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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第3巻:ダンジョンの影 Pt.2
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第65章 : 風のささやき

部屋には再び静寂が訪れていた。


残された数本の松明が、パチパチと音を立てながら揺らめいている。


「よし、宝箱の中身を回収して……それから外に出ましょ。

 新鮮な空気が、今一番ほしいものね。」


そう言ってアリニアが笑った。


彼女はゆっくりと宝箱へと近づく。

膝を軽く折り、痛みに顔をしかめながら手を伸ばした。


ロックを外すと、「カチッ」という音とともに蓋が開く。


金属の軋む音が響いた。


ヴェイルも後ろから覗き込む。


そして――目に飛び込んできたのは、一つの“金色の球体”。


淡く揺らぐ熱気のような、視界を歪めるような蒸気を纏っていた。


「……は? これのために、あんな戦いをしたのか?

 命懸けてこれだけ? マジで?」


ヴェイルは眉をひそめ、苛立ちを隠さずに言った。


「“それ”、って言わないの。

 見た目はアレでも、多分かなり重要よ……たぶん、だけど。

 ギルドに持って帰れば、ちゃんとした評価はしてもらえるはず。」


アリニアは軽く肩をすくめた。


「それに――」


彼女の視線がヴェイルの腰元に移る。


「今回の収穫って意味じゃ、あんたのほうがよっぽど得してるでしょ?」


「さぁな……。でもあのギルドの奴らって、

 どう考えてもモンスターよりタチ悪くねぇか?

 こんな場所に送り込むとか、普通じゃねぇって。」


そう言いながら、ヴェイルはため息混じりに目をそらす。


「文句言わないの。

 ここまで生き残った、それが一番大事なんだから。」


アリニアはそう言って、金色の球体をそっと鞄に収める。


それからもう一度、部屋全体に目をやった。


「……さて。あとは、どこにいるのかしらね。

 そろそろ“地上”に戻りたいわ。」


ぼそりと呟いたその声に、ヴェイルは首を傾げる。


「“どこにいる”って、誰が?」


聞き返そうとしたその瞬間――


不意に、音が鳴った。


澄んだ旋律のような、しかしどこか不安を煽る音色。


赤みを帯びた光が、床を照らす。


そこに現れたのは――奇妙な模様の“魔法陣”だった。


「はぁ……また何か始まるのか?」


ヴェイルが肩を落とす。


「違うわよ、ちびオオカミ。

 あれは“帰還のサークル”。

 あれに乗れば、やっと地上に戻れるの。」


アリニアの声には、わずかな笑みが含まれていた。


彼らはゆっくりと、サークルへと歩を進めた。


ヴェイルの足取りは、どこか迷いがちだ。


アリニアはサークルの中央に立ち、手を差し出した。


「初めてなら、手をつなぎなさい。

 痛みはないけど、ちょっと変な感覚よ。

 手を繋げば、少しは安心できるかもしれないわ。」


「信じろってか……。

 ダンジョン簡単って言ったお前の言葉、

 どの口がそれを言うんだよ……」


呆れたように笑うヴェイル。


「そ、それは私も反省してるわよ……!

 こんなにボロボロになるなんて思ってなかったし……!」


アリニアが素直に謝ると、ヴェイルは小さく笑った。


「……ま、いいか。」


彼はその手を取った。


その瞬間――


温かな感覚が、全身を包み込む。


どこかくすぐったく、懐かしく、

しかし何かが“抜け落ちていく”ような、不思議な気持ち。


目を閉じる。見たくない、感じたくない。


意識の中、周囲の存在が消えていくようだった。


全てが沈黙に包まれる中――


唯一、アリニアの“手のぬくもり”だけが、彼を現実に繋ぎ止めていた。


そして――


突然、全てが“動き出す”。


――強烈な浮遊感。


回転するような目眩。


床を失ったような錯覚。


「ッ……!」


身体が地面に叩きつけられた。


両手に触れる感触は――冷たい。


ゆっくりと、ヴェイルは目を開いた。


強すぎる光が視界を白く染める。


思わず手を顔の上にかざし、影を作る。


ようやく見えてきたのは――


白銀に包まれた森だった。


背の高い木々が風に揺れ、静かに息づいている。


「……森に戻ってる? なんで……どういうことだ?」


困惑の声が漏れたその時、


「……テレポーター……なの……あそこに戻るの……扉が……」


おかしな調子で、途切れ途切れにアリニアが答える。


その声にヴェイルは振り返り、彼女の姿を目で追った。


次の瞬間――彼女の身体が崩れるように膝をついた。


「おいっ、ちょっ、今それはマズいって! アリニア!」


焦ったように駆け寄るヴェイル。


倒れた彼女のローブには、赤黒い染みが広がっていた。


傷口が――閉じていない。


「くそっ……なんで何も言わなかったんだよ!

 どうやって運べってんだ、こんな状態で……」


怒りと不安が入り混じった声。


でも考えてる暇はない。


やるしかない。


歯を食いしばりながら、彼女の膝下に左腕を入れる。


激痛が走るが、構っていられない。


右手で背を支え、頭を胸元に抱えこむようにして持ち上げた。


「……あそこなら、もしかして……」


視線の先に見えたのは、ドンジョンの巨大な扉。


彼はそちらへ歩を進めるが――


「……え?」


扉に刻まれていた魔法のルーンが、一つずつ消えていく。


そして、岩の壁が風化するように崩れ、

白い砂塵となって風に舞い上がった。


「マジかよ……ふざけんな。誰がこんな仕様にしたんだよ!」


怒鳴りつけるように吐き捨てた。


アリニアを抱えたまま、必死に周囲を見渡す。


少しでも安全な場所を――


数分後。


岩壁の脇に、小さな裂け目を見つけた。


中は狭いが、二人で身を寄せるには十分。


彼はアリニアをそっと地面に寝かせた。


それから裂け目の中へ入り、獣の気配がないかを確かめる。


問題なさそうだと判断すると、アリニアを壁にもたれさせて落ち着かせた。


すぐに外へ戻り、枯れ木を集める。


腕に激痛が走るが――関係ない。


歯を食いしばって木を折り、担いで戻った。


「……火を起こして、止血して、あとは……

 俺が倒れたら、全部終わりだ。絶対、倒れない……」


独り言のように呟くその声は、決意に満ちていた。


「頼むから、まだ耐えてくれよ……あんな化け物、もう勘弁してくれ……」


洞窟に戻り、木材を並べる。


次にアリニアの鞄を探り、火打石を取り出す。


火を起こし、火花が薪に燃え移ると、わずかな安堵がこみ上げた。


彼女の荷物の中をさらに探り――


見つけたのは、針と糸。


「……よし。」


手が震えている。


そのせいか、針を落としてしまった。


「チッ、集中しろ、バカ野郎……」


苛立ちを押し殺しながら針を拾う。


次に、小さなカップに水を汲み、火にかけて煮沸させた。


熱湯に針を浸し、消毒。


そして――


アリニアの元へと戻る。


彼女の体をそっと起こし、

胸元の紐をほどいてローブを下ろす。


下着がずれ落ちないよう気を遣いながら、

服を腰まで下げて壁に寄りかからせる。


ヴェイルの表情に、迷いはなかった。


ここからが、彼の“戦い”だった。


「……悪いな、アリニア。でも……仕方ないんだ」


ヴェイルは小さくそう呟いた。


湯で煮沸した針に糸を通し、震える手でアリニアの傷口へと近づける。


唾を飲み込み、意を決して針を皮膚に刺した。


その行為が、あまりにも自然すぎて怖かった。


まるで前にも何度もやったことがあるかのように――


額には汗が浮かぶ。


ミスは許されない。


ゆっくりと、慎重に――


何度も何度も縫い進め、ようやく傷口を閉じ終えた。


最後は糸を歯で噛み切り、再び針で糸を通して固定する。


それが終わると、自分のシャツを脱ぎ、布を裂いて即席の包帯を作る。


アリニアの傷口に巻き付け、しっかりと結んだ。


それから服を丁寧に直し、彼女をそっと壁に寝かせる。


ヴェイル自身も壁にもたれ、ようやく息を吐いた。


「……これで、なんとかなるはず。けど……なんでだ……

 こんなこと、初めてのはずなのに……手が勝手に……」


疑問は頭を巡るばかり。


でも、考える暇も余裕もない。


今度は、自分の腕に目を向けた。


布で押さえていた部分を外すと、そこには深く食い込んだ傷跡。


縫ってどうにかなるようなレベルではない。


「……クソ、何期待してんだよ……」


アリニアの短剣を取り出し、試しに傷口に刃を当ててみたが――


当然、何の反応もない。


「……そりゃそうか。武器で癒やしとか、夢見すぎだな」


自嘲気味に呟くと、彼は短剣を火にかけた。


刃が橙色に染まり、じわじわと赤熱していく。


「……焼くしか、ないよな」


ヴェイルは傍らにあった木の枝を口にくわえる。


そして、震える手で熱された刃を持ち、ゆっくりと傷口に近づけた。


近づけるだけで熱が肌を刺す。


それでも――


「うぐっ……!!」


焼けた金属の臭いが鼻をつく。


思わず吐き気を催すほどの焦げた匂い。


だが、叫ぶ暇もなかった。


もう片方の傷も同じように焼き、出血を止める。


終わった後、彼は目をそらし、地面に倒れ込んだ。


「……次にあのヒドラと会ったら、歯を全部引っこ抜いてやる……」


歯を食いしばりながら、そう呟いた。


彼は這うようにして洞窟の外へ出ると、腕を雪の中に突っ込む。


焼けた肌を冷やすように、白銀の冷気がじわりとしみる。


しばらくそうしてから戻ると、火はまだくすぶっていた。


上着がないせいで、体がどんどん冷えていく。


彼はアリニアからもらったジャケットを身につけ、火の前に座り込む。


目をやると、アリニアは静かに寝息を立てていた。


胸が、規則正しく上下している。


彼の瞼も、ゆっくりと重くなっていく。


「……少しだけ、休もう。少しだけ……」


目を閉じると、闇に包まれた。


火のはぜる音と、外を吹く風の音だけが、静かに響いていた。


ダンジョンは、もう過去のもの。


だが――


彼らの旅は、まだ始まったばかりだった。



――第三巻、完。

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