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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
第1幕 - 第4巻 : 新たなる始まり
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第73章:ソロでの初陣

王都に、穏やかな朝が訪れる。

窓辺では小鳥たちがさえずり、その声がヴェイルの眠りを静かに破った。


彼は目を開け、ゆっくりと体を起こす。

もう少しだけ寝ていたい――そんな誘惑に抗いながら、ようやくベッドを離れる。


今日は、彼にとって長い一日になる。


手早く着替えを済ませると、窓辺へと近づき、カーテンを引いた。

差し込む朝の光を遮るように閉めながらも、冷えた夜風だけはまだ部屋に残しておきたかった。


部屋を一通り見回し、忘れ物がないかを確認してから、扉を開ける。


階段を下りて、昨夜アリニアと食事を取ったホールへと足を運ぶ。

彼はゆっくりとあたりを見渡したが――そこに、彼女の姿はなかった。


「……本当に、いないんだな。

 夢だったらよかったのに……」


ぽつりとつぶやき、目を伏せる。


空いている席に腰を下ろし、近くの客に料理を運んでいる給仕を待つ。

夜とは違い、朝のホールは落ち着いた雰囲気に包まれていた。

昨夜の賑やかな声は、今は静かなささやき声に変わっている。


やがて、若い給仕の女性が彼のもとへとやってきた。

腰のエプロンをまさぐると、小さな袋を取り出してヴェイルに差し出す。


「はい、これ預かってたの。今朝早く出ていったあの人からよ。

 朝ごはん代の銅貨二枚はちゃんと引いてあるから安心して。

 お金のことはまだ慣れてないって聞いたから、私が渡しておくね」


彼女は丁寧な口調で説明し、やさしく微笑む。


「私はアヴェリン。困ったことがあったら、遠慮しないで声かけてね。

 朝ごはんはすぐ持ってくるから」


そう言って離れていく彼女の姿に、ヴェイルの目が引き寄せられる。

丸くて小さな耳と、優雅に揺れるカワウソのような尾――


彼は受け取った袋を手の中で転がしてから、中身をテーブルにあけた。

いくつかの硬貨がカランと音を立てて転がる。


彼はその一つひとつをじっと見つめた。

だが、それぞれが何を意味しているのか、見当もつかない。


数分後、アヴェリンが再び現れる。


その頃には、ヴェイルは目の前の硬貨を種類ごとに分け、小さな山をいくつも作っていた。


彼女は果汁ジュースとパン、小さなミルクのカップをテーブルに置くと、対面の席に腰を下ろした。


「今は朝でお客さん少ないから、ちょっとくらい一緒に座っても平気よ」


驚いた表情を見せるヴェイルに、彼女はにっこり笑って続けた。


「出かける前に、お金のことを知っておいた方がいいでしょ?」


ヴェイルは黙って頷き、果汁ジュースを手に取りながら、一枚ずつ硬貨を彼女に見せる。


「この形、全部違うのは分かるんだけど……何がどう違うのか、さっぱりで」


彼の前には、三つの硬貨の山。


「説明するほどでもないくらい、簡単よ」


アヴェリンは、ひとつずつ指をさしながら説明を始める。


「まず、この暗い色のが“銅貨”。一番よく使われてて、一番価値が低いわね。

 その隣の灰色っぽいのが“グラン銀貨”。これは銅貨百枚分の価値があるの」


「ふむ……じゃあ、さっきの朝食って、そんなに安いってこと? ほとんどタダみたいな……」


「ちょっと、それ失礼でしょ。

 みんなが食べられるように、ちゃんと努力してるのよ?」


「ご、ごめん! そういうつもりじゃなくて……ただ、単純に疑問だったんだ」


慌てて弁解するヴェイルに、アヴェリンはふっと笑いながらコップを空けた。


「冗談よ、そんなに気にしないで。

 うちはね、冒険者みたいにまだお金のない人でも食べられるように、値段を抑えてるの」


今度は真面目な口調に戻り、最後の二枚の硬貨を指差す。


「そして、これが“ジルン金貨”。一枚で銅貨千枚分の価値があるわ。

 この世界で一番価値の高い貨幣。大事に持っておいてね」


「ジルン……そうか。

 じゃあ、これは本当に大切にしないとな……」


ヴェイルは、手のひらで金貨を包み込むようにしながら、静かに呟いた。


「……実はもう一つ、存在するって言われてる硬貨があるの。

 でも、本当にあるのかは誰にも分からない。

 “ベルズーネ”――そう呼ばれてる、伝説の通貨よ。

 もし本当に存在するなら……一枚で、銅貨十万枚分の価値があるって噂されてるの」


アヴェリンは、声を落としながらそう付け加えた。

まるで誰かに聞かれたらまずいかのように、周囲を気にしながら。


ヴェイルは目の前の硬貨を一つ一つ拾い上げ、袋に戻す。

そして、深く腰のポーチへと押し込んだ。


今さらながらに気づく。


――アリニアは、自分が一人で過ごすために十分すぎるほどの金を残していってくれたのだ。


……たった一週間なのに。

なぜ、これほどまでに?


そして、なぜ――あの時、直接手渡さなかった?


昨夜の食事の時の彼女の様子が、脳裏によみがえる。


……何か、隠してる……?


アヴェリンが立ち上がり、テーブルを片づける。

にこやかな笑顔をヴェイルに向けると、軽く会釈して他の客のもとへ向かった。


ヴェイルはそのまま席を立ち、宿の扉を押し開ける。


街はすでに朝の陽光に照らされ始め、少しずつ色を帯びていく。


大通りをまっすぐ進みながら、彼は目を動かし、並び始めたばかりの露店を見て歩いた。

薬草売り、パン屋、装飾品、奇妙な道具を並べた行商人まで。


そして、何軒か建物を通り過ぎた先――


ようやく、彼の目が探していた看板を見つける。


小さな武器店。

店先には剣や弓、盾、そして用途の分からない何かが所狭しと並んでいた。


ヴェイルは戸を押し、中に入る。

中は意外と整然としていて、展示棚にはさまざまな剣が並んでいた。


――短剣でも十分戦える。

けど、あれはなるべく他人に見られたくない。


そんな思いがあって、別の武器を探しに来たのだ。


「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」


不意に背後から声がかかり、ヴェイルは飛び上がるように驚いた。


振り返った拍子に、近くにあった鎧のマネキンにぶつかり――


――ガシャーン!!


大きな音と共に、展示品が床に崩れ落ちる。


慌ててしゃがみ込み、元に戻そうとするヴェイル。

それを見た店員が手早く手伝い、なんとか鎧は元の場所へ。


「す、すみません……もう少し気をつけるべきでした……」


ヴェイルは恥ずかしそうに唇を噛む。


「謝ることはないさ、若造。

 そこのエルフが、気の利かないキノコ漬けのライカンスロープみたいなもんだからな」


どこからか、ぼそりと低い声が響いた。


しかし――姿が見えない。


「……いいからカウンターの裏から出てきなさいよ。

 ドワーフって、鍛冶は上手いくせに、背が低すぎて幽霊にしか見えないわ」


ピリついた声が返ってくる。


「え、あ、あの……こんにちは。

 その……剣を一振り、買いたくて……」


居心地の悪さに耐えかねて、ヴェイルは口を開く。


やがて、カウンターの裏から小さな影が姿を現した。


にやりと満足そうに笑うそのドワーフは、ヴェイルの胸元にも届かないほどの身長だった。


「ゼルフェイラン、魔剣を持ってきてくれ。

 こんな奴に安物を渡すわけにはいかんからな!」


彼はそう言って、指示を飛ばす。


ゼルフェイラン――先ほどのエルフが小さくため息をつきながら、奥の倉庫へと引き返していく。


その間、ドワーフの男はヴェイルを別室へと案内した。


「……あの、でも……僕、魔法使いって話、まだしてませんけど。

 どうして分かったんですか?」


「おいおい、俺を誰だと思ってんだ。

 この道ひと筋、バルザック様だぞ?

 鍛冶屋ってのはな、客の“気”を感じ取れなきゃ商売にならん」


彼は早口で言い切り、自信たっぷりに鼻を鳴らす。


「武器ってのは、ただ振り回せりゃいいってもんじゃねぇ。

 使う者を選び、応えるべきものだ。

 こっちも、選ぶ目が必要なんだよ」


そこへ、ゼルフェイランが戻ってくる。

腕には三本の剣を抱えていて、そのうちの一つを机に丁寧に置いた。


「能書きはそこまでよ、バルザック。

 こっちはあんたの武勇伝を聞きにきたんじゃない。

 ――はい、これが君に合いそうな一本よ」


ため息まじりにそう言い、剣を差し出す。


ヴェイルは机に歩み寄り、並べられた剣を順に見ていく。


だが、その中の一本に――自然と目が吸い寄せられた。


柄の部分に小さな宝石が埋め込まれており、

どこか――自分の短剣と同じ気配を感じる。


「……これにします。理由は……よく分かりませんけど、

 なんだか……この剣に“呼ばれた”ような気がして」


彼は、そっとその剣に触れた。


二人の男は、ヴェイルがあまりに即決したことに目を丸くしたが、特に何も言わなかった。


ゼルフェイランは残りの二本を抱え、バルザックは選ばれなかった剣を拾い上げると、手招きしてカウンターへと導く。


「いい目をしてるな。正直、ここまで早く“つながり”が生まれるとは思わなかった。

 普通はもっと時間がかかるもんだ。最初は皆、戸惑うからな」


バルザックが唸るように感心する。


「さて、お代はグラン銀貨四枚ってとこだな。鞘はサービスでつけといてやるよ」


アヴェリンの言葉を思い出しながら、ヴェイルは財布から銀貨を取り出して手渡す。


ゼルフェイランが戻ってきて、丁寧に作られた鞘を差し出した。

それを受け取ったヴェイルの顔には、まるで子供のような笑みが浮かぶ。


「……背中に装備してもらえますか? ポーチとかが腰にあるんで、そこにあると邪魔で……」


彼が遠慮がちに頼むと、バルザックがうなずきながら鞘を受け取り、器用な手つきで背中へと固定してくれた。


動きを確認してから、ヴェイルは丁寧に頭を下げ、二人に礼を告げて店を出る。


剣のことは、正直まだよく分からない。

けれど、身に着けたその瞬間から――胸の奥にあった何かが、ふっと軽くなったような気がしていた。


そして、彼はまっすぐに歩き出す。


目指すは、冒険者ギルド。


アリニアに見せてやるんだ――


自分が、一人でもやっていけるってことを。


(あれだけのことを乗り越えてきたんだ。Fランクの任務くらい、どうってことない……)


自分自身を鼓舞するように、そう思考を繰り返す。


街路には徐々に人が増え始め、活気が戻ってきていた。


商人の声、子供たちの笑い声、人々の何気ない会話――


昨日までは異質だった彼の存在も、今では誰も気にしていないようだった。


……それでも、どこか。


ずっと背中に感じる、うっすらとした“気配”。


目には見えず、触れられず――

だが確かに存在する、何かが彼を見ている気がした。


足を止め、ふと露店に立ち寄る。


治癒薬、包帯、小さな保存食――

昨日アリニアが買っていた物を思い出しながら、自分なりに準備を整えていく。


そして――


気づけば、ギルドの正面に立っていた。


大きな扉は、昨日よりもさらに大きく見えた。

今度は一人で、これを開けなくてはならない。


(一週間だけだ。目標に集中すれば……きっとあっという間に終わる。

 ランクを上げて……また、あの人と並んで旅ができるようになる)


拳を握り、両手を扉に添える。

迷いを振り払うように、ゆっくりと押し開いた。


中はすでに多くの冒険者たちで賑わっていた。


掲示板の前では、いくつものグループが任務を巡って言い争い、

ある者は酒の残る顔でふらふらと歩いていた。


ヴェイルは視線をカウンターへと向ける。


登録を担当してくれたエルフの女性が、冒険者たちの書類を処理しているのが見えた。


順番を待つ列の後ろに、彼も自然と並ぶ。


前にいた男がちらりと振り返るが、すぐにまた前を向いた。


少しずつ、列が進んでいく。


――何が待っているのだろう。


ふと、そんな疑問が胸をよぎった。


けれど、不思議と恐怖はなかった。


今の彼の中にあるのは――


ただ、まっすぐな“期待”と、“決意”だけだった。

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