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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第3巻:ダンジョンの影 Pt.2
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第61章:まなざしに宿る煌きの中で

ハイドラは、ゆっくりと後退していた。


滑るように、影の奥へ――

氷の床の上を、まるで蛇のように身体をくねらせながら。


その動きには、今までにない“意図”が感じられた。

あきらかに――

“距離”を取ろうとしている。


「ちびオオカミ……あんた、一体何してくれてんのよ……」


アリニアの声が、震えていた。

苛立ちと不安が、声に滲む。


ヴェイルは彼女の方を振り向いた。

唇を噛み締め、まだ乱れる呼吸を整えながら。


「じゃあ、どうすればよかったってんだよ……あのままあいつにやられろって?」


言葉は鋭いが、その声は微かに揺れていた。


アリニアは、腹に手を当てた。

そこから響く痛みは、恐怖と重なって、より深く。


「違う……そうじゃない……だから“斬るな”って言ったでしょ、バカ……」


息を吐きながら、彼女が言う。


ヴェイルの眉が、わずかに動く。

記憶を探るように、遠くを見るような目。


「いや……でも……俺、確かに聞いた。『斬れ』って……そう言ったろ? あのとき、ちゃんと手振りで応えたじゃないか……」


ヴェイルは、信じていた。

あのとき――

確かに、彼女がそう叫んだはずだった。


アリニアが、一瞬だけ彼を見た。

そして、静かに額に手を当てる。


「……あの咆哮のせいで、後半が聞こえなかったのね……そっか……」


その声は、諦めにも似ていた。


答えを待たずに、彼女は目を戻す。

扉の柱、そこに刻まれた文字。


ゆっくりと、天井へ視線を滑らせる。


「心臓が脈打つ……死と共に……」


呟いた声が、冷たくこだまする。


そして、叫ぶように振り返る。


「違うのよ! 狙うべきは頭じゃない! あのクリスタルじゃないの!」


指が、天井の中央を示す。


「……あいつには“心臓”がある。ちびオオカミ、狙うべきはそこ!」


ヴェイルが、困惑のまなざしを向ける。

彼の目が、描かれたフレスコ画へと上がる――だが理解は、まだ追いつかない。


そのときだった。


ギィイイイイイイアアアアッ!!


叫び声。

耳をつんざく咆哮が、空気を裂く。


ハイドラが、停止していた。

部屋の最奥に身を潜めるように、静かに体を沈めた姿。


最後に残ったその頭は、

荒く、不規則に呼吸していた。


……ゼェッ……ゼェエェ……


その口が、大きく開いた。


次の瞬間。


カプッ!


“それ”を咥えた。


ぶら下がっていた、もう使えなくなった“首”。


顎を開き、牙を突き立てる。

肉を、骨ごと貫き――


バッ!!!


一気に、引きちぎった。


ヌチュッ……

グチュ……


腱が裂け、筋肉が千切れ、湿った音が響く。

そして、咥えていたそれを、無造作に投げ捨てる。


ゴトン。


死肉の塊が、床に転がった。


それは、まるで――

“もう不要”だと言わんばかりに。


もぎ取られた頭部は、重たく床に落ちた。


ドスン、と。


まるで、ただの“肉塊”になったかのように。


ヴェイルもアリニアも――

息を呑んだまま、動けずにいた。


その場で、じっと。


次は――

また再生が始まるのか……?


だが、ハイドラはそれだけでは終わらなかった。


呼吸が荒くなる。

いや、それ以上に――

身体の動きが、おかしい。


苦悶をにじませるように、体をうねらせる。


そして。


ガバッ――


口が開かれた。


そして――

今度は、“胴体ごと”飲み込んだ。


全身を使って、咥え込む。

筋肉がひきつり、

その顎の中に、残った肉体すべてを押し込む。


その瞬間だった。


ハイドラの鱗の下に走る、青の光。

それが、口元へと集まる。


――キィィ……


淡く、だが確実に。

その光は収束し、一点に集まっていく。


そこから、微かな霧が漏れ出る。

そして。


ボフッ――!!


青い閃光と共に、

ハイドラは“吐き出した”。


圧力を帯びた呼気が、

体内にあった胴体を裂いた。


肉体が膨張し、表面に亀裂が走る。

鱗がビリビリと震える。

内側から、爆ぜそうなまでに――

膨れ上がっていく。


数秒間、それが続いた。


そして、


バサッ――


それを吐き出すように、頭を持ち上げた。


ギィイイアアアアッ!!


響く咆哮。

それは、苦痛と――

力の象徴。


そして、そこから。


“光”が流れ出した。

青く、そして生きているかのように。


……液体のように見えた。


それは、ゆっくりと。

だが確実に。


肉片を持ち上げ、再構成していく。


――頭部。

第一の首が、再び“形”を取り戻す。

浮遊するように、宙に持ち上がっていく。


……だが、未完成だった。


その根元には、“穴”が残っている。


そのとき。


シュウ……


体内から、再び光が走った。


青い筋が、まるで神経のように。

そこから、赤い筋が絡みついていく。


二色の光が、絡まり合いながら――

一つになる。


そのまま、肉が盛られていく。


――新たな形を包み込むように。


それは。


“第三の首”。


完全な形で――

誕生した。


だが。


ヴェイルも、アリニアも――

すぐに“それ”が、異常であることに気づいた。


何かが違う。


あの頭だけ――明らかに“別物”。


第一の首が、動き出す。


その瞳が、青く光る。

鋭く、凍てついた双刃のように。

闇を断ち切るような、冷徹な輝き。


空気すら――凍りつく。


だが。


第三の頭だけは。


ただ、そこに在るだけだった。


微動だにせず――

何も語らず。


ただ、沈黙の中に。


……潜んでいた。


巨大な胴体の上空――


第三の首は、動かなかった。

完全な静寂に包まれたまま。


首の筋肉は、緊張したまま微動だにせず。

皮膚の下で鼓動すら感じられなかった。


まるで、まだ“起動”していない装置のように。

そこに命があるのに、魂だけが欠けている――


……何かが足りない。


そう、“鍵”が。

“目覚め”の引き金が、まだ与えられていない。


そして。


残りの二つの首が――

ゆっくりと、同時に動いた。


スッ――


滑らかに、機械のように、完全な対称を描いて。

無音のまま。


それは、儀式のように厳かで。

まるで“主”に跪くような――

異様な動きだった。


ドンッ――


突然。

大気を裂くような低い鼓動が、響いた。


重く、深く。

空間を震わせ、石壁の奥深くまで染み込むような波動。


それは――

巨大な心臓が、どこかで息づいているかのようだった。


ヴェイルも、アリニアも。

言葉を失っていた。


瞳を見開き、

喉の奥に、張りつくような息苦しさ。

筋肉が、緊張で悲鳴を上げる。


「……今が、倒す“時”か?」


ヴェイルが低く呟く。


だが――

返事は、間に合わなかった。


ゴオオオッ!!!


氷の風。


ハイドラの中心から、凶悪な冷気が解き放たれる。


骨を穿つような寒気。

皮膚も肉も貫き、魂までも引き剥がそうとする。


それは――“呪い”の息吹だった。


そして、空気が変わる。


いつもの魔力とは違う。

明らかに異質な“圧力”。


体中から、マナが吹き出していく。

暴走するように。

怒りに満ちて。


青白く眩しい閃光が空間を揺らし、

そこに混じるように、血のように赤い火花が散る。


二つのエネルギーが――

まるで“支配”を巡って争っているかのように。


次の瞬間。


空気が逆流した。


すべてのマナが――

“第三の頭”へと、吸い込まれていった。


その首が。


ゆっくりと。

限界まで遅い速度で、持ち上がる。


ギ……ギギギ……ッ……


節くれだった動き。

軋むような振動。


眼窩が開く。

黒く、深く――

底の見えない“闇”が、そこに浮かぶ。


眼差しなど存在しない。

ただ、空虚な影がそこにあった。


その時――


部屋全体が震えた。


音もなく、だが強烈に。


石壁が軋み、

床が揺れる。


そして。

ハイドラの全身が、反応した。


鱗が震える。

脊髄が、震える。


ビリッ――!


皮膚の奥から、脈打つような光が漏れる。


それは、まるで“むき出しの心臓”。

空気にさらされた“命”そのもののようだった。


「……ッ!」


アリニアが立ち上がる。

瞳が見開かれた。


視界はぼやけていた。

だが、それでも“確信”だけははっきりあった。


「……ちびオオカミ。あったわ」


声が鋭くなった。

指が、胴体の下部を指す。


鼓動のように光が明滅する。

ゆっくりと、規則的に――


「フレスコ画の点……柱にあった刻印……全部一致する!」


「そこよ。あそこが“心臓”!」


呼吸が荒い。

だが、言葉には迷いがない。


アリニアの視線は冷たく、鋭く――

鋼のように研ぎ澄まされていた。


「……もう一回、首を斬ったら……」


ニヤッと笑い、

ヴェイルの方を見て。


「次は、あんたの首、もらうからね?」


軽く、皮肉めいた口調で。


けれど――その中には。

絶対に“冗談では済まない”本気の殺意が、あった。


ヴェイルは、かすかに笑った。

嘲笑ではない。

自信でもない。


ただ――ようやく“核心”にたどり着いた男の、静かな笑み。


その瞳が、鋭さを増す。

迷いは――消えていた。


どこを狙えばいいのか。

彼はもう、迷わない。


「……問題は、そこにどうやって届くか、だな」


低く呟いた声に、焦りはなかった。


だが――


その“壁”は、あまりにも巨大だった。


圧倒的な体躯。

絶え間なく蠢く鱗。

守護のように絡みつく二つの首。


接近すら“死”を意味する――

生きた要塞。


それが、この怪物だった。


ヴェイルは自然と手を伸ばす。


……だが。


「……無い……?」


鞘の中にあるはずの愛用の短剣は――

すでに折れていた。


柄だけが残り、刀身は砕け、ねじれ、欠けて。

それは、もはや武器と呼べるものではなかった。


この戦いの中で、何度も限界を超えさせた。

その代償だった。


「くそっ……!」


苦々しく舌打ちし、アリニアの方を向く。

言葉にする前に、彼女はすでに理解していた。


無言のまま――

自分の短剣を抜き、迷いなく投げる。


ヴェイルはそれを、まるで呼吸するかのように自然に掴んだ。


手の中で金属が震える。

冷たく、鋭く――

“信頼”と“覚悟”が重なる感触。


小さく頷く。

礼の言葉など、不要だった。


彼はもう、決めていた。


再び、視線を前へ。

怪物の中心へ。


指が、柄を強く握る。

熱が伝わる。


そして――

跳んだ。


足が、氷の床を蹴る。

体が、獣の間合いへ飛び込む。


その時だった。


ハイドラの体に刻まれていた“光”が。

突然――

速くなった。


脈打つように。

暴れるように。


蒼い筋が波打つ。

心臓の鼓動のように、全身を駆けめぐり、

そして――

それに“追従”するかのように、紅の筋が現れる。


それはまるで、

異なる命が一つの器の中で共鳴しているようだった。


「……また“何か”起きるのか」


ヴェイルは、足を止めた。

呼吸を整え、

目を凝らし、

“何か”を待つ。


次なる変化。

最後の一撃。


いや――

“それ以上”の何かを。


閃光。


闇を断つように――紅く、鋭く。

鋭刃のような輝きが、ハイドラの頂から弾けた。

一瞬の閃きだった。

けれど、それは――決定的だった。


その瞬間、

第三の首が――“目覚めた”。


かつて空洞だった眼窩が、音もなく沈み込み、

やがて、くっきりと浮かび上がった二つの“瞳”。


灼熱のように燃え上がる、深紅の輝き。

ただ見るだけで、魂の奥を焼かれるような視線だった。


その首が、ゆっくりと動いた。

初めて“自らの体”を認識するかのように――

静かに、神聖に、くゆるように。

その動きは、まるで儀式のようだった。


そして。

残る二つの首が……沈黙のまま、

その“第三の存在”へと視線を向けた。


――頭を、下げた。


緩やかに、静かに、

首筋を曲げる。

従うように。

服従するように。


その光景に、叫びはなかった。

ただ、ひとつの音。


カチンッ。


第三の首が、

顎を――硬く、閉じた。


それはまるで、宣言。

終わりの合図。

沈黙の時代は終わり、

いま、“支配”が始まる。


「……なんだよこれ……」


ヴェイルが呟いた声は、かすかに震えていた。


それは恐怖ではない。

だが、確かに背筋を凍らせる何かがそこにはあった。


これは“変化”じゃない。


“宣告”だ。


第三の首が、ゆっくりと彼に視線を向ける。


その瞬間。


ヴェイルの体が――止まった。


息が止まる。

喉が塞がれる。

脚が、床に縫い付けられたかのように動かない。


腕は――垂れたまま。

筋肉も神経も、まるで“断ち切られた”ように。

痛みもなく、ただ、機能を失っていた。


これは、麻痺じゃない。


――支配だ。


精神ごと、思考ごと、

その赤い眼光に、すべてを縛られた。


それは、“絶対”。


逃れられない重圧。

意志を粉砕する、視線という名の鎖。


その背後で、ハイドラの尾が持ち上がる。


風を切る音。


一度。


二度。


三度。


振るうたび、空気を裂き、

殺意そのものが形となって空間をえぐる。


ハイドラは――


今、完成した。


三つの首。

一つの意志。

そして、渦巻く“怒り”。


あらゆる傷。

あらゆる痛み。

すべてをその憤怒に変えて。


この空間に――“終わり”を告げようとしていた。


ヴェイルは、歯を食いしばる。

喉は張りつき、呼吸は浅い。


体が……崩れる。


力が、抜けていく。

指の隙間から、砂のように。


アリニアも限界だった。

その輝きは、もう……かすかに残るだけ。


だが、彼らは“理解”していた。


倒し方を知っている。

弱点も、心臓の位置も。


だが、その一撃。

あの“失敗”。


第三の首を目覚めさせた“それ”。


それこそが――最大の過ちだった。


もし、この脅威を超える手段を見つけられなければ――


この“最後のミス”が、


すべての終わりとなる。

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