第1部 イヤホン越し、猛毒を喰らう
2022年6月20日。
東京都新宿区、初夏、夜のワンルーム。
僕は君と出会った。
――『平田』、本名『高篠ミヤビ』。
彼女との出会いは、僕の〝恋〟を終わらせた。
とはいえ、『出会い』とは書いても、会ったことはない。本当に皮肉な話だ。会うことすら叶わずに、僕の〝恋〟だけをいとも簡単にぶっ壊して、そのまま彼女はいなくなったのだから。
でも多分、そういうところが好きだった。僕が固執していた〝恋〟にトドメを刺すことができるのは、逆に彼女しかいなかったのだと、今はそう思えるのだから。
◆
マッチングアプリで敗北の連続を喰らった僕が最後にたどり着いたのが、『Gamee』というゲーム友達募集アプリだった。
きっかけなんてのは、YouTubeでゲームを使って出会い厨的なことをやってる輩の動画を見たから、というくらいに本当に些細なものだ。
そうして、友達募集アプリなるものを初めてダウンロードして、初めてマッチングしたのが、彼女、――『平田』だった。
「はじめまして、平田ですー」
「あっ、はじめまして! マッチありがとうございます」
「こちらこそー、1マッチだけになっちゃうかもなんですけど、大丈夫ですか?」
「おけです! お願いしますー」
初めてのゲーム女子との関わりに胸の鼓動が高鳴った。
声を聴いた瞬間、『いいな』と心中で嘆いてしまった。
22時過ぎ、どうしようもないくらいの閃光を浴びながら始まる戦いは、イヤホン越しに響く初めての声に、冷たさを感じてしまうほどの強烈な熱を与える。戦況報告の合間、絡まる会話の中で紐解かれる彼女の存在――『平田』という一人の少女。
「え、マジで? 21?」
「そそ、今年で21の代」
同じ大学3年生と知って話は盛り上がる。更に大学群まで同じで、しかも隣の県のキャンパスに通っているとわかって、会話が自然と弾んでいく。
現役コンカフェ嬢で元キャバ嬢、ヤニカスでオタクで元軽音部兼バレー部で、高学歴のリケジョ。身長169cmで50にも満たない体重のスレンダー体型。
脳裏に浮かぶのは、プリンになりかけの金髪ロング。さらりとなびくストレートの髪に金縁の丸メガネ。細さに合わないぶかぶかの紫ジャージ。すっからかんの狭い部屋、座布団1枚に体育座りをして、ゲーム画面の光を煌々と浴びている。
「ケツ痛いわー。私、痩せてるからさー」
「正座だと足痺れるもんな」
「それそれ、実はさっきからエイム悪いのは足が痺れてるせい」
「いや、体育座りしてるって言ってたじゃん」
「あははっ、よく聞いてるねー」
痛快な笑い声は、その可愛らしいくせに凛とした声音で僕の心を優しく締め付ける。
聞こえる足音に動かすスティック。ボイスチャットの向こう側、輝くネイルがカチリと鳴って、現実とバーチャルの境目を溶かしていく。
――彼女はただのゲーム友達だ。そんなこと、当然わかっているのに。
タバコ吸ってくるね。それっきり静かになったイヤホンを耳で咥えたまま、練習場で銃を撃ち続ける。『このまま彼女がいなくなってしまったらどうしよう』そんな嫌な妄想が、染みついたトラウマと共に何度も顔を覗かせていた。
「いやータバコ美味かったわー! 私、タバコ吸う自分に酔って吸ってるやつ嫌いなんだよねー。私は美味しくて吸ってるんだからね?」
「でも、そもそも体には悪いでしょ、煙草」
「だからこそじゃん。自分の身体にダメージ与えてるんだから美味しいって思えないと!」
わけのわからない張り合いをしながら戻ってきた彼女は楽しそうで。
――本当、よかった――安堵のため息と幸福感が僕の胸を満たして、銃撃音と共に漏れ出すドーパミンを包み込んでいく。そして、――この時間よ、ずっと続け――だなんて、ダサい望みをバーチャルに吐き出し続けた。
「いやー、今日もggでした!」
「それな! てか明日、何時からできるんだっけ?」
「んー、明日は4限までだから、終わって6時前くらいからかな」
「おっけ、僕、明日全休だからそれ合わせるよ」
脳内を駆け回る上ずった君の声を聴けば、まるで君が隣にいるみたいで。
「またねー」
「次は土曜夜とか?」
「日曜バイトないから夜通しできるよ」
「おっ! 決まりだな」
何度もプレイを重ねていくうちに近づいていく距離感にドキドキして。
「インスタ交換しようよ」
「え、いいの! ちょっと待ってて」
交わす言葉の数が増えるたびに、段々と君が生活の一部になってきて。
「僕、明日もできるよ」
「ごめん、ちょっと明日は一日バイトと飲みで」
「あー……じゃ、またディスコ送る」
「うん、よろしくー、おやすみ!」
「あ、うん。おやすみ……今日もありがと」
気持ち悪いくらいにエゴの詰まった鳥籠を君に投げつけて、そのまま君と一緒に閉じこもりたくなって。
「今何時?」
「やば6時だ」
「もう朝?」
「え、そこ? 若干外明るくなってきてるよ」
「――ふわぁ……、私の家、暗幕下してるから」
「――ふぁ……」
「ふふっ、欠伸真似しないでよ」
「しょうがないじゃん、うつるもんだし」
暗くて狭い部屋、日差しが嫌いな引きこもりの君が、くしゃっと笑うその隣で、僕も一緒に笑いたくて。
「夏の布団ってきもちよくない?」
「え、どゆこと?」
「いやだからさー、このひんやりしてサラサラしてる布団カバーの感じが堪らないって話」
「あー、僕、タオルケットないと寝れない派だからなー」
「たしかに冬はわかるけど――って、敵! あのサプライボックスの裏!」
「うわ、ちょ! 割った割った」
「割れてる割れてる、えーっと、私が。あ、ごめんダウンした」
「おい!」
「あとは〝ナナセ〟に任せた! 頑張れっ!」
冷房をガンガンにかけながら布団をかぶって、「きもちー!」なんて笑っている君を想像して、その隣で笑いながら寝転んでいる僕を妄想して。
――着実と、僕は毒されていった。
◆