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第2話 夜に咲く幻影

夜の庭園は、静かに息づいていた。

闇に沈む世界の中で、薔薇だけが淡い光を放っている。

花びらのひとつひとつが呼吸するように震え、微かな鼓動を打つたび、光が揺れた。


「……ここ、本当に同じ屋敷の中なの?」


私の問いに、ルシェは口元を緩める。

夜風が彼の髪を撫で、その紅の瞳がほのかに灯った。


「ええ。ここは“箱庭”――僕が創った世界です。」


「あなたが……創った?」


遠くで光の糸のような蝶が舞う。

夜空の彼方では星が脈を打っていた。


「そう。僕たち幻影種は、感情や願いを形にする力を持っています。特に僕……幻獣は世界を編む力がある。この庭も、この夜も、箱庭の中は全て僕の意志で出来ている。」


さらりと告げる声は、どこまでも穏やかだった。


彼が一輪の薔薇に触れると、その花が一瞬だけ光を増す。

その姿はまるで神が自ら命を与えたみたいだった。


「僕たちの棲む世界――“幻影界”は、人間界とは少し違う。そちらで言う人ならざる者が大半を占め、想いが形を成す不安定な世界。感情が強ければ、世界さえ歪む。……そのせいで醜い争いや穢れ、憎悪が後を絶たない。」


ルシェはゆっくりと歩き出し、薔薇の群れの中に足を踏み入れた。

白い靴が花びらを散らしていくたび、夜の光が揺れた。


「この箱庭の外は君が思っているよりも汚く、醜い。それが何百何千年と続いている。――僕はそんなもの、見たくなかったんです。」


彼の声は静かだった。

けれど、その静けさは底が知れない。

ただの孤独ではない。

世界そのものを拒絶した者の静けさ。


「だから僕は、すべてを閉じた。ここは僕だけの理想郷。僕だけの箱庭。時間も、風も、思うままに動く。花は枯れず、誰も僕を裏切らない。……誰も、僕を壊さない。」


「この“箱庭”は、僕が選んだ静寂の形なんです。」


「……静寂の、形」


淡く光る花弁が、彼の指先でゆらりと揺れる。

光が頬を照らし、その横顔が一瞬だけ儚く見えた。


「……ねぇ、ルシェ。ルシェはそれで寂しくないの?」


問いかけると、ルシェはほんの一瞬だけ目を細めた。

紅い光が瞳の奥で揺らめき、笑みが影に溶けていく。


「ふふ。寂しい、ですか。――そうですね。寂しくはありますよ。自ら閉じたとはいえずっとひとりきり。時折外に出て刺激を求めても満たされないこの気持ち。」


足元で薔薇の花弁がほどけ、光の粒が宙に舞う。

それが彼の吐息に混ざり、夜に溶けていった。


「だから、君を見つけた時運命だと思った。それと同時にたまらなく欲しくなった。この箱庭に“生”が生まれる可能性を見出したんです。」


「……私?」


「ええ。君の心音が、鈴の音のようにこの世界を揺らす。君が息をするだけで、風が生まれる。君が笑えば、花が香る。……ね、素敵でしょう?」


ルシェが一歩近づく。

その距離は、触れられるほど近いのに、どこか夢の中みたいに遠い。


「君は僕が創ったこの箱庭で、初めての“例外”なんです。君の存在が、僕が長く掲げていた理想を少しだけ乱してくる。」


紅い瞳が細く揺れ、彼は穏やかに囁いた。


「――だから、目を離せない。僕が造ったこの世界に、あの日から君という“異物”が咲いたんです。」


胸がどくりと鳴る。

それは恐怖でもあり、少しだけ心地よい熱でもあった。


「……ルシェ、それって、まるで――」


「檻の中に、美しい鳥が迷い込んだようなものですよ。けれど安心してください。僕の檻は、痛みを知らない。」


そう言って、ルシェは一輪の薔薇を摘んだ。

花弁が光を散らしながら、彼の手の中で淡く脈打つ。


「この薔薇はね、“夜”にしか咲かない。闇の中でしか美しくなれない花なんです。……僕の世界も、君がいなければ同じだったのかもしれない。」


彼はその花を、そっと私の髪に差し込もうとした。

けれど、指先が触れた瞬間――薔薇が崩れ、光の粒となって消える。


「……消えた……」


「ふふ、やはりまだ早いようですね。」


ルシェは小さく息を吐き、けれどその顔はどこか嬉しそうだった。


「いつか君が、この世界を、この僕を“拒まなく”なった時。その時こそ、この薔薇は君の手の中で咲くでしょう。」


紅の瞳が、まるで誓いのように光を帯びる。


「だから焦らないで。君がここで息をする限り――僕は、君を手放さない。」


夜風がわずかに揺れて、花の香りが濃くなる。

遠くで鈴の音が、かすかに鳴った気がした。


それはまるで、檻の奥で響く心音のようだった。


「ああ、それとひとつだけ。僕は君を閉じ込めたわけじゃない。……ただ、君を世界から守りたかっただけなんです。」


「さあ、冷えますしそろそろ部屋へ戻りましょうか」


彼の声がやけに優しく響いた。

夜の空気が胸に残る。花の香りと、彼の言葉が混ざり合って

――どちらが甘いのか、もう分からなかった。

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