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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第3巻:ダンジョンの影 Pt.2
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第45章:束の間の休息

ゆっくりと、舞い落ちる土埃。

戦いの余韻を残すように、沈黙が辺りを支配していた。

そこかしこに砕けた岩の破片が転がり、激闘の爪痕を物語っている。


その中で――


アリニアが、ようやく動いた。


ゆっくりと身体を起こし、

わずかによろけながら立ち上がる。

疲労が全身を蝕み、筋肉は痛みを訴えていた。


一方、ヴェイルは――

その場から動けずにいた。


ただ、じっと彼女を見つめていた。


無事かどうか、確かめたかった。

だが、近づくことができなかった。


彼の中に、これまでにない“ためらい”が生まれていた。


彼女がアリニアであることは、分かっている。

それでも、さっきまでの姿が――

まだ、心を凍らせていた。


アリニアは数歩歩き、近くの岩にもたれかかる。

そのまま、ゆっくりと腰を下ろし、ヴェイルに視線を向けた。


「ちびオオカミ……私の荷物、持ってきて。」


その声は静かで、疲れの滲む口調だった。


ヴェイルは小さく肩を跳ねさせる。

一瞬遅れて、頭を振り、無理やり思考を切り替える。


彼女が脱いだタイツとブーツ。

あれを――


すぐに探しに行った。


だが、辺りを見渡した瞬間に気づく。

ハイドレオンの放った衝撃波で、全てが吹き飛ばされていた。


彼は瓦礫をひとつひとつ退け、

岩陰やくぼみの中まで丹念に探す。


数分後――ようやく見つけた。


だが、すでに全てがびしょ濡れだった。


黙ってアリニアの元へ戻り、荷物を差し出す。

その瞬間――彼は、はっきりと気づいた。


彼女は“元に戻っていた”。


爪は消え、瞳は通常の形に戻り、

あの圧倒的だった魔力の気配も、もうなかった。


肩から力が抜ける。

安堵――ただし、完全には拭えなかった。


アリニアは荷物を受け取ると、静かに鞄を開いた。

中から乾いた木片を取り出し、丁寧に組んでいく。


火打ち石を使い、慎重に火を灯す。


一つ一つの動作が遅く、顔をしかめるたびに

その体がどれだけ限界に近いかが伝わってきた。


やがて、小さな火が静かに燃え始める。


ぱち……ぱち……


その音が、ようやく戦場に温もりをもたらしてくれた。


アリニアは濡れた衣類を火のそばに置き、

再び座り込む。


そして――


長い沈黙が訪れた。


聞こえるのは、木の燃える音だけ。

静寂と疲労に包まれた、重たい時間。


それを破ったのは、ヴェイルだった。


「……体調は、大丈夫か?」


おそるおそる尋ねる声。

その語尾には、まだ警戒が滲んでいた。


アリニアは、ゆっくりと目を上げる。

彼を見つめて、わずかに口元を緩めた。


「最悪ではないわ。」


皮肉混じりの一言。

だが、その声はどこか安堵を帯びていた。


目を閉じ、呼吸を整えながら言葉を続ける。


「それでも……生きてるだけマシよ。」


ヴェイルは黙ってうなずいた。

本当は、そこで会話を終えたかった。


だが――

聞かずにはいられなかった。


「さっきの……あれは、何だったんだ?」


言葉を選びながら、そう問いかける。


アリニアの手が、ピタリと止まる。


そして――


「見せるつもりはなかった。」


冷たく、短く、そう言った。


その視線は鋭く、

まるで拒絶そのものを突き刺してくるかのようだった。


「……誰にも話してはダメ。」


その声は、低く、凍りつくような鋭さを持っていた。


ヴェイルは何かを言いかけたが、

アリニアは容赦なく言葉を被せる。


「詳しい話は――今じゃない。」


その口調は、あくまで淡々と。

だが、絶対に踏み込ませない壁が、そこにはあった。


ヴェイルは、拳をぎゅっと握りしめた。


彼は、知りたかった。

けれど――アリニアの声に込められた“何か”が、それ以上の追及を封じた。


今夜は、もう何も得られない。


そう、はっきり感じた。


彼は目を逸らす。

だが、思考は止まらない。


〈アリニア……君は、いったい何者なんだ……〉


声に出したのは、それを呟いたときだけだった。

かすかに、誰にも届かないほどの小ささで。


だが――彼女には届いていた。


沈黙の中、アリニアはふと口を開いた。


「私がギルドでAランクにいるのは……伊達じゃないわ。」


その声は、さっきまでとは違って落ち着いていた。


「私は――弱くない。」


ヴェイルは彼女を見上げた。

けれど、その言葉は何一つ彼を安心させなかった。


むしろ――


胸の中に、新たな疑念が生まれた。


“何も答えていない”


その感覚が、心にしこりを残したまま、また沈黙が落ちる。


やがて、ヴェイルが躊躇いがちに口を開く。


「……ギルドって、なんだ? あと……Aランクって、どういう意味?」


戸惑いをにじませながら、尋ねた。


アリニアは思わず目を見開く。

彼女の中にも、驚きの色が浮かんでいた。


けれどすぐに、口元に疲れたような皮肉の笑みが浮かぶ。


「本気なの、ちびオオカミ?」


からかうような声色。

けれど、そこには重たい疲労も混じっていた。


ヴェイルは笑わなかった。


その表情は、普段の彼ではなかった。

無知や戸惑いではなく――深い、悲しげな影を落としていた。


「……この世界のこと、何も知らないんだ。

 記憶がない。

 あるのは断片だけで……意味もわからない。」


静かに、けれど真っ直ぐに告げた。


アリニアは、視線を逸らさなかった。


彼女は知っていた。

あの日、天を裂いた光と共に地に落ちた彼を見た瞬間から――

どこか、普通ではないと感じていた。


でも、今。

初めて、彼の口からそれが語られた。


ふぅ、と小さく息を吐いて、彼女は火に視線を戻す。


そして、柔らかく、しかし真剣な声で言った。


「……少し、休憩しよ。」


岩にもたれかかり、炎の揺らめきを見つめながら続ける。


「全部、話してあげる。

 その代わりに――あなたも、自分のことを話して。」


その言葉に、ヴェイルは黙ってうなずいた。


アリニアは落ち着いた表情を保っていたが、

その声には、やはり疲労の色が濃くにじんでいた。


「ギルドっていうのは、私たちの仕事の中心みたいなもので――

 いま、こうしてこのダンジョンにいるのも、ギルドから任務を受けたからよ。」


淡々と説明する口調は、教えるように丁寧だった。


「魔物から得た素材やアイテムは全部私のものになるけど……

 一番奥の報酬だけは、ギルドのものになる。」


そこで一度言葉を止める。


すると、ヴェイルがすかさず質問を投げかけた。


「その報酬って、必ず何かあるの?

 もし、誰かがそれを渡さなかったら……どうなる?」


アリニアは片眉を上げ、静かに答える。


「ダンジョンには必ず報酬がある。

 その価値はダンジョンの難易度によって違うけど……何が出るかは誰にもわからない。」


彼女はしばし沈黙し、鞄を探る。


そこから取り出したのは――

いくつかの戦利品。


小さな石、クリスタルの欠片、壊れかけた装飾品。


「こういうのも、魔物から拾ったもの。

 何が出るかは運次第。

 ダンジョンの奥も、それと同じ。」


淡々とした声の奥に、長年の経験を感じさせる。


ヴェイルは、じっと彼女の話に耳を傾けていた。


彼にとって、すべてが新鮮だった。

初めて、この世界のことを知る瞬間だった。


記憶が空白のままの彼にとって、

一つ一つの情報が――何よりも貴重に思えた。


アリニアは話を続ける。


「ギルドは、私たちみたいな“冒険者”を派遣して、

 報酬と引き換えに宝を集めさせるの。」


彼女はそう言いながら、腰の小さな袋を開いた。


中から数枚のコインを取り出し、

そのうちの一枚――銅貨を一つ、ヴェイルに手渡す。


ヴェイルはそれを興味深そうに受け取った。


「冒険者にはそれぞれ“ランク”がある。

 こんなダンジョンを、初心者に任せるわけにはいかない。」


その声は淡々としていたが、どこか現実味を帯びていた。


彼女は一度言葉を止め、焚き火の炎を見つめる。


そして、ぽつりと呟いた。


「……本当は、私にこれを任せるべきじゃなかった。

 ギルドは、何を考えてるのかしら……」


その声はかすかに震えていて、

まるで自分自身に問いかけるような響きを持っていた。


ヴェイルは聞き返そうとした。


「……ん? 今、何て――」


だが、アリニアはかぶせるように話を続けた。


「冒険者のランクは、基本的にFからAまで。

 それ以上は、S、SS、そしてSプラス。」


腕を組み、真剣な口調へと変わる。


「SやSSでも、相当な実力者。

 強敵を一人で倒せるくらいの力があるわ。

 でも、Sプラスになると――もう、数えるほどしかいない。」


語る声に、重みがあった。

それは実際に、そういった存在を知っている者の声音。


「まさに、“伝説”ってやつね。」


ヴェイルは口を挟まず、聞き入っていた。

その目は、まるで別の世界を見ているかのように輝いている。


〈……どうして、俺はこんなことも知らないんだ?〉


そんな思いが、胸の奥を揺らした。


アリニアは彼の様子を見つめながら、

少し穏やかな口調で続ける。


「とにかく、ギルドが依頼を出して、

 私たちは任務をこなす。

 彼らが求めるものを持ち帰れば報酬がもらえて、

 それ以外の戦利品は、基本的に自分のもの。」


言い終えると、ヴェイルはうなずき、内容を頭に刻み込む。


だが、また一つ、疑問が浮かぶ。


「……もし、その任務を失敗したら?」


その問いに、アリニアはふっと笑う。


「その時は――豚小屋で寝泊まりでもして、

 罰金を返済するしかないわね。」


茶化すように言ったあと、肩をすくめる。


「報酬は出ないし、ペナルティがつく。

 単純でしょ?」


軽い調子で言っていたが、現実的な厳しさもにじんでいた。


ヴェイルは半信半疑な顔をしながら、しばし沈黙する。


だが、次の瞬間――


アリニアが、じっと彼を見つめていた。


その視線には、明確な“意志”が宿っていた。


「……さあ、今度はあなたの番。」


炎の明かりに照らされ、彼女の表情には少しだけいたずらっぽさが浮かぶ。


岩にもたれながら、腕を組む。


「続きを知りたければ――

 まずはあなたの話を聞かせてもらおうかしら。」


その声は穏やかでありながら、静かに迫るような強さもあった。


ヴェイルは、そっと手を伸ばし――

アリニアに、先ほど渡された銅貨を返した。


アリニアはそれを見つめたが、何も言わなかった。


視線は――むしろ彼の表情に向けられていた。

その瞳に浮かぶ、拭いきれない“不確かさ”。


それを、静かに見ていた。


ヴェイルは視線を火に戻す。


ぱち、ぱち……と、炎が優しく揺れていた。

その明かりが岩肌に影を落とし、まるで命のように踊っている。


そのぬくもりは、どこか心地よかった。

だが――


彼の心の中には、何もなかった。


〈なぜだ……どうして、何も思い出せない……?〉


苦悩が、胸の奥で渦を巻く。


アリニアが話してくれた“ギルド”のこと。

この世界のしくみ、ルール。


新しい知識としては理解できる。

だが、それに呼応する“記憶”が、どこにもなかった。


既視感もなければ、懐かしさもない。

あるのは、ただただ、霧のように曖昧な――空虚。


長い沈黙が流れた。


アリニアは岩にもたれながら、彼を見つめていた。


そして、ついに口を開く。


「……で、いつまで黙ってるの?」


その声は淡々としていたが、どこか鋭く響く。


ヴェイルはハッと顔を上げた。

思考の深みから、一気に現実へ引き戻される。


「……あ、ごめん。」


かすれた声で謝ると、彼は頭をかき、言葉を探し始めた。


「……君は約束を守ってくれた。

 だから……俺も話すよ。」


そう言って、深く息を吸い込む。


けれど、その先が出てこない。


――語るべき“何か”が、どこにもない。


思い出がない。

記憶がない。


話すべき過去が――存在しない。


語ろうとするほどに、

その“空っぽ”が、浮き彫りになっていく。

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