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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第2巻:ダンジョンの影 Pt.1
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第39章:審判の報酬

ヴェイルとアリニアは駆け出した。

出口と思われる方向へと、ひび割れた大理石の床を叩くように足音を響かせながら。

残る熱気が空間を震わせる中、アリニアは何度も後ろを振り返った。

まるで、いつ動き出してもおかしくない破滅の像が、今にも襲いかかってくるかのように。

……けれど、何かがおかしい。


「待て……出口は、どこだ……?」


息を切らしながら、ヴェイルが立ち止まる。急に止まった彼に、アリニアも足を止めた。

アリニアの視線が素早く室内を走る。

さっきまで確かにあったはずの、あの巨大な扉が――消えていた。

まるで、神殿そのものが彼らを閉じ込めようとしたかのように、跡形もなく。


《このダンジョン……私たちを逃がす気がない……》

アリニアの背筋に、ぞわりと冷たいものが走る。


その時だった。

彼らの背後で、あの巨大な石像が淡く光り始めた。

全身を走る銀の縁取りに、青白い光が流れ込む。

組み上げられた円環の一つ一つが、静かに、しかし確かに脈動していた。

まるで、千年の眠りから目を覚ますために、準備を整えているかのように――


だが次の瞬間、光はゆっくりと消え始める。

波のように、じわり、じわりと。


「……おかしいわね……」

アリニアが目を細めてつぶやいた。


今度は黄金の輝きが、その巨体を這うように走る。

刻まれた文様が淡く光り、まるで心臓の鼓動のようなリズムで輝きを放っていた。

低く、鈍い拍動が部屋全体に響く。

その不気味な規則性が、二人の心を揺らした。


「もう勘弁してくれよ……なんでいつもこんなバカでかい奴らばっか襲ってくんだよっ!」

ヴェイルがぼやくように叫んだ。


だが、アリニアの返答は冷ややかだった。


「私にも分からない……このダンジョン、常識が通じないのよ」


「っていうかさ、普通のダンジョンだろ? どうして段々おかしくなってくんだよ……」


苛立ち混じりに吐き捨てるヴェイルをよそに、事態はさらに奇妙な方向へ進んでいく。

石像が――

その巨大なハンマーを、ゆっくりと振り上げたのだ。

驚くほど、遅く。

歩いていても避けられるんじゃないかと思うほどに。


「……なんだよこれ。今回はさすがに回避も余裕そうだな」

ヴェイルが苦笑混じりに皮肉を口にする。


しかし――


「見かけに惑わされないで、ちびオオカミ」

アリニアの瞳は鋭かった。

「そういうのが一番、厄介なのよ」


そしてその言葉と共に、巨大なハンマーが床に振り下ろされた。


――ゴウンッ。


重く鈍い音が神殿を震わせた直後、

部屋全体に、とてつもない衝撃が走った。

大理石の床が砕け、亀裂が走り、破片が弾け飛ぶ。


「うおっ――!」


ヴェイルはとっさに跳び退き、足元を走る亀裂を間一髪で避けた。


「……くっそ……今のナシで頼む……」


ヴェイルが呆れたように肩をすくめる。

アリニアの視線は、ゆっくりと動き始めた像に向けられていた。

無機質なその巨体が、まるで古代の機構そのもののように、鈍重な音を立てて武器を持ち上げる。

石と金属が擦れ合う、不快な軋み。

その第一歩は、まさしく大地を砕くような一撃だった。


「動きは遅い……でも、一撃の破壊力で十分帳消しにしてくる。あの衝撃圏内に入ったら、終わりよ」


アリニアが冷静に状況を分析する。

彼女の手には鋭い爪が伸び、金の光を受けて危険な輝きを放っていた。

一方のヴェイルも短剣を手に取り、像の隙を探すように目を細める。


一瞬、二人の視線が交錯する。

緊張が空気を張り詰めさせた。


「ちびオオカミ、よく聞きなさい。空気中の湿気を集めて、水の球を作って。それをあの像にぶつけた後、風で凍らせなさい」


アリニアの声音は鋭く、命令そのものだった。


「えっ、俺にできるか……?」


ヴェイルは戸惑いながらも、頭をフル回転させる。

だが――


「“でも”は要らない。やるのよ」


言い切るように、アリニアはきっぱりと告げた。


ヴェイルは大きく息を吸い込み、震える手を前に出す。

目を閉じ、空間に残る湿気の感覚を研ぎ澄ませた。

灼熱の空気の中、わずかに残された水分が、彼の呼吸に応じて集まり始める。

やがて、宙に浮かんだ小さな水滴たちが、ゆっくりと渦を巻き出した。


「……よし……頼む、崩れるなよ……」


ヴェイルは低くつぶやきながら集中を深めていく。


アリニアはその間、静かに回り込みながら像の動きを観察していた。

巨体がゆっくりと一歩を踏み出すたび、床に小さな揺れが生まれる。

その質量の証明でもあり、同時に脅威でもある。


《あと少し……あの足を止めれば、戦況が変わる……》


アリニアの眉がわずかに動く。


そしてその時――


「……行けっ!」


ヴェイルが渾身の力を込めて、水の球を像へと投げ放った。

高速で飛ぶ水球は、一直線にコロッサスの脚へと衝突する。


だが、次の瞬間――


水はただ弾けることなく、像の脚部を貫いた。

破裂するように、無数の結晶のような水滴が空に舞い、脚にはぽっかりと穴が空く。

乾いた、鈍い音が室内に響き渡る。


「っ……!?」


アリニアの足が止まった。

瞳が見開かれ、口元がわずかに開く。

その表情には、いつもの冷静さがなかった。


彼女はゆっくりとヴェイルの方へと顔を向ける。

一瞬、その整った表情に「驚き」が浮かんでいた。


「……ちびオオカミ。……あんた、今……何をしたの……?」


疑念を込めた低い声。


ヴェイルは、目を丸くしたまま――


「……さぁ?」


肩をすくめ、答えになっていない答えを返した。


「えっと……別に? いつもの水の球だってば……」


ヴェイルは戸惑いながらも、像に目を向ける。

その異様な光景に、まるで冗談でも見ているかのような気分だった。


《なんだよこれ……これが本当にボスか?》


激戦を予想していた。完璧な防御、鋼のような体――そんなものを。

けれど、目の前にあるのは、大穴の空いたコロッサスの脚。


「嘘だろ……? こんなもろいわけ……」


唖然としたまま、ヴェイルが呟く。


その時、アリニアが動いた。

思考を切り替え、一瞬の躊躇もなく前方へと跳ぶ。

流れるような動作で像の懐に飛び込み、鋭い爪を振り抜く。


ガギィン!


初撃で空いた穴の周辺が、大きく裂ける。

ひび割れた部分が破片となって飛び散り、像の体勢が一気に崩れた。

巨大な膝が地面に叩きつけられ、その音が大聖堂のような空間に反響する。

砕けた大理石の塵が舞い上がり、視界を白く曇らせた。


それでも、像は止まらなかった。

片膝をついたまま、なおもハンマーを握りしめ、アリニアに向けて振るう。

その軌道は遅く、重く――


だが、アリニアの身体はすでにそこになかった。

ふわりと宙に舞うような軽やかさで後方へと跳び退き、攻撃を難なく回避する。


「……なにこれ、精神力の試験でも受けさせられてるのか?」


その様子を見ていたヴェイルが、思わず笑ってしまった。


「遅すぎるって……!」


アリニアの唇が、かすかに吊り上がる。

本来ならあり得ない戦闘状況。その滑稽さに、思わず心が緩む。


《これは……ただの外見だけの存在? 何のために……?》


疑念を抱えつつ、アリニアは素早く横に回り込み、爪を振り上げた。

標的は、あの大きなハンマーを握る腕。


一撃。

そして、二撃目。

硬質な音と共に、像の腕に亀裂が走り――


バギィン!


粉砕。

白く砕けた破片と共に、腕が根元から崩れ落ちた。

武器を握っていた巨大な手が地面を叩き、ハンマーが床を滑って遠くへ転がっていく。


「おお……なんか、俺にもできそうな気がしてきた」


ヴェイルがにやりと笑い、再び手をかざす。

さっきと同じ要領で、水の球を形成し――


「頭、いっちゃえ!」


全力で投げつけた。


命中。

水球は像の頭部に直撃し、次の瞬間――


パアァンッ!


脆い陶器のように、その頭が砕け散った。

飛び散る破片。

そして――


黄金に輝いていた両目が、一瞬だけ揺らいで……


すう……っと、光を失った。


「よっしゃあ! 頭、討ち取ったどーっ!」


ヴェイルが歓声を上げたその時。

巨体が、ゆっくりと傾き始めた。


ガラガラガラガラ――ドオォォン!!


巨大な胴体が崩れ落ち、粉々に砕けた大理石の上に轟音を立てて倒れ込む。

その衝撃で床が一度跳ね、部屋全体が揺れた。


……静寂。


残ったのは、砕け散った破片と、宙に舞った塵の残響だけだった。


「……これで……終わり……?」


ヴェイルがアリニアを見て、呆然とした声を漏らす。


アリニアは腕を組み、静かに瓦礫を見つめていた。

その目には、いまだ警戒の色が残っている。


「……油断は禁物よ、ちびオオカミ。こういう時こそ、何かある……」


「このダンジョンが、私たちに優しかったことなんて一度でもあった?」


アリニアは静かに、だが疑念を込めて呟いた。


一方、ヴェイルはすっかり気を抜いていた。

砕けた像の腕の破片をつま先で軽く蹴り上げ、へらりと笑う。


「いや〜、この調子ならこの先も楽勝だな。……なーんてな?」


皮肉混じりに言ったヴェイルに、アリニアの視線が鋭く突き刺さる。


「バカ言わないで。あまりに簡単すぎる時ほど――もう罠の中にいるのよ」


冷たく、そして明確な警告。


アリニアは一歩下がり、鋭く目を細めて室内の隅々まで観察する。

再び、静寂。

空気は重く、音すら飲み込んでしまいそうだった。


ヴェイルの肩に、ぞくりと寒気が走る。


《……茶番だった。あの戦い自体が》


アリニアの心中には、疑いが確信に変わりつつあった。


「……まあまあ、そう言うなよ」


ヴェイルはわざとらしく肩をすくめて、にやりと笑った。


「今回はケガもしてないし、魔力も温存できたし。たまにはこういうのもいいんじゃね?」


その言葉とともに、ヴェイルの視線は部屋の中央へ向かう。


そこに浮かんでいたのは、ゆっくりと回転する青白い箱。

不自然なまでに幻想的な光を放ち、重苦しい神殿の中で異彩を放っていた。


「……あれ、もう取っていいんじゃないのか?」


ヴェイルが首をかしげつつ問う。


アリニアは無言のまま、ゆっくりと前に出る。

注意深く、その箱を凝視しながら。

耳がぴくりと動き、わずかな物音さえも逃さないように張り詰めていた。


ヴェイルもその隣に立ち、両手を腰に当てながら気楽そうに口を開いた。


「……取ってみろ」


短く、冷たい声。


ヴェイルの顔から笑みが消える。


「……マジで?」


疑うように問いかけるが、アリニアは目を逸らさずに静かに頷いた。


「ええ、取って」


どこまでも冷静な声音だった。


ヴェイルはわずかに躊躇しながらも、手を伸ばす。


《なんか嫌な予感が……でも、断ったらもっと怖い目に遭いそうだし……》


重い空気の中、彼の指先が箱へと近づいていく。

その瞬間――


ゾクリ。


腕を伝う異様な感覚。

そして――


「離れてっ!!」


アリニアの怒声が空気を裂いた。


反射的に手を引っ込めた瞬間、

箱が鈍い脈動を発し、空気が揺れた。

見えない波動が二人の間を吹き抜ける。


その直後、箱はふわりと浮かび上がり――


すう……っと、淡い光となって霧散した。

光の粒が舞い、空中に溶けていく。


「……えっ? な、なんだったんだ今の……!?」


ヴェイルが声を上げる。


アリニアは一言も発せず、ただ、先ほどまで箱があった空間をじっと見つめていた。

ゆっくりと目を移す。


瓦礫の山だったはずの場所が、見る間に修復されていく。

割れていた大理石の床は元通りに。

像の破片は白煙となって消えていく。


まるで――戦いそのものが、初めから存在しなかったかのように。


アリニアは額に手を当て、沈んだ顔で小さく呟いた。


「……私たち、バカだったわ」


「は? なんだよ、急に……」


ヴェイルが眉をひそめ、戸惑いの声を上げる。


「何が……どうしたっての?」


その問いに、アリニアは壁際を指さす。

そこには、かすかな光を放つ壁画――

《審判の神殿》という文字が、淡い輝きをまとっていた。


そして、彼女はヴェイルを鋭く見つめ、呟くように言った。


「……あれが、“審判”だったのよ」


悔しさを滲ませた声だった。


「なんで……こんな単純なことに……」


アリニアは肩を落とし、自嘲気味にため息を吐いた。


「信じられない……私、完全に見落としてた……」


「……な、なんだよ、それ。……つまり……どういうこと?」


ヴェイルが困惑した表情で尋ねる。


アリニアは腕を組み直しながら、思考を整理するように言葉を重ねた。


「……あの像。あれは“攻撃するための存在”じゃなかったのよ。

遅くて、脆くて……脅威でも何でもなかった。

あれは、“無害”だった」


ヴェイルの目が大きく見開かれる。


「えっ……つまり、倒しちゃいけなかったってこと?」


「そうよ。本当は、あの場で“戦わない”選択を取るべきだった。

じっと待って、状況を見極めて……そうすれば、罠にはかからなかった」


アリニアの声には悔しさが滲んでいた。


「私たち、試されてたのよ……冷静さを。思慮を」


「まじかよ……ってことは……全部ムダだったってのか?」


ヴェイルはその場にへたり込み、ぼんやりと天井を見上げる。

あの戦い、あの必死の攻防――

全てが、ただの失点だった。


……その時。


「――審判は、終わりました」


澄んだ女性の声が、空間全体に響き渡る。

それは直接脳に届くような、不思議な声だった。

優しげでありながら、否応なく従わせる威厳を帯びている。


「思慮を欠いた行動による失敗の結果、

あなた方は、相応の罰を受けることになります。

本来与えられるべき祝福は……今後、与えられません」


アリニアの胸に、ずしりとした痛みが広がる。

理解していた。

それでも、改めて言われると、心が締め付けられるようだった。


一方で――


「え、ちょっ、マジで!? これからもっとキツくなるってことかよ!?」


ヴェイルは混乱と焦りの声を上げる。


アリニアの視線が彼に突き刺さる。


「そういうことよ、ちびオオカミ」


低く、そして怒気を抑えたような声で告げる。


「……私たち、自分たちで面倒を招いたのよ。でかいのを、ね」


神殿に、唐突な静けさが戻った。


二人の視線が交錯する。

その一瞬で、互いに悟った。


――自分たちは、想像以上に重い過ちを犯したのだと。


張り詰めた沈黙の後、低く響く地鳴りが空気を揺らす。

それに続いて、何かが作動する機構音が鳴り響いた。


視線の先、今まで気づかなかった壁の一部が音を立てて開く。

その奥に現れたのは――


暗闇へと吸い込まれるような、螺旋階段だった。


アリニアは開かれた通路を見つめる。

その瞳には冷ややかな苛立ちが宿っていた。


「……選択肢なんて、ないわね。行くわよ」


低く呟き、踵を返す。


「……ったく、せめて今回くらい楽に終わるかと思ったのにな……」


ヴェイルは肩をすくめ、溜め息を吐いた。

余計な一言を口にすれば、またアリニアの雷が落ちる――そう悟ったのか、口をつぐんで彼女の後を追う。


二人は静かに、階段を下りていく。

一歩ごとに光が薄れ、闇が濃くなる。


この先、どれだけの困難が待ち受けているのか――

それは、まだ誰にも分からなかった。


──第二巻・完──

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