第3話 優しい檻、甘い鎖
朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込む。
静まり返った部屋は、まるで時間が止まったようだった。
甘い花の香りに微かに混じる鉄の匂いが“生”と“檻”を同時に感じさせる。
綺麗なのに、完璧過ぎてどこか冷たさを感じる。
この空間を確かめるように、足を動かした。
まるで夢の中の景色を手探りでなぞるように、部屋を歩いた。
豪華な装飾がされたクローゼット、ビクトリア様式に近いチェアやテーブル。デザインひとつひとつが凝っている。
この『箱庭』の持ち主――ルシェリア。彼の人となりが、少しだけ見えた気がした。
そして案の定とでも言える。
窓も、扉も、びくともしなかった。
(……やっぱり、閉じ込められてる)
小さくため息を零してベッドへ逆戻りしようとしたその時だった。
「お目覚めですか?」
声の方を見ると、あんなにビクともしなかったドアの目の前に、女性が立っていた。
灰色の光をまとうように、輪郭が静かに揺れて見える。
「……いつから、そこに?」
「ずっと、でございます。お嬢様が“目覚める”瞬間を見届けるのが役目ですから。」
彼女の声は柔らかいのに、音の余韻が妙に長く残った。
「改めまして私はこの屋敷の侍女をしております、レーヴェと申します。本日よりお嬢様の身の回りのお世話を担当させていただきます。」
「ご、ご丁寧にありがとうございます」
レーヴェと名乗った彼女。
灰色の髪に淡い瞳。穏やかで、どこか人形みたいに無機質。
しかし話しかけると意外と会話をしてくれる、優しい方だった。
慣れないドレスへの着替えを手伝ってもらう。
そうこうしていると朝食が用意されていた。
このサクサクふわふわなフレンチトーストも、彼女が作ったらしい。
ふと彼女なら答えてくれるかも、という僅かな希望を持って問いかけてみた。
「ねぇ、ここから出たいの」
「申し訳ありません。外の扉は、主の許可がないと開きません」
(……主、ね)
その言葉を聞いた直後、扉が開いた。
白い手袋がちらりと見える。
「僕が一緒なら外に出てもいいよ?」
ルシェリアだ。
彼が立つだけで、空気が僅かに震える。
まるでこの部屋の空間そのものが彼の呼吸に従っているようで――朝の光を背に立つ姿は、この世界そのものが彼を中心に回っているかのようだった。
オークションの時に着ていたような金の刺繍があしらわれた純白のジャケットではなく、もっとラフな、だけど高貴なブラウス姿。
コルセットとハイウエストなパンツが彼の細身と長身さを際立たせている。
「あなたのいう『箱庭』……“優しい檻”って、部屋の外にすら出られないのね」
「危険ですから。この屋敷内ならともかく、外には君を狙うものがたくさんいる」
「……信じられない」
「ふふ、いいですよ。信じなくても」
ルシェは微笑みながら紅茶を差し出す。
香りだけで意識がぼやけるようだった。
「ところで、君。名前は?」
「あなたに教える名前なんてない」
「へぇ」
紅の瞳が怪しく輝き、そして細く笑った。
「嫌いじゃないですよ、その強気なところ。……では、君が教えてくれるまで、いくらでも待つとしましょう」
彼の声は穏やかだったのに、
なぜか心臓が強く跳ねた。
「……ルシェリアさん」
「ルシェで構いませんよ、僕の子猫ちゃん」
「子猫ちゃんは嫌」
「どうして?警戒心が高くてそっくりじゃないですか。まあどうしてもと言うのであれば、ルシェと呼んでくだされば辞めますよ。」
甘く煮詰めた飴のような瞳がこちらを射抜く。
彼は時折意地が悪い。
ほんの数時間過ごしただけなのに分かってしまう自分が憎いし、手のひらで転がされているようで居心地が悪い。
「………………ルシェ」
「はい、なんでしょう」
「外に出たい」
「駄目だと言っているでしょ」
微笑の奥に、どこか寂しげな影が見えた。
その瞬間、私は気づいてしまった。
――この檻の鍵を握っているのは、きっと彼自身の“孤独”だと。
そしてその静寂の奥で、微かに鈴の音が鳴った気がした。




