体強化されたため、人間離れした速度で洞窟に近づいていく。
洞窟の入り口が見えたところで、オーガが姿を現す。1体。
速度を落とさず態勢を低くし、背後から一気に距離を詰める。狙うは足。腱を断てば、オーガでも容易には動くことはできない。
「はぁっ! 」
オーガの脚に切りつける。強化された体から放たれた一撃は、オーガの左足の腱を断つ。
「がぁぁ! 」
切りつけられたオーガは不意に与えられた痛みに声を上げ、バランスを崩しつつもラルスに対して裏拳を放つ。
人間の数倍に及ぶ太さを持つ腕から放たれた拳を、ラルスは転がるようにオーガの前に出て躱す。
一方待機していたコスティ達は、オーガの叫び声を合図に洞窟へと駆け出す。動きが制限される洞窟内部であれば、オーガの巨体も動きがとりにくいとの判断だ。
「ラルス! そいつの抑え、頼むぞ! 」
マルコの声に小さく頷き、オーガに追撃を加えるラルス。
幾度も切り付け、躱す攻防を繰り広げたラルスであったが、剣は遂にオーガの右足も奪うことに成功する。堪らずあおむけに倒れ込むオーガ。ラルスは一気に頭を狙う態勢に入るが、オーガも必死に拳を振るいラルスを牽制する。
一度距離をとったラルスは、剣を横に構え、またじりじりと距離を詰める。そして、オーガがラルスに向かって拳を振るったとき。
「シッ! 」
口から洩れる吐息と共に、ラルスは剣を振り抜いた。
「こっちは終わりか。もうすぐ強化も切れるか。待つとするか」
ラルスは荒い息を吐きながら、腕を切り落とされたオーガを屠り、地面に腰を下ろす。
あの5人ならオーガロードでも倒せるだろう。そう思いながら息を整えつつ、ふと、洞窟の方を見やって違和感に気が付く。
静かすぎないか? 戦ってるはずだよな。
目を細め、入り口を見ていたとき、洞窟からひときわ大きいオーガと、3体のオーガが出てきた。オーガはラルスを見つけると、唸り声をあげ、ラルスに向かって走り出した。
「なっ!? 4体もいるだと? 」
腰を浮かせ、来た道を戻るように走り出すラルス。4体のオーガは人間1人でどうにかする相手ではないのだ。そもそも、普通はオーガに1人で挑むこともままならないものである。
「やべぇっ! 追ってくる! 」
ちょうど強化が切れたところで、しかもオーガと死闘を繰り広げたところだ。体力はかなり消耗している。
逃げる前方にラバと荷車が見える。
「しょうがねぇ、ラバをくれてやるしかねぇな」
ラルスは繋いであるラバをそのままに走り続ける。
背後にラバの悲しげな鳴き声を聞きながら。
2時間も走っただろうか、戦闘開始時は朝だったが、そろそろ昼も過ぎる頃合いだ。数日前に降った雨の気配がわずかに残る湿った道を、ラルスは歩き続ける。山を下り、辺りは一本道の見晴らしのいい草原だ。
「しまったなぁ……腹減った」
ラバに食糧を積みっぱなしにしたので、手元には食料が無いのである。
「おまけに水もねぇし。やばい、母さん、俺ここまでかも」
言いながら、ラルスはへたり込む。
「全員……死んだよなぁ……あれじゃ。傭兵とはいえ、やっぱ辛いわ」
じっと地面を見る。あの5人を思うと、どうしたって顔が下がってしまうのだ。
暫くそうして仲間の死を悼んでいたが、じっとしていても仕方ない。のろのろと疲労が残る体を動かし立ち上がる。
……そして、10m程先の道の脇に人影があるのに気が付いた。
「女? なんでこんなところに? 」
治安は良くはないのだ。女性が1人で街道にいるなど、まず考えられない。たとえ魔術師であっても、1人で対処できないことの方が多いのだ。
「……罠ってわけでもねぇよな。俺なんか狙ってもな」
恐る恐るだが、近づいていく。
青いつばの広い帽子、そこからこぼれた背中まで伸びた髪は淡い金色だ。白と青の胸元が若干広めの女性用のローブ、ドレスに近いそれは、敷き物の上に座っているために足元までは見えないだろうが、丸く白い膝が覗いているので、長いものではないのだろう。
はっきり見えるほどに近づいたため、今や女性の顔もよく見える。美しい少女だ。こちらを見て柔らかく微笑んでいる。
そして、敷き物に立てかけられている看板のような板を見て、ラルスはあっと声をあげそうになる。それを見て、少女は笑みを深める。
「あー……食い物あるのか? 」
あまり警戒せずに、少女に声を掛けてしまった。看板に書かれている文字の意味が分かってしまったからだ。この世界には無い文字。ラルスの記憶の断片に仕舞い込まれていた知識。少なくとも少女は、ラルスと何かを共有しているように感じたのだ。
「うん、やっぱり読めたんだねぇ。どの文字が読めたの? 」
ラルスは看板の読めた箇所を指さす。
「これと……これだな」
「ふうん……英語と、ポルトガル語かぁ。出身がどこか、範囲が広くてわかんないな」
「うん? なんだ、そのエイゴって? 」
「ああ、記憶が全部あるわけじゃないのか。なるほど。まあ、座ってよ。食べながら話そう」
そう言って、バスケットから、食事を取り出す。多くは簡単に食べられるようなものだ。
「ま、パンとチーズと干し肉くらいしかないけどさ。どうぞ、召し上がれ」
と言って、少女はひと口つまむ。毒などが入っていないことを示すためだ。
「あ、ああ、じゃあ遠慮なく」
2人は、午前中の惨劇があったとは思えないくらい、穏やかに会話と食事を楽しんだ。ラルスは何故こんなにも気持ちが楽になったのか、首を傾げながらではあったが。
「そっか、ラルスたちはオーガの群れに出くわしたと」
「ああ、うん、出くわしたというか、俺達に伝えられた情報が間違ってたんだけどな。ロードまでいたし」
「それは……災難だったね……」
少女は悲しげに目を伏せる。
「ああ……ま、傭兵になった時点で覚悟はしてたさ。多分、あいつらもな。俺はもっと、こう、違う覚悟も必要そうだけど。従騎士試験受けるし」
「うん? 従騎士? 騎士目指してるんだ。なんでまた」
「いや、まあ、給料がいいってのもあるけどな。騎士になれば、やれることも増えるだろう? 宮仕えだから、ままならないことはあってもな。それでも傭兵よりは家族を守れるだろう」
「主君に忠誠を払った上でだけどね。主君が間違えてたらどうするの? 」
「ううん、まずは主君を選ぶところからだろうな。バスティーラは王がいるが、実質的に議会が統治しているんだけど」
「じゃあさ、主君が死んだりしたらどうするの? 次代の君主が暴君だったりしたら? 」
「あー、うん。戦争多いからそういうのもあるけど、あんまりな君主なら辞めるのかなぁ。簡単に辞められないけど。野に下ってやれることを探すかな」
ラルスは変な会話、と思いながら食事をとりながら、少女の会話に相槌を打ちように答えていた。
「さてと、そろそろ行きましょうか」
食事が終わり、お茶まで飲んだあたりで少女は立ち上がる。
「へ? どこに? 」
我ながら間抜けな質問かな、と思いつつ少女に問う。
「いや、帰らないの? ほら、そろそろ進まないと食料が先に無くなるから」
「うん? うん。え、ひょっとして君も? 」
「……置いていくの? 」
半眼になる少女。
ラルスは慌てて否定し、一緒に帰ることにする。
後片付けをして並んで歩き出してからしばらくたってから、ラルスは大事なことを聞くのを忘れていたことに気が付いた。今更だよなぁ、と頭を掻きながら聞いてみる。
「あのさ」
「うん、なぁに? 」
薄らと微笑みを浮かべてラルスを見上げる少女。改めてみると、村では決して見ないような美少女だ。深い緑の瞳、その目とラルスの目が合う。思わず目が逸れる。
「あ、あの、名前……聞いてない。よな? 」
「あ、そうだったね」
「私のことは、ディアって呼んでくれればいいよ。ラルス・ブランデル」
どういうわけか、何故、どうやってあの場にいたのか、何故自分のフルネームまで知っていたのか、という疑問は村にたどり着くまで出てこなかった。