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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第2巻:ダンジョンの影 Pt.1
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第30章:試練その三──触れること

階段を下りきった先――

そこには、すでに開かれた扉が待ち構えていた。


扉の向こうに広がるのは、終わりの見えない長い回廊。


アリニアとヴェイルは視線を交わし、無言のうちに頷いてから、その境界を越えた。


数メートル進んだところで、ふたりの足が自然と止まる。

五感のすべてが、異変を探ろうと働き始めていた。


その廊下は、広く、整然としており……妙に静かだった。

完璧なまでに積み上げられたベージュ色の煉瓦。

等間隔に設置された松明が、優しく安定した光を投げかけている。


だが、あまりにも整っている。

その均整さが、逆に不気味だった。


天井は異様なほど高く、まるで人間には不釣り合いな構造。

まるで、この空間はもっと大きな“何か”のために作られたかのような、圧迫感すら感じさせた。


床もまた、歪み一つない煉瓦敷き。

しかし、歩みを進めるうちに、ある“違和感”が姿を現す。


遠くに――床の一部が、盛り上がっていた。

無機質な均一さを破るように、いくつかの床板が不規則に突き出している。


そして廊下の最奥。


その理由は、すぐに理解できた。


そこに立っていたのは、巨大な石像だった。


光沢のある灰色の石で造られたその像は、無数のヒビを刻んでおり、まるで時を超えて立ち尽くす古びた鎧のよう。


その姿は人型ではあるが、あまりにも巨大で、異形。

手には――奇妙な形状の槍。


槍の先端は尖っておらず、代わりにトゲだらけの球体が取り付けられていた。

しかもその接合部には、まるで意味を持つような複雑な模様が刻まれている。


「こんな場所に……こんな目立つ像。飾りにしては、できすぎてる」

アリニアが警戒心を滲ませながらつぶやく。


ふたりは慎重に歩を進める。

目は常に周囲を探り、わずかな異変すら見逃さないように。


「今のところは、何も……でも、すごく嫌な感じがする」

ヴェイルが低くつぶやいた。


「とにかく進んで。足元の床板に注意して。ああなってるのは、絶対に意味がある」

アリニアの声は冷静だったが、その目は一瞬たりとも気を抜いていなかった。


彼らは問題なく、その突き出した床板へと到達する。

だが、あまりにも“何も起きない”という事実が、逆に不安を煽る。


その床板には、見たことのない不思議な文様――

ルーンのような記号が刻まれていた。


《……この模様。どこかで見たような……でも、思い出せない……》

ヴェイルは立ち止まり、困惑のまま床を見つめる。


そのとき、アリニアが壁に目を留めた。

同じ模様が、壁にも刻まれていたのだ。


それは、廊下全体をなぞるように連なっていた。


「偶然じゃない。これらは、床板か……あの像に関係してるはず」

アリニアが断言する。


彼女は一つの床板に膝をつき、文様を指先でなぞる。

感触を確かめるように、慎重に。


意味を、解読しようと――。


「気をつけて、アリニア……何か起動しちゃったら……」


ヴェイルが低く囁いた。


「わかってる、ちびオオカミ。少し黙ってて」


アリニアは静かに返す。

その声に張りつめた空気が混じり、周囲の沈黙をより重くした。


松明の炎が壁に影を揺らし、浮かび上がる紋様と隆起した床板が、不気味な静寂を強調していた。


「……この記号たち、つながってる気がする。たぶん……」


ヴェイルが呟きながら、像の方へ視線を移す。

その表情は、疑念から確信へと変わり始めていた。


「絶対、あの像と関係ある。床板も……全部、計算されてる」


決意をにじませた声。


アリニアは膝をついたまま、もう一つの床板に手を伸ばす。

指先に伝わる感触――微かな“違和感”。


彼女は少しだけ顔を傾け、ヴェイルに視線を送る。


「これは……装飾じゃない。おそらく、順番通りに“起動”しなきゃいけない仕組み」


その言葉には確信と警戒が入り混じっていた。


「……もし順番を間違えたら?」


ヴェイルの問いには、緊張と警戒がにじんでいた。


アリニアの声は低く、そして冷ややかだった。


「たぶん、あの像が動き出す。……それも、好戦的にね」


彼女はゆっくりと立ち上がり、壁と床を見渡す。

細部まで観察しながら、視線の先ではヴェイルが像の持つ武器を凝視していた。


「だから、間違えない方がいいわね」


アリニアはそう言って、小さく笑った。

その笑みは軽やかだったが、その奥には鋭い集中が滲んでいた。


彼女の視線が、壁の左側に刻まれた最初の記号に止まる。

指先でその輪郭をなぞり――

次に、同じ模様が刻まれた右側の浮き出た床板に目を移す。


「本当に……合ってるのか?」


ヴェイルが疑わしげな声を出す。


アリニアは眉をひとつ上げ、からかうように応える。


「じゃあ、ちびオオカミ。あなたにもっといい案でもあるの?」


ヴェイルは唇を噛み、何も言えなかった。

彼女が正しい――そう思いながらも、心のどこかで最悪の事態を想像してしまう。


《……うまくいけばいい。でも、間違えたら……?》


その問いが、ヴェイルの胸の中を巡る。


その間に、アリニアは静かに足を持ち上げ――


記号の刻まれた床板の上に、慎重に乗せた。


力を入れすぎないよう、かといって軽すぎないように。

絶妙な圧をかける。


機械の作動音もなければ、振動もない。

ただ、沈黙。


「……どう? 何か起きた?」


ヴェイルが不安そうに尋ねる。


「……まだ、わからない」


アリニアの返答は、やや素っ気なく。

だがその目は、奥の像から一瞬たりとも離れていなかった。


「反応がないのは……成功の証拠なのか、それとも……失敗の前兆なのか……」


彼女の脳裏に、不吉な疑問が浮かぶ。


そして次の行動を決めるには――わずかな確信と、大きな賭けが必要だった。


ふたりの視線が、自然と像へと向かう。

だが――

それはまるで永遠に閉じ込められたかのように、微動だにしなかった。


アリニアは再び歩を進める。

壁に刻まれた記号を辿りながら、対応する床板をひとつずつ確認していく。


一歩、一歩。

彼女は慎重に足を運び、決して焦らないように注意した。


ヴェイルはそのすぐ後ろを追う。

だが、彼女が踏んだ床には決して触れないよう、細心の注意を払っていた。


「もう一度踏んだら……全部リセットされるかも。いや、それ以上に――何か起きるかも」


ヴェイルの小さな呟きが、緊張をさらに深める。


像は依然として沈黙したままだったが、それが逆に不安を煽ってくる。

空気が、重い。

一歩ごとに、胸が締めつけられていく。


永遠にも思えるほどの時間をかけ――

ようやく彼らは、部屋の最奥へとたどり着いた。


そこには――

巨大な扉が立ちはだかっていた。


その表面には、これまで見てきたものと同じ記号が、複雑な模様となって刻まれている。


「……ついた。やっと……」


ヴェイルが安堵の息を漏らす。

その瞬間、ふたり同時に深く呼吸を吐き出した。


アリニアがヴェイルに振り向き、にやりと笑う。


「ね? 思ったより簡単だったじゃない」


肩の力を抜いたような口調だった。

だが、ヴェイルはすぐには返事をしなかった。


目を細め、後ろの像をじっと見つめる。


「……簡単すぎる。なんで、動かなかったんだ?」


その声には疑念が込められていた。


明らかな異物――なのに、反応がない。

それが逆に、不気味だった。


「……ともかく、ここに長居は禁物だ」


ヴェイルの言葉に、アリニアも無言で頷く。

その瞳には、次なる試練を察した覚悟が宿っていた。


ふたりは巨大な扉の前に立つ。

その視線は、目の前の目的と――背後に鎮座する像の間を行き来していた。


アリニアは静かに手を伸ばし、冷たい取っ手に触れる。

そして――


「……やっぱり、そう簡単にはいかないわよね」


取っ手は動かない。

まるで石のように固く、びくともしない。


苛立ちを隠しきれず、アリニアが小さく毒づいた。


「ちびオオカミ。最初の扉を開けたときみたいに、やってみて」


焦りを抑えつつ、どこか頼るような口調だった。


ヴェイルは無言で頷き、扉に手をかける。

力を込めるが――


……動かない。


もう一度。

さらに力を込めて押す。

それでも、扉は一切の反応を見せなかった。


「……どうして……開かない?」


困惑を隠せないまま、ヴェイルは一歩後ろへ下がる。


「だめだ。びくともしない」


静かな語調だったが、その表情には焦りが滲んでいた。


アリニアは扉の上部に目をやる。

そこにも、複雑な模様――見慣れた記号が無数に彫られていた。


だが、そこから導き出される答えは――まだ、ない。


「……順番、間違ってなかったはず。なのに……なぜ開かないのよ」


アリニアの声には、苛立ちが混じっていた。


彼女はくるりと振り返る。

心臓がわずかに早鐘を打つ――像が動いていたのではないかという不安に、胸がざわめいた。


だが――

石像は、変わらず沈黙の中にあった。

ただそこに存在するだけの“何か”。


まるで、すべてを見下ろす守護者のように。


「……やっぱり、関係してる。でなきゃ、ここにある理由がない」


アリニアは警戒を保ったまま、静かに像へと近づく。


土台部分をはじめ、像の周囲を細かく調べていく。

だが――

どこにも、仕掛けや異常は見当たらなかった。

ただの、時間に削られた無骨な石。


一方その頃――

ヴェイルは壁に刻まれた彫刻に目を向けていた。


そこに描かれていたのは、これまでのルーンとは異なる“絵”。

模様ではなく――“物語”のような、何かの記録。


「これは……ランダムじゃない。意味がある」


小さく呟きながら、アリニアを呼ぶ。


「これ、見てくれ。何かのヒントに見えないか?」


彼女はヴェイルの隣に立ち、壁画を見つめる。

その視線は鋭く、読み取ろうと集中していたが――


やがて、首を振る。


「……指示っぽいけど、意味までは分からない。言語でも、魔術式でもないし……」


肩をすくめながらも、その視線には確かな焦りが滲んでいた。


ふたりは無言のまま視線を交わす。

そこにあるのは、同じ“行き詰まり”という苛立ち。


「……この扉をどうやって開ければ……。上の記号、壁の模様……何か、見落としてる……!」


アリニアが低く唸るように呟き、立ち上がる。


「……最初に戻ってみよう。何か、取りこぼしたかも」


彼女の決意に、ヴェイルは黙って頷いた。


ふたりは足元に注意を払いながら、再び来た道を引き返す。


だが――

始点に戻っても、何も変わっていなかった。


記号も、床板も――沈黙のまま。

まるで最初から、何も起きていなかったかのように。


アリニアはその場に座り込み、額に手を当てた。


「……何が間違ってたの? 順番は合ってた。全部、慎重にやったのに……」


その声には、苛立ちだけでなく、疲労と迷いが入り混じっていた。


ヴェイルは、黙って隣に立っていた。

視線は廊下を遠く見つめ、どこかに突破口があるはずだと信じていた。


「……絶対、何かある。ここで終わるはずがない」


その言葉は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。


そのとき――


壁に刻まれた絵の中に、ヴェイルの目が引き寄せられる。


そこに描かれていたのは、ひとつの“姿”。


浮き出た床板に片足を乗せた人物――

その床の周囲からは、細い線が広がり――


すべては像へと収束していた。


「……変だな。なんでこんな細部を強調してる?」


ヴェイルの視線は、壁画の一部に釘付けだった。


「アリニアも床を踏んだけど、何も起きなかったのに……」


そう呟きながら、彼は指でその絵を指し示す。


「ここ、見てみろ。お前はどう思う?」


アリニアは近づき、身をかがめて彫刻を見つめる。

視線が止まったのは――描かれた“足”。


――裸足の足が、床板に直接乗っている。


眉をわずかにひそめ、彼女は考え込む。


「裸足……それが鍵かもしれない。でも、どうして?」


呟きながら立ち上がり、腕を組んで床を見つめる。


「……直接触れなきゃ、反応しない? でも……手で触っても、何も起きなかったのに」


疑念と共に浮かぶ仮説。


ヴェイルはしばらく無言だった。

彼女の推察を飲み込み、脳裏で慎重に組み立てていく。


「直接接触と重さ……それが条件なら、今まで反応がなかったのも納得はできる。……でも、単純すぎるな」


そう言いながら、彼は肩をすくめた。


そして、迷いを断ち切るように――

彼は腰を屈め、ゆっくりとブーツを脱ぎ始める。


その動きに、アリニアが静かに問いかけた。


「……ちびオオカミ、本気でやるの? もしそれで何か変なのが起動したら――取り返しがつかないかも」


その声は冷静で、だがわずかな緊張を含んでいた。


ヴェイルはゆっくりと頷いた。


「この迷宮、全部が歪んでる。なら……鍵も、そういうもんさ」


どこか達観したような口ぶりだった。


アリニアは溜息をつき、腕を組み直す。

像に視線を送ると、それは今も沈黙を保ったままだった。


「……わかった。でも、外れだったらその石の化け物を起こすことになる」


あくまで現実的に、淡々と。


そして――


ヴェイルは、裸足のまま床板の上に足を乗せた。


――カチッ。


乾いた音が、静寂を裂く。


次の瞬間――


床板から淡い光が浮かび上がった。

それは生き物のように広がり、床を這い、壁を這い――


まるで“命”が吹き込まれたかのように、空間全体に伝播していく。


ヴェイルは立ち上がり、周囲を見渡す。


アリニアの視線は、像から決して外れなかった。


「……もしこれが正解なら、なんで……こんなに胸騒ぎがするのよ」


その言葉のすぐ後――


ゴウン……ゴウン……。


低く響く、石の内部からのような重々しい振動。

機構が目を覚ましたような音。


光の筋は震えながら、像へと集まっていく。


壁から、床から――まるで脈打つ血管のように。


そして――


像が、わずかに――動いた。

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