見覚えのある笑顔
僕とエリーゼは遅刻ぎりぎりのため、通学路を全速力で走っていた。
途中いつもの路地でこのはと出くわすかと思ったけど、今日は先に行ったみたいだ。
「ほら、急ぐのだ優介よっ」
エリーゼは僕の前を猛スピードで走っている。
華奢な身体のどこからそんな力が出るのだろうと疑問に思うほどだ。
「僕はこれで全力だよっ」
僕も負けじとさらに速度を上げた。
学校に着くと同時にチャイムが鳴った。うちのクラスの担任ならまだ間に合うだろう。
教室に入ると、案の定先生はまだ来ていなかった。
「ふぅ、なんとか間に合った~」
「あれ、もしかして、二人で登校してきたの?」
既に自分の席に座っていたこのはが訊ねてくる。
エリーゼと同居を始めたことは黙っていたほうがいいかもしれない。
「たまたま道で会って一緒に来ただけだ。なにもないぞ」
エリーゼも分かっているようで、うまくはぐらかしてくれた。
「ふぅん」と納得した様子のこのは。
続いて他のクラスメイトが、「なんでジャージ?」と聞いてきた。
「制服が駄目になっちゃって、修理に出してるんだ」
適当に理由をでっち上げといた。
「後でちゃんと返してよ?」
みんなに聞かれないようにこっそりとエリーゼに耳打ちする。
エリーゼは「何のことだ?」と知らん顔していた。
ふと気付くと、いつも絡んでくる蛭賀くんがいないことに気付いた。
「このは、蛭賀くんは?」
「あー……、アイツはねー……」
何だかとても言いづらそうな様子のこのはに、僕はさらに問い詰めた。
すると恐る恐るといった感じでこのはは答えてくれた。
「なんか、ゆうすけの可愛い姿見ちゃって、新たな世界の扉が開いちゃいそうだから、精神修行のために山篭りするらしいよ」
「なにそれ怖いっ!」
背中に悪寒が走る。信頼していた友人がいきなり猛獣に思えてきた。
「まあ、2,3日で飽きて帰ってくるんじゃない?」
「できれば一生篭っていて欲しいんだけどっ!?」
切実な叫びだった。
「よーし、ホームルーム始めるぞ~」
教室に入ってきた先生は相変わらず気だるそうだった。
のんびりと出席表をチェックしつつ、クラスの中を確認している。
「お、今日は蛭賀が欠席か。榊原、お前なんでジャージなんだ?」
本日二度目の質問だ。
「クリーニングに出したんですけど、手違いでまだ戻ってきてないんです」
「あれ、お前さっき修理中って」
雑音が聞こえたが気にしないことにした。
「うーん、みっともないから保健室に行って制服を借りてきなさい」
「え、保健室ですか?」
予備の制服が用意されてるなんて初耳だった。
「いや、正確には保健の先生の私物だ」
「はい?」
何で制服なんか私物で持ってるんだろうという疑問も束の間。
「先生は制服マニアなんだそうだ。この前飲み会のとき自慢してた」
なんとも間抜けな答えだった。
二階にある教室を出て、一階の保健室へと向かう。
一応行ったという事実だけは作ろうと思ったのだ。
保健室のドアをノックすると、中から「どうぞ」という返事が聞こえた。
「失礼します」
「どうした、怪我でもした?」
保健の先生に会うのはこれが初めてだった。
制服マニアなんて変な情報を与えられていたから警戒していたが、なんてことはない。
いたって普通の、ちょっと綺麗なお姉さん、といった感じだった。
「制服を無くしてしまって、今日だけ先生に借りようと思ってきたんですけど……」
マニアと言っていたし、きっと貸さないだろうと思って既に言葉を用意していたのだけど。
先生は僕の予想と正反対のことを口に出した。
「あら、別にいいわよ。貸してあげる」
「え、本当ですか」
「ええ。でもね、私が持ってるのは、女の子用だけなのよ」
「はい?」
きっと今の僕は目が点になっているだろう。
その災厄は、予想もしないところから降ってきた。
「……似合いそうねボク。じゅるっ……」
「せ、先生。目が怖いです……僕は着ませんよ」
「着るまでこの部屋から出させないわ、ふふ……」
先生の目は本気だった。獲物を逃がすまいと先生はドアを塞いでしまう。
「さあ、着るの? 着ないの? 覚悟決めなさいっ」
「なんでそんなノリノリなんですかっ!」
精一杯のツッコミは見事にスルーされた。
「ジャージで今日は過ごしますから、失礼しますっ!」
「あら、そうはさせないわ」
先生が僕の後ろに高速で回りこんで、あろうことかジャージのズボンを脱がしてきた。
「ぎゃあ、何するんですかっ!?」
色々と見えてしまった僕に、先生は不敵な笑みを見せてくる。
「ズボンは没収ね。今日一日パンツ一丁で過ごしなさい? それが嫌なら……」
「女子の制服を着ろって言うんですか」
「いいえ、私的にはあなたが裸でここに残るのもそれはそれで構わないのだけど。美少年を美味しく頂けちゃうのも教師の特権だしね?」
とんでもない教師だ。いつか教育委員会に訴えてやる。
「分かった、分かりましたよっ! まだそれなら女子用でも着た方がましです!」
とてつもなく強引に誘導されてしまったような気もするけど、結局僕が折れることとなった。
先生が持っていた制服は前に蛭賀くんが持ってきたものと同じ大きさだった。
そのため、一回着てしまった僕にとって、着方は脳内にインプットされており、着替えはあっさりと終わってしまった。自己嫌悪に陥るほど、あっさりと。
着こなしているわけじゃないから、誤解はしないで頂きたい!
「……一応お礼は言いますが、正直言うとこれっぽっちも感謝はしてません念のため」
「あらあら。言ってるわりに、やっぱり似合ってるわよ~」
やっぱりって何だやっぱりって。
「髪もショートって感じで、ボーイッシュな女の子みたいね」
「どうしてみんな僕にそういう格好をさせたがるんですか」
「似合うって分かってるからじゃないかしら」
どこにそんな根拠があるか是非お教えいただきたい。
「とりあえず、そろそろ授業が始まっちゃうから、早く戻るといいわ」
「……はい、そうします」
不満はあるし、こんな格好は死ぬほど恥ずかしいんだけど、もう覚悟を決めるしかない。
「あ、そうそう」
その場を去ろうとしたときに、先生がふと思い出したように言った。
「弟のこと、よろしくね」
「………弟?」
最後に見せた先生の笑顔は、どこか見覚えのあるものだった。