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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第3巻:ダンジョンの影 Pt.2
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第51章:不名誉なる帰還

闇が、すべてを呑み込んだ。


音も、痛みも、何もかもが消え去った。

まるで、自分という存在そのものが、世界から消滅してしまったかのように。


身体の感覚はなかった。

意識だけが、果てしない虚無を彷徨っている。


動こうとした。

声を出そうとした。

だが、どこにも反応はなかった。


ただ――

息苦しいほどの、完全なる虚無が広がっていた。


それでも、彼は覚えていた。


スペクトル。

身体を貫いた冷たい刃。

全身を蝕むような氷のような痛み。


そして――

動かないまま倒れていたアリニアの姿。


そのとき、不意に音が響いた。


笑い声だった。

低く、深く、虚無の中に反響する不気味な笑み。


ヴェイルは、身体のない自分に震えを感じた。

本能が叫んでいた――

「それを、以前にも聞いたことがある」と。


あの夢で、確かに聞いた声だ。


そして、光が現れた。


鋭く、目が焼かれるほどのまばゆい閃光。

目を閉じようとした……だが、目がないことに気づく。


身体など、どこにもなかった。

ただ、意識だけが漂っていた。


光が徐々に薄れたとき――

そこに浮かんでいたのは、巨大な赤い瞳。


二つ。


こちらをじっと見つめ、

魂の奥深くまで覗き込むような、冷たい視線。


それらからは、耐えがたいほどの威圧感が放たれていた。

その“存在”だけで、ヴェイルは微塵の抵抗すら許されない。


そして、笑いが止む。


次の瞬間、男のような声が響いた。


「……哀れなものだな。弱すぎる。」


嘲るような、乾いた声。

ヴェイルの“本質”を、冷たく貫いてくる。

……この声も、聞いたことがある。


「召喚者がこの程度とはな……がっかりだ。」


――召喚者?

何のことだ?


混乱が頭を覆い尽くす。

恐怖が心を蝕む。


だが、何もできない。


また、あの声が響いた。

今度は刃のように鋭く、容赦がない。


「こんな雑魚のために介入しなければならんとは……屈辱にもほどがある。」


声を出そうとした。

問いかけようとした。


けれど、何も発せられない。


それを察したかのように、“それ”は言葉を重ねる。


「理由か? 簡単なことだ。

 この世界には、私に必要な“誰か”がいる。

 そして、お前の魂が、それに応じた。」


深く、重たい沈黙が落ちる。

まるで宣告のような、その重さ。


――なぜ、自分なのか。

ヴェイルは必死に思い出そうとする。

だが、浮かぶのは、ただの空白だった。


そして、その存在が告げる。

冷たく、断罪のように。


「もう一度だけ、機会をやろう。

 だが、肝に銘じろ。

 次にしくじれば――今度こそ、見捨てる。」


重圧が襲いかかる。

存在のすべてが、今にも断ち切られそうな感覚。


「……戦う理由も持たぬ存在など、消えて然るべきだ。」


赤い瞳が、すぅっと閉じられていく。

その視線が消えると同時に――

再び、闇がすべてを覆った。

それは、先ほどよりもさらに深く、息苦しい闇だった。


――現実――


スペクトルは、静かにそこに立っていた。

その身体から広がる霧が、じわじわとヴェイルの体へと伸びていく。

まるで、すべてを包み込み、飲み込もうとするかのように。

その黒い影は、彼を“終わり”へと導くために迫っていた。


だが――

その瞬間。

闇を裂くように、光が弾けた。


最初は弱々しく――

ヴェイルの身体にうっすらと灯った、かすかな緑の輝き。


だがそれは、徐々に強く、鋭く、

まるで神の息吹のように、鮮やかに輝きを増していった。


その光は、スペクトルによって穿たれた傷口からあふれ出していた。

神経一本、筋繊維一筋に至るまで――

破れた肉が、裂かれた皮膚が、

その輝きに包まれて再生していく。


血は消え、心臓は元の位置に戻り、

脈打つ鼓動と共に純粋なエネルギーが全身に巡っていった。


スペクトルが、後ずさる。


赤く濁った瞳が細められ、

口元の笑みが、怒りの呼気にかき消される。


影の手が振り上げられた。

まるで、そのまばゆい光を払おうとするかのように。


だが――届かない。


「グァアアアアッ!!」


凄まじい咆哮と共に、闇が震える。

柱がきしみ、床の埃が舞い上がるほどの衝撃波が走った。

だが、無駄だった。


――ヴェイルは、生き返ったのだ。


光はさらに強さを増し、

スペクトルの闇を、静かに、だが確実に押し返していく。


そして、最後の瞬間――


一閃の閃光が、全てを貫いた。


爆ぜるように輝くその光は、

空間を包む闇を断ち切り、

スペクトルの姿を掻き消していく。


影は後退し、闇は破れ、

そして――彼はその場から、消えた。


……静寂。


……そして、


ドクン――ドクン……


鼓動。


ドクン、ドクン、ドクンッ、ドクンッ!


ヴェイルの心臓が、高鳴った。


それは空間全体に響き渡るほどの力強さ。

確かに、彼は“生きていた”。


身体が跳ねた。

まるで水底から浮上するかのように、激しく。


「はぁっ――!」


一気に空気を吸い込む。


まるで長い間息を止めていたかのような、苦しげな呼吸。

まぶたが震え、目が見開かれる。

強すぎる光に焼かれるように、目を細めながら、何度も瞬きを繰り返した。

周囲が、徐々に視界に戻ってくる。


――まだ、あの部屋だ。

彼は、ここにいた。


ふらつきながらも、身体を起こす。


筋肉が奇妙な軽さを持ちながらも、

同時に内からあふれ出すようなエネルギーを宿していた。


深く息を吸い、身体を馴染ませる。


そして――


目を向けた。


アリニア。


床に倒れたまま、微動だにしない。

あのとき見た、まさにその姿。


喉の奥が、きゅっと締まる。


すぐにでも駆け寄りたかった。

だが――


本能が、彼の足を止めさせた。


一歩、下がる。


その瞬間。

地面から、影の手が突き上がった。

ヴェイルの足を掴もうとする、漆黒の腕。


「っ……!」


息が詰まる。


スペクトルは――まだ、いた。


とっさに腰へと手を伸ばす。


――だが、そこにあるはずの短剣はなかった。


そうだ。落としたのだ。

倒れた直後、意識が途切れる前に。


目を走らせる。

武器は――あった。数メートル先。


自分が崩れ落ちたその場所に。


迷わなかった。


ヴェイルは一気に駆け出し、

身を屈めながら地面に手を伸ばす。


そして――短剣を握る。


振り返った瞬間。


そこに、いた。


スペクトル。


再び形成された闇の中、

紫の炎がゆらめく空間に、そいつは立っていた。


……だが、以前と違っていた。


もはや、笑っていなかった。


嘲笑も、余裕もなかった。


赤い目は怒りに染まり、

細く鋭いスリットが、獲物を睨むように震えていた。


霧が脈動する。

吐き出される冷気が、部屋全体を包んでいく。


そして――


――パンッ、パンッ!


乾いた、鋭い音が二度。


「……来る……!」


ヴェイルは奥歯を噛み締めた。


――この音を、彼は知っていた。


二本の影の刃が、突如として飛び出した。


だが今回は――

それらはヴェイルを襲わなかった。


突き立ったのは、地面だった。


「っ……!」


ヴェイルは眉をひそめる。


すぐに地中からの奇襲を警戒し、身を翻して回避に入った――

だが、次の瞬間。


「……っ!?」


脚に、激痛が走った。


切り裂かれたのは、地面ではなかった。

真上から――襲ってきたのだ。


足元から細く血が流れる。

致命傷ではない。浅い切り傷。


……だが、それだけで充分だった。


彼は悟った。

自分の「読み」が、外れていたことを。


「チッ……!」


悔しげに舌打ちしつつ、ヴェイルは短剣を握り直す。

そして、眼前の闇へ視線を向けた。


そこに浮かぶ、黒い影。


忘れてなどいない。

こいつの“弱点”は、もう知っている。


「……遊びたいってんなら、付き合ってやるよ。」


片口に笑みを浮かべながら、彼は低く構える。


「でもな――

 今の俺は、お前の倒し方を知ってる。」


だが、スペクトルは反応しなかった。

その赤い瞳はヴェイルを見つめたまま、微動だにしない。


……違った。


今回は、何かが違う。


影が――広がり始めた。


黒い霧がゆっくりと滲み出し、

それはまるで意志を持っているかのように、

空間全体へと伸びていく。


数秒も経たぬうちに、

部屋全体が、厚く重い闇に包まれた。


スペクトルの姿は、完全にその中へと消える。


「クソッ……」


ヴェイルは唇を噛んだ。


紫の炎はまだ残っていた。

だが、光は弱々しく、

今や闇に呑み込まれそうになっている。


彼は辺りを見渡す。

闇の奥に何かが潜んでいる気配。


だが――見えない。


何も。


彼は手を前に出し、魔力を集中させる。


そして――


「はぁッ!」


掌から解き放たれた魔力が、風となって炸裂する。


竜巻のように渦を巻く風が、

周囲の霧を凍らせていく。


砕けた霧が氷結し、

ぱらぱらと音を立てて床に落ちる。


一瞬、視界が開けた。


だが、その“わずかな光”も――

すぐに霧が飲み込んでいく。


「……遊んでるつもりかよ……」


怒気を滲ませた声が、闇に溶けた。


「そんなに隠れてて、どれだけ持つつもりだ……?」


もちろん、返事などなかった。

それでも――声に出さずにはいられなかった。


そのとき――


「……っ?」


音がした。


硬く、低く、鈍い――

空間を裂くような、重たい音。


……軋むような、割れるような音。

ヴェイルの背筋が、ぞくりと震えた。


「どこだ……?」


音は――一箇所ではなかった。


空間全体に響いていた。


右でも左でもない。

上か下かも、わからない。


ただ、不快な“何かが割れる音”だけが、鳴り響いていた。


彼は数歩後退し、警戒を強める。

音の主を見つけようと、視線を走らせた。


だが――


音が、止まった。

同時に、空気の流れも変わる。

霧が、拡散をやめ――

収束し始めた。


「……吸い込まれてる?」


霧のすべてが、

空間のある一点へと吸い寄せられていく。


ヴェイルの目が、その“動き”をとらえた。


黒い煙が、地面の亀裂へと流れ込んでいく。

床に走った細かい裂け目――

その中に、霧が溶けていくように。


彼はすぐに理解した。


……これは、逃走でも攻撃でもない。


これは――罠だ。


その裂け目は、ヴェイルに向かっていたわけではなかった。

それらは、周囲を包んでいたのだ。


――囲まれている。


その瞬間、霧がすべて消え去る。

かつてのように、部屋の輪郭が見えるようになった。


だが、スペクトルの姿は――どこにもなかった。


ヴェイルは、身構えた。


筋肉を極限まで緊張させながら、

部屋の隅々まで視線を走らせる。


「……どこに隠れた……?」


低く、警戒心を滲ませながら呟いた。


その瞬間だった。


――グラッ。


足元が震える。

小さく、だが確かな振動。

背筋に、冷たいものが走った。


「……!」


スペクトルは、もはや周囲にはいなかった。


今――


「……下だ。」


ヴェイルの囁きは、ほとんど息だった。


スペクトルは、彼の真下にいた。

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