atage8:理由
目が覚める。
結局僕は途中で眠気に負けてしまい、眠ってしまっていたようだ。
薄暗い部屋の中。
今が夜中なのか、それともすでに朝日が昇っているのかさえも分からない。
が、隣ではまだ豊が静かに寝息を立てている。
ベッドの上の秦も同様だ。
時間の確認をしておきたいところだが、時間の分かるもの全てはゲーム参加前に取り上げられている。
ゲーム中は鐘の音が合図になってはいたが、休憩時間の今ではその音も聞こえないし、そんなのが鳴り響いていてはとても休憩どころの話ではなくなってしまうだろう。
となると、どうやら手段は一つしかなさそうだ。
「……っと」
僕は二人を起こさないようにそっと起き上がると、そのまま静かに部屋の外に通じる扉を押し開けた。
カチャリと、ドアノブを回すときの些細な音が響く。
念のため部屋の中を振り返るが、どうやらその音で起きた様子はない。
僕は静かに扉を閉める。
部屋の外、やたらと広く作られた空間の中央には、時任と名乗った仮面をつけた男性が立っていた。
もしかして、僕達が休んでいる間もずっとああして立ちっぱなしでいたのだろうか?
だとしたら相当体力に自身があるのか、あるいは精神力が強い人なのだろう。
と、そんなどうでもいいことを考えながら僕は歩を進める。
その足音に気づいてか、数歩ほど歩み寄ったところで時任は気づく。
顔色の見えない仮面に、僕はやはり少しだけ恐怖を覚えてしまう。
「どうかしましたか?」
抑揚のない声で時任は聞いてくる。
「……あの、今の時間って教えてもらえますか?」
僕が聞くと、時任は相変わらずその仮面をつけたまま、目線だけを手首に落とした。
「……現在、午前五時二十三分です。ゲームの後半戦は正午から開始ですので、まだ六時間半ほど余裕があります」
「…………」
そのとき、どういうわけだろうか。
僕は時任のその態度に……何も不自然なことなどないその態度に、どうしても違和感を感じずにはいられなかった。
けど、その違和感の正体がなんであるかというところまでは考えが及ばす、ただ呆然と立ち尽くしてしまう。
「どうかしましたか?」
そんな僕の様子を不思議に思ったのだろう、時任が聞き返す。
「あ、いえ……どうも」
本来礼を言う必要などありもしないのだが、僕はとりあえずそう一言だけ返しておく。
僕はすぐにその場を引き返す。
ここにきた理由はもう果たした。
残された時間はおよそ六時間半。
球形として与えられた時間は、実質もう残り半分ほどしか残っていない。
皆はどうしているだろう。
もしかしたらもう誰か起き出しているかもしれない。
そうならば、多少無理にでも全員を起こして、話す時間を設けたほうがいいかもしれない。
寝る前に、誰一人としてトリックのことに関しては口を開かなかった。
それはつまり、まだ何の手がかりもないことを示している。
だとしたら時間が惜しい。
皆を起こしに行こう。
そしてそれから十五分後、多少無理もしたが、全員が起き、僕達は八番の部屋に集まっていた。
「……それじゃ、単刀直入に聞くけど」
雅が口火を切る。
「このゲームのトリック、分かった人はいる?」
しかしそれに対する返答は、やはり最初から決まっていた。
誰もが口を閉ざし、何も分からないということを意思表示する。
それっきり何も聞かない雅も、やはり何も分かっていなかったのだろう。
「手詰まり、か……」
小さな溜め息とともに、浩二が言う。
「答えが分かったとまではいかなくても、何か疑問に感じたこと、思ったこととかはない? 何でもいいから」
皆、隣り合う者同士で目配せするが、お互いに首を小さく横に振るばかり。
ある意味で、それは当然の結果だったのかもしれない。
もとよりあんな意味のない、単調すぎるゲームの中で冷静に思考することなどできるだろうか。
常に何かに集中しているわけでもなく、何もしない時間のほうが圧倒的に長いのだ。
物事を考えるどころか、体には余計な疲労ばかりが溜まっていくに決まっている。
落ち着けというのが無理な話なのだ。
それでも、こうして十二人揃っていられるだけまだマシと考えるべきかもしれない。
実際は皆、なけなしの神経をすり減らして必死に堪えているはずだ。
何かこう、些細なきっかけでその糸がプツリと切れ、爆発してしまう可能性は十分に考えられる。
そんな沈黙を破ったのは、こだまの一言だった。
「あのさ……」
「何?」
その声に、全員の視線が集中する。
「その……別に、解決のヒントにもならない、どうでもいいことなんだけどね」
こだまは一度全員の視線を見る。
妙に期待されているような気がして、それが話を切り出す機会を奪い去ろうとする。
「えっと……ホント、どうでもいいことなんだけど。このゲームってさ、要するに館から脱出しちゃえばいいんだよね? 最終的に」
「そりゃ、まぁ……」
極端に言ってしまえば、こだまの言うことはもっともだ。
「それで、思ったの。ちょっと、乱暴な話なんだけどね。例えば、例えばだよ? 私達全員で、あの時任って人に一斉に向かっていけば……」
「ちょ、ちょっと! それってつまり、力ずくで脱出するってこと?」
思わず隣の縁が声を上げた。
「う、うん。大雑把に言えば、そうなんだけど……」
「…………」
誰もが唖然としていた。
まさか、普段からおとなしい性格のこだまからそんな提案が飛び出すとは思わなかったのだろう。
事実、僕も驚きを隠せなかった。
「だ、だってさ、私達以外には、この館にはあの人しかいなさそうだし、これだけの人数なら、無理なことでもないんじゃないかなって思って……」
「それは、そうかもしれないけど……」
「……まぁ、考えなかったわけじゃないんだよな」
大輝が口を開く。
「そもそも、こっちは命がけのゲームを無理やりさせられてる立場なんだ。言ってみれば監禁されてるようなもんだし、例え万が一あの時任ってのをどうにかしちまっても、正当防衛は十分に通じるかもしれない」
「どうにかって……」
「……極端な話、殺しちまってもってことだよ」
大輝の言葉に、誰もが息を呑んだ。
「こ、殺すって、そんな……いくら何でも……」
「落ち着けって。極端な話の場合だ」
興奮しかけた夏樹を秦が制する。
「それに、その気だったら俺らはとっくに行動に移してる。そうしてないのは、まだ俺達が精神的に多少の余裕を持ってる証拠なんだろうけどな。けど、それも長続きはしないかもしれない」
秦が言い終えて、再び沈黙。
二分か、三分か。
そのくらいの時間が流れた頃に、豊は静かに口を開いた。
「信吾」
「……ん」
「昨日、寝る前に話してたことだけど」
「……うん」
その会話に、全員の視線が移る。
「曖昧でもいいから、話してくれないか? もしかしたら、何かの糸口になるかもしれない」
「……でも、それは」
「……話して」
「志保?」
すぐ隣に座っている志保が、訴えかけるように言う。
「……このままじゃ、時間だけがなくなっちゃう。何もしないのは、ダメだよ」
「…………」
それは確かにその通りだ。
けど、僕の言葉は余計な混乱を招くばかりか、ありもしない期待を持たせてぬか喜びさせる結果になるかもしれない。
言わば諸刃の剣なのだ。
一見、救いを提示しているようで、実は裏づけの根拠は何もない。
……いや、なかったと言い換えるべきだろうか。
今はその裏づけとなる根拠に、心当たりが何もないわけではない。
しかし、それもまだ根拠としては弱い。
警察の尋問を、犯人が簡単に抜け出せるように。
「……高居、話して」
「慶子……」
「変な期待は持たないから。でも、確かにきっかけにはなるかもしれない。一人で抱えてても、気持ち悪いだけじゃない」
「…………」
……それも、そうか。
「……分かった。話すよ」
期待は持たないとは言ったが、それは無理な話だろう。
こんな状況では、妙にもったいぶったような布石があるだけ、逆に期待をもたれてしまっているかもしれない。
「でも、本当に鵜呑みにしないで。頼りない仮説で、話すほうが恥ずかしいくらいだから」
全員が頷くのを確認して、僕は溜め息を一つ吐き出し、話を始めた。
「僕が気になったのは、これなんだ」
そう言って、僕はポケットの中からルールの書かれた紙を取り出し、その場に広げる。
誰が言うでもなく、皆の視線は紙に書かれているルールに走る。
「で、どれなんだ?」
浩二が聞く。
どうやら、ルールの中におかしな点を見つけたと思っているようだった。
それは他の皆も同じで、各々が自分で持っているルールの紙を取り出し、改めて読み返したりしている。
だが。
そうではない。
僕が気になったと言ったのは、ルールの中にある疑問などではない。
「――この紙そのものが、すでにおかしいと思わない?」
その言葉に、紙面を走っていた視線が再び僕の元に集中した。
「……どういうこと?」
志保が聞く。
「もしかして、この紙に何か仕掛けがあるの?」
「……炙り出しとか?」
「けど、信吾の紙はどこも燃えたりした様子はないよ」
「……それじゃあ、水で濡らすとか?」
皆、紙そのものに何か仕掛けがあるのではないかと疑う。
けど、そうでもない。
確かに紙そのものがおかしいとは言ったが、そういう意味ではないのだ。
僕が言いたいのはつまり……。
「――この、ルールを書いた紙をわざわざ持たせているってことが、おかしいんだよ」
「……どういうことだ?」
秦が聞き返す。
僕はルールの紙を拾い上げ、答える。
「……このゲームは、僕達が勝てばこの館から脱出できる。じゃあ、負けたらどうなる?」
全員に問う。
その問いはあまりにも簡単で、誰もが答えを知っていた。
「……僕達は全員、館とともに炎上する」
真っ先に答えたのは豊だった。
しかし、答えは全員が知っていた。
聞くまでもないことだったからだ。
「そう。早い話が、僕達は死ぬ。もしかしたら何人かは運良く助かったりするかもしれないけどね」
「……それが、どうかしたの?」
「……負ければ僕達は死ぬ。この言葉が本当か嘘かは、ゲームが終わるまでは確認することはできない。けど、僕達に限らず、敗北は死なんていう条件を突きつけられたら、誰だって驚くし、恐怖を覚えるよね? 確かに、たかだかゲームで人の命を奪おうなんて、正気では考えられないけど、そういう意味では、このゲームの立案者は狂気を逸している。少なくとも常人とは思えない」
誰も何も言わず、言葉を聞き続ける。
「だから僕は、とりあえず罰ゲームが死っていうことは嘘じゃないとして考えてた。このゲームの立案者は常軌を逸した異常者で、どうあってもゲームになぞらえて僕達を皆殺しにするつもりなんだろうって」
「……それで?」
沈黙を破り、浩二が先を促す。
「……だからこそ、この紙はおかしいんだ。そんな狂人が、どうしてわざわざご丁寧に、こんなヒントになるようなものを手渡しておくように支持したのか。もちろん、これ自体が罠の一つである可能性もあるけど、それにしたって人数分用意するなんて、やけに手間隙かけてる気がするんだ」
もう一度全員の視線が紙に向かう。
そこに書かれたルールに関する記述は、一言一句違うところはない。
「そう考えると、別の理由が見えてくる。つまり、この紙はこのゲームに関するもう一つの意味で、必要最低限なものだったんじゃないかって」
「……もう一つ?」
聞き返す志保に、僕は頷いて答える。
「一つは、言わなくても分かるよね」
「……ルール、ね?」
「そう」
夏樹の言葉に僕は答える。
「ゲームである以上、ルールがなくちゃ始まらない。だから紙に書かれたルールは、必要最低限の一つだ」
「じゃあ、もう一つは……」
大輝が言いかけ、全員が口を閉じる。
一拍の間が流れた。
そして何かに気づいたかのように、雅が顔を上げ、呟く。
「……そっか。そういうことなのね……」
「雅ちゃん、分かったの?」
「……なるほど、確かにこれは……」
「……どういうことだ?」
気がついた者、そうでない者といるようだが、僕はそれを無視して静かに告げる。
ルール以外の、もう一つの必要条件を。
「――答えだよ」