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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第3巻:ダンジョンの影 Pt.2
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第60章:過ちの代償

ヴェイルの全身に、重くのしかかる疲労。

筋肉の一本一本が悲鳴を上げていた。

それでも彼は、歯を食いしばり、足を前に出す。


「考えるな……いや、今は……“考えろ”。」


脳内で矛盾する声が交錯する。

時間は残されていない。


目の前には、うねる二つの頭。


特に――

第二の頭。


あれが本命だ。

だが、それに手を出せば、第一の頭に隙を突かれる。


相手は“二つ”でひとつ。

分断できなければ、勝機はない。


「……どうやって届く……考えろ、早く……!」


呼吸は荒れ、息が喉に絡みつく。


そのとき――


ハイドラが、ゆっくりと体を起こした。


ズズゥ……


長大な胴体が天井近くまで伸び上がり、

全身がぴんと張り詰める。


二つの頭が、まるで操り人形のようにぴたりと同じ動きを取る。


同期する動き。

それは、明らかに異常だった。


「……なにを、する気だ……?」


胸部の鱗が、開く。

淡い青霧がそこから立ち上り、

空気に溶けるように広がっていく。


第二の頭が、口を開いた。

ゆっくりと――だが、確実に。


体内の光の線が脈打ち始める。

青く、鋭く。


まるで、血管に熱を流すように。


周囲の空気が引き寄せられ、空間が歪む。

喉元がわずかに膨らむ。


(……来る!)


ヴェイルは反射的に、アリニアの方へ目をやる。


彼女は、扉の近くの柱に身を隠し――

天井を、彫刻を――見上げていた。


その表情には、集中と、迷いが入り混じっていた。


(こっちを見てない……!)


ヴェイルは、咄嗟に行動に移す。

近くの、より太い柱へと駆け込む。


第二の頭が、もしまたあの爆撃を放つならば――

今は、それに耐えるしかない。


そのとき。


グゥウウ……ッ


空気が震えるような音が広がった。

第二の頭が、臨界に達していた。


パチン、と乾いた音が響き、

その口が閉じられる。


ヴェイルは柱の陰から、そっと顔を出す。


一方――


第一の頭が、身を縮めていた。

獣が身構えるときのように、全体をすぼめる。


「今度は……何だ……?」


不安と緊張が、声に滲む。


アリニアも異変に気づいていた。

柱の陰から、怪物の全身に視線を向ける。


「全身が脈動してる……でも……」


彼女は呟く。


「……あの“点”が……まだ何を意味してるのか、分からない……」


どんな魔物にも、必ず弱点はある。

それは、彼女が過去に幾度も戦ってきた経験から導かれる“確信”。


だが――

今回の相手は、違った。


知識が通じない。

記録がない。

過去の伝承すら、曖昧なものばかり。


目の前のハイドラは、伝説ではない。

現実に存在し――そして、今も生きている。


そして――


あの「第三の頭」。


実際の肉体には存在しないのに、彫刻には確かに刻まれている。


それは、警告か。

あるいは――

解答なのか。


第二の頭が、いきなりヴェイルの方へと顔を下ろす。

その動きに、彼の体が反応する間もない。


鱗の奥に宿っていた光が、最後に一度だけ脈打ち――


消えた。


その瞬間、ハイドラの尾の付け根近く――

そこが、淡い青に点滅し始めた。


「……!?」


光は不規則に揺れ、激しく明滅を繰り返す。

そして、その周囲の鱗が――震え始めた。


ギィッ、ギィィ……


まるで内部から“何か”が膨張し、出口を求めているかのように。


そして、ついに――

プシューッ!!


裂けるような音と共に、複数の開口部が現れる。

そこから、白く濁った蒸気が勢いよく噴き出した。


「な……んだ、これ……」


ヴェイルの目が見開かれる。

その光は、ゆらゆらと動き出し、

まるで命を持った蛇のように、体内を駆け上がる。


青白いフィラメントが背骨に沿って伸びていく。

一つずつ、節々を明るく染めながら。


そして、辿り着く。

――二つの首の分岐点へ。


バチィッ!!


光が炸裂する。


その衝撃が、空間そのものを揺らすようだった。


そのまま、光は魔力の頭へと集中し――

首全体が、硬直した。


喉が脈打つ。

口が膨らみ、内部で何かが溜まり始める。


「やばい、来るぞ……!」


低く、唸るような音がこだまする。

第二の頭の歯の隙間から、

青い光が漏れ始めた。


ジリ……ジリ……


空気が、震えている。

それは光ではなかった。

熱でもなかった。


――“冷たさ”だった。


あまりにも冷たすぎて、

まるで熱のように感じる冷気。


「……止まってる……?」


動きが、消える。

空気の流れすら感じられない。


ヴェイルも、アリニアも、声を飲む。

全神経が、目の前の“静止”に集中していた。


――重い。


その沈黙は、恐怖そのものだった。


ヴェイルのこめかみに、汗が浮く。

呼吸が浅くなり、心臓の鼓動が耳を打つ。


「……今、行くべきか……?」


この“硬直”が、チャンスなのか。

それとも、罠なのか。


手に握った短剣に力が入る。

指の関節が白くなるほどに。


今しかない――そう思いたかった。

けれど、一歩を踏み出すその瞬間――


「ッ……!」


ハイドラの目が、開いた。


瞳孔が収縮し、そこから迸る光が、

ヴェイルを一歩後退させるほど強烈だった。


見開いた目。

その視線は、先ほどまでの曖昧さはなかった。


明確に――

殺意だった。


――ズゥウウウウン!!


空間に爆音が響く。

その直後、


バアアアアアッ!!


第二の頭が大口を開く。


ヴェイルもアリニアも、

即座に身をひるがえし、柱の裏へと隠れる。


凍りついた石柱に、背中を押しつける。

体を縮こまらせ、気配を消す。


その直後――


世界が、冷たさに包まれた。


いや、包まれるというより――


“裂かれた”。


ギュウウウウウウウゥゥゥン……!


重低音のような唸り。


そして――


青く、まっすぐな光線が放たれる。


第二の頭の口から、

純粋すぎる青が、一直線に射出される。


それは、ただの魔力でも、

ただの冷気でもない。


それは――“死”。


――来る!!


青い光線は――

触れたものすべてを、薙ぎ払った。


ゆっくりと、だが確実に。

第二の頭が、首を振る。

体幹をねじり、まるで締め上げられた蛇のように、身をくねらせながら。


青の奔流が、空間を浸していく。


柱が凍る。

壁が凍る。

床が――世界が、凍る。


それは氷ではなく、“死の絵画”。

透明な筆で描かれるように、静かに、だが確かに。


柱の縁が音を立てて歪む。

表面が軋みを上げる。

ひびが走る。


「くっ……!」


ヴェイルは歯を食いしばる。

手足が震える。


寒い――ではない。


体の中に、氷が入り込んでくる。

肺が、刺さるように痛む。

呼吸が、刃物のように鋭い。


「っ、は……ぐ……」


アリニアもまた、耐えていた。

背を丸め、震えながら、柱にすがる。


その身を貫くのは、ただの寒さではなかった。

凍気が、傷の奥底まで突き刺さり、

骨ごと身体を貫いていく。


まるで、氷の刃が――体の内側から、切り裂いてくるようだった。


だが、やがて――


光は弱まっていく。

青の流れは細くなり、ついには消えた。


――静寂。


再び、世界が息を潜める。


その場に残ったのは、

第二の頭の、荒い、苦しげな呼吸だけだった。


……ゼェッ……ゼェエェ……


次の瞬間――


ギィイイイアアアアアァアアッ!!!


獣の咆哮。

怒りと憎悪と、苦痛と――

全てを混ぜ込んだような、凄まじい叫び。


ヴェイルもアリニアも、

まだ息を整える間もなかった。


そして。


……パキッ……


「――!?」


氷が、鳴いた。


それは、どこかで聞いたことのある“音”ではなかった。

不自然で――

まるで“生きている”かのような音。


亀裂が走る。

空間が軋む。


柱が震えた。


その異常を察知したヴェイルが、即座に動いた。


「やばい……っ!」


足を引きずりながらも、後退する。

直感が告げていた。


“ここにいてはいけない”。


だが――

アリニアには、その余裕がなかった。


崩れた体は、思うように動かず――


バァンッ!!


氷が、爆ぜた。


破裂音。

柱が――砕けた。


一つ、また一つと、

次々に爆裂音を上げて破壊されていく。


炸裂した氷の破片が、嵐のように吹き荒れる。

衝撃波が、周囲を薙ぎ払う。


「――っああああっ!!」


アリニアの身体が、吹き飛んだ。


凍った空気の中を、逆巻くように――

彼女の身体は宙を舞い、

そして、地面に叩きつけられる。


……ゴッ!!


「くっ……!」


彼女の背が、硬い床を打つ。

その衝撃が、肺から空気を吐き出させた。


霞んだ視界の中、

彼女は何とか体を起こす。


四つん這いになり、肩で荒く息を吐きながら。


そのとき――


彼女は気づく。


自分の背後。

ちょうどそこに――


あの柱があった。


右側の、あの彫刻。


そして、そこに。


まだ消えていなかった。


石に刻まれた、あの“文字”。


――そこに、在った。


「氷の心臓は……死の鼓動に呼応する……」


アリニアが、かすれた声で呟いた。


眉間に、皺を寄せる。


「“心臓”……?」


言葉が、妙に引っかかる。

自分の耳に、まるで別の意味を持って響いていた。


彼女は、袖で目元を拭った。

彫刻の文字を、改めて見つめる。


――違和感。


この言葉――

ここに入ったときから、確かにあった。

最初から、刻まれていた。


けれど。


自分もヴェイルも、それを「意味のあるもの」として受け取らなかった。

ただの装飾。

ただの“背景”として、見過ごしていた。


「なんで……今まで、気づかなかったの……?」


疑念が、霧のように思考を包む。


だがそのとき――


ハイドラが、動いた。


沈黙していた第一の頭が、突然吠えた。


キィイイイイイイアアアアアッ!!!


反響が、石の天井を震わせる。


ヴェイルは、まだ完全に回復していなかった。

ふらつきながらも立ち上がり、剣を構える。


けれど、ハイドラの視線は――


アリニアへと、向けられていた。


「……ふざけるな。今度こそ……絶対に、守る!」


ヴェイルが、歯を食いしばる。

咄嗟に息を吸い、叫ぼうとする。

アリニアを狙うなと、注意を引こうとした。


だが――


その前に、第一の頭が、

その視線を、第二の頭へと向けた。


カチン、と牙が鳴る。

まるで“言葉”を交わすかのように。


第二の頭が、ゆっくりとうねる。


――その体内で、再び光が灯った。


青白いフィラメントが、鱗の内側を這うように広がっていく。


「……させるか……っ!」


ヴェイルが一歩、踏み出す。

鋭い声で、叫ぶ。


「今度こそ、お前の好きにはさせない!!」


だが――


ハイドラの全身から、

再び冷気の霧が放たれた。


シュウウウ……


ヴェイルの視界を、真っ白に染める。


「……くっ!」


近づけない。

体を覆うように、濃密な氷気が巻きつく。


その間に――

第二の頭の内部で、

青のフィラメントが、さらに強く脈打ち始める。


光が昇る。

上へ、上へと――

そして、頭部へ到達した。


開かれた顎の中で、光が渦を巻く。

だが今回は、空気を吸い込むのではなかった。


マナを――

“集めていた”。


「これは……」


顎の間に、丸く、淡く揺れる水球が浮かぶ。

一つ、また一つ――

次々と形成され、まるで弾丸のように――


撃ち出された。


ビュンッ!


水の球体が、高速で空間を駆け抜ける。

まっすぐではない。

斜めに、曲がりながら。

無作為に見えるほどの動き。


だが――


ヴェイルが目を伏せる。


気づいた。


それは、攻撃ではなかった。


地面へと、球体が落ちる。

そして――

ジュッ、と音を立てて広がる。


その表面が、瞬時に凍る。


「氷……床を、凍らせてる……」


水が、面となり、

そして――

床全体に、“氷の滑走路”を形成し始めていた。


ハイドラの巨体が、ゆっくりと――


引いた。


背後へ、氷の床を滑るように。

尾が、壁にぶつかるまで後退する。


ギィィ……


「……っ!?」


柱のような尾が、壁に食い込んだ。

鱗が押し潰され、石の壁に亀裂が走る。


第一の頭が、ゆっくりとアリニアを見下ろす。

その目は、獲物を見据える捕食者のそれだった。


「アリニア、逃げろ!!」


ヴェイルの悲痛な叫びが、空間に響いた。


その声と同時に、

第二の頭も、低く構える。


両の頭が、地を這うように、同時に沈む。


ヴェイルが走る。

全速力でアリニアのもとへ――!


しかし、遠い。

間に合わない。


バンッ!!


尾が弾けた。


圧縮されていた全身の筋肉が解放され、

ハイドラの巨体が一気に滑走する。


氷上を、まるで矢のように。

その口が、全開になる。


アリニアへ――


「――ダメだ!!止めろ、ちびオオカミ!!斬っちゃダメ!!」


アリニアの絶叫が、ヴェイルに届いた。

だが――


もう、彼の刃は振り下ろされていた。


シュッ!!


短剣が、うなりを上げて突き刺さる。


ズガッ!!


肉を裂く音。

鱗を砕き、筋肉を切り裂く。


第一の頭が、勢いごと止まった。

だがその反動が――


ヴェイルを吹き飛ばした。


ゴンッ!!


背中を重たい扉に打ちつけられ、

彼はそのまま床に倒れる。

アリニアのすぐ横に。


「ちびオオカミ……大丈夫……!?」


アリナが駆け寄り、震えた声をかける。


ヴェイルは、うめきながら体を起こす。

視界が揺れる。音が遠い。


けれど、なんとか、頭を上げた。


ハイドラは、すぐ目の前にいた。


第二の頭が、突然咆哮を上げる。


ギィイイイアアアアアッ!!!


それは、音を超えた衝撃だった。

脳に直接届くような、絶叫。


その振動が、空気を震わせる。

ハイドラが、身をよじる。


その身体の先――

そこに、第一の頭がまだ繋がっていた。


血を流し、肉が裂け、

だが――


まだ、千切れてはいなかった。


「……ダメだ……切り落としきれなかった……」


ヴェイルが、苦しげに呟く。


アリニアの顔が、青ざめる。


「なんで……っ、なんでまた首を……」


声は、恐怖に染まっていた。


第二の頭が、低くうなりながら後退する。

その目が、何かを見据えていた。


身をくねらせながら、ゆっくりと――

部屋の奥へと引いていく。


その体からは、異様な“気配”が立ち上っていた。


それは、今までのそれとは――

まったく違っていた。


ヴェイルも、アリニアも。


――本能で、察していた。


「次は……今までとは、違う」


――恐怖が、もう一段階、深まる。


───第六十章、了。

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