窓の外
設定ミスったので上げなおしです...すみません
私の毎日は、特に変わったこともなく過ぎていった。
朝になれば学校へ行き、教師の話を聞き、昼になれば弁当を食べ、放課後になれば友人と少しばかり話をして帰る。家に帰れば宿題があり、夕食があり、風呂があり、やがて眠る時間が来る。翌朝になれば、昨日とほとんど同じ一日が始まった。
別段、不幸というわけではない。学校には話のできる友人がいたし、家族との仲も悪くはなかった。食べるものに困ることもなければ、夜になって帰る家もある。こうして並べてみれば、私の生活には、これといって不満を申し立てる理由が見当たらない。
ただ、退屈だった。
もっとも、退屈というものは、何もすることがない時にだけ訪れるものではないらしい。私は毎日、それなりに忙しくしていた。それにもかかわらず、日々の出来事は、どれも一度どこかで経験したもののように思われた。友人の冗談に笑いながら、昨日も同じように笑った気がする。教師の話を聞きながら、これも以前に聞いた話ではなかったかと思う。そうして一日が終わる頃には、今日という日が昨日と入れ替わっていたところで、誰も気づかなかったのではないかという気さえした。
そんな私を、家族が旅行に連れていくことになった。
私は初め、さほど乗り気ではなかった。旅行といっても、行ったことのない土地へ行き、見たことのない景色を眺め、普段とは違う場所で食事をするというだけのことである。もちろん、それを楽しみにしている人がいることは知っていた。しかし、私には、場所が変わったところで、自分まで変わるとは思えなかった。
それでも当日になれば、私は家族と一緒に駅へ向かい、電車に乗った。
車内は、休日の朝にしてはさほど混雑していなかった。窓際の席に座ると、私は鞄を足元に置き、背もたれに身を預けた。電車が動き始めると、駅のホームがゆっくりと後ろへ流れ、やがて住宅の屋根や、道路を走る車が窓の中に現れては消えていった。
初めのうちは、私もそれらを眺めていた。しかし、景色というものは、眺めているだけでは案外早く見飽きる。建物が途切れ、畑が一面に広がった。
空には厚い雲が垂れ込めていた。遠くの山も、その裾にある家々も、みな同じような色をしている。電車が進むにつれて景色は変わっていくはずなのに、窓の外には、いつまでも同じ午後が続いているように見えた。
私はいつしか、窓に映った自分の顔と、その向こうを流れる景色とを、区別もせずに眺めていた。
その時、畑の中に人影が見えた。
広い畑の一角で、一人の人が腰をかがめて働いていた。近くには道具らしいものが置かれ、少し離れたところには、土の色の違う畝がいくつも並んでいた。何を育てているのか、どんな作業をしているのか、電車の窓からではよく分からなかった。ただ、その人は、こちらが見ていることなど知るはずもなく、目の前の仕事を続けていた。
電車は、そのまま走っていった。
私は、過ぎ去った畑の方を振り返った。もちろん、もうその人の姿はなかった。代わりに、別の畑と、その向こうに建つ小さな家が見えた。
私は、あの人のことを考え始めた。
あの人は、朝、何時に起きるのだろう。畑へ出る前には、家で朝食を食べるのだろうか。今日の天気を気にしたり、昨日の出来事を思い返したりすることもあるのだろうか。
そんなことを考えても、答えが分かるはずはなかった。あの人が農業を仕事にしているのか、家の畑を手伝っているだけなのか、それすら私には分からない。年齢も知らなければ、名前も知らない。家族がいるのか、一人で暮らしているのか、何を楽しみに日々を送っているのかも、何一つ知らなかった。
私は、ほんの数秒、その人を見ただけなのである。
それなのに、あの人にも、私の知らない一日があるのだと思った。
私が学校で授業を受け、友人と話し、帰宅して机に向かっている間にも、あの人は畑に出ているのかもしれない。雨が降れば空を見上げ、晴れれば土の具合を確かめ、季節が変われば、また別の仕事をしているのかもしれない。私が退屈だと思っている日々の向こう側にも、私の知らない日々が、同じように続いているのだった。
考えてみれば、妙なことである。
私は自分の生活を、ずいぶん長い間、狭いものだと思っていた。毎日同じ場所へ通い、同じような人々と顔を合わせ、同じようなことを繰り返している。窓の外の景色が変わらないことを嘆くように、日々が変わらないことを嘆いていたのである。
しかし、あの人にとっては、私の生活もまた、想像のつかないものなのかもしれなかった。
朝、電車に乗って学校へ行くこと。大勢の人間が同じ教室に集まり、同じ時間に同じ話を聞くこと。試験の点数に一喜一憂し、友人の何気ない一言を気にすること。そんなことを、あの人はどう思うだろう。そもそも、あの人は私のことなど考えもしないだろうし、考える必要もない。
私はそこで、少しおかしくなった。
つい先ほどまで、私は自分の毎日が退屈だと考えていた。けれども、その退屈な毎日を知らない人間が、世界にはいくらでもいるのである。反対に、私が知らないだけで、他の誰かにも、私には想像できないほど長い一日や、忘れられない出来事があるのだろう。
いつしか窓の外では、青々とした畑が広がっていた。畦道の脇には小さな白い花が咲き、遠くの家の屋根には、午後の光が赤く照り映えていた。電柱が一本、また一本と後ろへ流れていく。そのありふれた景色を、私はいつになく長く目で追っていた。
畑の向こうに、小さな家が見えた。軒先には洗濯物が揺れ、その脇を自転車に乗った子供が通り過ぎていった。少し離れた畑では、誰かがこちらに背を向けて働いていた。どれも、取り立てて珍しいものではなかった。しかし私は、それらを一つずつ見つけるたび、何かを見つけた子供のように、心の中で小さく頷いていた。
私は、もう一度、あの人の姿を思い浮かべた。腰をかがめ、土に手を伸ばしていた姿である。あの人は、私が電車の中から見ていたことなど、知らないに違いない。今頃も、あの畑で仕事を続けているのかもしれないし、もう家へ帰っているのかもしれなかった。
私は、あの人に何か良いことがあればいいと思った。
なぜそんなことを思ったのか、自分でもよく分からなかった。あの人が苦労しているように見えたからだろうか。いや、苦労しているかどうかさえ、私には分からない。ただ、あの人が土に向かって働いていた姿が、なぜか心に残っていた。
明日、何か嬉しいことがあるといい。育てているものが、よく育つといい。帰り道に、綺麗な夕焼けが見えるといい。
そんなことを考えているうちに、私は自分が、まるで親しい人の幸せを願っているかのような気持ちになっていることに気づいた。名前も知らず、二度と会うこともないかもしれない人間に対して、である。
電車は、いくつもの町を通り過ぎていった。
窓の外には、もう畑は見えなかった。代わりに、駅の近くに並ぶ家々や、道を歩く人々の姿が見えた。誰もがそれぞれの用事を持ち、それぞれの場所へ向かっているようだった。私はその一人一人について、何かを想像しようとしたが、すぐにやめた。そんなことをしていたら、目的地に着くまでに、ずいぶんと疲れてしまいそうだった。
やがて、家族の一人が、もうすぐ着くと教えてくれた。
私は窓から目を離し、座り直した。旅行先では何を見るのだろう。どんなものを食べるのだろう。帰ったら、また学校へ行き、いつもの一日が始まる。
そう考えると、少し前までと何も変わっていないような気がした。
それでも私は、駅に着くまでの間、時折、窓の外を眺めた。
どこかの畑で、あの人がまだ働いているような気がしたのである。
もちろん、そんなはずはなかった。電車はもう、あの畑からずいぶん遠く離れていた。
私は、それでも構わないと思った。
あの人の今日が、どうか悪い一日ではありませんように。
その願いが届くかどうかなど、私には分からなかった。そもそも、誰に向かって願えばよいのかも分からない。ただ、窓の外を流れていく景色のどこかに、私の知らない誰かの暮らしが続いている。そのことを、私はしばらく忘れずにいたかった。
ただ何となく心の中に自分の生活について自信というか気概を感じたのは私の幻想ではないのではなかろうか。




