第4章:目覚めの残酷さ
雪はなおも木々へ静かに降り積もっていた。
光の円は最後にきらめきを放つと消え去り、まるで何事もなかったかのように森は静けさを取り戻す。
木々の間に横たわるヴェイルの身体は、依然としてぴくりとも動かず、ゆっくりと雪に覆われ始めていた。
その胸はゆっくりと上下し、時折、雪片が頬に触れるたびにわずかに震える。
目を閉じたまま、彼は少しずつ身体を動かし始めるが、思うようには力が入らなかった。
(ここは……どこだ?
なんで急にこんなに寒いんだ?)
戸惑いながらそう思う。
ようやく目を開けようとするが、視界を満たすのはただ闇だけで、身体は言うことを聞かなかった。
冷え切って感覚の鈍い手に意識を集中し、指を動かそうとする。
完全には持ち上がらなかったものの、指先はゆっくりと動いた。
(なんでこんなに何もかもおかしいんだ?
とにかく目を覚ましたい……)
彼はそう思った。
今度は瞼を開くことだけに集中する。
力を込めるたび、瞼は小刻みに震えた。
やがて、ようやく薄く目を開けることができたが、見えたのはぼやけた巨大な影だけだった。
もう一度挑戦する。
今度は手を動かし、身体を起こそうとした。
「お願いだから……もう少しだけ……。
本当に起きなきゃ……」
彼は小さく囁いた。
やがて腕が曲がり、そのまま身体を支えながらゆっくりと上体を起こす。
全身は寒さで痺れきっており、その冷たさは骨が動くたびに砕けそうな錯覚を与えていた。
ようやく完全に座り込み、両手で目をこすって視界をはっきりさせる。
周囲を見渡しても、目に映るのは雪に覆われた木々がどこまでも続く広大な森だけだった。
「ここ……どこなんだ?
それに……俺は、なんでこんな場所にいるんだ?」
戸惑いながらそう呟く。
彼は無意識のうちにその言葉を繰り返し、自分がどうやってここへ来たのか記憶を探った。
だが、その意識は空虚へと沈み込み、そこには果てしない闇しかなかった。
「俺……どうしたんだ?
なんで何も思い出せないんだ……?」
彼は低い声で呟いた。
焦りが少しずつ胸を締めつける。
何か一つでも思い出そうと必死にもがくが、何分経っても何一つ浮かばなかった。
その間も寒さは容赦なく身体を蝕み、彼は震え始める。
「動かなきゃ……。
凍死したら、思い出せるものも思い出せないだろ……」
自分を奮い立たせるように小さく呟いた。
彼は何とか立ち上がる。
脚は、まるで長い間使われていなかったかのように震えていた。
どうにかバランスを取ると、おそるおそる一歩踏み出す。
だが、その途端によろめいて転びそうになった。
「くそっ……何なんだよ……。
こんな簡単なことすらできないのかよ」
苛立ちながら吐き捨てる。
再び立ち上がり、同じ動作を繰り返す。
今度は無事に最初の一歩を踏み出すことができた。
彼はゆっくりと歩き始める。
その足取りはぎこちなく、生まれたばかりの赤子が初めて歩くようだった。
「まあ……さっきよりはマシか。
次は寒さをしのげる場所を探さないとな。
この間抜けな歩き方で間に合えばだけど」
ヴェイルは緊張をごまかすように苦笑した。
そうして数分歩き続けるうちに、脚は少しずつ感覚を取り戻し、やがて普通の歩調になっていく。
ときおり響く鈍い音に肩を震わせる。
積もった雪の重みで、木の枝が軋みを上げていた。
だが心の奥では、不思議な感覚が静かに広がっていた。
まるで木々の闇の中から、誰かに見つめられているような気配。
それでも彼は深く気にせず、ただ野生動物だろうと自分に言い聞かせた。
「ったく、この森はどこまで続いてるんだよ?
どうやって寒さをしのげる場所を見つけろっていうんだ。
ほんと……なんで俺はこんな場所にいるんだよ」
腕をさすりながら、不満そうに唸った。
彼が歩き続けていると、不意に響いたひび割れるような音が、その場で足を止めさせた。
雪の重みに耐えかねた枝が軋む音はこれまでも聞こえていた。
だが今回は、その音が地面から響いたように感じた。
彼は辺りを見回し、その音を立てたものがないか必死に探す。
「だ……誰かいるのか?
いるなら姿を見せてくれ」
わずかに震えながら、息を漏らすように言った。
返事はない。
聞こえるのは風が吹き抜ける音だけで、この森を包む奇妙な静寂を揺らしていた。
ヴェイルは振り返り、再び歩き出そうとする。
その瞬間、また動きを止めた。
今度は枝の音ではない。
低く唸る、威嚇するような唸り声だった。
彼は数秒間、その場で凍りつく。
恐怖が身体を縛りつける一方で、その音の正体を知りたいという思いも頭をよぎっていた。
「急な動きはするな……。
もしかしたら危険じゃないかもしれない。
大人しくしてれば、見逃してくれるかも……」
唇を噛みながら、小さく呟く。
細心の注意を払いながら、ゆっくりと振り返る。
最初に目へ飛び込んできたのは、木々の影の奥で輝く一対の青い瞳だった。
まるで氷そのものが森の中に浮かんでいるかのような光。
彼は目を細め、その光の正体を見極めようとするが、薄暗さのせいでよく見えない。
「……なんだ、あれ。
落ち着け……変なことするなよ」
声を潜めて呟く。
彼はゆっくりと後ずさる。
相手に動きを悟られないよう慎重に。
そのとき、白い吐息が煙のように立ち上り、荒い呼吸に合わせて揺れ動く。
やがて、その奥から鋭い牙が姿を現した。
その生き物もまた、ゆっくりと歩み寄ってくる。
前脚が光の中へ入り、雪のように白い毛並みが露わになる。
続いて口元が姿を現す。
唸り声に合わせて鼻先には深い皺が寄り、牙の間からは涎が糸を引いて滴っていた。
そして、ついに全身が姿を現す。
全身を覆う白い毛は、まるで氷の棘のようだった。
その毛並みの下では淡い青白い光が脈打つように揺れ、生き物はゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「落ち着いてくれ。
俺は君を傷つけるつもりはない。
邪魔をする気もなかったんだ」
ヴェイルは囁くように言った。
しかし、ヴェイルがなおもゆっくりと後退していると、その生き物は頭を高く掲げ、森中へ響き渡る遠吠えを放った。
すると、木々の影からさらに二つの影が姿を現す。
その唸り声もまた、同じように威圧的だった。
心の奥底では、今すぐ全力で逃げろと警鐘が鳴り響いていた。
それでも身体は思うように動かず、視線だけはその生き物たちから離せない。
(逃げた方がいい……。
大人しく見逃してくれるとは思えない。
でも、逃げたところで……本当に振り切れるのか?)
彼はそう考えた。
どうするべきか迷っていたせいで、左足の後ろに落ちていた枝に気づかなかった。
踵が枝に引っ掛かる。
身体は大きくバランスを崩し、そのまま雪の中へ激しく倒れ込んだ。
「くそっ……痛っ」
吐き捨てるように言う。
その様子を見た一匹が牙を鳴らし、一気にヴェイルへ向かって駆け出した。
恐怖が一気に込み上げる。
だが、自分でも理解できないまま、身体は横へ滑るように動き、そのまま素早く立ち上がった。
まるで身体だけが勝手に反応したかのようだった。
彼は何も考えず走り出す。
後ろを振り返ることもなく、ただ生き物たちから少しでも距離を取ることだけを考えていた。
しかし、生き物たちは走って追ってはこなかった。
ゆっくりとした歩調のまま、彼が雪に残した足跡を辿って進んでくる。
(振り返るな……。
振り返るな。
走れ……絶対に振り返るな)
彼は何度も心の中で繰り返した。
息を吸うたび、冷たい空気が肺へ流れ込み、不快な焼けつくような痛みを与える。
荒い息を繰り返しながら数分間走り続け、ついに足を止めた。
「はぁっ……はぁっ……もう……無理だ。
少しだけ……五分だけ休ませてくれ……」
小さな声で呟く。
彼は一本の木の陰へ身を滑り込ませ、膝に手をついて前屈みになる。
少し身体をずらし、木の陰からそっと後ろを覗き込む。
生き物たちの姿は見えなかった。
見えるのは、木々の間へ静かに降り続く雪と、自分の足跡だけ。
「撒けたのか?
脅かしたかっただけだったのかもな……。
縄張りを守ってただけ、とか」
そう言って息を整える。
彼は木にもたれかかりながら呼吸を落ち着かせていく。
身体から少しずつ力が抜け、安全だという安堵が広がる。
だが――
木々の影の中から、誰かの視線だけは、今もなお自分へ向けられている気がした。




