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後書き 蝉の声も鳴り響かないあの夏の中で




 2025年6月20日。東京都新宿区、会社帰り、東京メトロ副都心線の4号車。


 あの夏から3年という月日を経て、社会人になった俺は今、一人スマホと向き合い、自身のくだらない体験を物語というガワを通して世の中に吐露している。君にもらった〝よしの〟という名前をペンネームにして、〝飯田〟のことを描き続けている。


 ――ガタンゴトン、ガタンゴトン――


 揺れる車体に振り回されぬよう、左手で吊革にしっかりとつかまる。


 俺はこの3年という月日の中でなにを得て、なにを失い、何をもってして、こんなくだらない小説を描いているのだろう。


 君に届いてほしいから、なんて誰もが察してしまうような、気色の悪い願いは置いておいて、それはもっと単純な話であって、あの日々が自分の人生の中の幸せな瞬間だったから、というだけだ。今ある現実から逃げて、あの頃の変わらない幸せに縋っていたい。そんな情けない自分を、まるで美しいもののように錯覚してしまった。


 ――それが、この小説の原点だった。


 今の俺には、交際7カ月目の彼女だっているし、1年以上親しくしているゲーム友達もいる。こんな拙い文章を読んで大絶賛してくれる親友だっているし、社会人になっても尚、一人っ子の俺に愛情をたっぷり注いでくれる両親だっている。


 だから、俺は、本当に幸せ者の〝はず〟なんだ。


 ――だけど。それなのに。


 俺は今の自分に不満を抱き、いつだってあの頃のことを考え続ける。


 俺は、所謂、〝心の病気〟なんだと思う。


 3年経った今でも、会ったこともない君の夢を見た。

 夢の中、机と椅子が並んだ大学の講義室みたいな会場で、一番前の席に座る彼女が先生に名前を呼ばれて立ち上がる。その名前が飯田の本名と全く一緒で、その後姿が、あの日送られてきた写真とそっくりで、感極まった俺は、涙でぐしょぐしょになりながら、飯田の名前を叫び続ける。

 そんな、寒々しい夢を見た。


 3年経って、こんな自分を見つめ直して、分かった部分がある。

 俺には、叶わないものに対する執着が人一倍あって、それが現実から逃げ出すための手段になっているのだと、そう思った。

 今の〝彼女〟とは、これまでの恋愛とは違って、なんとか上手くいき、付き合うことができた。だから、夢が叶った。だからこそ、なんの執着もしない。

 もしも、仮に、〝彼女〟と付き合うことができなければ、俺は〝彼女〟との失恋を題材にした小説を今頃書いていたことだろう。それは逆も然りで、もし、あの日の俺に飯田と付き合うことができていたなら、今の俺はこんな小説を書くはずがない。


 失ったものだからこそ愛おしいし、結末のない未来だからこそ自分勝手に創造できるし、変えられない過去だからこそ美化して思い返すことができる。


 そういった〝現実逃避〟が、俺の中に〝未練〟というハンドルネームをつけて巣食っている。それをわかっていても尚、やめることができないのだから、〝病気〟なんだと思う。


 そんな〝病気〟の俺が描く物語が、この世界に広まることのないことなんてわかっている。そう、わかってはいる。わかっているけど、だけど、届けばいいと希ってしまう。

 君じゃなくてもいい、誰だってかまわない。男だろうと女だろうと、学生だろうと社会人だろうと、誰かしらの心に、このどうしようもないナイフが突き刺さって、抜けなくなってしまえばいいと思う。


 そういう自分勝手な通り魔の俺が、誰かを救おうだなんて、馬鹿げてるってわかってる。それでも、俺はやめない。描いて描いて描いて描いて描き続ける。


 だから、ここでは、本編では問うことのできなかった、美しくない、エゴの詰まった鳥籠のような問いかけをしようと思う。

 そんな問いに意味がないことはわかっているし、その答えは飯田本人にしかわからないものだし、彼女は俺との時間に〝意味〟なんてものすら与えていないかもしれないけれど、それでも問おうと思う。




 ――俺が彼女の人生の中に存在した意味は何だったのだろう、と。




    ◆




「私、〝よしの〟のことブロックした後、死のうとしたんだ。失敗しちゃったけどね」


 ――それは、あの8月から5か月後。――再び繋がったイヤホン越し、他愛ない話でもするみたいに、君の口から零れた一言。


「そうなんだ……それって」


「うん、自殺未遂」


「……」


「あの後すぐかな。私、風呂場で首吊ってさ」


「うん……」


「でもさ、衝動的にやっちゃったから、首絞めたのが風呂場にあった……あれ、なんて言うんだろ、なんか長くて、伸び縮みして、体洗うスポンジみたいなやつ」


「……ボディタオルのこと?」


「そう! それそれ。だから、最初は苦しいんだけど、最後までちゃんといけなくて」


「うん……」


「気付いたときには、風呂場の床で爆睡かましてた!」


「……そんなことあったんだな」


「だから、死ねなかった」


「そっか……」


「あははっ、マジ、ウケるでしょ」


「いや、まあ……」


 腑抜けた返事しかできなかった。それが俺の精一杯だった。


「――それでまた元カレと2回目の復縁してさ!」


「――この前、むしゃくしゃしてTinderで会った男とヤろうとしてね」


「――でも、私、めっちゃ吐いちゃって、それどころじゃなくって」


「――就活だるいし、大学院でも行こうかなーって検討中」


 どんな話をされても、なんて返したらいいのかがわからなかった。

 彼女は、その軽快な語り口の向こう側で、どんな感情を殺しているのか、それとも、本当にあっけらかんとしていて、なにも考えていないのか、なにもわからなかった。


 3年前の、あの夏の俺ならきっと、その姿を見て、「取り繕っている」と決めつけていたはずだ。そして、行動には起こさないくせに、彼女の抱えた闇に触れたいと願っていたに違いない。でも、彼女が音信不通になってから5か月後、夏が終わって恋を失った俺に、そんな幻想は見えなくなってしまっていた。そして、それから3年近く経った今の俺は、尚更そんな決めつけはしないし、彼女を救いたいだなんて身勝手で我儘な願いも掲げない。


 ――だって、彼女は、俺が助けに行かなくても、自分一人で勝手に生き延びた。


 それは、偶然だったのだろう。もし手近にあったのが、例えば、物干しロープだったとしたら、きっと彼女は死んでいたのだから。

 でも、そんなのは『たられば論』にしか過ぎない。結果として、彼女は、誰の手助けも必要とせず、自力で生き延びたし、俺にその事実を告げに来ている。


 俺が思うほど彼女は弱くないし、いい子でもないし、可愛いやつでもない。俺が想っている彼女はあくまで、あの夏の日々にバーチャルの空の下で通信を交わした〝飯田〟であり、今もどこかで社会人として活躍している彼女ではない。


 それでも、彼女は今も生きているという事実を知ると、少し目が潤んでしまう。3年経った今、彼女が残していったものの一つに、一般公開されているSNSアカウントがある。それを見る限りだと、今の彼女には素敵な彼氏がいるみたいだし、1年間の休学をした俺とは違ってストレートで大学を卒業し、社会人2年目の日々を過ごしているようだった。




 ――彼女は彼女の人生を今も歩んでいる。

 ――俺は今ある〝幸せ〟を素直に受容できないまま、過去に囚われて生き続けている。




 恋愛至上主義者の俺は、あの日、〝失恋〟をしたことで、生きる意味を失った。


 だからといって、死のうとは思わないけれど、生きてる必要もないように思えてしまう。


『誰々が悲しむから』


『誰々に死んでほしくないと懇願されるから』


『命は大事だと皆が強く言うから』


 そんな理由で生きることほど馬鹿馬鹿しいものはないと思う。


『あなただけの命じゃない』


 そんなのは感情論にしか過ぎない。誰だって望んで生まれてきたわけじゃないし、せっかく生まれてしまったのなら、生き方も死に方も自分で決める権利があると思う。自分の命は自分のものだし、自分は自分のために生きたいし、〝生きたい〟と思う理由があるからこそ、人は生きていくのだと、俺は思う。




 ――だから、飯田に『絶対に生きて、幸せになってほしい』と希う気持ちは俺が生きるための理由であって、それは彼女の生きる理由には決してならない。




 もしも、この小説が出版されて、サイン会に彼女が現れて「飯田だよ。やっと会えたね」と声をかけてくるだろうだなんて、痛すぎる妄想に期待もしないし、逆に、この小説を読んだ君に、『ウザい』『キモい』と軽蔑されるに決まっている、なんて独りよがりな自己嫌悪もしない。これは、俺の生きる意味であって、俺のための物語だから。


 だからこそ、言おう。ここまで、散々注意書きみたいなことをして、堂々巡りで先延ばしにしていた結論を、ここで出そう。










 ――俺が彼女の人生の中に存在した意味は、

 

 ――きっとある。










 この物語を読んだ誰かに「意味なんてあるわけない」と一蹴されようが、飯田に「よしのとなんか出会わなきゃよかった」と拒絶されようが、俺が彼女の人生の中に存在した意味はあるのだと信じる。勘違いでも、間違いでも、俺は信じる。


 もしかしたら、君は俺と出会うその前から、命を断とうとしていたのかもしれない。だけど、あの夏の夜、『Gamee』を通じて俺と出会ったことで、その『終わり』が少しだけ、遠のいたのかもしれない。それで偶然、最期を選んだ時期がずれたことによって、その衝動に駆られたときに近くにあったのが、体を洗うタオルという凶器と呼ぶには程遠いふざけたものになって、運命の悪戯みたいに、君は生き延びたのかもしれない。




 ――勿論、その真実が明かされる日は、きっとこない。




 だって、たとえ街中ですれ違ったとしても、映画みたいに振り返って君だと気づけるはずもないから。満員電車の中、目の前に君が立っていたとしても、それが飯田だとわかるはずもないから。メイド服姿の写真や、加工の入った自撮りだけじゃ、一度も会ったことのない君を、現実の中で見つけ出せるわけがないから。


 それでも俺は、蝉の声も鳴り響かないあの夏の中で、確かに君の〝生〟を繋ぎとめる一瞬があったのだと、そう信じていたい。


 決して、君のヒーローになれただなんて、そんなおこがましいことは言わない。


 だけど、あの、どこまでも高いバーチャルの空の下で、俺と過ごした時間が、ほんの少しでも君の〝救い〟になれていたのだとしたら、俺にだって、君の人生の中に存在した意味があったのだと思えるから。


 そう信じることで、これからも前に進んでいける気がするから。




 だから、俺は生きていく。





 俺は、俺の〝生〟に、俺なりの〝意味〟を与えて、生きていく。




    ◆




 これは、『平田』の、『飯田』のための物語ではない。


 これは、『僕』の、『俺』のための物語である。


 そして、この物語を受け取った『あなた』のための物語になることを、願う。




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