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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
第1幕 - 第4巻 : 新たなる始まり
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第80章:苦き朝のひととき

街はまだ眠りの中にあった。


月の光が屋根を優しく照らし、カーテンが夜風に揺れている。


ヴェイルはベッドの端に腰を下ろしていた。


もう何分も前に眠気は消えていたが、

それでも目覚めきることもできず、

ただ、ぼんやりと宙を見つめていた。


やがてゆっくりと服を身に着けると、

気分転換にと部屋を出る。


階段を音を立てぬように下りる途中――


聞き覚えのある声が耳に届いた。


「おはよう、ヴェイル。こんな朝早くに……

 朝食でも食べるの?」


目をこすりながら顔を出したのは、アヴェリンだった。


「あ、……おはよう。いや、まだいい。

 ちょっと寝付けなくてさ。

 少し歩こうと思ってたんだ。起こしたなら、ごめん。」


声は小さく、どこか申し訳なさそうだった。


「ふふ、ならちょうどよかった。

 もう少し寝ててもいいんだね? うん、助かる~」


彼女はそう言って、大きなあくびを一つ。


そしてテーブルに腕を組んでうつ伏せると、すぐに小さな寝息を立て始めた。


ヴェイルは静かに宿を後にし、大通りを進む。


(……もしかしたら、どこか一軒くらいは開いてるかもな。)


淡い期待を抱きながら、店の並ぶ通りを歩く。


灯りの見えた店先で立ち止まってはみるが、どこもまだ扉を閉ざしていた。


そんな中――


ふと、小さな路地から微かな光が漏れているのに気付いた。


覗き込むと、石畳の奥にぽつんと灯る灯火。


一枚の古びた看板が目に入る。


《アポティケーレ・ルミネル 》


(なんだこれ……

 変わった名前だな。いや、それ以前に……この店、ちゃんとしてるのか?)


眉をひそめながらも、足を進める。


(まぁ、確かめるには中に入るしかないか。)


そっとドアを押して中に入ると、

目に飛び込んできたのは――


惨憺たる光景だった。


床一面に散らばったガラス片。


ぐらついた棚からは、本や紙がはみ出していて、

所々破れたページが無残に垂れ下がっている。


掃除の気配もなく、薬草の匂いもどこか薄汚れて感じた。


その混沌とした室内の中、

一人の少女が――ヴェイルと同じくらいの年頃か、あるいは少し年下か――


素手で床に落ちたガラスを拾い集めていた。


「……こ、こんにちは。えっと……開いてますか?」


おずおずと声をかけると、少女はびくりと肩を震わせた。


そして、こちらを見るなり、瞳が大きく見開かれる。


だが、返事はなかった。


そのまま彼女は、突然慌てふためいた様子で奥の小さな扉に駆け込んだ。


(え……?)


ぽかんとしたまま、ヴェイルは入口のドアに手をかける。


この場の意味も分からず、帰ろうとしたその時――


「おおっと、失礼。驚かせたかね、坊や?」


聞こえてきたのは、くぐもった男の声だった。


嫌味を含んだような、耳障りな声音。


「さっきの無能は気にしなくていい。

 安い奴隷ってのは、結局こんなもんさ。」


扉の奥から現れたのは、

くすんだローブを纏った大柄な男だった。


年齢は五十を超えていそうだが、背筋は真っ直ぐで、目には冷たい光が宿っていた。


まるで、目の前のヴェイルを“商品”として値踏みしているかのように、無遠慮に見つめてくる。


「エルフィン、貴様もだ。さっさと戻ってこい!

 何をのうのうと逃げていやがる。

 ……俺はお前を“遊ばせてやる”ために金を払ってるんじゃねぇんだぞ。」


「……すぐに片づけを再開しろ。

 さもなけりゃ、一週間食事抜きだ。」


吐き捨てるように言ったその男の声には、容赦という言葉はなかった。


しばらくして、小柄な少女――先ほどの娘が再び現れ、黙ってガラスの破片を拾い集め始める。


その手はすでに、何箇所か赤く傷ついていた。


(……この空気、最悪だ。)


ヴェイルは、目の前に広がる状況に言葉を失いながらも、

何か、胸の奥にひっかかるものを感じていた。


なんなんだよ、あれは……。

あんなのが“人を扱う”って言えるのか?


ヴェイルは憤りを隠せず、拳をぎゅっと握りしめていた。


「なにか言いたいことでもあるのか、坊や?」


先ほどの男の声が、嘲るように響く。


「忠告しておくが、余計な口出しはしないことだ。

 ……お前のような甘っちょろいガキは、壊すのが一番楽しいんだよ。

 希望とか、優しさとか……そんな幻想を踏みにじるのがな。」


胸の奥がざわついた。

反論しようと口を開きかけた瞬間――


ガラスを拾っていた少女が、ヴェイルを見た。


その瞳が、なにかを必死に訴えていた。


(……やめろってことか。)


彼女の視線に言葉を呑み込み、ヴェイルは何も言わずに顔を背けた。


周囲を見回すが、店内には商品らしきものは一切ない。


棚も空で、瓶も、薬も、何一つ売り物になりそうなものはなかった。


「……何も売ってない? ああ、今は“改装中”でね。

 見世物はないから、お引き取り願おうか。」


男は苛立たしげにそう言い、カウンターに立てかけてあった杖を手に取る。


(……やる気か?)


だが、男は杖を手にしたまま、ヴェイルの横を無言ですり抜け、

扉を開けて無言の圧を放つ。


出口へと向かうように顎をしゃくり、冷たい視線を突き刺してくる。


ヴェイルは最後にもう一度、少女に目をやる。


だが、彼女はただ黙って、手を切りながらも破片を拾い続けていた。


何もできず、何も言えず。

ヴェイルはそのまま店を後にする。


「忘れるなよ、小僧。

 余計なことに首を突っ込むと……後悔するぞ。」


閉じられた扉の向こうで、鈍い音が鳴った。


ヴェイルは早足で大通りに戻る。


通りには酔っぱらいが数人、鼻歌交じりにふらついていた。


(……あの子、どうしてあんなところに?

 あんなクズの下で……

 しかも、売るものがないのにどうして店を開けてた?)


問いが頭を駆け巡る。


苛立ちと無力感が混ざり合い、歯を食いしばる。


夜が明け始め、街の屋根が朝の光に照らされていく。


ヴェイルは一度深呼吸をし、宿へと戻ることにした。


(他の薬屋に行くのは……今日はやめておこう。)


宿へと戻ると、すでに広間は活気を取り戻し始めていた。


笑い声や話し声が静寂を押しのけるように満ちてくる。


「おや、ヴェイル君。今日はテーブル使う?」


アヴェリンが、グラスを持ちながら声をかけてくる。


ヴェイルは頷いて指定された席へ。


果汁のジュースだけを頼み、カエラの到着を静かに待つ。


「おい坊主、一人でしょんぼり飲むなんて味気ないぞ~!

 こっち来い、ビールおごってやるから!」


酔っ払いたちの笑い声と共に声が飛んできたが――


「すみません。お酒の匂いがどうも苦手で……

 お気持ちは嬉しいです。ありがとう、アヴェリン。」


ヴェイルは柔らかく笑って断る。


男はそれ以上何も言わず、仲間たちとの酒に戻った。


騒がしくも穏やかな時間が流れる中、ヴェイルはぼんやりと次の任務について考えていた。


……そんな時だった。


小さな手が、彼の肩をぽんと叩く。


「おはよう、ヴェイル。……待っててくれたんだ。」


振り向くと、カエラがそこにいた。


「昨日のこともあって……てっきりもう行っちゃってるかと思ってた。」


そう言いながら、彼女は向かいの席にちょこんと座る。


その尻尾は嬉しそうにぴこぴこと揺れていた。


ウェイターがすぐに気づき、二人分の注文を取りに来る。


注文が済むと、カエラはふわっと微笑んだ。

だが、その顔にはほんのわずかに疲れの色が浮かんでいた。


「もう行った? カエラ、昨日約束したろ?

 朝になったら会おうって。」


「うん、でも……昨日の私、ちょっとウザかったかなって。

 ……だから、もういないかなって、勝手に思っちゃってた。」


耳を垂らし、声を小さくして俯くカエラ。


その時、店員が料理を持って戻ってくる。


湯気を立てる焼きたてのタルト。

こんがり焼けた生地の中から、りんごとシナモンの甘い香りが広がる。


熱々のミルクが入った大きなマグと、

果汁のグラスも、丁寧に目の前に並べられた。


「ありがとうね。」


そう言いながら、カエラは腰の小さなポーチを探り始める。


「これ、受け取って。お会計、私がするから。」


テーブルに数枚の硬貨を置くと、再び視線をヴェイルに戻す。


彼はタルトを切り分けていた。


「……君、本当に大変な人生送ってきたんだな。

 ……どんな奴らに囲まれてたら、そんな考え方になるんだよ。」


そう呟きながら、タルトの一片を口に運ぶ。


「大変? どうだろうね。

 世の中にはもっとひどい目にあってる人もいる。

 ……ただ、ちょっとだけ、運がなかっただけかな。」


その言葉に、ヴェイルの頭に浮かんだのは――

今朝見た、あの薬屋の少女の姿だった。


(ああ……カエラは、ああいう人のこともわかってるんだな。)


そのまま話題が重くなりすぎるのを避け、彼は言葉を切り替える。


「……ところで、昨日の話だけど。

 一緒にクエスト行きたいって言ってたよな? でもさ、俺まだランク下だし、いいの?」


不安げな声で問うヴェイルに、カエラは少し驚いたように首を傾げた。


「なに言ってるの? 昨日、あの化け物と戦ってたのは君でしょ?

 私は逃げることしかできなかった。

 だから、お願い。私、学びたいの。君と一緒に行動して、成長したいの。」


その真剣な眼差しに、ヴェイルは少し押され気味だったが――

マグを持ち上げ、一口。


……だが勢いよく飲みすぎた。


「ぷはっ……」


その瞬間、ミルクが口の端からもれ、

唇の周りに白い泡がくっついた。


「……ぷっ……ふふっ……ヴェイル、なにそれ。

 雲みたいになってるよ。小さい白い雲。」


カエラはくすくすと笑い、思わず手で口を押さえる。


その無邪気さに、ヴェイルも吹き出して笑った。


「……くそ、やられたな。

 ……じゃあ、飯食ったらギルド行こう。

 でも俺、昨日も言ったけど、記憶がないんだよ。

 ……あまり役に立てないかも。」


「大丈夫だよ。それでも一緒に行きたいんだから。」


カエラの笑顔は、心からのものだった。


食事を終え、代金をテーブルに置いたヴェイルは立ち上がる。


扉を開けると、外にはすっかり陽光が広がっていた。


「今日はあんまり大変なクエストじゃないといいな。

 せっかくだから、草の上でゴロゴロしたいなぁ。

 日向ぼっこって最高じゃない?」


カエラが嬉しそうに話しかける。


「そうかもな。

 ……まあ、俺が森で昼寝したときは、目が覚めたら魔物に囲まれてたけどな。」


ヴェイルは苦笑しながら、かつてのダンジョンの出来事を思い出す。


「むしろ俺自身が厄介なのかも。

 トラブル、引き寄せる体質なのかもな。」


二人の笑い声が、朝の街に溶けていく。


通りには活気が戻り始め、彼らはギルドへ向けて歩を進めた。


そして――


ギルドの扉を開けた瞬間、激しい口論の声が飛び込んできた。


掲示板の前で、冒険者たちが激しく言い争っている。


「おい、俺が先に見てたんだ。どけ。これは俺たちの依頼だ。」


「はぁ? お前の名前はどこにも書いてないだろ。

 その紙、よこせ。ママに泣きつく暇もなくしてやるぞ、テメェ。」


威圧し合う二人の男。周囲はそれを止めようともせず、距離を取って見守っていた。


「……またかよ。」


呆れたように目を細めるヴェイルが、肩をすくめてカエラを見る。


「毎日こんな感じなのか?

 昨日も一昨日もトラブルばっかだぞ。」


「……毎日は言い過ぎかもだけど、しょっちゅうね。

 ギルドも困ってるみたい。処罰しても効果ないし。

 だから、掲示板はなるべく避けてるの。」


そう言って、カエラは彼の腕を軽く引っ張る。


「こっち、カウンターに行こう。」


彼女に導かれ、ヴェイルは奥のカウンターへ。


そこには一人の男性スタッフが立っており、

カエラが近づいてくるのを見ると、ぱっと笑顔を浮かべた。

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