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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
第1幕 - 第4巻 : 新たなる始まり
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第82章:ヴァルドルンの崩れゆく日

ヴェイルとカエラは周囲を見渡した。


先ほどの声の主を探すが、どこから聞こえてきたのか見当もつかない。


森の中では、音の反響で距離の感覚も狂う。


「わ、私たちは……密猟者じゃないの。

ヴァルドルンの依頼で来た冒険者よ!」


カエラが声を張る。


だが、返事はなかった。


代わりに――

空気を裂くような鋭い音と共に、一本の矢がカエラの足元近くに突き刺さった。


木々がざわめき、茂みが揺れる。


そして、そこからようやく姿を現したのは――一人の男だった。


「ヴァルドルンの依頼だと?

笑わせるな。

さっき、“フェニラ”が慌てて飛び去っていくのを見たばかりだ」


男の声は冷たく、疑念に満ちていた。


ヴェイルはゆっくりとしゃがみ込み、地面のケーブルを拾い上げる。


その動きに、男は即座に反応し、弓を構えた。


だが、ヴェイルは迷わずそれを男の足元へと投げた。


「さっきの獣は、俺たちが解放したんだ。

現場に着いた時には、すでに拘束されていた。

脅す前に、目の前をよく見たらどうだ?

少なくとも、“密猟者”なら獲物を解放したりはしないと思うがな」


その声には、明らかな苛立ちが滲んでいた。


「……言葉を慎め、よそ者。

ここはお前の土地じゃない。

ヴァルドルンが冒険者を呼んでるのは確かだが、子どものような馬鹿を歓迎するつもりはない」


男の態度は、攻撃的なままだった。


その言葉を聞き、ヴェイルはカエラの手を取り、踵を返す。


「もういい。行こう、カエラ」


「どこへ行く気だ?

誰が帰っていいと言った?」


背後から男の怒鳴り声が飛ぶ。


だが、そのまま草原の端までたどり着いたとき――

今度は、目の前に女性が立ちふさがった。


ヴェイルは反射的に剣を抜く。


罠かもしれない。そう直感が告げていた。


「待って。敵じゃないわ、子どもたち。

私はあなたたちをヴァルドルンへ案内するために来たの」


女性の声は静かで、落ち着いていた。


「でも、その前に確認させて。

あなたたちが依頼を受けた冒険者だって、証明はある?」


カエラは慌てて鞄を探り、ギルドの証書を取り出す。


それを女性に差し出すと、彼女は丁寧に内容を読み込んだ。


書かれている情報は多くないが――

それでも、一行一行を目で追っている。


そこへ、先ほどの男が追いついてきた。


「エルジナ、何してる?

なんでこいつらを拘束しない?」


だが、彼女――エルジナは、証書を折りたたみながら鋭い視線を男に投げた。


そして、カエラに証書を返しながら、吐き捨てるように言った。


「メルローン。

私を怒らせたくないなら、その口を今すぐ閉じなさい。

彼らは間違いなく、私たちが待っていた冒険者たちよ」


「……だが……!」


「今すぐ村に戻って、長に報告しなさい。

それと、あんたとは後で“話”があるわ」


メルローンは何かを言い返そうとしたが、口から漏れたのは曖昧な呻き声だけだった。


最終的に、踵を返し、無言のまま森の奥へと姿を消す。


「……許してあげて。

あの子はまだ若くて、色々と問題があるの。

さあ、村まで案内するわ」


そう言って、エルジナは二人の前を歩き出した。


ヴェイルとカエラは顔を見合わせ、ためらいながらも後に続いた。


だが、警戒心を緩めることはなかった。


「……ねえ、こっちではいつもあんな歓迎されるの?

それとも、今回は特別?」


ヴェイルの声は張り詰めていた。


「別にあなたたちだけじゃないわ。

村に着けば長が詳しく話してくれるけど……最近、嫌なことが続いてるの。

だから、余所者に対して敏感になってるだけよ」


エルジナはあくまで冷静だった。


「ふぅん……でも、片っ端から矢を放ってたら、冒険者も来なくなると思うけどな」


ヴェイルはぼそりと皮肉をこぼす。


エルジナは答えなかった。

その背中は、森の奥へと静かに進んでいた。


カエラは――

いつものような陽気さを見せなかった。


静かだった。

どこか、上の空のように。


「……カエラ?

どうした? なにか変だぞ」


ヴェイルが不安げに声をかけた。


だが彼女は、返事をするでもなく、ただ小さく頷いて微笑んだ。


その笑みには、力がなかった。


ヴェイルはそれ以上追及せず、心の中に疑問だけを残したまま、沈黙のまま歩き続けた。


風が草を揺らし、木々の葉が揺れる。


その音だけが、二人の間を満たしていた。


やがて――


ヴァルドルンの村が姿を現す。


大したことのない外観だった。


村全体は木の柵に囲まれており、門は今にも崩れそうなほどに傷んでいた。


太い縄が急ごしらえのように巻かれ、なんとか支えている様子だった。


家々も老朽化が進んでいて、壁が崩れかけている場所すらある。


村の中心には広場があり、古びた石の井戸がぽつんと立っていた。


隣には、錆びた取っ手のついた木製のバケツが転がっている。


「ようこそ、ヴァルドルンへ。

……都会と比べれば、さぞかし驚いたでしょうけどね。

誰も助けてはくれない。

でも、それでも生きていかないといけないんです」


エルジナがぽつりと呟いた。


彼女に続いて、広場を渡る。


目の前には一軒の大きな建物。


屋根の茅葺きはところどころ剥がれ、空が覗いていた。


湿気を吸った扉は歪んでおり、開けるのにも力がいる。


ギィイイ……という音を立てながら、エルジナが扉をこじ開けた。


「中で待ってて。

長が来るわ。礼儀とかはいいけど、無礼だけはしないでね」


そう言って、彼女は姿を消した。


ヴェイルとカエラは部屋の中央へと進む。


床には動物の毛皮が敷かれ、木の軋む音を少しだけ和らげていた。


二人は無言で座り、時間が過ぎるのを待つ。


やがて、エルジナが戻ってくる。


何も言わず、一つの肘掛け椅子に腰を下ろした。


その直後、メルローンが現れ――

一人の老人を伴っていた。


メルローンはエルジナの反対側に座り、老人は中央の椅子へと腰を下ろす。


「やあ、若者たち。ようこそヴァルドルンへ。

私はこの村の長、エスメスだ」


声は穏やかだったが、明らかに疲れていた。


「じいさん、もういいよ。

そんな自己紹介、誰も興味ねえって。

あいつらの顔見てみなよ。

ちゃっちゃと理由話して終わらせようぜ」


メルローンが無遠慮に言い放つ。


その言葉に、ヴェイルの拳がぎゅっと握られる。


隣のカエラは表情一つ変えず、ただ静かに耳を傾けていた。


「メルローン、やめなさい。

彼らは、私たちを助けるためにここまで来てくれたんだ。

もう少し感謝の気持ちを持てないものかね?」


エスメスが静かに諭す。


「助ける? こんな観光客に何ができるってんだよ……」


そう吐き捨てるメルローン。


だが――


エルジナが立ち上がった。


その動きは鋭く、怒気すら帯びていた。


バチンッ!


乾いた音が部屋に響く。


彼女の手がメルローンの頬を打ち据えたのだ。


メルローンの目に涙がにじむ。


「口を慎めって言ったでしょ!

お客の前でその態度、恥を知りなさい!

自分でどうにかできるなら、最初から呼んでないわ!

私たちはもう――限界なのよ!」


怒声と共に、彼女の声が震えた。


「……すみません。

一つだけ、教えてもらえますか」


ヴェイルが立ち上がる。


「依頼内容は“スライムの駆除”だったはずです。

でも、ここには戦える人がいる。

何より……その理由が、どうも腑に落ちない」


苛立ちが声に滲む。


「……スライムの被害なんか、ないんでしょ?

違いますか、エスメス?」


カエラが口を開いた。


その声は震えていた。


「道中で見たの……黒い跡が、地面に残ってた。

スライムのせいじゃない、そうでしょ?

本当の理由……隠してたんじゃないですか?」


室内に、重たい沈黙が落ちる。


エルジナが言葉を失い、立ち尽くす。


エスメスの顔も、どこか苦しげに歪む。


風だけが、軒下を抜けていた。


その音だけが、張り詰めた空気をかき混ぜていた。


「……戦える者は、村に四人。

それで村全体を守っていた。

日が沈んでも、交代で見張っていた。

けど……一週間前から、もう――無理なんだ」


エルジナの声は、今にも途切れそうだった。


その目には、諦めと悔しさ、そして微かな恐れが宿っていた。


メルローンは席を立つと、何も言わずに扉の方へ向かった。


その背中に、誰も声をかけられなかった。


「……放っておきなさい、エルジナ。私が対処する。

そうだね、お嬢さんの言う通り――スライムだけじゃない。

確かに奴らも厄介だが……もう一つ、別の“化け物”が現れたんだ。

すでに、村の者が五人も殺されている」


エスメスは顔に手を当て、深くため息を吐いた。

額を覆う指が、恥と悔しさでぎゅっと握り込まれる。


「……でも、それじゃあ……その化け物って、一体なんなんですか?」


ヴェイルが低い声で問いかける。


エルジナは重い足取りで椅子に戻り、長く息を吐いた。

その瞳には、深い疲労と不安が滲んでいる。


「……わからないの。

こんなの、今まで見たこともない。

皮膚からは粘液が滴っていて、吐き気がするほど臭い。

全身が真っ黒で、光が吸い込まれていくみたいだった。

それに……背中からは刃のようなものが突き出していたわ」


その言葉を聞いて、ヴェイルの表情が固まる。


頭の奥がざわめくような、得体の知れない感覚。

どこかで……見たことがある。


(まさか……そんなはずは……)


記憶を掘り起こすように、目を閉じる。


そして――息を詰めたまま、小さく呟いた。


「……う、嘘だろ……

それって……カタクシス……に、似てる……」


「カタクシス……?」


「ダンジョンで見た。

アリニアと一緒に……戦った。

ランクAの冒険者がいても、倒せなかった。

……あれは、運で生き延びただけだ」


エスメスの顔に、重たい絶望が刻まれる。


「……あの化け物は、戦える者を一人殺し……もう一人を瀕死にした。

君たちしか……頼れる者がいないんだ」


ヴェイルは黙り込んだまま、視線を落とす。


心の中で、葛藤が激しく揺れていた。


やがて――

カエラの手をそっと掴み、立ち上がる。


「行こう、カエラ。

ギルドに知らせないと……」


真剣な声だった。


「ま、待って!

まさか……私たちを見捨てるつもりなの?」


エルジナが声を上げる。


その瞳には、焦りと恐怖が浮かんでいた。


「金なら……少しだけど、もう少し出せる! だから――!」


「金の問題じゃない!」


ヴェイルの声が響く。


「君たちは……わかってないんだ。

あれは……本物の“怪物”だ。

俺たちみたいな駆け出しが相手にできる存在じゃない。

熟練の冒険者が必要なんだ。

……俺たちじゃ、守れない」


部屋の空気が一気に冷えた。


誰も、次の言葉を口にできない。


時間そのものが止まってしまったかのような沈黙――


その時。


バンッ!!


扉が激しく開き、メルローンが飛び込んできた。


手には弓を握りしめ、顔は怒りに染まっている。


「ほら見ろ! 言った通りじゃねぇか!

最初から役立たずだって分かってた!

よそ者なんか信じるから、こうなるんだ!」


エルジナを睨みつけ、怒鳴り散らす。


「……俺たちは、スライム退治に来ただけだ。

最初から、話が違うんだよ!

この状況で侮辱までされる筋合いはない!」


ヴェイルの声が跳ね返るように響いた。


ここ数日、積み重なった鬱憤が一気に爆発したのだ。


普段のような迷いは、そこにはなかった。


重苦しい空気が室内を包み込む中――


さらに、別の人物が駆け込んできた。


息を切らし、全身汗まみれで、目には恐怖が宿っている。


「い……いけない……!

早く来てください……!

畑の方に……奴が、また……!」


言葉にならないほど動揺しながら、それだけを必死に伝える。


「誰かが……さらわれた……!」


メルローンが真っ先に飛び出した。

その後を、エルジナが追う。


ヴェイルとカエラはその場に立ち尽くす。


動くべきか、留まるべきか――迷いが心を縛る。


「……頼む。

若い冒険者たちよ……」


エスメスの声は、静かだったが――深く、切実だった。


「せめて……連れ去られた者を……助けてほしい」


老いたその瞳が、まっすぐに二人を見つめていた。


ヴェイルもカエラも、すぐには答えなかった。


だが――

数秒後には、足を動かし始めた。


二人は他の者たちと共に、畑の方へと向かう。


すでに人だかりができていた。


遠くから、女の叫び声が響いてくる。


嗚咽にまみれて、言葉ははっきりと聞き取れなかった。


やがて人の輪に近づくと、村人たちは自然と道を開けた。


その場にいた者たちは静まり返り――


女の言葉だけが、はっきりと耳に届く。


「お願い……お願いだから……

娘を返して……エレノアを返してぇ……!

どうか……誰でもいい……助けてよぉ……!」


彼女は胸に小さな人形を抱きしめながら、地面に崩れ落ちて泣いていた。


カエラが駆け寄り、震える彼女の背をそっと撫でる。


優しく声をかけながら、寄り添うように膝をついた。


その周囲では、村人たちが沈痛な面持ちで囁き合っていた。


「かわいそうに……あんな小さな子が……」


「六歳だって……神様はどうしてこんな仕打ちを……」


ヴェイルのすぐ近くで、誰かが呟いた。


その言葉は、怒りとも、悲しみとも、祈りともつかない声だった。


畑をなぞる風が冷たく吹き抜けた。

誰もが立ち尽くし、祈るように空を見上げていた。

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