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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
第1幕 - 第4巻 : 新たなる始まり
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第88章:肌に触れる鉄

太陽が天頂に達した頃、ヴェイルはようやく動く決意をした。

午前中はずっと、訓練場で行き交う人々を眺めて過ごしていた。


さて……試験を受けるには、まず何をすればいいんだ?

リシア、そこまで説明してくれなかったよな……。


小さく息を吐きながら、彼は渡された紙を取り出す。

だが、そこには受付場所や手順についての記載は一切なかった。


ヴェイルは近くで会話をしていた冒険者のもとへ近づく。


「すみません……」


二人は同時にこちらを向き、少し驚いた表情を浮かべた。


「昇格試験を受けることになったんですが、

どこで、誰に声をかければいいのか分からなくて……」


「ああ、新人か。

あそこの通路を進め。

あとは、試験官が呼びに来るのを待つだけだ」


そう言って、男は奥の通路を指さした。


ヴェイルは頭を下げて礼を言い、その方向へ向かう。

歩きながら、試験の内容を想像せずにはいられなかった。


通路の先には、小さな待合室があった。

木製の椅子がいくつか並んでいるが、人の姿はない。


彼は中に入り、立ったまま待つことにした。

内心では、さきほどの説明が嘘でないことを祈りながら。


しばらくして、重い足音と低い話し声が近づいてくる。

男女二人が部屋に入り、ヴェイルに気づくと声を落とし、静かに腰を下ろした。


さらに少し経って――

別の足音が響く。


ヴェイルが目を上げた瞬間、心臓が跳ねた。


あの男だった。

先ほど、細身の若者を叩き伏せていた、大剣の男。


なんで、あいつがここに……?

まさか新人の試験官じゃないよな……?


視線を逸らし、気配を消すようにしていると――


「おい、そこのお前。

順番だ。

ついて来い。

ぐずぐずするな、分かったな?」


指を突きつけられ、低く唸るような声が響く。


ヴェイルの顔から、血の気が引いた。

逃げ出したい衝動が、一瞬で頭をよぎる。


だが、足は勝手に動き出していた。


彼は男の後を追い、訓練場の区画へ向かう。

柵を越えた瞬間、周囲の視線が一斉に集まるのを感じた。


心臓の鼓動が速くなり、手のひらに汗が滲む。


「いいか、簡単に説明する。

魔法でも武器でも、策でも、何を使っても構わん。

ただし、外部からの助けは禁止だ。


いつでも降参していい。

だが、続けるなら――

試験を終わらせるかどうかを決めるのは、俺だ」


男は淡々と、だが有無を言わせぬ口調で告げた。


ヴェイルは無言でうなずき、手の汗を素早く拭う。

そして腰の剣を抜き、強く握りしめた。


男は柵に立てかけていた、あの異様に大きな剣を手に取る。

一歩前に出て、ヴェイルへ切っ先を向けた。


「よし。

理解しているなら――

力を見せてみろ。


失望させるなよ」


足を踏み鳴らす、乾いた音。


だが、ヴェイルは動かなかった。

正面から仕掛ければ、山に突っ込むようなものだと分かっていた。


――だが、男は待たない。


一気に距離を詰める。

圧倒的な存在感に押され、ヴェイルは反射的に後退した。


その瞬間――

彼は前に手を突き出す。


小さな風の奔流。

砂埃が巻き上がり、視界を覆う。


その隙に、横へ跳ぶ。

反撃の構えに移ろうとした――


だが。


男の姿は、すでにそこにはなかった。

まるで、最初から分かっていたかのように。


「……それが攻撃のつもりか?

笑わせるな。


失望させるなと言ったはずだ。

――で、これが全力か?」


冷たく、切り捨てるような声が、土の匂いの中に響いた。


剣の構えを鋭く切り替え、男は一気に踏み込んだ。

次の瞬間、ヴェイルの腹部へと、容赦のない一撃が叩き込まれる。

衝撃で息が詰まり、口から唾を吐き散らしながら視界が一気に滲んだ。

身体は抗う間もなく地面へと転がり、目尻には涙が滲む。

今すぐ終わらせたい――そんな思いが、喉元までせり上がった。


勝てるわけがない……。

どうやって、こんな化け物と戦えっていうんだ……。

たった一撃で、内臓を引き剥がされたみたいじゃないか……。


だが、その思考はすぐに塗り替えられた。

背を向けて去っていくアリニアの姿。

振り返ることなく、羞恥を抱えたまま視線を逸らした、あの横顔。


ここで諦めたら――

俺は、二度と彼女の隣に立てない。


ヴェイルは歯を食いしばり、ゆっくりと立ち上がる。

痛みを悟らせまいと、必死に表情を抑えた。

観客たちは、いつの間にか静まり返っていた。


彼は再び構えを取り、片手を前へと伸ばす。

魔力を、強引に引き寄せる。


「……成功しなきゃ……。

痛いとか、そんなのどうでもいい……。

彼女のそばにいるなら、方法を見つけるしかない……」


かすれるほど小さな声で、そう呟いた。


掌の中で、小さな風の渦が生まれる。

すぐにほどけ、白い煙のように散っていく。

続いて、空気中の湿気を集めるように、極小の水球が形成された。


だが――


男は、すでに動いていた。

先ほどよりも速い踏み込みで、一瞬にして距離を詰め、背後へ回り込む。

ヴェイルは、水球の形成に意識を奪われ、反応が間に合わなかった。


「遅い。

話にならん」


低く唸る声。


男は剣をヴェイルの両脚の間へと滑り込ませ、

そのまま鋭く返す。

刃の腹が脚に引っかかり、ヴェイルの体勢が崩れた。


さらに剣を回し、落下の衝撃を殺しながら――

そのまま、前方へと力任せに投げ飛ばす。


「遊びのつもりか、ガキ。

それで外で生き残れると思ってるのか?

スライムのほうが、よほどマシな戦い方をするぞ」


吐き捨てるような声。


「遊び……?

俺は……」


言いかけた瞬間だった。


男の姿が、視界を埋める。

次の瞬間、右脚を踏み潰され、激痛が走った。


「相手より速くなれないなら、黙って先に仕掛けろ。

それが無理なら、距離を取って考えろ。


俺が本気なら、今すぐ殺せる。

敵はな、

お前が喋り終わるのを待っちゃくれん。


戦いから意識を逸らした瞬間――

気づく前に、死んでる」


冷酷な言葉を叩きつけると、男は数歩下がった。


ヴェイルは、再び立ち上がる。

周囲の音が戻ってきた。

息を呑む者。

遠慮なく笑う者。


彼は地面に落ちた剣を拾い、再び構えた。


言うのは簡単だろ……。

殴られてるのは俺だ。

動く前に、もう目の前にいるじゃないか……。

ふざけるなよ……。


苛立ちを押し殺し、ヴェイルは――先に動いた。


男が動く前に、一直線に踏み込む。

その様子を見て、男は嘲るような笑みを浮かべた。


ヴェイルは剣を正面に構え、

まるでこれが最後だと言わんばかりに突進する。


「……本当に学ばないな。

こんな情けない冒険者を、どうして認めてる?

突っ込むだけか?

それが、お前の答えか?」


だが、ヴェイルは止まらない。


魔力を掌に集中させ、

柄頭の後ろへと添えた手から――


一気に、解放する。


剣を手放す。

魔力の風に押され、刃が一直線に飛ぶ。


男は舌打ちし、自身の剣でそれを弾いた。

ヴェイルの剣は、高く宙を舞う。


同時に、ヴェイル自身は地面へ身を投げ出していた。

土を滑り、勢いを殺しながら――男の足元へ。


彼は地面を掴み、砂塵を掬い上げて投げつける。

男が即座に顔を背けた、その一瞬――


ヴェイルは脚にしがみついた。


だが、どれだけ力を込めても、男は微動だにしない。


男は剣を振り上げる。

ヴェイルはとっさに横へ転がり、刃を回避した。


自分の剣は、すぐ近くに落ちている。

彼は必死に手を伸ばし、駆け出す。


――だが。


すでに、男は踏み込んでいた。

重い足が、ヴェイルの腹を踏みつける。


同時に、剣が高く振り上げられ――

乾いた殺気が、皮膚を刺した。


ヴェイルは数メートル先まで吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた衝撃で息が詰まる。

それでもすぐに起き上がったが、脚は震え、呼吸は乱れ、頭は次に何をすべきか考える余裕すら失っていた。


男は再び距離を詰め、剣を振り上げる。

ヴェイルは動けず、その場に立ち尽くした。


刃が振り下ろされ――

彼の顔の数センチ手前で、ぴたりと止まる。


衝撃波だけで身体が後ろへ弾かれ、ヴェイルは尻もちをついた。


今じゃない……。

ここで、終わるわけにはいかない。

続けろ……立て……くそっ……。


拳を強く握りしめ、歯を食いしばる。


両手を地面につき、再び立ち上がろうとした、その瞬間――

男がもう一度、剣を持ち上げた。


「もう十分だ。

これ以上見ても意味はない。

続ければ、本当に大怪我をするだけだ」


先ほどよりも、少しだけ低く抑えた声だった。


ヴェイルは顔を上げる。

男は剣を下ろし、彼に向かって手を差し出していた。


「……自分で立てる。

あんたの手なんか、借りない」


唸るように言い返し、ヴェイルはよろめきながらも自力で起き上がる。

ふらつきながら、男を真正面から睨みつけた。


……少し、やりすぎたか。

新人相手だ、もう少し抑えるべきだったな。


男は、心の中でそう思いながら――


「合格だ。

お前は、試験に受かった」


そう告げ、口元にわずかな笑みを浮かべた。


その言葉に、ヴェイルは一瞬、思考が止まる。


「……合格?

何度も叩き伏せられて、ですか?

随分と、変わった合格基準ですね」


警戒を隠さず、そう返した。


「まだ分かってないな。

まあ、無理もない。

最初は誰でもそうだ」


男は肩をすくめ、続ける。


「正直に言えばな、

お前が馬鹿みたいに突っ込んできたときは、不合格にするつもりだった。

だが――

お前は途中から、俺の注意を逸らそうとした。

別のやり方を探そうとした」


そう言って、背を向ける。

数歩歩いたあと、手招きした。


男は剣を柵に立てかけ、そのまま背中を預ける。

ヴェイルにも、同じようにするよう促した。


「目的は勝つことじゃない。

どう反応するかを見ることだ。


俺が容赦しないのはな、

外の世界が、もっと容赦ないからだ。

些細なことで崩れたら……

言っただろ。

それは、死だ」


先ほどより、幾分か柔らいだ口調だった。


「それは……分かってます。

思ってるより、色々見てきましたから。

でも……正直、どう役に立つのかは、まだ分からないです。

全身が痛いだけで……」


ヴェイルは、息を吐くように言った。


「色々見てきた、か。

だがな――

俺から言わせれば、お前はまだ何も見ていない。

それが何であれ、だ」


男はヴェイルを真っ直ぐ見据える。


「もし俺が手加減していたら、

お前が、俺と同じことをする敵に出会ったとき――

どうする?」


ヴェイルは、その言葉の意味を理解しつつも、まだ腑に落ちていなかった。

自分はまだ低ランクだ。

こんな相手と戦う想定など、現実的ではない。


「この試験は、遊びじゃない。

生き残るための訓練だ。


そして覚えておけ。

自分が他人より上だなんて、決して思うな。

頭のない力はな、

素手で岩を殴るのと同じだ。


……相手が策を使ってきたら、

どっちが勝つと思う?」


「……分かります。

でも……

あんたの場合、考える暇すらなかった。

気づいたら、もう目の前にいました」


戸惑いを隠せず、ヴェイルは答えた。


「そうだ。

お前には、まだ“それ”が足りない。

だがな――

準備された一撃は、

力任せの一撃より、よほど危険だ。


この仕事を、甘く見てる奴は多い。

だが、死が来たとき――

あるいは、手足を失ったときには、もう遅い。


進め。

強くなれ。

だが、忘れるな。

力だけじゃ、足りない」


男の言葉は重く、

ヴェイルの胸に、確かに刻み込まれていた。


男は背筋を伸ばし、ヴェイルの正面に立った。

その視線を、まっすぐ彼へと向ける。


「いずれにせよ、合格だ。

新人を落とすことは、そう多くない。


だが、覚えておけ。

今、話したのが評価の基準だ。

次からは、本当に不合格になる可能性がある。


成長しろ。

偏るな。

そうすれば、遠くまで行ける」


声を落とし、そう言い切る。


「……よし。

試験票を出せ」


男は手を差し出し、ヴェイルから紙を受け取ると、そのまま場を離れた。

数分後、戻ってきた男は試験票を返し、再び手を差し出す。


ヴェイルはそれを握り返す。

胸の奥が、少しだけ軽くなった。


「ギルドに戻って、これを渡せ。

あとは向こうが処理する。


気をつけろよ、ガキ。

次は……ここまで甘くはしない」


男はそう言い残し、次の受験者たちが待つ通路へと歩いていった。


ヴェイルは、その場にしばらく立ち尽くす。

周囲にいた人々も、いつの間にか散っていた。


――合格。


そう言われても、実感はまだ薄い。

正直、何が起きていたのか分からない時間だった。


これで……また一緒に任務に行けるといいな。

ちゃんと、学んでるって……見せたい。

でも……追いつくには、まだ全然足りない。


口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


ヴェイルは地面に落ちたままの剣を拾い上げ、出口へと歩き出した。

来たときよりも、足取りは軽い。


――痛みは、相変わらず全身に残っていたが。

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