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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第2巻:ダンジョンの影 Pt.1
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第29章:時の圧力

アリニアの思考は、限界まで加速していた。

闇の中を動く影。その一つひとつの動きを観察し、光の糸が断ち切られるたびに、その軌跡を読み取っていく。


「この光……ただの飾りじゃない。何か意味があるはず。でも……何?」

アリニアが集中した声でつぶやいた。


一方、ヴェイルも影を警戒しながら、動いている光点に目を向けていた。

動くものは、決まったパターンで現れては止まり、そして次の光へと移っていくように見える。


《もしかして……鍵は、この動く光なのか?》

ヴェイルは目を細めながら考える。


そして――

ふとアリニアの方へ顔を向けた。

浮かび上がる一つの仮説を、彼は口にする。


「アリニア。あの光、動いてるやつ。あれに触れたり、何かすれば……何か起こるかもしれないって、思わないか?」

その声には、焦りと、ほんのわずかなためらいが混じっていた。


アリニアは耳をすませながら、静かに応えた。


「その可能性はある。でも、ちびオオカミ。私の指示をよく聞いて」


その声音には、緊張と冷静さが同居していた。


「一つでもミスをしたら――あいつらに引き裂かれるわよ」


ヴェイルは深く頷き、反射的に短剣を握り直した。

ゆっくりと前へ進み、目の前で揺れる光に視線を定める。


一歩ごとに緊張が増していく。

静まり返った空間では、自分の呼吸音さえも不自然なほど大きく響いていた。


後方に残るアリニアは、神経を研ぎ澄ませていた。

その鋭敏な耳が、突如として空気の震えを捉える。


「右! 今すぐ跳べ!」


即座の指示に、ヴェイルは反応した。

咄嗟に体を横へと投げ出す。


直後――

バシュッ!

地面に影が叩きつけられ、鈍い音が空間を震わせた。

姿を現した影はすぐさま天井へと戻り、再び闇に溶けていく。


心臓が跳ね上がる。

それでも、ヴェイルは進み続けた。

ようやく、動いていた光に手が届く。


だが――


その瞬間、光は急に停止し、まるで命を失ったかのように薄れていった。

そして、別の光が――数メートル先で動き始める。


「逃げるつもりかよ……冗談じゃねぇ」

ヴェイルは低く唸った。


すぐに次の光へと駆け出す。


その頃、アリニアも異変に気づく。

空気の中に、また別の動き――


「そこから離れて! 次が来るわ!」


叫びと同時に、ヴェイルは動いていた。


その手が、再び新たな光へと伸び――


その刹那、暗闇の中から影が跳びかかった。


ドンッ!!


爆発するような閃光が、空間全体を照らし出した。

思わずアリニアは目を細め、一歩引く。

強烈な光が、まるで闇を押し返すように、周囲を包み込んでいった。


「この光……暗闇の後だと、強すぎる……っ」

アリニアは目を細め、息を呑んだ。


鋭い悲鳴が、空間を切り裂くように響いた。

ヴェイルに襲いかかった影は、まばゆい光に焼かれるように、その場で霧散していく。


アリニアはまぶしさに目を細めながらも、必死に視界を保とうとした。

かろうじて、ヴェイルの姿が見える。

顔の前に手をかざし、必死に光から身を守っていた。


その足元に、黒い液体が広がっていた。


「……血?」

アリニアはかすかに息をのむ。


一気に駆け寄る。

胸の奥で心臓が激しく打ち鳴らされていた。


「ちびオオカミ! 大丈夫!? ケガしてない!?」

その声には、焦りと心配が滲んでいた。


ヴェイルはゆっくりと手を下ろし、苦悶の表情を浮かべながら呟いた。


「……消える直前に、斬られたみたいだ」

淡々とした声だったが、そこには確かな痛みがあった。


アリニアはすぐさま膝をつき、彼の足元へ視線を落とす。

足首から血がにじみ、細く赤い線が靴の縁を濡らしていた。


「浅い傷だけど……出血してる。止めなきゃ」


彼女は迷わず、自分の袖口を引き裂き、その布を使って傷を丁寧に巻いていく。

手早く、正確な動きだった。


その間にも、暗闇の奥からは不気味な音が続いていた。

ガサガサ……ゴゴゴ……

影たちは、まるで獲物を逃したことに苛立っているかのように、低く唸っている。


アリニアは天井を見上げた。

光は少しずつ弱まりつつあったが、それでも周囲をかろうじて照らしていた。


今の彼らを守る唯一の結界――

その光の円は、ほんのわずかばかりの安全地帯を示しているにすぎなかった。


「他の光も……動いてるぞ、見ろ」

ヴェイルが、天井の方を指差しながら言った。

その声には、痛みとともに焦りが混ざっていた。


アリニアも視線を上げる。

一瞬、眉をひそめたが、すぐに頷く。


「光に触れても、あれだけ明るさが残るなら……全部を点灯させれば、影たちの動きを封じられるかもしれない」

彼女は立ち上がり、冷静にそう言い放った。


ふたりは視線を交わす。

互いに深く息を吸い、覚悟を新たにする。


「ちびオオカミ、集中して。あいつらより先に動くのよ」

アリニアの声には、厳しさと信頼があった。


ふたりは同時に走り出す。

動く光に向かって、それぞれ別の方向へと。


アリニアは一歩も迷わず、最初の光へと手を伸ばした。

触れた瞬間――


バァンッ!


激しい閃光が弾け、視界を白く染める。

思わずアリニアは身を引き、目を細める。


「目が焼けるっての……でも、進んでる。確実に」

彼女は苛立ちを押し殺しながらも、口元を引き締めた。


一方その頃――

ヴェイルも別の光へと到達していた。

だが、その手が触れるよりも早く――


ズシャッ!


影が、突然彼の目の前に現れた。


「うわっ……!」

思わず叫び、ヴェイルは飛び退く。

だが今回は、影の動きの方が速かった。


地面へと叩きつけられることなく、むしろ――

黒い腕が彼の足首をつかみ、上へと持ち上げたのだ。


「アリニアッ!!」

空中でヴェイルは叫んだ。声が震える。


宙吊りの状態で、片足を必死に振り回す。

しかし、手応えはない。まるで空を切るように、黒い腕をすり抜けるだけだった。


その声を聞いたアリニアは、すぐさま振り返る。

既に一つの光を起動させたばかりだった彼女の目に、吊るされたヴェイルの姿が映る。


「しっかり掴まってて、ちびオオカミ!」


彼女は迷うことなく駆け出した。

ヴェイルのすぐ傍に、まだ起動していない光があった。


間一髪。

影が次の動きを見せるよりも早く、アリニアはその光に手を伸ばした。


ピシィ――ン!!


またしても、激しい閃光。

先ほどよりもさらに眩しく、空間全体を打ち抜くほどの光だった。


キイイイイッ!!


影の断末魔のような悲鳴が室内に響き渡り、

掴まれていたヴェイルの体が、重力に引かれて落下する。


「ぐっ……!」

頭から床に叩きつけられたヴェイルが、苦悶の声を漏らす。


アリニアはすぐさま彼の元へと膝をついた。


「起きて。まだ終わってない」

落ち着いた声ではあったが、その目には焦りが浮かんでいた。


彼女はすぐに天井へと目を向ける。

動いている光は、あとひとつ――

しかも、かなり離れた場所だった。


「ここで待ってて。動かないで」

アリニアは低く命じると、

右足に力を込め、助走もなしに跳び出した。


足音は静かに、しかし確実に室内に響く。

耳は全神経を張り詰め、空気の揺れすら見逃さない。


だが――

今回、影は動かない。

それでも彼女は、一瞬たりとも警戒を緩めなかった。


そして――


最後の光へと、手を伸ばす。


バァアアアン――!!


部屋全体を包むような、まばゆい閃光が放たれた。

今までのどれよりも強烈で、視界すべてが白に染まっていく。


「……っ、まぶしい……!」

アリニアは思わず目を閉じ、片手で顔を庇った。


それと同時に、他の光たちも一斉に輝き出す。

一つひとつが呼応するように閃光を放ち、

やがて部屋全体が、まるで昼間のような明るさに包まれた。


ヴェイルも思わず目を背け、

アリニアと共に、顔を覆う。

だが、それでも光は彼らの瞼を貫くように、脳裏に残像を刻みつける。


視界の中を、淡い光の斑点が漂い始める。


「ちびオオカミ、動かないでッ!!」

アリニアの声が、光の洪水の中で鋭く響いた。


その瞬間――


耳をつんざくような叫び声が、部屋中に響き渡った。

ただの悲鳴ではない。部屋のあらゆる方向から同時に放たれる、恐怖と怒りが混ざったような絶叫だった。


光に晒された影たちは、もう逃げ場を持たなかった。

その形は崩れ、黒い煙のように渦を巻きながら消滅していく。


いくつもの影が音もなく溶け、闇はその存在を否定されたかのように消えていった。


やがて、静寂。

圧倒的な沈黙が、先ほどまでの混沌を否定するように広がっていく。


アリニアはゆっくりと顔の前に構えていた手を下ろし、目を細めながらまばゆい光に慣れようとした。

やがて、落ち着きを取り戻し始めた視界の中に、ようやくはっきりとした室内が浮かび上がる。


「……終わったの、かな?」

息を整えながら、アリニアはぽつりとつぶやいた。


彼女はヴェイルの方へと歩み寄る。

ヴェイルはまだその場に座り込み、両手で顔を覆っていた。


アリニアはそっと彼の肩に手を置く。


「……っ!? な、なんだ……?」

ヴェイルは驚いたように息を呑み、ゆっくりと顔を上げる。

光に馴染み始めた目が、ようやく部屋全体を映し出した。


その空間は――

これまでの試練に比べて、あまりにもあっけないものだった。


荒く削られた岩の壁。

天井は低く、圧迫感すら覚える。


そして、その壁に沿って並ぶ四体の石像――


一体目は、威厳に満ちた王。

精巧な王冠を戴き、誇らしげに胸を張っていた。


二体目は、鎖に縛られた奴隷。

目を伏せ、重みに耐えるかのように身体を折り曲げている。


三体目は、優美な女王。

手にした杖は力強く、表情には気高さが宿っていた。


そして四体目――

剣を構え、まっすぐ前を見据える兵士の像。

まるで今にも動き出しそうな気迫を漂わせていた。


アリニアは静かに腰を下ろす。

唇に、疲れを滲ませたかすかな笑みを浮かべながら。


「やっと……終わったみたいね」

その声には、安堵と倦怠が同居していた。


ヴェイルも隣に腰を下ろし、痛む足首を手で押さえる。

彼は警戒心を捨てず、ゆっくりと部屋を見渡した。


「……静かすぎる。何かおかしい」

彼の声は低く、慎重だった。


その視線が壁を這うように移動し、何かに気づいた瞬間――

顔を向け、アリニアを遮った。


「アリニア……出口が、ない」


アリニアは目を見開き、素早く周囲を見回す。

耳をぴくりと動かしながら、壁から壁へと視線を滑らせていく。


だが――

どこにも、出口らしきものは見当たらなかった。


「……どうやって出るの……?」

アリニアは、困惑したように呟いた。


そのときだった。


――カチッ。


乾いた金属音が、部屋の奥から響いた。


直後、重たい沈黙が空間を支配する。

二人は同時に、息を止めた。


光が――

突然、すべて消えた。


再び闇に沈む空間。


「……またかよ……っ」


ヴェイルが、怯えを含んだ息を漏らす。

さっきまでの強烈な光に慣れてしまった目には、暗闇はあまりにも酷だった。


「終わってない……? じゃあ、次は何……?」


アリニアの声も、微かに震えていた。


ふたりは動けずにいた。

意識は研ぎ澄まされているのに、状況が見えない。

この静寂が、何よりも恐ろしかった。


そんな中――

ふと、闇に一筋の光が差した。


天井に、ぽつりと浮かぶ微かな光点。


「……はぁ? また……始まるのか?」


ヴェイルが苛立ちを隠さず声を上げた。


アリニアは目を細め、その光を見据える。


「分からない……でも、ちびオオカミ。何か見落としたのかも」


彼女の言葉は冷静だったが、内心では警戒を緩めていない。


しかし――

何より奇妙だったのは、その空間の「静けさ」だった。


音が、ない。

叫びも、気配も、風のささやきすらも。


「……静かすぎる。逆に……不気味」


アリニアがぽつりと呟いたと同時に、一歩を踏み出す。

その瞬間――


パッ――!


光点から光の糸が走る。

それが次の点へと伸び、また次へと。

ひとつ、またひとつ、部屋の中を線で繋ぎながら光が灯っていく。


「……でも、今までとは違う」


アリニアの目が細くなる。


ヴェイルもすぐに異変に気づき、声をかけた。


「見てみろ。今回の線……分岐してない。一本道だ」


アリニアは頷きながら、その流れを追い続けた。

やがて、最後の光が点灯する。


だが――

そこからは、何も起こらない。

光の糸は伸びず、ただ最後の点で止まっていた。


代わりに、低く響く音が耳を打つ。


――カチ、カチ、カチ……


「……今度は、何?」


ヴェイルが眉をひそめる。

その音は、どこか機械的で、間隔も一定だった。

アリニアと視線を交わし、息を呑む。


「ヒントでもあればね……」


ヴェイルが小さく毒づいたその直後――


――カチカチカチカチカチカチ!!


クリック音が急激に速くなった。

明らかに「何か」が迫っている。


「ちびオオカミ! これは……タイマーよ!」


アリニアが鋭く叫んだ瞬間、

ヴェイルの手を掴み、走り出す。


息を切らしながら、光の道を追うように――

ふたりの足音と鼓動が、急速に迫るカウントダウンのリズムと重なっていく。


《つまずくな。止まるな。今は絶対に……》


ヴェイルは、自らに言い聞かせるように心中で繰り返した。


天井の光が進むべき道を示してくれるとはいえ、時間が容赦をくれるわけではない。


――カチッ、カチッ、カチッ……


刻むようなクリック音が、どんどん速くなる。

沈黙の間隔は短くなり、緊張が喉を締め付ける。


そしてついに――

最後の光にたどり着いた。

その真下、壁にぽっかりと開いた穴が現れる。

人ひとり、ようやく通れる程度の小さな開口部。


「ここよ!」

アリニアが鋭く叫んだ。


ヴェイルの手をさらに強く握りしめ、そのまま迷うことなく駆け込む。


――カチッ。


最後のクリックが鳴ったその瞬間、ふたりの体は穴をすり抜け、闇の向こうへと消えていく。


直後。


背後の壁が、無音で閉じた。


何の猶予も、余韻もなかった。

まるで最初から道などなかったかのように、完璧に封じられる。


――ガアアアアアアアアッ!!


直後、凄まじい咆哮が響いた。

怒りと狂気を煮詰めたような叫びが、閉じた壁の向こう側から震えるように伝わってくる。


影たちが、暴れている。

逃げた獲物に手が届かなかった怒り。

食い破れぬ扉への苛立ち。


その全てが、あの一瞬の遅れがどれほど致命的だったかを物語っていた。


だが今――


ふたりの前には、新たな空間が広がっていた。


石造りの通路に、パチ……パチ……と音を立てながら、順々に松明が灯っていく。

やがて現れたのは、下へと続く螺旋階段。


さらに深く。


さらに、未知の階層へと誘う道。


アリニアは息を整えながら、ヴェイルを見た。

疲労をにじませつつも、口元に安堵の笑みを浮かべていた。


「……今度こそ終わり。少なくとも、この階層はね」


かすれた声だったが、その言葉には確かな解放感があった。


だが、ヴェイルの表情は曇ったままだった。


「これが……“試練”だって言うなら……次は、どれだけ酷いんだ……?」


彼は立ち上がりながら、もう一度だけ振り返る。

閉ざされた壁を見つめるその目には、不安と警戒が色濃く残っていた。


「アリニア……この試練、どんどん歪んできてる。何か……嫌な感じがする」


低く、思い詰めたような声。


アリニアはその言葉を静かに受け止め、そして――

微かに微笑む。


「そうね。けど……ちびオオカミ、私たちはまだ生きてる。

だったら、最後まで進むだけよ」


ふたりは、短く視線を交わした。

無言のまま、決意を共有する。


そして――

ゆっくりと階段を降り始めた。


痛む足を引きずりながらも、ヴェイルは一歩ずつ進んでいく。

その後ろから、等間隔に松明が灯り、彼らの行く手を照らし続けた。


――闇のさらに奥、試練のさらに底へ。

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