雲行き悪き空
エリーゼがそう告げた後、ラウラと呼ばれた女性は冷静に返答した。
「いいですよ、但しこちらにも条件があります」
「なんだ、言ってみよ」
緊迫した空気の中、紗織は僕が縛られているベッドの方までやってきて、やむなく女装中の身体をまじまじと見つめてきた。早く紐を解いて欲しいのに……!
「紗織、そんな見つめないで……」
妹にこんな姿を見られるなんて、恥ずかしすぎて死にそう。
「ゆ、ゆう兄ったら、そんなあたしを誘うような格好で…ハァ…ハァ……」
こ、興奮してらっしゃるっ!?
紗織は鼻血をポタポタとこぼしながら手をわきわきさせている。
嫌な予感しかしないのだけど。
「ゆう兄が女装なんてちょっと驚きだよ……もしかしてそっち系なの? だったら、あたしがゆう兄に女の子の良さを直に教えてあげるよ……」
「僕はそっち系じゃないからーーっ!」
頬を染めながら段々とこちらに近づいてくる紗織は、身動きできない僕には少し怖かった。
なにせ身体の自由が利かないため、何をされても抵抗できないのだ。
「うへへへへへ……」
マジで怖い。
「ま、待って紗織っ。そうだ、どうやってここが分かったのっ?」
「へっ? ああ、エリーゼさんが案内してくれたの。なんか手紙持ってたし、地図が書いてあったのかも」
話を逸らすことで紗織の行動を妨害する作戦成功だ。
「すごいんだよっ、あたしの血をちょっとだけ吸ったら、ものすごく足が速くなったのっ!」
主語がなかったが、おそらくエリーゼのことを言っているのだろう。
「足が? …………やっぱり普通の人間じゃないのか……?」
「吸血鬼なんでしょ、あの人?」
随分と非現実的なことを冷静に言うものだ。
少なくとも2,3日前にはそんな単語を口にするなんて思ってもいなかった。
「吸血鬼ではない、吸血姫だと何度も言ってるだろうっ!」
「ひぇっ!? す、すみませんっ……」
突然怒鳴られ紗織は萎縮してしまった。そのおかげでなんとか僕も危機から免れたのだった。
「ちょうどいいですね。ではまず、その吸血鬼の話題からにしましょうか」
「むう……。なにか問題でも起きたのか?」
「ええ。近頃、吸血鬼による姫狩りが増加しています」
それを聞いてエリーゼの顔が少し歪む。訳が分からないとその目は語っていた。
「ここ数週間で、既に六人も犠牲になっています」
「どういうことだ、なぜ吸血鬼どもはそんなことを?」
問われたラウラさんも首を振って、分からないということを伝える。
「二日前、リーゼンフェルト家で会合が開かれ、姫には必ず一人以上の付き人をつけることが決まりました。事態は思ったよりも深刻なのです」
「……つまり、お前はそれを伝えるために来たのか」
「それだけではありません。あなたをお守りするのは、この私です」
「え、お前はただのメイドじゃないか」
エリーゼが素っ頓狂な声を上げる。
「ラウラさんって、エリーゼのメイドさんだったの?」
謎の人物だったラウラさんの素性が少しずつあらわになる。
「そうだ。両親が生きていた頃は、我が家でメイドをしていた。今は私専属だ」
「私はいつまでもあなたのメイドです、姫。武術は一応心得ているつもりですので」
頼りになりそうなメイドさんだ。
にしても、姫狩り、とは一体何なのだろう。
音の響き的に、嫌な予感がする……
「えーっと、ラウラさん、だっけ? よく分かんないんだけど、とりあえずこの娘を預かってくれるんだよね?」
紗織が不意に訊ねた。エリーゼはそれを聞き焦り始める。
「ど、どういうことだ妹君よ。我を捨てるつもりなのか?」
「捨てるって……犬じゃあるまいし」
「よもや身内に裏切られようとは」
「あんたは身内じゃありませーん」
ぬぐぐ、と悔しそうに唇を噛みしめている。そろそろ止めたほうがいいだろうか。
「エリーゼ姫は私が責任を持って元の家まで連れ戻します」
「元の家?」
そういえば聞いていなかったが、エリーゼは僕の家に泊まるまでどこで寝泊まりしていたのだろう。そもそも、いつここに来たんだ? やけに日本語だって流暢だし……
「屋敷はすぐ近くにあります。手配したまま放置されているのです。日本に来てすぐに姫は家出してしまいましたから」
「あんな古臭い屋敷に一人なんて寂しいではないか。クラスメイトの女の子の家はよかったぞ、なにしろ人の温もりを常に感じられた」
ここに来るまでも女子の家を転々としていたようだ。
「屋敷には私もいるではありませんか」
「お前はいつも仕事してて構ってくれないから……」
その言葉には年相応の子供らしい一面が見てとれた。
「とても心配したんですよ、急にいなくなるんだから」
「…………すまぬ」
ラウラさんの顔は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
しかしすぐに笑顔に戻り、
「……でも、帰ってきてくれるなら、許してあげます」
その姿はまるで、エリーゼの本当のお母さんのようだった。




