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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
第1幕 - 第4巻 : 新たなる始まり
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第76章:破られた静寂

二時間ものあいだ川面を見つめていたヴェイルは、ようやく立ち上がった。

小川へ歩み寄り、大きく水を飲み、顔をもう一度だけ洗う。

そして剣を拾い上げ、子犬の残骸へと戻っていった。


喉が詰まり、胸が締めつけられる。

すべてが現実だったと、嫌でも理解させられる。


彼は散らばった骨を集め、小さな山にして抱えた。

それを水辺の岩の横まで運び、そっと置く。


鞄から短剣を取り出し、じっと見つめた。

まるで答えを求めるかのように。


「……すまない。これしか持ってないんだ。」


脈打つように揺らぐ短剣を見つめ、呟く。


地面に突き立て、掘り始めた。

何度も、何度も、力任せに。


数分後、ようやく小さな穴ができる。

彼は骨を中に収め、土を戻して埋めた。


次に石を拾い集め、積み重ねる。

やがて簡素な小さな石柱を作り上げ、その上に花をいくつか供えた。


「……ごめん……守れなかった。

 俺は弱かった。臆病だった。

 ここならもっと上手くやれると思ってたのに……。

 ヒュドラだって倒せたのに……こんな小さな魔物の前で、足がすくんだ。」


涙で滲む視界のまま、土の盛りを撫でる。

そして立ち上がり、袖で顔を拭う。


〈……もう二度と、“魔物は無害だ”なんて信じない。〉


彼は再び植物図鑑を開き、採取対象を確認する。

小川沿いを歩きながら、記された条件に合う場所を探した。


やがて、小さな土手が影を落とす場所に辿り着く。

その陰にはいくつもの植物が芽吹いていた。


ヴェイルは目を細める。

ルメファの特徴を持つ草がいくつか見えたのだ。


だが、手を伸ばして触れても光らない。

期待した輝きは、そこにはなかった。


次々と試すも、結果は同じ。

ようやく一株だけが、淡くきらめいた。


「……はあ。八株集めろって……二時間に一つのペースか。終わる気がしないな。」


そう呟きながら、慎重に摘み取る。


そのとき。


小さな鈴のような音が、風に乗って聞こえた。

柔らかく澄んだ、心を落ち着かせる音色。


ヴェイルは音の方へ歩き、川面を覗き込む。


そこには、青く透き通る小さな鐘のような花が浮かんでいた。

流れの穏やかな水面に揺れ、まるで宙に浮いているかのように見える。


ヴェイルは靴を脱ぎ、裾をたくし上げて川に足を踏み入れる。

深さはないが、手を伸ばすには水に入るしかなかった。


細い茎はほとんど見えず、空気のように透明だ。

彼は慎重に摘み取り、半ばで折った。


次の瞬間、茎は深い緑色に変わり、はっきりと見えるようになる。


「……やっぱり本物か。」


図鑑を開き、記された説明を確かめる。


水を吸い込み体を隠すため、半透明になる。

水から引き上げられると、茎は本来の濃い緑を取り戻し、花は音を止める。


本に書かれていた通りだった。


ヴェイルは安堵して収穫物を仕舞い、再び川沿いを歩き出した。

残りの時間を費やし、植物を探し続ける。


やがて太陽は天頂を越え、昼を過ぎた。

彼は小休止を取ることにした。


草原を見回し、木陰を探す。

小さな岩に囲まれた一本の木が川辺に立っているのを見つけ、そこへ向かう。


そして――腰を下ろした。


ヴェイルは小さな水筒を取り出し、金属の箱に収めていた弁当を取り出した。

見た目は平凡だが、魔法の加工が施されており、中身は保存した日のままの温度を保っている。


香ばしい匂いが広がり、腹が鳴った。

だが、目の前の食事を見て喉が詰まる。


彼は水筒から一口飲み、固い肉をどうにか飲み下した。


食べ終わる頃には、少しだけ気持ちが落ち着いていた。

彼は集めた植物を取り出し、数を確認する。


「……まだ終わってない。クロシュ=リーヴが四つ、ルメファが三つ足りない。

 急がないと、日が暮れる前に帰れなくなるな。」


唇を噛み、考え込む。


片付けを終え、立ち上がろうとした時――視線が止まった。


小川の向こうに、見たことのない生き物が歩いていた。


人の形を持ちながらも、鋭い眼差しを光らせ、小さな短剣を握りしめている。

痩せ細った筋肉は硬直し、今にも飛びかかろうと構えているようだった。


暗い毛並みは逆立ち、胸元だけが薄く色を変えている。

長い耳は裂けた跡を残し、音に反応して震えていた。

橙色の瞳は濁った光を宿し、異様に爛々と輝いている。


尾は鱗に覆われ、左右に叩きつけるように揺れていた。

その姿は――まるで獰猛な野犬のよう。


だが何よりも異様だったのは、その大きさだった。

子どもほどの背丈しかないのに、二倍もある岩を縄で引きずっている。


爪を地に突き立て、土を抉りながら進む。

息を荒げることもなく、視線は一点だけを睨んでいた。


ヴェイルはその様子をただ見ていた。

生き物は彼を気にも留めず、別の何かに囚われたように歩き去っていった。


「……はあ。本当に誰がこんな世界を考えたんだ?

 進めば進むほど、訳のわからないものばかりだな。」


眉をひそめ、低く吐き出す。


彼は再び川沿いを進み、残りの植物を探し始めた。

だが、風は弱まり、クロシュ=リーヴの音はまったく聞こえない。


二時間の探索で、必要なルメファはすべて揃った。

だが、クロシュ=リーヴはまだ四つ足りない。


「どうする……。音がなければ見つけようがない……。」


頭をかきながら唸る。

風が吹くのを待ったが、無駄だった。


彼は川の縁に座り、手を水に浸す。

指の間をすり抜ける水の感触に意識を向けるうち、一つの考えが閃いた。


「……そうだ。自分で風を起こせばいいんだ。

 なんで最初から気づかなかったんだ、俺の馬鹿……!」


水に濡れた手を振り払い、勢いよく叫んだ。


手をかざし、川の流れに向ける。

魔力を集中させ、一気に解き放つ。


結果は――最悪だった。


突風が生まれ、小川の水を数メートルにわたって吹き飛ばす。

水しぶきは四方に散り、川底が露わになる。


「……っ、やべえ!」


ヴェイルは慌てて魔力を切った。

風は止み、水はすぐに元の流れを取り戻す。


「……アイデア自体は悪くない。けど、今のままじゃ植物ごと吹き飛ばすだけだ……。

 もっと繊細に……少しずつ放たないと。」


川辺に腰を据え直し、再び集中する。

呼吸を整え、魔力の流れを制御することに意識を絞る。


手を反対側へ向け、今度はゆっくりと力を解き放った。


今度は、柔らかな風が生まれた。

まだ少し強めではあったが、水面をわずかに揺らす程度に収まっている。


小さな鈴の音が、水に運ばれて響いた。


ヴェイルは音を頼りに歩き、小さな植物を見つけ出した。

これで残り三つ。

揃えれば、ようやく街へ戻れる。


彼は同じ手順を繰り返し、さらに探索を続ける。

だが、思った以上に時間がかかってしまった。

川を遡るほどに、植物は少なくなっていく。


やがて――森が見えてきた。


その森は異様に暗かった。

厚い木々の葉は陽を拒み、光は一筋も差し込まない。

鳥たちでさえ、その闇を避けるように遠回りして飛んでいた。


最後のクロシュ=リーヴを摘み取った瞬間、ヴェイルは本能的に顔を上げる。

視線の先、森の奥。


気のせいかもしれない。

だが――闇の中で、確かに二つの目が自分を見つめていた気がした。


彼は歩調を早め、暗き森から距離を取る。

再び、穏やかな草原へと戻った。


太陽はまだ高く、だが空はゆっくりと傾き始めている。

一日の終わりを告げる色が、景色を温かく染めていた。


ヴェイルは腰を下ろす。

静けさに身を預けるように。


街の賑わいも悪くはない。

だが、この静けさは、あまりに貴重だった。


彼は思考を巡らせる。

出会ったもの、見たもの、聞いた声。


自分を蔑むような声が、頭の奥で響いている。

理由はわからない。

だが、一つだけ確かなことがあった。


〈……与えられたこの“二度目の機会”。俺は決して無駄にしない。〉


ヴェイルは立ち上がり、再びアルデリオンへ向かって歩き出す。

空は薔薇色に染まり、黄金を帯びていく。

夕の冷気が、頬を撫でるように広がっていた。


だが――


森の縁に差しかかったその時。


「……アアアアアアッ!」


鋭い叫びが響いた。

ヴェイルは思わず立ち止まり、辺りを見回す。


木々しか見えない。

だが、次の瞬間――


「た……助けてえええッ!!」


女の声が、森の奥から確かに聞こえた。

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