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連作短編集「リセマラ」

最強賢者はやり直さない ~絆こそが真の魔法~

作者: 双瞳猫

もし、絶望的な敗北を「やり直せる」としたら?

命を懸けて手に入れた勝利の裏で、もし仲間との絆が壊れていくとしたら?


これは、死に戻りの力を手に入れた勇者の物語。最強の力を手にした代償に、彼が失いかけたものとは。そして、幾千の死の果てに彼が見つけ出した、本当の「強さ」とは何か。


絆こそが真の魔法だと気づくまでの、英雄の孤独な戦いが、今、始まる。

 序章 砕かれた希望


「死にたくない」


 それが、俺、斎藤海斗さいとうかいとが、トラックに轢かれる寸前に抱いた最後の感傷だった。平凡な高校生だった俺の人生は、けたたましいブレーキ音と衝撃と共に、あっけなく幕を閉じた。


 はずだった。


 次に目を開けた時、俺は「カイト」という新しい名と、「勇者」という大層な役割を与えられ、剣と魔法が支配する異世界に立っていた。女神を名乗る光の存在は言った。「魔王を倒し、この世界を救ってください」と。


 チート能力でももらえるのかと期待したが、俺に与えられたのは人並外れた魔力総量と、それを扱うための少しばかりの才能だけ。最強には程遠い、中途半端な力だった。

 それでも、俺は絶望しなかった。

 この世界には、仲間がいたからだ。


「おいカイト! ボーッとしてっと、オークの餌食になるぞ!」


 岩のような巨躯に巨大な戦斧を担いだ男、グレイが豪快に笑う。彼は、右も左も分からなかった俺を拾い、戦士としてのイロハを叩き込んでくれた兄貴分だ。ぶっきらぼうだが、その背中は誰よりも頼もしかった。


「もう、グレイったら。カイトは繊細な魔力のコントロールに集中してるんですから、邪魔しちゃだめですよ」


 そう言って柔和に微笑むのは、聖女のような慈愛に満ちた神官、エルナ。彼女の治癒魔法は、どんな深手も癒やしてくれる。彼女の笑顔は、どんな絶望も吹き飛ばしてくれる、俺たちの心の支えだった。


 俺たちは、種族も出自も違う仲間たちと共に、魔王軍と戦う旅を続けていた。俺の魔法、グレイの剛勇、エルナの癒やし。三つの力が合わされば、どんな困難も乗り越えられると信じていた。魔王だって、きっと倒せる。そう、本気で思っていた。

 あの日、黒霧の谷で「深淵の魔将・ザルガス」と遭遇するまでは。


「グ、グアアアアアッ!」


 屈強なドワーフの仲間が、ザルガスの振るう漆黒の鎌に薙ぎ払われ、絶命した。悲鳴を上げる間もない、一瞬の出来事だった。


「クソッ! 隊列を崩すな! エルナ、後方の負傷者を!」


 グレイが咆哮し、大盾を構えて前面に立つ。俺はその背後から、ありったけの魔力を込めた火球を放つ。


「食らえ! フレイム・バースト!」


 灼熱の塊がザルガスに直撃するが、奴は黒い瘴気を揺らめかせるだけで、ほとんどダメージを受けていないように見えた。


「馬鹿な……! 俺の最大魔法だぞ!?」

「小賢しい!」


 ザルガスが地を蹴った。目で追えないほどの速度。次の瞬間、俺の目の前にいたはずのグレイが、血反吐を吐きながら吹き飛んでいた。


「グレイ!」


 エルナの悲鳴が響く。彼女が詠唱を始めるより早く、ザルガスの鎌が迫る。


「やめろおおおっ!」


 俺は咄嗟にエルナを突き飛ばし、その身代わりになるように鎌の前に立った。

 痛みはなかった。

 ただ、視界がゆっくりと赤く染まっていく。薄れゆく意識の中、エルナの泣き叫ぶ声と、ザルガスの嘲笑が聞こえた。


 ああ、結局、俺は何も守れなかった。勇者なんて、柄じゃなかったんだ。ごめんな、エルナ、グレイ……。

 絶望が俺の心を塗りつぶした、その時。


 カチリ。


 無機質な音が、頭の中に響いた。

 そして、目の前に、半透明のウィンドウと、一つの赤いボタンが現れた。


『世界線の再構築を開始しますか?』

『チェックポイント:死亡直前』


 これは、なんだ? 走馬灯か?

 しかし、選択肢は『YES』か『NO』しかない。藁にもすがる思いで、俺は心の中で『YES』と叫んだ。


 次の瞬間、世界が凄まじい勢いで巻き戻っていく感覚に襲われた。

 血飛沫がグレイの体に戻り、吹き飛んだ彼が俺の前に立つ。ザルガスの姿が遠ざかり、俺が放った火球が手のひらに収束していく。

 そして、ハッと我に返った時、俺はザルガスと対峙した、数分前の状況に戻っていた。


「……夢?」


 だが、肌を粟立たせる殺気も、仲間たちの緊張した面持ちも、すべてが生々しい現実だった。そして、俺の脳裏には、先ほどの「死の記憶」が鮮明に焼き付いている。

 グレイが吹き飛ばされ、俺が斬られる、あの光景。


「カイト! どうした、集中しろ!」


 グレイの怒声で、俺は現実に引き戻された。

 そうだ、これはチャンスなんだ。未来を知っている。奴の動きが、俺には分かる。


「グレイ、右に三歩跳べ! すぐに!」

「はあ? 何言って……」

「いいから早く!」


 俺の鬼気迫る表情に何かを感じたのか、グレイは訝しげながらも指示通りに跳んだ。その直後、先ほどまでグレイが立っていた場所を、ザルガスの姿なき斬撃が通り過ぎていった。


「なっ……!?」


 驚愕するグレイを尻目に、俺は叫ぶ。


「エルナ! 詠唱の必要はない! 聖なる光を、奴の左目に集中させて!」

「え、ええっ!?」

「いいからやれ! 奴の弱点はそこだ!」


 死ぬ間際、俺の目に映ったザルガスの左目が、一瞬だけ赤く明滅していたのを、俺は見逃さなかった。あれは、魔力の奔流に耐えきれなくなった魔核の輝きだ。

 エルナは戸惑いながらも、杖の先に光を収束させ、鋭い光弾として放つ。


「ホーリー・アロー!」


 光の矢は、寸分違わずザルガスの左目に突き刺さった。


「グギャアアアアアアアアアアッ!」


 これまでとは比べ物にならない絶叫を上げ、ザルガスがのたうち回る。

 好機!


「グレイ! 今だ! 全力で叩き込め!」

「お、おう!」


 我に返ったグレイが、渾身の力を込めて戦斧を振り下ろす。致命傷を負った魔将は、もはやその一撃を避ける術を持たなかった。

 轟音と共にザルガスの巨体が地に沈み、やがて塵となって消えていった。

 静寂が訪れる。仲間たちは、何が起こったのか理解できないという顔で、俺とザルガスがいた場所を交互に見ていた。やがて、誰かが歓声を上げたのを皮切りに、谷は勝利の雄叫びに包まれた。


「やった……! やったぞ、カイト!」

「カイト、すごい! どうして弱点が分かったの?」


 駆け寄ってくるエルナに、俺は得意げに胸を張った。


「俺の分析眼にかかれば、こんなものさ」


 嘘だ。本当は、一度死んで知っただけだ。でも、そんなこと、言えるはずがない。

 仲間たちから賞賛を浴び、俺は高揚感に包まれていた。絶望的な敗北を、俺一人の力で勝利に塗り替えたのだ。この力があれば、俺はもっと強くなれる。いや、最強にだってなれるはずだ。


 しかし、その時だった。

 輪の中心から少し離れた場所で、グレイが腕を組み、鋭い目で俺をじっと見つめていた。それは、賞賛や安堵の色ではない。まるで、得体の知れない何かを見るような、疑いの眼差しだった。

 その視線に気づいた瞬間、俺の背筋を冷たい汗が伝った。


 第一章 英雄の仮面と黒い痣

 ザルガスを討伐した俺は、「深淵殺しの英雄」として、王都で熱烈な歓迎を受けた。人々は俺を「予知の勇者」と呼び、その奇跡的な勝利を称賛した。俺は、自分がついた「分析眼」という嘘を、よりそれっぽく見せるために「極度の集中状態に入ると、未来の断片が見えることがある」と説明した。誰もそれを疑わなかった。いや、疑いたくなかったのかもしれない。


「この力があれば、俺は最強になれる!」


 王城のバルコニーから、熱狂する民衆を見下ろしながら、俺は拳を握りしめた。死に戻りの力、俺はこれを「リヴァイブ」と名付けた。これさえあれば、どんな強敵も恐るるに足らない。負けても、死んでも、やり直せばいい。完璧な勝利を掴むまで、何度でも。

 しかし、ただ一人、グレイだけは俺の変貌を冷静に見ていた。


「おい、カイト」


 祝勝会の喧騒から離れたテラスで、グレイが俺に声をかけた。


「あの戦い、お前、何か隠してるだろ」

「……何のことだよ。言っただろ、俺の力だって」

「嘘をつくんじゃねえ。お前の動きは、まるで答えを知ってるかのようだった。あれは『分析』や『予知』なんて生易しいもんじゃねえ。もっと確信に満ちた、異質な何かだ」


 グレイの目は、真実を見透かさんとするように俺を射抜く。


「力に溺れるなよ、坊主。お前が得た力がどんなもんか知らねえが、楽して手に入れた力は、いつか必ずお前自身を喰らうぞ」


 その言葉は、俺の心に小さな棘のように刺さった。だが、英雄として賞賛される心地よさが、その痛みをすぐに麻痺させた。


「心配しすぎだよ、グレイ。俺はこの力で、魔王を倒してみせる。そのためなら、なんだって利用してやるさ」


 俺はそう言って、彼の忠告を一笑に付した。この時の俺は、グレイの言葉の重みを、まだ理解していなかった。


 リヴァイブの力を手に入れた俺たちの快進撃は、そこから始まった。

 魔王軍の幹部が潜む砦の攻略。俺はまず、単身で砦に突入し、罠の場所や敵の配置をすべて記憶しながら死ぬ。そしてリヴァイブで生還し、仲間たちに完璧な攻略ルートを指示する。


「カイトの言う通りに進んだら、罠一つ作動させずに中枢まで来れたぞ……!」

「まるで、この砦の設計図が頭に入っているみたいだ……」


 仲間たちの驚嘆の声が、俺の自尊心をくすぐる。

 強大な魔獣との戦いでは、仲間に様々な攻撃を試させ、そのリアクションから弱点を探る。もちろん、その過程で仲間が致命傷を負うこともある。だが、問題ない。俺がリヴァイブでやり直し、得た情報を使えば、次は誰も傷つくことなく勝利できるのだから。


「グレイ、あの魔獣のブレスは、物理障壁じゃ防げない。だが、魔力そのものを喰らう性質がある。俺が囮になってブレスを誘うから、お前は奴の懐に飛び込んでくれ」

「……分かった。だが、無茶はするなよ」


 グレイは不満そうな顔をしながらも、俺の指示に従う。


 一度目のループで、俺はブレスをまともに食らって死ぬ。

 二度目のループで、グレイが懐に飛び込むタイミングを間違えて死ぬ。

 三度目のループで、エルナの回復が間に合わずに死ぬ。


 何度も、何度も、死を繰り返す。

 そのたびに、俺の脳には膨大な戦闘データが蓄積されていく。そして、十数回目のループで、俺はついに完璧な勝利の方程式を導き出した。


「今だ!」


 俺の号令一下、仲間たちが完璧な連携で動く。グレイが魔獣の注意を引きつけ、その隙に別の仲間が足を破壊し、体勢が崩れたところに俺が最大火力の魔法を叩き込む。すべてが計算通りに進み、魔獣は断末魔の叫びを上げる間もなく絶命した。

 今回も、犠牲者はゼロ。完璧な勝利だ。


「さすがだ、カイト!」

「予知の勇者様万歳!」


 しかし、勝利を喜ぶ仲間たちの輪の中で、俺は言いようのない孤独を感じていた。彼らは知らない。この完璧な勝利の裏で、俺が、そして彼ら自身が、何度も無惨な死を遂げていることを。

 この戦い方は、常に仲間の犠牲を前提としている。彼らをチェスの駒のように動かし、最適解を探る。それは、あまりにも非情で、冷酷な戦術だった。


「カイト……」


 いつからか、エルナが心配そうな顔で俺を見つめるようになった。


「カイト、あなた一人で背負い込まないで。最近のあなたは、いつもどこか遠くを見ているようで……私たちを、信じてくれていないみたいで、悲しいです」


 彼女の言葉に、胸が痛んだ。信じていないわけじゃない。むしろ、信じているからこそ、彼らを死なせないために、俺が一人で死んでいるんだ。

 だが、その真実を告げることはできない。


「大丈夫だよ、エルナ。俺は、みんなを守りたいだけだ」


 そう言って微笑む俺の顔は、きっと歪んだ仮面のように見えたことだろう。

 仲間たちとの間に、見えない溝ができていくのを感じていた。食事の時も、焚き火を囲む夜も、会話の中心はいつも俺の「予知」について。かつてのように、他愛ない冗談を言い合って笑うことはなくなった。グレイは必要最低限のことしか話さなくなり、エルナは祈りを捧げる時間が増えた。


 そして、俺自身の体にも、異変が現れ始めていた。

 リヴァイブを使うたびに、左腕に黒い痣のようなものが浮かび上がるのだ。最初は小さな点だったそれは、死を繰り返すうちに、まるで墨を流したようにじわじわと広がっていった。痛みも痒みもないが、見るからに不吉なその痣は、まるで死の記憶が体に刻み込まれているかのようだった。

 これは、力の代償なのか?

 不安がよぎるが、俺はそれを見ないふりをした。魔王を倒すためだ。この程度の代償、安いものだ。

 左腕を完全に覆い尽くした黒い痣を包帯で隠し、俺は仲間たちに告げた。


「準備はいいか。次は、魔王城に乗り込む」


 その言葉に、仲間たちは緊張した面持ちで頷く。しかし、その瞳の奥に、かつてのような信頼の光は灯っていなかった。


 第二章 最強の代償と最後の選択

 魔王城は、絶望の具現だった。

 天を突く漆黒の塔は、不吉な瘴気を放ち、周囲の土地を汚染している。城内は、死に戻りを前提としなければ到底突破できないような、悪意に満ちた罠と強力な魔物で満ち溢れていた。


 即死効果のある毒ガスが充満する廊下。

 一度目のループで全滅し、ガスの特性を掴む。


「全員、息を止めろ! 30秒で駆け抜けるぞ!」


 踏むと天井が落ちてくる魔法陣が敷き詰められた大広間。

 何度も死にながら、安全なルートを体に叩き込む。


「俺が通った場所だけを踏んでついてこい! 一歩でもずれるなよ!」


 魔王軍の最高幹部、四天王との連戦。

 一人一人が、ザルガスを遥かに凌ぐ実力者だった。俺は、ループを繰り返し、彼らの能力、弱点、行動パターン、そのすべてを解析した。


 あるループでは、グレイが敵の自爆に巻き込まれて死んだ。

 あるループでは、エルナが呪いを受けて石になった。

 あるループでは、俺自身が心臓を貫かれ、意識が途切れる寸前まで敵の弱点を探し続けた。

 死ぬ。戻る。情報を得る。また死ぬ。

 その繰り返し。


 左腕の痣は肩を越え、胸にまで達していた。時折、心臓が氷で掴まれたように冷たくなる感覚に襲われる。精神はすり減り、現実と死の記憶の境界が曖昧になっていく。


「カイト、顔色が悪いわ。少し休みましょう?」


 エルナが俺の額に手を当てようとするが、俺はそれを無意識に振り払ってしまった。


「……平気だ。先を急ぐ」


 冷たい俺の態度に、エルナは傷ついたように目線を落とす。そんな彼女の姿に胸が痛むが、もうどう接すればいいのか分からなかった。俺は、仲間との心の繋ぎ方さえ、忘れてしまったのかもしれない。


 何十回、何百回死んだだろうか。

 数えきれないほどの犠牲と、俺自身の摩耗の果てに、俺たちはついに魔王の玉座へとたどり着いた。

 玉座に鎮座していたのは、意外にも、華奢な少年の姿をした魔王だった。だが、その身から放たれる魔力の奔流は、これまで対峙したどんな敵とも比較にならないほど禍々しく、濃密だった。


「来たか、イレギュラー。幾度も時を遡る、忌まわしき魂よ」


 魔王は、俺のリヴァイブ能力を完全に見抜いていた。

 最終決戦の火蓋が切って落とされた。


 魔王は、強かった。

 未来を知っていても、その未来を覆すほどの圧倒的な力。俺の指示はことごとく破られ、仲間たちは次々と倒れていく。


 死ぬ。

 グレイが俺を庇って光の槍に貫かれる。

 死ぬ。

 エルナが魔王の精神攻撃に耐えきれず、廃人となる。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。


 ループを重ねるたびに、黒い痣は俺の全身を侵食していく。もはや、肌色の部分はほとんど残っていなかった。体は鉛のように重く、思考は霧がかかったように鈍い。

 それでも、俺は諦めなかった。最強の勇者になる。魔王を倒し、すべてを終わらせる。その一心だけで、俺は死のループに身を投じ続けた。

 そして、おそらく千回は超えたであろうループの果てに、俺はついに魔王を追い詰める唯一の解を見つけ出した。


 魔王の核は、この空間そのものと癒着している。物理攻撃も、通常の魔法も、決定打にはならない。奴を滅ぼすには、空間ごと消滅させるほどの、膨大な聖属性エネルギーが必要だ。

 そして、そのエネルギーを生み出せる存在は、この場に一人しかいない。


 神官エルナ。


 彼女の持つ聖なる力を、生命力ごと暴走させ、自爆させる。

 それだけが、魔王を完全に滅ぼす唯一の方法だった。


「……そんな」


 勝利法を見つけ出した高揚感は、すぐに凍りつくような絶望に変わった。


 エルナを、犠牲にする?

 あの、いつも俺を心配し、その笑顔でパーティを照らしてくれた彼女を、この手で死なせるというのか?


『力こそ全てだ』


 俺の中の傲慢な自分が囁く。


『一人の犠牲で世界が救われるんだ。安いものだろう?』

『ここで躊躇えば、これまでの数えきれない死が無駄になるぞ』

『最強の英雄になるんだろう? そのための、最後の試練だ』


 そうだ。俺は最強になるんだ。そのためには、非情にならなければ。

 俺は、最後のループを開始した。

 これが、最後の戦いだ。

 完璧な指示で、仲間たちを動かす。すべては、エルナを魔王の懐に送り込み、彼女に自己犠牲を強いるための布石。仲間たちは、俺の真の狙いを知らないまま、必死に戦ってくれている。

 そして、ついにその時が来た。

 魔王が最大魔法の詠唱に入り、巨大な隙が生まれる。今しかない。


「エルナ! 今だ! 奴の懐に飛び込んで、君の全生命力と聖なる力を解放しろ! それしか、奴を倒す方法はない!」


 俺は、冷酷に、非情に、命令を下した。

 エルナは、目を見開いて俺を見た。その瞳には、驚きと、悲しみと、そして、かすかな諦めが浮かんでいた。


「……そう、でしたか。それが、カイトの見つけた、未来なのですね」


 彼女は、抵抗しなかった。静かに頷き、魔王に向かって歩き出す。


「あなたの、お役に立てるのなら……」


 その健気な後ろ姿を見た瞬間。

 俺の脳裏に浮かんだのは、最強の英雄という輝かしい称号ではなかった。

 それは、仲間たちと過ごした、何でもない日々の記憶だった。

 初めて会った日、グレイに「ひょろっちいな、ちゃんと食ってんのか」と頭をわしわし撫でられたこと。

 エルナが作ってくれた、少し焦げた味のするスープを、みんなで笑いながら食べたこと。

 焚き火を囲みながら、俺がいた元の世界のことを話すと、みんながキラキラした目で聞いてくれたこと。

 ザルガスに負けて、もうダメだと思った時、俺を庇ってくれたグレイの背中。俺を突き飛ばして、身代わりになろうとしたエルナの涙。


 そうだ。俺は、何のために戦ってきたんだ。

 最強になるため? 英雄になるため?


 違う。


 俺は、この大切な仲間たちと、一緒に生きて、笑い合いたかっただけじゃないか。

 なのに俺は、いつの間にかその目的を見失い、力を追い求めるだけの空っぽの機械になっていた。


「やめろ……」


 声が、震えた。


「やめろ、エルナ! 行くな!」


 俺は絶叫した。魔王に向かう彼女の腕を掴み、力強く引き寄せる。


「え……? カイト……?」

「俺が間違ってた! こんな方法、クソ食らえだ! お前を死なせて手に入れた勝利に、何の意味があるんだよ!」


 俺は、エルナを強く抱きしめた。温かい。生きている。この温もりを、俺は失うわけにはいかない。


「……何を言っている、勇者よ。それが唯一の解であろう」


 魔王が、嘲るように言った。


「そうだ。だが、俺はもう、その解を選ばない」


 俺は、最強になることをやめた。

 英雄の仮面を、脱ぎ捨てた。

 そして、心の中で、あの赤いボタンに別れを告げた。

 もう、やり直さない。

 この一回きりの現実で、仲間たちと、未来を掴んでみせる。


 第四章 絆という名の魔法


「みんな、聞いてくれ!」


 俺は、抱きしめていたエルナを離し、仲間たちに向き直って叫んだ。


「俺の力は、予知じゃない。俺は、死ぬと時間を巻き戻せる。ただ、それだけだ」


 初めて明かした真実に、仲間たちは息をのむ。グレイだけは「……やはりな」と静かに呟いた。


「俺は、その力を使って、何度も死にながら、お前たちを駒のように動かして、完璧な勝利を演じてきた。エルナを犠牲にするのが、一番確実な勝ち方だった。でも、俺はもうそんなの御免だ! 俺は、みんなで生きて、この城を出たい!」


 すべてをさらけ出した。自分の弱さも、傲慢さも、後悔も。


「だから、頼む! 俺はもう、一人じゃ戦えない。完璧な作戦なんてない。でも、みんなの力を貸してくれれば、きっと……きっと道は開けるはずだ!」


 俺は、深々と頭を下げた。

 もう、英雄じゃない。ただの、助けを求める一人の仲間に戻ったのだ。


 沈黙が、玉座に満ちる。

 やがて、重い足音が近づいてきた。顔を上げると、目の前にグレイが立っていた。彼は、俺の頭にゴツい拳骨を落とした。


「いって!?」

「当たり前だ、この大馬鹿野郎が! そんな大事なこと、なんで今まで一人で抱え込んでやがった!」


 怒鳴りながらも、その口元は、ニヤリと笑っていた。


「ようやく言ったか、坊主。それでこそ、俺たちが見込んだ勇者カイトだ。最初からそう言やあいいんだよ」

「カイト……」


 エルナが、涙を浮かべた美しい瞳で俺を見つめていた。


「辛かったでしょう。ずっと、一人で……。でも、もう大丈夫。私たちは、ずっとあなたの仲間です」


 他の仲間たちも、次々と俺に駆け寄り、肩を叩き、力強く頷いてくれる。


「水臭えじゃねえか、カイト!」

「俺たちを信じろよ!」


 ああ、そうだ。俺の周りには、こんなにも温かい仲間たちがいたんだ。

 俺が失いかけていた、かけがえのない宝物。


「サンキュ……みんな」


 涙で視界が滲む。だが、今は泣いている場合じゃない。

 俺は涙を拭い、目の前の魔王を睨みつけた。


「魔王! お前の思い通りにはさせない。俺たちは、俺たちのやり方で、お前に勝つ!」

「愚かな。絆などという不確かなものにり、勝ち筋を自ら手放すとは。人間とは、実に滑稽な生き物よ」


 魔王が、最後の審判を下すかのように、その身から膨大な魔力を解放した。

 ここからが、本当の最終決戦だ。

 やり直しは、もうない。一回きりの、命を懸けた戦い。


「グレイ、前衛を頼む! 俺が死んでも、絶対にエルナを守り抜け!」

「誰に言ってやがる! お前も死ぬんじゃねえぞ!」


 グレイが雄叫びを上げて突進し、大盾で魔王の攻撃を受け止める。凄まじい衝撃に、彼の足が床にめり込むが、その体は一歩も引かない。


「エルナ、グレイに防御障壁を! 他の者は、俺の魔法に合わせて援護射撃を頼む!」

 俺はもう、完璧な指示を出す司令塔ではない。仲間を信じ、それぞれの判断に委ねる、一人の戦士だ。

「はい! セイント・プロテクション!」

 エルナの詠唱に応え、グレイの体を眩い光のドームが包み込む。魔王の追撃が光の壁に弾かれ、火花を散らした。


「今だ! いけえええっ!」

 俺の号令に、仲間たちが一斉に動く。弓兵の放つ矢が、魔術師の放つ氷塊が、魔王に殺到する。それは、ループの中で見た完璧な連携には程遠い、荒削りで、どこかちぐはぐな一斉攻撃だった。

「無駄だ!」

 魔王が瘴気を爆発させ、ほとんどの攻撃をかき消してしまう。

 だが、無駄じゃなかった。数発の矢が、魔王の体をかすめる。それは、致命傷にはならない、ほんのかすり傷。

 しかし、その傷は、確かに俺たちの力が魔王に通じるという、希望の証だった。


「怯むな! 手を休めるな!」

 俺は叫びながら、最大火力の魔法を練り上げる。全身を蝕む黒い痣が、ズキズキと痛んだ。リヴァイヴの代償は、力を失った今も俺の体を蝕み続けている。だが、この痛みこそが、俺が犯した過ちの証。これを背負って、俺は戦う。


「カイト、無茶です! その体で、これ以上魔力を使ったら……!」

 エルナが悲鳴に近い声を上げる。

「大丈夫だ! 俺の背中は、みんなが守ってくれるんだろ?」

 俺は、振り返らずに言った。背中に感じる、仲間たちの気配。それが、何よりも心強い。

「……はい! 私が、必ずあなたを守ります!」

 エルナの決意に満ちた声に、俺の心に力が湧き上がる。


 戦いは、熾烈を極めた。

 グレイが吹き飛ばされ、仲間が傷つき、倒れる。そのたびに、エルナの治癒魔法が駆け巡り、俺たちが再び立ち上がる。

 何度も死線を彷徨った。魔王の刃が喉元に迫った時、仲間の投げた短剣がその軌道を逸らしてくれた。魔王の呪詛に捕らえられそうになった時、グレイが身を挺して俺を庇ってくれた。


 完璧じゃない。スマートじゃない。泥臭く、必死に、傷だらけになって、それでも俺たちは食らいついた。

 一人一人の力は、魔王に遠く及ばない。

 だが、グレイが盾となり、エルナが癒やし、仲間が隙を作り、そして俺が撃つ。

 足りない力を、互いに補い合う。信じ合う。

 その連鎖が、奇跡を生み出していく。


「なぜだ……なぜ貴様らは、何度打ちのめされても立ち上がる……!」

 魔王が、初めて焦りの声を漏らした。

「教えてやるよ、魔王!」

 俺は、ついに完成させた最大魔法を杖先に収束させながら叫んだ。

「一人じゃ無理でも、二人なら立てる! 三人なら、前に進める! 俺たちは、一人じゃないから強いんだ!」


 絆。

 俺が、力に溺れて見失っていたもの。

 それは、不確かな幻想なんかじゃない。傷ついた仲間を立たせ、絶望した心に火を灯す、この世界で最も確かな力。

 これこそが、俺が本当に手に入れるべきだった、真の魔法だったんだ。


「これが、俺たちの、最後の魔法だ!」


 俺は、ありったけの魔力を解放した。それは、聖なる光でも、空間を消滅させるほどのエネルギーでもない。ただ、仲間への想いを乗せた、俺の全力。

「合わせろ!」

 グレイが、エルナが、他の仲間たちが、それぞれの最後の力を、俺の魔法に重ねていく。

 赤、青、緑、黄金。様々な色の光が一つに混ざり合い、虹色の巨大な奔流となって、魔王に襲いかかった。


「馬鹿な……! ただの魔力の集合体が、我が暗黒を……!?」

 魔王の驚愕の声は、虹色の光に飲み込まれて消えた。

 玉座が、城が、世界が、光に満たされる。

 凄まじい衝撃波に、俺たちは吹き飛ばされた。薄れゆく意識の中、俺は確かに見た。仲間たちが、俺を守るように覆いかぶさってくれるのを。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 俺が目を覚ました時、目に飛び込んできたのは、崩れた天井から差し込む、柔らかな日の光だった。

 禍々しい瘴気は消え去り、澄んだ空気が満ちている。

 世界は、救われたのだ。


「……カイト!」

「気がついたか!」

 体を起こすと、そこには、ボロボロになりながらも、満面の笑みを浮かべた仲間たちの顔があった。

 グレイ、エルナ、そして、共に戦い抜いた全員が。


「やったな、俺たち」

 俺がそう言うと、グレイは「当たり前だ」と笑って、俺の背中を力強く叩いた。その衝撃で、俺は盛大にむせる。

「痛えよ!」

「あはは!」

 みんなの笑い声が、崩れた玉座の間に響き渡った。


 俺は、自分の体を見た。

 全身を覆っていた黒い痣は、跡形もなく消え去っていた。だが同時に、あれほど膨大だった魔力も、まるで嘘だったかのように、ほとんど感じられなくなっていた。

 俺は、最強の力を失った。

 もう、死に戻ることも、強大な魔法を放つこともできない。ただの、少しだけ魔法が使える、元・異世界人だ。


 でも、不思議と、後悔はなかった。

 力の代わりに、俺の手の中には、もっと温かくて、かけがえのないものが残っていたから。


「カイト」

 エルナが、そっと俺の手に自分の手を重ねてきた。

「おかえりなさい」

 その一言に、すべてが詰まっている気がした。

 俺は、ようやく、本当にこの世界に帰ってくることができたんだ。


「……ただいま、エルナ」


 世界は救われたが、俺は最強の力を失った。

 しかし、俺の周りには、かけがえのない仲間たちの笑顔があった。

 絆こそが本当の強さだと知った俺は、もう「最強」を目指さない。


 真の勇者として、大切な仲間たちと共に、この世界で生きていく。

 俺の新しい人生は、ここから始まるのだ。

 俺は、仲間たちと顔を見合わせ、朝日が差し込む城の外へと、新たな一歩を踏み出した。(了)




「最強賢者はやり直さない」を最後までお読みいただき、ありがとうございます。


便利な力は、時に人を孤独にし、大切なものを見失わせます。主人公カイトもまた、最強を求めるあまり、仲間という宝物を失いかけました。


この物語を通して、効率や結果だけではない、不器用でも心を繋ぎ合わせることの温かさや、絆という名の魔法を感じていただけたなら幸いです。

カイトと仲間たちの新たな旅路に、幸多からんことを。

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