第25章:静かすぎる侵入
皆さん、こんにちは。
ここまで物語を読んでいただき、ありがとうございます!
物語の世界観をさらに深めるために、いくつかの重要なシーンに合わせた音楽を制作し始めました。
これらの音楽はAudiomackで無料公開しています。
また、X(旧Twitter)のアカウントもご紹介します。そこでは新しい章の公開情報や、物語に登場するモンスターのビジュアルなども投稿しています。
【注意喚起!!!!】
歌詞は私自身が書いていますが、音楽と画像はAI(音楽はSuno、ビジュアルはDALL·E)を活用して生成・構成し、その後手作業で編集しています。
AIの使用に抵抗がある方は、これらのリンクは無理に見ず、スルーしていただければ幸いです。
Audiomack -> https://audiomack.com/wolfy-ug6/song/jp-the-ascent-of-shadows
X(旧Twitter)-> https://x.com/EL_Wolfyg6
漆黒の闇が部屋全体を包み込んでいた。
まるで一切の光を拒む、重く、息苦しいほどの黒い帳。
輪郭もなければ、奥行きもない。
ただそこにあるのは、視覚さえ押し潰すような沈黙と――圧迫感。
遠くで水が滴る音が反響し、その間を縫うようにして、かすかな囁きが耳の奥をかすめた。
聞こえるか聞こえないかの境界を揺れるその声は、不気味で、どこか生理的な嫌悪を掻き立てる。
「ちびオオカミ、扉を調べてくれる? さっきの入口みたいに」
背後から響いたその声に、ヴェイルはわずかに肩を跳ねさせた。
どこか懐かしいその声は、穏やかでいて、微かに緊張を孕んでいる。
「扉って……この暗さでどうやって探せってんだよ……」
苛立ちを滲ませながら、ヴェイルはぼそりと呟いた。
とはいえ、文句を言いつつも指先を前に伸ばし、手探りで歩き出す。
冷たい石壁がすぐに指に触れた。
濡れている。
まるで壁そのものが、来訪者を拒むかのように――いや、警告するかのように。
「……空気まで敵意を持ってるみたいだ。まともじゃねぇな、ここ」
独り言のように漏らしつつ、ヴェイルは壁伝いにゆっくりと進んだ。
数メートル先、指先が石ではない、異質な素材に触れる。
「……あった」
それは滑らかで、冷たく、金属の感触を持っていた。
ヴェイルは慎重にその表面をなぞる。だが、何も起こらない。
音も、振動も、手応えもなく――沈黙だけが返ってくる。
「動かねぇな……この扉、さっきのとは違う……それとも、別の仕掛けか」
溜息まじりに呟いたその声に、背後から再びアリニアの声が返る。
「……じゃあ、進むしかないわね」
淡々と、しかしどこか決意を含んだ声だった。
ヴェイルは小さく頷いた。どうせ見えていないのだから意味はない。
それでも彼は彼女の背後につき、音だけを頼りに後を追い始める。
足音が石の床に反響し、そのたびに空気が重く、どこか粘つくように感じられた。
まるで、影そのものがこちらの存在を認識し、密かに増殖しているかのように。
――その時だった。
パッ、と。
闇が破れるように、淡い紫の光が灯る。
壁に取り付けられた松明が、一つ、また一つと連鎖するように火を灯し始めた。
その炎は奇妙に揺らぎ、黒煙のような影が煙となって天井へと這い上がる。
「火が……ついた? でも、全然安心できねぇ……」
ヴェイルの呟きは、わずかな安心すら許さないその異様な光景を物語っていた。
明らかになったのは、先へと続く長い廊下。
湿った石の壁が鈍く光り、ところどころに水が染み出している。
足元の石畳は粗く組まれており、隙間にできた溝には水たまりが溜まっていた。
アリニアが、ぴたりと歩みを止めた。
それに気づいたヴェイルも、すぐに足を止める。
彼女の手が、静かに空中へと上がった――注意の合図だった。
空気が、張りつめる。
そして、再び沈黙が、二人を包んだ。
「気を抜かないで……」
アリニアは小さく、しかしはっきりと呟いた。
「何か聞こえるのか?」
ヴェイルが囁くように尋ねると、彼女は振り返らずに首をわずかに傾けた。
白い狼耳がぴんと立ち、あらゆる音を逃さぬように微かに動いている。
「……何も。聞こえるのは水の音だけ。でも、それが逆におかしいの」
静かな口調。だが、その声には張り詰めた警戒が滲んでいた。
「静かすぎる……それが、一番怖い」
アリニアはそっと壁際の松明へ近づく。
揺らめく紫の炎――それは不自然なほど静かに燃えていた。
「まさか……触れるつもりか?」
ヴェイルの声には、明らかな不安が混じっていた。
だが彼女は首を横に振り、目を細めたまま囁く。
「触れない。……見たいだけ」
伸ばされた指先が、炎のごく近くまで迫る。
数センチの距離。
だが、そこには確かに――何の反応もなかった。
「……熱がない。何も感じない……」
アリニアは眉をひそめ、指をそっと引いた。
「これは……自然のものじゃない。こういう存在には、意味がある」
その言葉には、経験からくる確信が宿っていた。
ヴェイルも松明に近づき、恐る恐る手をかざす。
「本当に……冷たい。っていうか、温度すらない。……これ、火って呼べるのか?」
不思議そうに呟いた彼は、しばしその炎を見つめる。
そこには風も、音もなく、ただ存在するだけの“虚無の火”が燃えていた。
「……お前の言う通りだ。完全におかしい」
アリニアは真剣な眼差しでヴェイルを見つめた後、再び前を向いた。
「後ろにいなさい。この火があるってことは……誰かが、あるいは“何か”が、ここにいるってこと」
彼女の声は、冷静で、だが決して軽くはなかった。
ヴェイルは拳を握りしめ、無言で頷いた。
二人は再び歩き出す。
その影が、紫の炎に照らされてゆらゆらと揺れながら、暗き通路を進んでいく。
空気が、重い。
まるで見えない圧力が背中にのしかかってくるようだった。
そして。
石壁に――奇妙な模様が浮かび始めた。
古びた彫刻。幾何学的な紋様。
入ってきたときに見たものと似ているが、もっと複雑で、密度が高い。
「この模様……見たこともない……誰が、なんのために?」
ヴェイルが眉をひそめながら呟いた。
手でなぞろうとしたが、そこには触れたくないような、直感的な嫌悪感があった。
アリニアは一歩前で立ち止まり、静かに周囲を見渡す。
氷のような視線が、壁の一つひとつを丁寧に探っていた。
罠か、仕掛けか、何かがある――そんな確信を持つように。
「この遺跡……普通じゃない。こんなの、初めて」
低く、そして静かに囁いたその声。
普段の冷静さの奥に、微かな不安が滲んでいた。
その言葉に、ヴェイルは背筋を冷たい何かが走るのを感じた。
「……こんなはずじゃなかったよな。ダンジョンって、もっと……“単純”なんじゃなかったっけ?」
ヴェイルが低く、不安を隠しきれない声で尋ねた。
アリニアは少しだけ首を傾けたが、返答はせず、視線は依然として壁のルーンに注がれていた。
彼女自身、その疑問に答えられなかったのだ。
――確かに、このダンジョンは「危険性が低い」とされていた。
事前の情報も、これまでの感覚も、そう告げていた。
だが、目の前に広がる現実は――そのすべてを裏切っていた。
ヴェイルはふらりと壁に近づき、刻まれた文様に手を伸ばした。
湿った石の感触。
その直後、指先から全身へと奇妙な感覚が走る。
ビリビリとした微細な振動。
それが神経を這い、脳に直接届くような、刺すような違和感へと変わっていく。
「……っ!」
ヴェイルは反射的に手を引き、顔をしかめた。
額を押さえながら、一歩後ろに下がる。
《な、んだこれ……? 頭の奥が……割れそうだ……!》
歯を食いしばる。
痛みを抑え込むように呼吸を整えようとするが――
心の奥で何かがきしむような、抑えきれない圧が渦巻いていた。
……アリニアには、言いたくなかった。
今この状況で、彼女に余計な不安を与えるわけにはいかない。
だが、わずかに乱れた呼吸と、肩に現れた緊張の影。
それは、彼女の鋭い感覚を欺くには不十分だった。
(……何か、異変が起きてる。彼、隠してる。でも――なぜ?)
ちらりと視線を向けたアリニアは、しかし問いただすことはなかった。
――今は、進むことが優先。
二人の足音が、再び石の床に響く。
水の滴る音と、耳の奥にまとわりつくような囁き。
それらが混ざり合い、異様な静寂を支配していた。
「気をつけて、ちびオオカミ。……この静けさ、逆に危険よ。いつ何が来てもおかしくない」
アリニアの声は、抑えられていたが確かな警戒心を含んでいた。
ヴェイルは無言で頷く。
言葉など必要ない。
心臓が、妙に速く打ち始めていた。
本能が、何かを告げていた。
通路の両壁に刻まれた文様は、歩を進めるごとにその数を増していく。
模様はますます複雑に、鋭く、禍々しさを増していた。
それはまるで、言葉にならない“警告”を叫んでいるかのように。
呼吸が重い。
空気が――確実に変わってきている。
そのとき、アリニアがふっと口元に笑みを浮かべた。
「……これが忠告だっていうなら、閉じ込める前にやってくれればよかったのにね」
淡く、皮肉を滲ませたその声が、圧迫された空気をわずかに揺らした。
ヴェイルは彼女を見たが、言葉を返す余裕はなかった。
頭の痛みは増し、意識が少しずつぼやけていく。
集中できない。
思考が霞んでいく。
――何かが、自分の中で“目覚めようとしている”。
そう確信した瞬間、彼の足はわずかにふらついた。
(……いつもより静か……良くない兆候よ。いったい彼の身に何が起きてるの?)
アリニアは歩きながら、ちらりとヴェイルの様子を伺った。
彼の沈黙は異様で、その様子は明らかに何かを押し隠しているようだった。
長く続く廊下――
終わりが見えず、歩けば歩くほど、何か見えない“真実”へと近づいていくような感覚。
だが、その先にあるものは――きっと、想像以上に暗く、深い。
時間の感覚はとうに失われていた。
このダンジョンでは、すべての常識が意味を失っていた。
どれだけ進んでも、景色が変わらない。
ただ、紫の火が揺らめき、無限のような錯覚を生み出していく。
「本当に……進んでるのか? それとも……このダンジョンが俺たちをからかってるのか……」
ヴェイルが、苛立ちを含んだ声でぽつりと呟いた。
先を歩くアリニアの動きは、変わらず滑らかだった。
だが、その背中には常に張り詰めた警戒が滲んでいる。
その時――
何の前触れもなく、空気が変わった。
壁に刻まれていた無数のルーンが、ひとつ、またひとつと消えていく。
それはまるで、石に染み込んでいた何かが、音もなく溶けていくかのようだった。
松明の炎も、紫から徐々に色を変え始める。
自然とは言い難いが、少なくとも先ほどよりは“現実的”な光。
「何かが変わった……でも、それが“良い兆し”とは限らないわ」
アリニアの声には、静かな緊張があった。
足元の床は、粗雑だった石畳から、滑らかに磨かれた黒い石へと変わる。
壁もまた、濡れた煉瓦ではなく、均一で冷たさを感じさせる暗黒の壁面へと――
その瞬間。
――ギィィィアアアアッ!!
耳を裂くような悲鳴が、闇の奥から響き渡った。
アリニアとヴェイルは、反射的に動いた。
アリニアはすでに武器を構え、鋭い視線で周囲を確認している。
ヴェイルもすぐに剣を抜き、背中を預けるようにしてアリニアに続いた。
胸の鼓動が、喉の奥で高鳴る。
「今のは……なんだ……?」
かすれた声で問うヴェイルに、アリニアは低く囁いた。
「分からない。でも……後ろにいて」
鋭い集中。
彼女の瞳はわずかな闇の揺れさえも見逃さない。
だが――
何も現れなかった。
叫び声が嘘のように消え、再び静寂が支配する。
二人は慎重に前進を再開した。
その手には、まだ緊張が残っている。
そして、前方の闇に――
重厚な扉の枠が、ゆっくりと姿を現した。
質素だが、存在感のある構造。
その重みに、ただならぬ気配が宿っている。
アリニアは振り返り、ヴェイルを見つめた。
澄んだ青の瞳が、揺るがぬ意志を告げていた。
「何度も言うけど……気を抜かないで。この異様な静けさ――本来なら、もう何かと遭遇してるはず」
ヴェイルは黙って頷く。
彼もまた、この沈黙が“不自然すぎる”ことに気づいていた。
やがて二人は、扉の前へと立った。
アリニアの足が止まり、手が扉の表面に触れそうなところで止まる。
「もし……開けた瞬間に、何かの仕掛けが動いたら……?」
その声には、迷いと、覚悟と――確かな経験が滲んでいた。
アリニアはヴェイルに視線を送ったが――
それより先に、彼がそっと手を上げ、彼女を制した。
「……俺に任せてくれ」
低く、だがはっきりとした声。
「ちびオオカミ、待って……!」
驚いたように彼女が呼び止めるも――
ヴェイルはそれを遮るように、ゆっくりと扉に手をかけた。
そのまま、慎重に取っ手を回し――静かに引く。
アリニアの前に立ち、もし何かがあったとしても、彼女に被害が及ばないようにと無意識に体を差し出す。
その瞬間、ひやりとした風が廊下に吹き込んだ。
アリニアの銀髪がふわりと揺れ、光に淡くきらめく。
扉の先に現れたのは、らせん状の階段。
底の見えない、さらなる闇の中へと続いていた。
「――ッ!」
アリニアはヴェイルの腕を素早くつかみ、乱暴に引き戻した。
「馬鹿っ……! 罠があったらどうするつもりだったのよ!? それとも……もっと悪い何かがいたら……!」
怒りに満ちた叱責。
その声は、雷のように鋭く空気を裂いた。
ヴェイルはうつむき、肩を落とした。
「……ごめん。でも……君を危険に晒したくなかったんだ」
その声は素直で、どこか不器用で――
まっすぐすぎて、アリニアは言葉を詰まらせた。
(……もう。なんで、そういうことを……)
心の中で苦々しく思いながらも、頬がほんのりと染まってしまうのを止められなかった。
彼女は咄嗟に視線を逸らし、わずかに赤くなった頬を隠す。
「……気持ちは分かるけど。ダンジョンは遊び場じゃないの、ちびオオカミ」
淡々とした口調に戻しながらも、その中には微かな揺らぎがあった。
「一つの判断ミスで、命を落とすこともある。……もう二度と、勝手な真似はしないで」
ヴェイルは深く頷き、重くなった胸にその言葉を刻んだ。
するとアリニアは彼の肩に手を置いた。
それは厳しさと、どこか優しさを含んだ動きだった。
「よく聞きなさい、ちびオオカミ。仕組みが分からないなら、私に従って。
この床一つ、壁一つにだって罠が隠れてる。……“単純”なダンジョンなんて、幻想よ。そう信じた者から死んでいく」
静かで、だが凛としたその声が、闇に響く。
そうして彼女は再び前に出て、階段へと足を踏み入れた。
ヴェイルは、その背を追いかける。
心の奥に残る罪悪感と共に。
階段を下るごとに、空気はさらに重く、冷たくなっていく。
押しつぶすような静寂が、深さと共に増していく。
「……ここからが、本番よ。油断は、命取りになる」
アリニアが、低く呟いた。
――その時。
バァンッ!
階段の上方、今しがた通った扉が、激しい音を立てて閉ざされた。
反射的に振り返る二人。
だが、扉は静かに閉ざされていた。
開く気配は――ない。
「……もう戻れない。ここから先は、後退なし。進むしかないわ」
アリニアの声は、張り詰めた決意を帯びていた。
二人の視線が、再び交わる。
互いに語らずとも、分かっていた。
――この闇の先に、何があろうとも。
今の自分たちに残された道は、ただひとつ。
前へ――進むことだけ。