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「絶対にステーキがいいアル!」

「いいかい、ハクヤは初めてここに来るんだ。初めてなら釜飯の方がいいに決まってる!」

「ツーちゃんステーキ食べたいネ!」

「お前の食いたいもんなんざ聞いてねえんだよ!」

「……まぁまぁ、カイザーもツーちゃんも落ち着いて」

 昼下がり。

 大王わさび農場。

 安曇野で行くべき場所を挙げるなら一、二番目に出てくるであろう大規模な観光地の中心で、俺とデンパ先生、カイザーにツーちゃんの四人は、どこで昼食を摂るかが決まらず、他の観光客の白眼視に晒されながら立ち往生していた。

 強い日差しの下。

 俺はタオルハンカチで額の汗を拭い、熱の籠った肩の部分に風を通すため、サスペンダーを外して腰の横に垂らした。

「それじゃあ、こういうのはどうですか。俺とデンパ先生も加えて四人で多数決を取るというのは。それなら二人とも文句はない。でしょう?」

 カイザーとツーちゃんを交互に見やると、二人とも納得したようで一度だけ頷いた。

「別にいいアルよっ! んじゃハーくん、絶対に『オアシス』に一票入れるヨロシ?」

「大々的投票操作ッ⁉︎」

「おらは食卓にワサビさえ出てくりゃなんでもええだよ。『大王庵』でも『オアシス』でもワサビが出てくるでな。つまり、おらはどっちでも構わんずら」

「こっちは白票ッ‼︎」

「会議は踊る、されど進まず。こうなったら拳を交えて宴の場を決する他なさそうだな」

 最後は暴力解決に走ろうとしていた。魔術師と武闘家相手に腕っぷし勝負を申し出るとは、カイザーのやつは相当ステーキが食べたいらしい。

 民主主義の限界を目撃した俺は、こめかみに浮かぶ汗を拭くため再びハンカチを当てた。

 なぜこうなった。

 遡ること二時間前。

 八面大王『本体』の鎮魂を終え、帰宅するなり気絶するように眠った俺は、最悪のモーニングコールによって叩き起こされた。

「ハーくん起きてヨ! 朝ごはん作るアル!」

「ハクヤ貴様! エクレールから聞いたぞ。幹部を差し置いて八面大王『本体』と戦闘を交えたとはどういうことだッ‼︎」

 ソファで寝ていたはずが、いつの間にかフローリングに落っこちた身体はバキバキ。

 馬乗りになった似非チャイナ娘が、ただでさえ寝起きで浮腫んだ顔を頬のところで抓っては、思うがままに引っ張ってくるせいで、顔面は水飴のようにぐにゃぐにゃ。

 おまけに遮光性の高い真っ黒のグラサンに、ところどころワサビ色のメッシュが入ったポニーテールの男が、眉間に皺を寄せて恫喝してくるせいで、俺の目は乾いてパキパキだった。

「ハーくんなに作れるアル? サルティンボッカ作れるアルカ?」

「さ、サル……猿脳は食っちゃまずいですよ。倫理的にも健康的にも法律的にも」

「『本体』は俺だって対峙したことないのに、運のいいやつめ」

「どうやらその運もちょうどいま尽きたようで」

 そこへ、ペタペタとデンパ先生。

 ワサビ形のポーチを持った彼女は、ソファに腰を掛けてサイドテーブルを手前に引き寄せた。鏡をテーブルにセットし、カラカラと日焼け止めを数度振って蓋を開ける。

「腹が減ってるのはみんなおんなじみてぇだし、外でなんか食うかや」

 ファンデーション兼用なのか、日焼け止めを首まで塗り終えると、今度は白粉が入った容器のスナップ式の蓋を開けて大きなパフを取り出す。蓋の裏の鏡を見ながら、顔にバシバシと大雑把な調子でパウダーを叩き込んでいく。

「四人もいて誰一人として炊事ができる人はいないんですか。まぁ俺が言えたことじゃないんですけど」

「料理はソンの担当だでな。おらは食べる役だに」

「ツーちゃんも食べる役アルっ!」

「料理ができたところで、なんのタクティカルアドバンテージもないからな」

「食費が嵩むディスアドバンテージがあるんですがそれは」

 デンパ先生がペンシルタイプの眉墨を仕舞い、ワサビ色のアイライナーとアイシャドウを取り出すこまごました様子を眺めながら、俺はふと疑問を口にする。

「そういえば御眠さんとかツーちゃんはまだ分かるけど、デンパ先生とあのハゲの人は、なんで『エクレール』と『ソン』なんですか?」

 ツー=マシャラは、おそらく武術を意味する英単語『マーシャルアーツ』を文字っていて、御眠に関しては、お菊だとかお千代のような和風な呼び方を、惰眠を貪る眠り姫につけているだけだろう。

 質問した途端、忽然と。

 ツーちゃんとデンパ先生が部屋から消えた。

 残ったカイザーが腕組みをして、自信満々に鼻息を荒くする。

「よくぞ聞いてくれた、ハクヤ。まずエクレールに関しては彼女が甘党だからだ。特にエクレアには目がないんでな。よくパイナップル缶を食べているところとか見るだろう?」

「え、あの人ワサビが好きなワサビ娘じゃないんですか?」

「ワサビは魔法を使うために必要らしい」

「責務で食べてるのか……」

 ああ見えて根は真面目なのかもしれない。

 ボタンで留めていないダブルカフスはいつもだらんだらんで、裸足だけど。

「問題はあのハゲのコードネームだ」

 結局使われなかった鏡の置いてあるサイドテーブルに肘を突き、カイザーは顔の前で手を組んで改めて声のトーンを一つ下げる。

「孫悟空。天界の神々に反旗を翻し、如意棒と筋斗雲を以て西天への旅をする、自由奔放なる魔術師にして武闘家。その転生体であるあのハゲは、もとは豊かな髪と『影分身』の能力に恵まれていた。しかし、八面大王の転生体『ゴースト=オブ=マジック』との死闘が繰り広げられ、日本人口の八分の一が屠られた末、彼は全ての体毛と引き換えに隠されし奥義『一〇万影分身』を成功させた。これは実に安曇野市の人口に匹敵する数であり、対して転生体『ゴースト=オブ=マジック』は奥の手『|八段階進化の最終形態《ステージ=エイト=エボリューション》』を発動。激戦の末、孫悟空は残り全ての頭髪と引き換えに世界を救うことを決意し────」

「ああなんか俺もすこぶるお腹が空いちまったなこれはえらい困ったもんだうん‼︎」

「いやちょっと待て。今までのは序章に過ぎない。本題はこれからだぜ、ハクヤ!」

 今までが序章なら、プロローグは俺の衰弱死だ。

 押し寄せる、無駄な情報の本流。

 それが脳細胞を隅々まで汚染し、シナプスを枯らす前に俺は逃げ出す。

「外食かぁこりゃ楽しみだなぁ! デンパ先生ェ‼︎ ツーちゃんッ‼︎」

 と、こうして。

 俺はなんとか生きて家を出られ、現在に至るわけなのだが。

「ステーキがいいアル!」

「釜飯一択だ!」

 片や、安曇野の清流が育てた生ワサビで肉料理が食べられる洋食の店『オアシス』。

 片や、北アルプスの美しい湧水で炊かれた釜飯が食べられる和食の店『大王庵』。

 大王わさび農場は年中無休で、尚且つみんなが住む家から車で一〇分の距離なので、どちらか片方しか行けないということもない。言ってしまえば、明日、今日食べなかった方のお店で食事をすればいいのだから、俺としてはどちらの店でもよかったのだが、なかなかどうして、カイザーとツーちゃんが互いに譲らないせいで、空腹が増すばかり。

 こんなときに重宝する偉大な発明『ジャンケン』だが、この二人に限ってはジャンケンを以てしても決まらなかった。

 最初に負けたツーちゃんが「何回戦かの指定がなかったから」と更に偶数回の勝負を加えて総当たり戦形式に変更し、次に勝ち星が足りなかったカイザーが「ツーちゃんは動体視力がいいからジャンケン自体が公平な決め方として成立していない」と異議を唱え、堂々巡り。

 俺は頭に思い浮かんだ別の策を口にする。

「小銭でもあればコイントスでパパッと決められるのになぁ。誰か持っていないんですか?」

 細かいお金は持ち歩かない主義なので、俺がいま持っているのは、学生証や交通系ICカードなどを纏めたマネークリップに挟んだ七〇〇〇円。決済アプリの残高はなかったはずだから、これで全てである。……あれ、これ帰りの電車賃なくね⁇

 気のせいか、不穏な空気が流れた。

 三人に目を向けると、カイザーとツーちゃんの二人は空のポケットを表裏に引っ張り出して肩を竦めており、デンパ先生は見たことのないお札を数えていた。

「ツーちゃん財布は持たない主義アル。外食は奢ってもらうネ」

 図々しいなおい。

 頭の団子こぶ一つ増やしたろか。

「すまないハクヤ、新調したウォレットチェーンを付け替えたのをそのまま部屋に忘れてきた」

 失くさない機能をつけて本体を忘れるという空虚。

 というか、今どきウォレットチェーンつける人いるんだ。

「おら五〇〇円札が三枚あるで、ちょうど一五〇〇円だに」

 ゼロ円だよ。

 使えねぇんだから。

「それじゃあここは俺が建て替えるので、代わりに俺が店も決めますよ」

 大王庵の店の前には長蛇の列ができていたが、遠くの方で観光バスから出てきた団体客がオアシスへと入っていくのが見えたので、おのずと選択肢が一つに絞られる。

「釜飯食べましょう。メニューがそこにあるみたいですね」

 店の入り口へと続くU字型スロープのスタート地点に置かれた立て看板を、俺は指差す。

「断っておきますがね、俺もたいして持ってないですからね。ここはひとつ、注文する前に合計額を計算するとしましょう」

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