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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第3巻:ダンジョンの影 Pt.2
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第64章:影の中の光

ゆっくりと、砂埃が落ち着いていく。

粉塵の帳が晴れ始めた先に現れたのは――

荒れ果てた、破壊されたままの大広間。


アリニアは足を引きずるように進んでいった。


痛みがまた戻り始め、

一歩ごとに顔が歪む。

だが、その目は――前を見ていた。


そして、灰色の霧の中に、ようやく見えた。


膝をつき、虚空を見つめている一つの影。


ヴェイルだった。


左腕は垂れ下がったまま、力なく。

右手には――彼女の短剣を、まだ握っていた。


その姿を見たアリニアは、

苦笑とも、安堵ともつかない声で呟いた。


「……やるじゃない、バカちびオオカミ……」


ヴェイルは、ゆっくりと立ち上がった。


体を支えるのもやっとで、よろけながらもアリニアのほうへと向かう。


その顔には、極限まで擦り切れた疲労が滲んでいた。


背後には、巨大な屍。


ハイドラの亡骸を残して――彼は進んだ。


「……やっと……終わった、かな。

 なぁ……もう出られると思う?」


荒い息の合間に、弱々しく問いかける。


「……さあね。でも、私も……もう嫌よ。

 正直、次が来たら……もう無理だと思う。」


返した声は、静かで――本音だった。


二人は視線を上げて、部屋を見渡す。


どこかに出口はないか。

何か、終わりを示す光は――


扉、紋章、魔法陣、何でもいい。


……だが、何もなかった。


ただ、沈黙。


果てしなく伸びていくような、重く、冷たい――沈黙。


ヴェイルは、片手で壁際の巨大な扉に触れた。

押してみる。だが、ビクともしない。


「……まぁ、驚きはしないな。

 一度も戻れたことなんてなかったし、

 出口は――きっと別の場所か。」


うなだれる。

目に見えて気力が削れていた。


「……これ、いつ終わるんだよ……」


彼はふと、振り返った。


そして――


目に入ったのは、異変だった。


「アリニア……なんか、おかしくないか?」


指さしたのは、ハイドラの死体。


「他の魔物と違う。

 普通なら、倒せば消えるのに……」


その言葉に、アリニアも振り向いた。


直後――


部屋全体に、不快な臭気が広がり始めた。


湿気を帯びた血と、焼けた金属が混ざったような臭い。

鼻をつくそれは、徐々に強くなる。


足元の血混じりの水が、ぷつぷつと泡立ち始める。


「……なにこれ。魔物って、倒れた後にこんな反応しない……」


アリニアが鼻をつまみながら呟く。


その瞬間――


風が、吹いた。


見えない力に押されるように、塵も瓦礫も壁際へと一掃されていく。


空気が、変わる。

臭気は一気に消え、代わりに冷気が部屋を支配する。


「……アリニア……まさか……まだ生きてる?」


震える声で、ヴェイルが問う。


「違う……生きてないわ。

 あの青い光、完全に消えてた。

 これは……ダンジョンの“終わり”か、あるいは……“報酬”。」


アリニアは、ハイドラの死骸から目を離さなかった。


次の瞬間――


衝撃が走った。


吹き飛ばされる二人の身体。

地面に叩きつけられた直後――


死骸から、漆黒の光柱が垂直に立ち上る。


細く、しかし上昇するほどに広がっていくその光は、

部屋全体の重力を歪めるほどの“圧”を帯びていた。


柱の周囲には、白い雷が乱舞し、

壁に衝突してはひびを刻んでいく。


部屋の構造そのものが――壊れていく。


そして、突如として。


その黒い柱は――


一気に収束する。


一点に絞られ、圧縮され、

やがて――浮遊する球体となって現れた。


それは、ハイドラの死体の真上に、

まるで“待っている”かのように静止していた。


「……あれが……目的の“宝”なのか?」


ヴェイルが、目を見開きながら呟く。


「……違う。

 あれは……宝箱じゃない。

 こんな現れ方、しないはずよ。

 報酬ってのは、ちゃんと“終わった後”に箱で現れるの。」


アリニアの声には、迷いがあった。


彼女ですら――見たことがない。


この“現象”は、未知だった。


その時だった。


小さな音が、空間の奥で鳴った。


かすかな、微かな“ドン”という音。

……そして、もう一度。


今度は、少し強く。少し近く。


さらに繰り返され――やがて、規則的なリズムを刻み始める。


まるで、深く響く太鼓のように。


「っ――くッ……!」


ヴェイルの顔が歪む。


頭を押さえ、短剣を手放す。


突然の激痛が、脳を突き抜けた。


「ちびオオカミ!? どうしたの?」


心配そうに近寄るアリニア。


だが、彼は答えない。

ただ手を上げ、「大丈夫だ」とでも言うように振っただけだった。


――この痛み。


彼は知っていた。


ダンジョンの入り口で、感じたものと同じ。


夢、声、蘇生――


すべてを思い出すには、まだ早すぎた。


彼の中で、何かがまだ繋がっていない。


その時――


死体の上に浮かぶ黒い球体が、脈動し始めた。


心臓の鼓動のように。


脈動のたびに、淡いエネルギーの輪が放たれていく。

最初は小さく、かすかなものだった。


だが、徐々に――


輪は大きく、強く、圧力を伴って拡大していく。


二人は慎重に後退した。


だが――遅かった。


「ッ……うわッ!?」


重い“ドン”という衝撃が、部屋全体を覆った。


球体から放たれた力が、圧倒的な圧で押し寄せる。


まるで音ではない、目に見えぬ波。


二人の膝が砕けるように折れ、床に叩きつけられた。


身体が動かない。


ただ、耐えるしかなかった。


そして次の瞬間――


部屋に満ちていた魔力が、すべて“吸い込まれた”。


まるで掃除機のように。


視界にあった霧も、粒子も、何もかもが――球体へと吸収される。


黒い球体が、膨張する。


三倍、四倍、そして眩いほどの輝き。


光が頂点に達したその瞬間――


爆音。


――そして、消えた。


球体は、空を裂き、天井を突き抜けて消失した。


「……なに、今の。こんなの……初めて見た。

 あたしも色々見てきたけど……あれは、ない。」


アリニアが目元を拭きながら呟いた。


まだ霞む視界の中で、彼女はようやく立ち上がる。


「……俺も知らない。でも、もういい。

 帰りたい……休みたい……これ以上は無理だ。」


ヴェイルの声は、限界を訴えるものだった。


だが、彼らの思いとは裏腹に――


それは、まだ終わっていなかった。


ハイドラの死体が、ゆっくりと“光り始めた”。


淡く、残光を纏いながら。


蒼色だった鱗が、徐々に漆黒へと染まっていく。


それは、まるで黒い水晶のように変質し、

“焼け焦げた石”ではない、冷たい“宝石”のように。


「……あれ、なんだ……?」


ヴェイルが気づく。


その中心部、ちょうど心臓を貫いた場所に――


小さな光が、強く輝いていた。


青白い輝きが、彼を“呼んでいた”。


心の奥に直接、語りかけるように。


「見えるか……アリニア。あそこ、何かある。」


彼はそう言って、指を差す。


だが、アリニアは首を傾げた。


「え? ……何も見えないよ。

 疲れすぎて、幻でも見てるんじゃない?」


微笑みながら、彼女は心配そうに答えた。


「俺の状態? お前の方がヤバいだろ。

 変な変身して、崖から落ちて、あの化け物に殴られ続けて……

 それでまだ立ってるとか、もうゾンビじゃねぇか。」


軽口を叩きながらも、彼はその“光”に向かって歩き出す。


足取りは重い。

全身が悲鳴を上げていた。


だが――止まれなかった。


その光の正体を、どうしても確かめたかった。


結晶化した死体の中、

彼が突き刺した“あの場所”。


そこに、ぽっかりと小さな穴が開いていた。


その中心に、

青く脈動する短剣が――あった。


それは、まるでハイドラの鼓動が、まだそこに宿っているかのようだった。


「……なんで……あんなとこに。

 アリニアには見えないのに……なんで、俺だけ……」


結晶に囲まれた空間だけ、

まるで意図的に避けられていたかのように綺麗だった。


彼は、そっと手を伸ばす。


その柄に触れる。


――軽い。


見た目以上に、驚くほど軽かった。


まるで、空気の刃。


一回り大きい、短剣と剣の間のようなそれを――

彼は、しっかりと握り締めた。


柄の先端には、青い宝石が埋め込まれていた。


その輝きは、心臓の鼓動のように脈打っている。


握り部分は精巧な彫刻で仕上げられており、

手に馴染むような曲線が施されていた。


複雑に造られた鍔は、まるで芸術品のようで――

それは刃にまで伸び、端は鋭く仕上げられていた。


だが、ヴェイルの目を奪ったのは――

その刃の“中心”だった。


宝石と同じ青い光が、刃の内部を流れるように灯っている。


まるで、生きているかのように。

そこには、古代のルーンや紋様が走っていた。


刃は、まるでガラスのような材質に見える。


が、そこに宿るうねりは、明らかに“ただの物質”ではない。


淡い光、滑らかな波紋、そして――


灰色に染まった縁が、全体の幻想性をより引き立てていた。


ヴェイルの周囲に、風がそっと舞い始めた。


心地よい温もりが、体を包む。


まるで、この短剣が――


彼に“応えている”ように。


彼の鼓動と“共鳴”しているように。


「……っ」


我に返った瞬間――

肩にそっと触れる手があった。


驚いて振り返ると、そこにはアリニアが立っていた。


「どうしたの? ずっと見つめてるけど……」


「……これ……なんか、喋りかけてくるような気がするんだよ。

 何を言ってるのかは分からないけど……変な感覚。」


「喋る短剣ねぇ。……見た目は確かに凄いけど、

 私には何も聞こえないわ。」


アリニアはその刃を見つめながら、首を傾げる。


「見た感じ――

 エルフの工芸に近い意匠……でも、どこかそれだけじゃない。

 混じってるわ、何か別の……知らない様式が。」


「……どっちにしても、あんまり短剣を変えるタイプだったら、

 彼女には嫌われそうね?」


冗談めかして、彼女が笑う。


「いや、お前の冗談ってさ……

 捨てられた井戸の底みたいに寒いんだけど。」


呆れたようにため息をつくヴェイル。


その反応に、アリニアはジト目を向けたあと――ふっと笑った。


「でも、本当に……何も光って見えないのよ?

 あんたの目、ちょっとやばくなってきたんじゃない?」


「俺には見える。

 刃が鼓動してて、中に心臓があるみたいなんだ……

 しかも、この模様――

 ダンジョンの入口にあった石碑と似てる。」


真剣な眼差しで、彼は刃の模様をなぞるように見つめた。


やがて、ゆっくりと腰に短剣を収める。


そして、アリニアの短剣を拾い上げ――


彼女に差し出した。


「ほら、返すよ。

 助かった、マジで。お前の短剣、前のよりずっと丈夫だった。」


「そりゃそうよ。私のは鍛冶屋に頼んで作った品。

 あんたの拾い物とは違うでしょ?」


胸を張って言い放つアリニア。


だが――その言葉に、ヴェイルの眉がわずかに動いた。


「……お前、俺が拾ったって、いつ言った?」


疑問のように呟いたその声は、静かだったが――


微かに警戒の色が混じっていた。


「……ただ単に、あんたが“オオカミたち”と戦った後の姿を見たからよ。

 そうじゃなきゃ……落ちるとこも、拾いに行くこともできなかった。」


視線を逸らしながらそう答えたアリニアに、

ヴェイルは小さく眉を寄せた。


……どこか、引っかかる。


だが、今はそれを深掘りする余裕はない。


何より先に――ここから出る手段を見つけなければ。


二人は再び、部屋を見渡した。


どこかに、変化はないか。

扉、光、階段、隠された装置でも――何でもいい。


だが、そこに“出口”は見当たらなかった。


言葉を交わす前に――


金属が軋むような音が、頭上で響いた。


ハイドラの出現とは逆側。

彼らが入ってきた扉の上部に、小さな“蓋”が開いた。


そしてそこから、ふわりと――


小さな“光の玉”が姿を現した。


「……あれ……森で見たのと同じ……」


ヴェイルが、静かに呟く。


光の球はゆっくりと舞い降りながら、彼らの前をすり抜けて進んでいく。


「また道案内かもな……」


「だとしたら、いやな予感しかしない。

 あたしら、もう限界に近いのよ?

 これ以上、あの化け物クラスが出てきたら、死ぬわよ。」


アリニアの声は、真剣だった。


光の玉は、ハイドラが最初に現れた方向へと向かっていった。

だが――


部屋の中心に差しかかると、動きを止めた。


ふわりと下降し、地面へとゆっくり降りていく。


その光は、触れる寸前でかすかに弱まり――


眩い閃光を放った。


「ッ――まぶっ……!」


ヴェイルとアリニアは、反射的に目を覆った。


数秒後、響く“カチッ”という金属音。


アリニアが目を開けた時――


そこには――


小さな“宝箱”が、静かに置かれていた。


光の玉はその形を変え、

やがて完全に“箱”となって、床に着地したのだ。


もう、何の輝きも纏っていなかった。


「……ちびオオカミ。」


肩を軽く叩く。


ゆっくりと目を開けたヴェイルは、彼女が指さす先を見た。


そこにあるのは――確かに、“報酬”だった。


「……終わった。今度こそ、本当に……終わった。」


アリニアの呟きは、深く、安堵に満ちていた。


長い戦いだった。


数えきれない試練。


その一つ一つが、限界を超えるものだった。


だが、今――


彼らはそれを超えたのだ。


この宝箱こそが、ダンジョンの“終了”を示していた。


ヴェイルは、アリニアの表情に浮かんだ“安堵”を見て、

ようやく心の中の重しが一つ外れるのを感じた。


ようやく、“出口”が見えたのだと。


……だが。


その瞬間に湧いてくる、無数の疑問。


この短剣、あの光、ハイドラの変化、アリニアの言葉――


気になることは山ほどある。


それでも今は――


「……もう少しだけ、このままで……」


そう、彼は心の中で呟いた。


ほんの少しだけでいい。

ようやく手に入れた、この“安息”を。

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