第2話
カーテンの隙間から差し込む光は、外の天気が晴れであることを教えてくれていた。
けれども燕の気分は到底晴れとは言いがたいものだった。
「はぁ……」
「10回目。」
「……何が?」
「あんたが今日ため息ついた回数。なんなのよ?いい加減うざくなってくるんですけど?」
「う……ごめん。でも……」
「でも?なに?また例の不審人物がらみ?」
「がらみっていうか……不審者とも言い切れないし……」
燕のことを知っているといっていた男と出会ってから1週間が過ぎようとしていた。
数日の間、妙にそれが気になっていた燕は連日詩音との会話にその話題を持っていっていた。
「夢を…ね、見るんだよね。毎日同じのを……」
ようやく頭から男のことが薄れ掛けてきた頃、それは始まった。
「夢ねぇ。で?その男が出てくるの?」
「出てくる。出てくるんだけど、その人だけじゃないの。」
「んー取りあえず夢の話してくれる?」
「うん。気がついたら草原みたいなところにいて、私ともう一人、あの男の人じゃない人がそこにいるの。」
うろ覚えなのか、ぽつり、ぽつりと語りだす燕。
「で、突然その男の人がどっかに行っちゃうの。それがなぜだかよくわからないんだけどすごく悲しくなるの。多分泣いてるんだよね、目が覚めたとき涙流してるからさ。…んで、泣いているところに例のあの人が目の前に現れるの。逆光みたいになっててよく表情は見えないんだけど、笑ってる感じで立ってるの。」
「ふーん。で?」
「で、終わり。そこでいつも目が覚めるの。」
「……何に悩んでるのかがよくわからないんですけど。」
「私もよくわかんない。ただ、内容がよくわからない夢だから。」
「夢なんだからいいんじゃないの?それで。」
「いいのかなぁ?」
夢だけにしておくことができないような、そんな感じがしてならない燕。詩音の言っていることは確かにそうだとはわかってはいても、なかなか納得するまでにはもう少し時間がかかるようだった。
通りに面したガラスを軽くたたく音がして、燕と詩音が顔をあげると例の男が嬉しそうに立っていた。
「もしかして、もしかしなくても例の人?」
「うん、例の人。」
二人が確認し合っているうちに、男は店内へと入ってきた。
「いやぁ、お久しぶりです。あれから何度かここに来てたんですが、燕さんいつも時間がまちまちだったから。」
まるで、毎日燕がここに昼食を取りに来ていることを知っているかのような口振りだった。
「毎日来てたんですか?燕に会うために?」
「ええ、それがなにか?」
「なにかといわれましても……ねぇ」
あまりにも正々堂々と言われてしまい、困った詩音は燕に視線を移した。燕も困ったような表情をしている。
「取り合えず、座ってもよろしいですか?」
断るに断りきれず承諾する二人。男は嬉しそうに席に着いた。
「そうだ、まだ僕の名前言ってなかったですよね。広樫ナノと申します。」
男、広樫ナノは二人に名刺を差し出しながら言った。
渡された名刺を詩音はまじまじと見つめながら問う。
「……ナノ?珍しいお名前ですね。」
「ナノテクノロジーとかの”ナノ”なんです。父親がそういう関係の仕事をしていたもので、ほとんど思い付きだそうですけど。」
毎度のことなのか、慣れたように説明をする広樫。
「……燕さん?」
広樫の名刺をずっと見つめたまま動かない燕を心配してか、広樫が声をかけた。
「えっ、あ、はい、なんでしょうか?」
「いえ、なんだかぼーっとされていたので。」
「そうでした?ごめんなさい。でも、お名前見てもやっぱり思い出せなくって……」
「あぁ、もうどうでもいいんですよ、そんなこと。」
「どうでもいい?そんなこと?」
「ええ、覚えているか、いないかなんてもはや関係のないことです。今こうして僕たちがお互いを知り合いと認識していることが大事なんですから、ね。」
燕には、納得のいくようで行かない、そんな説明をされたようだった。うまくはぐらかされたとでも言うべきだろうか。
二度目の再開でも、広樫が燕にとってどのような人物であったかを、燕は思い出すことができなかった。
思い出せなかったのか、それとも思い出すことを無意識に拒んでいるのか。とにかく、なぜ広樫のことを自分は知らないのかが燕には気になって仕方がなかった。
やがてそれは、広樫についてもっと知りたいと思う好奇心に近いものとなっていた。