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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
第1幕 - 第4巻 : 新たなる始まり
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第69章:疑念の中の安らぎ

数分が過ぎた頃、ヴェイルとアリニアは通りを下っていた。

ふたたび、通行人たちの視線を一身に浴びながら――


「おい、そこの二人! 止まりなさい!」


背後から飛んできた声に、アリニアが即座に足を止めた。

振り返ると、衛兵の一人が早足でこちらに向かってくる。

その腕はまっすぐヴェイルに向けられ、顔には強張った表情が浮かんでいた。


ヴェイルが戸惑いの色を滲ませて視線を向けた瞬間、アリニアが彼の前に立ちはだかった。


「……何のつもり? いきなり人に向かって腕を伸ばすのが、今の礼儀なの?」


ピリついた声。

ヴェイルを背中にかばいながら、アリニアが低く問いかける。


「その口を慎め、半獣女。こっちは、そいつの件で来てるんだ。通行人から苦情が出てる。物乞いがうろついてて迷惑だってな。」


「物乞い? あんたたちは、それで人を判断するわけ? 外の世界を一歩も知らないくせに、よく言えたもんだわ。自分の命を懸けたこともないくせに。」


鋭い視線が男を射抜く。

アリニアの拳が小さく震えていた。


「黙れと言ったはずだ。身分証を出せ、今すぐに。」


男の声はさらに鋭さを増す。


アリニアは無言でポーチから一枚のカードを取り出し、男に差し出した。

彼はそれを乱暴に受け取ると、上下左右に傾けながらじろじろと確認し、すぐに突き返してきた。


「そいつのも見せろ。」


今度はヴェイルを指差しながら、低く言い放つ。


「持ってないわよ。これから服を買いに行って、その後ギルドで手続きをするつもりだったの。」


アリニアの尻尾がピクリと動く。

感情を隠しきれない苛立ちが、全身から滲み出ていた。


男の態度は変わらず、行く手を塞ぐように立ちふさがったまま。

緊張がさらに高まる中――


カツン、と澄んだ金属音が鳴り響いた。


風に揺れる長い髪。

奇妙な装甲を身にまとった一人の女性が、静かにこちらへと歩いてくる。


彼女の顔立ちは端正で、ただそこに立っているだけで周囲の空気を一変させるほどの威厳があった。


ヴェイルは直感で悟る。

この人物は――明らかに“上の者”だと。


案の定、先ほどまで威勢の良かった衛兵の顔が引きつり、直立の姿勢に変わる。


「……何をしているの、ウェルニック。冒険者たちに絡む理由、説明してくれる?」


その女性が、男の目の前でぴたりと足を止めた。


「か、かしこまりました隊長。こ、こいつがですね……通行人を困らせているという通報が……で、ですから私が……」


しどろもどろの返答。

恐怖に喉を締め上げられたかのような声だった。


「……はぁ? じゃあ、任務帰りで療養してた可能性は考えなかったわけ? 日々の訓練はどこへ消えたのよ? その脳みそは飾りなの?」


鋭く、だが冷静に。

女性の声は静かに、そして痛烈だった。


「で、ですが、隊長……!」


「“ですが”は聞いてない。さっさと詰所に戻りなさい。あとで話を聞くわ。」


一言で決着がついた。


衛兵――ウェルニックは、縮こまりながらその場を後にした。

その背中には、完全な敗北の色が浮かんでいた。


女性はアリニアに視線を向け、口元に薄く笑みを浮かべた。


「ほんと、毎回毎回……あんたにビビって辞める新人の話、あとを絶たないのよね。少しは手加減してやんなさいな、ちびオオカミ。」


「買い物に行こうとしてただけよ。あのクズが、通行人の苦情だとか抜かして私たちに突っかかってきたのよ。」


依然として不機嫌なアリニアは、声を低く唸らせるように言い放った。


だがその女性は――ふと、ヴェイルの存在に気づいたかのように、視線をゆっくりと移す。


そして、無言のまま彼に近づく。


その瞳は鋭く、まるで何かを見透かすような光を宿していた。

彼女はヴェイルの周囲を一周しながら、じっと観察を続ける。


息を呑むような気配に、ヴェイルの身体がこわばる。

だが、余計なことは言うまいと、黙ったまま身を固めていた。


「ふーん……ちょっと若いけど、なかなかの体つきね。で、あんたの新しい恋人ってわけ? それなら初耳だけど。てっきり、誰ともつるまない主義かと思ってたわよ?」


にやりと笑いながら、ルシエラがアリニアに声をかけた。


「くだらないこと言わないで。グレスロックの森で一人で倒れてたのを見つけただけ。記憶もなくて、身分証も行く当てもないっていうから……ここまで連れてきたのよ。」


アリニアの声は、さっきまでとは違い、少しだけ柔らかくなっていた。


ヴェイルは手を組み、指先をいじりながら俯いた。

自分のことを他人が話している――まるで見世物にでもなったような感覚に、胸の奥がざわつく。


だがそのとき、ルシエラがふいに彼の肩に腕を回した。


「へぇ……ってことは、空いてるのね? じゃあ、私がもらっちゃおうかしら? おとなしくしてたら、体の検査もさせてあげるわよ?」


悪戯っぽく笑いながら、軽口を飛ばす。


「アリニアの気性に耐えられたってことは、相当メンタル強いって証拠でしょ?」


そして、ぱちんと指を鳴らしながら、こう続けた。


「ま、自己紹介がまだだったわね。私はルシエラ。でも“ルシー”って呼んで。そっちの方が可愛いでしょ?」


何が起こっているのか、ヴェイルには理解が追いつかなかった。

軽い調子に振る舞っているようで、どこか見透かされているような感覚。

ルシエラの本当の意図が読めず、彼はますます口をつぐんだ。


だが、それ以上に不安を煽ったのは――アリニアの無表情な顔だった。

その静かな沈黙が、ルシエラの冗談よりもずっと冷たく感じられる。


「……またそんなふうに誰彼構わず手を出してると、いつまで経っても一人のままよ、ルシー。

それより、先に行かせてもらうわ。まだ色々やることがあるし……そろそろ服も買ってやりたいの。」


アリニアの声には、切り捨てるような冷たさが滲んでいた。


「ひどいなぁ……。私だってね、隊長になってから男に避けられるばっかりなのよ?

今じゃまるで、男たちの目には“怪物”みたいに映ってるみたいでさ……」


苦笑いを浮かべながら、ルシエラが肩をすくめる。


「私だって、隊長の前に女なのにね……もうちょっと優しくしてほしいものだわ。」


一瞬だけ寂しそうな目をしたあと、ふっと息を吐いて口調を戻す。


「……ま、今日は諦めるわ。またの機会にでもね。行っていいわよ。」


だが――彼女の視線だけは、最後までヴェイルから逸れなかった。


再び歩き始めた二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。


何かを言いたいのに、言えない。

何かを感じているのに、触れられない。


アリニアの耳はわずかに伏せられ、肩が固く強張っていた。

ヴェイルは、それを横目に見るだけで、声をかける勇気が出なかった。


まるで、“今ここで言葉を交わすこと”が許されない空気のように――


しばらくして、二人は小さな店の前にたどり着いた。


見た目は控えめだが、濃い青の看板が目を引く。

そこには、どこか冗談めいた文字が並んでいた。


《冒険者仕立て屋 グレンウォル工房――ドラゴンを狩るなら、エレガントに》


扉を押し開けた瞬間、ヴェイルの感覚が一変する。


外観の質素さとは裏腹に、店内は明るく整然としていて、温かみのある空気が広がっていた。


強化ブーツ、冒険用のコート、装飾入りのグローブやマント――

どれも丁寧に陳列され、壁沿いの棚やマネキンに綺麗に並べられている。


奥のカウンターでは、小柄でがっしりした男が、書類の山と格闘していた。


「こんにちは、グレンウォル。この子に合う服をお願いできるかしら。」


アリニアがそう声をかけた瞬間――


「うおっ!? びっくりさせんなよ……」


男――グレンウォルが書類を取り落とし、慌てて拾い集める。

ぐしゃっと適当に積み直しながら顔を上げると、満面の笑みを浮かべた。


「おおおっ、アリニアじゃねぇか! 久しぶりだな!

ってか、お前が誰か連れて来るの、初めてじゃねぇか?」


ヴェイルに視線を移し、興味津々といった表情で見つめる。


「最近は任務も静かだったし、ここに来る理由もなかったのよ。

でもさっきのダンジョンで装備がボロボロになっちゃってね。

それで、ついでに新しいドレスと強化タイツ、それとコルセットも欲しいわ。」


自分の服のダメージを示しながら、アリニアがさらりと告げる。


「了解了解。好きに選んでくれ。あんたの支払いがきっちりしてるのは知ってるからな。」


笑いながら頷き、グレンウォルは次にヴェイルへと視線を移す。


「で、この坊やの名前は?」


アリニアが小さく顎を動かす。

“ついて来なさい”という合図。


ヴェイルは頷き、アリニアのあとに続いて、店の奥――女性用のコーナーへと歩き出した。


「ふむ、無口だな? どうした、舌でも噛んだか? それともただの恥ずかしがり屋か、坊や? 安心しな、うちは客を食ったりはしないよ。」


グレンウォルの低く太い笑い声が、店内に響いた。


「……あ、あの……ヴェイルって言います。」


ようやく、彼は小さく名乗った。


「よし、それでいい。そこに立って、絶対に動くなよ? 今からサイズを測るから。」


そう言うと、グレンウォルはヴェイルの体をくるりと回し、姿勢を調整する。


古びた糸を取り出し、腕を上げさせ、肩から胸、腰、足と順番に測っていく。

動作は手慣れていて、時折「ふむ……」と唸りながら慎重に進めていた。


時間をかけて、ヴェイルの体を細かく測っていくグレンウォル。


一切の無駄がない動きだった。


やがて計測が終わると、彼は黙ったまま測定道具を片づけ、奥へと姿を消した。

ヴェイルはその場に棒のように立ち尽くしたまま、ぴくりとも動けなかった。


下手に動いてまた測り直しになったらどうしよう――

そんな思いが脳裏をよぎる。


数分後。


再び現れたグレンウォルの隣には――新しい衣装に身を包んだアリニアの姿があった。


その瞬間。


ヴェイルの中で、不安や緊張が一瞬で霧散した。


彼女は、これまで見たことのない服装をしていた。


毛皮のついていない軽やかなワンピースが、太もものあたりまで伸びており、

脚には不思議な文様が刻まれた灰色のタイツがぴったりと張りついている。


膝下まであるブーツ、そして胸元から腹部までを美しく締める繊細なコルセット。

それはまるで、戦うための装備でありながら、どこか華やかさも感じさせた。


「……何よ、ちびオオカミ。そんなに見惚れてないで、さっさと脱ぎなさいよ。」


からかうような口調で、アリニアが言った。


「そ、その……っ!」


ヴェイルは顔を真っ赤にし、さっきの施術以上に落ち着かない様子だった。


だが、言われた通り、ぎこちなく身につけていたものを脱ぎ始める。


腰の短剣を床に置き、くたびれた上着を脱ぎ、そして……ズボンまで。


そこへ、グレンウォルが新しい服を一枚ずつ手渡していく。


まずはシンプルだが肌触りのいいシャツ。

次に、体に程よくフィットする伸縮性のあるズボン。


三つの小さなポーチがついたベルトが腰に巻かれ、

足元にはくるぶしまで覆う丈夫な靴が装着される。


そして最後に、三本のバックルで締める軽装のチェストプレート。

それが体にしっかりとフィットされるよう、グレンウォルが丁寧に調整してくれた。


仕上げとして、強化革で作られた手袋を両手に。

手首でしっかりと固定され、伸ばすと肘上まで覆う構造だった。


「――よし。これで見違えたな。

立派な冒険者だよ、坊や。もう誰にも“浮浪者”なんて言わせねぇさ。」


満足そうに笑いながら、グレンウォルが最後のバックルを軽く叩いた。


三人はカウンターへと向かい、彼は引き出しからカラフルな玉が並んだ計算盤のようなものを取り出す。

それを器用に操作した後、机に置いた。


「さて、合計で金貨六枚……だけど、今回は五枚でいいや。若葉マークの冒険者くんにサービスしておくよ。」


にやりと笑いながら言った。


「いいの? ちゃんと払えるわよ。お金ならあるし……彼の分として、あとで給料から引いとくわ。けっこう高くついたしね。」


アリニアが笑いながら、革の財布から金貨を五枚取り出し、グレンウォルに渡す。


彼は素直に受け取り、頷いた。


「じゃ、行くわよ。ギルドに報告をしなきゃいけないし、そのあとご飯でも食べましょ。

まともな食事、ずっと取ってない気がするし。」


軽く手を振ってグレンウォルに別れを告げると、アリニアはヴェイルと共に店を後にした。


ヴェイルは、胸の奥にじんわりとした安らぎを感じていた。


グレンウォルの店の温かさ――

そして今、自分が“普通の人間”として認識されたという実感。


それが、何より心を落ち着かせていた。


二人はしばらく無言で歩いた。

やがて、噴水のある広場に出たところで右に曲がる。


通りは相変わらず賑やかだったが――


今度はもう、誰も彼を見下すような目で見てこなかった。


視線はある。だが、それは“好奇心”であり、“拒絶”ではなかった。


もはや彼は――“外れ者”ではなかった。


彼は、ようやく「この世界の誰か」に見えてきたのだった。


二人がたどり着いたのは、重厚な扉がそびえ立つ巨大な建物の前だった。

黒光りするその扉には、古代風の装飾が金属で刻まれており――ただ立っているだけで、威圧感を放っていた。


「……いい、よく聞いて。」


アリニアの声が、いつになく低く響いた。


「ここの冒険者たちは、基本的には自分のことで手一杯。

でも、中には近づかない方がいい連中もいる。」


彼女の目がヴェイルをまっすぐに捉える。


「公の場では、余計なことは話さないで。

もし大事な話があるなら、必ず“個室で”。

わかった?」


その口調は厳しくもあり、同時に――彼を守ろうとする真剣さがにじんでいた。


「……さっき通りで見たでしょ。

あいつらは、“見た目”で全てを判断する。」


「どれだけ村を救っても、どれだけ命を懸けても――

見たいものしか見ない奴らばっかりよ。」


扉の方に顔を向けながら、ぽつりと続ける。


「だから、私のそばを離れないで。」


ヴェイルは、喉を鳴らして息を飲んだ。


胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


……それでも、彼は黙ってうなずいた。


まだ何も知らないこの世界。

右も左もわからないまま――今、その入り口に立っている。


重くそびえる扉の向こうには、

数えきれない人々、組織、任務、駆け引き、そして――危険。


だけど……それ以上に心に引っかかっていたのは、ただ一つの問いだった。


〈……本当に、自分にやっていけるのか?〉


その不安は、彼の中で静かに広がっていった。

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