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氷結の夜明けの果て (R16)  作者: Wolfy-UG6
プロローグ - 第1巻:新たな人生
25/89

第24章:封じられし扉の前で

道中は、言葉もなく静かだった。

いや、ただの静けさではない。

まるで大気そのものが緊張し、息を潜めているような――そんな、重苦しい沈黙。


先頭を歩くアリニアは、いつもと変わらず無言だった。

白い耳を立て、慎重に足を進めるその姿は、張り詰めた意識の表れ。

それでも一歩一歩は迷いなく、流れるような動きで森を切り進んでいく。


ヴェイルは、その背を少し離れて追いかけていた。

雪の舞う中、冷気が頬を刺すが――彼の心を占めていたのは、もっと別の感情だった。


《ダンジョン……って、どんな場所なんだ?

どんな魔物がいるんだ?》


ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟く。

頭の中では、想像と不安が渦を巻き、明確なイメージなど一つも湧いてこなかった。


風が顔をなぞり、雪は白い絨毯のように地面を覆っていく。


沈黙のまま、一時間近くが過ぎたころ――


「“もうすぐ”って言葉、アリニアも少しは見習った方がいいな」

思いきって、冗談めいた口調で声をかけてみた。


だが、アリニアは振り向かない。

ただ淡々と前を見据えたまま、言い放つ。


「のろまを待ってなきゃ、もう着いてるわよ」


その言葉に、ヴェイルの顔から笑みが消え、代わりに深いため息が漏れた。

気まずさが滲む中、再び口を閉ざす。


数分後――


それは突然だった。


空気が、変わった。


温度ではない。

明らかに、目に見えない“何か”が、周囲に満ちていく。


《……な、なんだこれ……?》


ぞわりと、背筋を何かが撫でる感覚。

彼は肩をすくめ、辺りを見渡す。


「まるで……森が、息を止めてるみたいだ……」


呟いたその時。

木々の間に、巨大な影が浮かび上がる。

それは幻のように輪郭が曖昧だったが――

歩を進めるごとに、徐々に形がはっきりしていった。


そして、ついに――彼らの目の前に、その正体が姿を現す。


「……嘘だろ……森のど真ん中に、こんな扉が……?」

ヴェイルが息を呑む。


目の前に立つのは、深い灰色の岩でできた、巨大な扉。

雪に囲まれながらも、その表面には一片の雪も積もっていない。

むしろ、降り注ぐ雪は扉に近づく前に――ふっと、消えていく。


アリニアは無言で立ち尽くし、その異様な構造物を睨むように見つめていた。

ヴェイルもゆっくりと隣に並ぶ。


「……こんなの、見たことない……」


アリニアの声はかすかだったが、確かな驚きが混じっていた。


風も、今は静かだった。

その異常な静けさが、かえって不気味に思えるほどに。


ヴェイルが一歩、前に出ようとしたその瞬間――


「――待ってなさい」


アリニアが手を上げ、動きを止めた。

声は落ち着いていたが、拒絶の意志が込められていた。


アリニアはひとり、構造物へと歩を進めた。

その動きには一切の無駄がなく、慎重に計算された一歩一歩が、緊張感を際立たせていた。


段差の手前で足を止め、彼女は巨大な扉の土台を見上げた。

その黒ずんだ岩の質感――何かが、どうしようもなく違和感を与えてくる。


静かに短剣を抜くと、彼女は片足を一段目に乗せた。

全身の筋肉が緊張し、いつでも飛び退けるよう構えている。


だが――何も起こらなかった。

地面に振動はなく、機構の作動音もない。見える範囲に罠もない。

周囲の静けさは、そのままだった。むしろ、異常なほどに……。


《アリニアでさえ、警戒してる……。一体ここは、何なんだ?》


ヴェイルは唾を飲み込みながら、その背中をじっと見つめていた。


アリニアはさらに二段を慎重に上り、ついに頂上まで到達する。

扉の正面に立ち、その細かな装飾をひとつひとつ確認するように視線を走らせた。

そして――ちらりと振り返り、軽く手を上げる。


「大丈夫。来なさい」

声音は平坦だったが、それが却って安心を与えた。


ヴェイルはためらいながらも、足を動かす。

恐怖が残る中で、それ以上に好奇心が彼を突き動かしていた。


冷たい石の階段を一段ずつ踏みしめながら、ようやく彼は彼女の隣へとたどり着いた。


そのとき、彼の目に飛び込んできたのは、扉全体を覆う――見事な彫刻だった。


緻密な文様が、岩の表面に絡みつくように広がっている。

周囲のアーチには、古代のルーン文字が美しく刻まれており、

それらがほのかに光を放っているようにさえ見えた。


「……美しい……これ、まるで神が造ったようだ……」

アリニアの呟きには、明確な畏敬の念が滲んでいた。


「こんなものが……なんで森の中なんかに……?」

ヴェイルも圧倒されるように、声を震わせる。


だが――その直後だった。


激痛が、彼の頭を突き刺した。


「……う、あ……ッ!」


まるで炎が脳を焼くような衝撃。

片膝をつき、息も絶え絶えに呻く。


「……頭が……っ、熱い……ッ」


アリニアはすぐに屈みこみ、驚いたように彼を見つめる。


「……どうしたの!? 何が起きたの、ちびオオカミ!」

その声には、いつになく焦りが混じっていた。


「わ、わかんない……急に、頭が……っ」

ヴェイルは額を押さえ、必死に痛みに耐える。


だが――

その苦しみは、来たときと同じく、突如として消え去った。


「……消えた……もう、大丈夫……っぽい……」

呼吸を整えながら、震える手で額の汗を拭った。


アリニアは、じっと彼を見つめる。

その澄んだ青の瞳には、冷静さと、わずかな不安が同居していた。


「立ちなさい。……ここに長居は禁物よ」

彼女の声は、鋭くもどこか優しさを孕んでいた。


アリニアは再び、扉の前に立った。

ゆっくりと手を伸ばし、その巨大な扉の表面すれすれまで近づける。


そして、わずかに息を吸い込み――両手を、扉に当てる。


「……っ!」


全力で押し込む。

だが、扉は――びくともしなかった。


眉をひそめ、もう一方の扉に力を込めるが、それも同様に反応はない。

彼女は一歩退き、周囲を見回す。


後ろでは、ヴェイルがようやく立ち上がったところだった。

まだ頭の奥に鈍い違和感を残したまま、彼はぼんやりとその様子を見ていた。


「こんなに巨大なのに、仕掛けひとつ見当たらないなんて……どういうこと?」


アリニアの呟きには、苛立ちが滲んでいた。

彼女の視線は、足元の石畳から、扉の縁、そして光を帯びるアーチの装飾へと移っていく。

だが、何度見ても――開けるための“鍵”は見つからない。


「……で、何かわかった?」


ヴェイルが静かに歩み寄りながら訊ねる。


アリニアは答えず、アーチに刻まれたルーン文字に目を凝らす。

そして、苛立ち混じりの声で言い放った。


「ない。仕掛けも、継ぎ目も、鍵穴すらも……何も、ない」

その言葉のあと、彼女はそっと手をルーンの上に置いた。


「……これは一体、どういう意味……? この言語……私には読めない」


呟く声は、自分に向けられたものだった。

そしてそのまま、アリニアは肩を落としながら石段に腰を下ろす。

視線を伏せたその表情には、明確な苛立ちが浮かんでいた。


「こんな扉すら開けられないなんて……何のためにここまで来たのよ。

あんな光を見せて、ここに導いておいて……何も言わずに放り込むなんて……」


その弱々しい呟きに、ヴェイルは口を挟まなかった。

ただ静かに立ち上がり、彼女の横をすり抜けて扉の前へと進む。


アリニアは、その動きに気づかず、うつむいたまま沈黙を保っていた。


ヴェイルは、無言のまま扉に手を伸ばした。

冷たい石の感触が、指先から腕に伝わる。


「……扉があるなら、開ける方法もあるはずだろ……」


小さく息を吐きながら、視線をアーチに刻まれたルーンへと向けた。

かすかに光を放つそれらは――まるで呼吸をするように、淡く脈動していた。


彼は、そっとそのひとつに触れた。


ざらついた感触、そして――一瞬、指先を走る不思議な震え。

それは、まるで石そのものが彼に反応しているかのようだった。


彼はそのまま、指でルーンの形をなぞっていく。

一本一本の線を、丁寧に、慎重に。


すると――


ピカッ――!


突如として、触れていたルーンが眩い蒼の光を放ち、周囲の闇を裂いた。


「っ……!」


ヴェイルは思わず一歩後退する。

光は彼の触れたルーンから細い筋となって流れ出し、他の文字へと滑るように繋がっていく。


まるで命を宿したかのように――蒼い光が、アーチ全体をゆっくりと這い始めた。


ルーンは、一つ、また一つと光を放っていく。

流れるように――まるで古代の儀式が再現されるかのように。


蒼い光の筋がアーチを這い、複雑な模様を描き出していく。

それは、生きているかのような滑らかさと秩序を持ち、見ているだけで心を奪われるような美しさだった。


やがて、空気が変わった。

低く、深く、地の底から響くような“音”が発生する。

最初はかすかな振動のようだったが、徐々に力を増していき、地面を震わせるほどになっていく。


《……な、なんだこれ……!?》


ヴェイルは目を見開いたまま、その光景に釘付けになっていた。


蒼白い光が雪を照らし、周囲の木々には、影が不気味に揺れていた。

呼吸が重くなる。まるで空気が電気を帯び、身体全体を締め付けてくるようだった。


「アリニア! 見てくれ!」


恐怖混じりの声を上げた瞬間、

アリニアの耳がぴくりと動き、即座に顔を上げる。

そして――ルーンが完全に起動している光景を見て、彼女の目がわずかに見開かれた。


光は、ますます強く。

文様は絡み合い、広がり、そして一つの“物語”を描くように動き続ける。

それは、この扉が持つ記憶――あるいは使命のように。


静寂に包まれていた森に、音が戻ってきた。

扉そのものから響いてくるような、遠く不気味な“反響”。

まるで、何かが目覚めようとしているかのようだった。


そして――


ピタリと、全てが止んだ。


光も、音も、風さえも。

時が止まったような一瞬。


だが、その直後。


ドォン――!


大地が唸り、空気が震える。

石の奥深くから響くような、鈍く低い音。


扉の表面に溜まっていた細かな塵が舞い上がり、

そして――


ギィィィ……ッ――


鈍く、重い、石の軋む音が森中に響き渡る。

巨大な扉が、ゆっくりと動き始めたのだ。


「……!」


ヴェイルは思わず数歩後ずさり、アリニアの隣へと戻る。


二人はただ、音を立てながら開かれていく扉を見つめていた。

まるで、大地そのものが呻き声を上げているような轟音。


そして――

完全に開かれた扉の向こうに、現れたのは“漆黒”。


何も見えない。


そこには、光を拒絶するかのような暗黒が広がっていた。

覗き込んでも、底知れぬ“闇”しか存在しない。


アリニアはすぐに冷静さを取り戻し、ヴェイルへと向き直る。


「……どうやったの?」

その声は、鋭く、真っ直ぐだった。


ヴェイルは、自分の手のひらを見つめる。

そこに、何の答えも刻まれていないことを知りながら。


「わ、わかんない……ただ、ルーンに触っただけなんだ。そしたら……光って……」


「……ありえない。私も触れた。でも、何も起きなかった」

アリニアの言葉には、疑念と驚きが入り混じっていた。


「でも……俺が触れたら、反応したんだ……確かに、それは――」

彼の言葉を途中で、アリニアは片手を上げて制した。


「……話は後。中に入るわよ」

その声には、いつも以上に鋭さと緊張が宿っていた。


「話は後よ。いつまで扉が開いてるか分からない。今は……入るわよ」

アリニアの声には、迷いのない確かな決意が込められていた。


目の前に広がる漆黒の世界――

その奥に何が待ち構えているのかは分からない。

だが、それでも。


「……何が待っていようと。ここで諦めるために来たわけじゃない」


静かに、しかし力強く。

彼女は一歩、また一歩と、闇の中へと足を踏み入れる。


その背を見て、ヴェイルは息を吸い込んだ。

胸の奥が重くなる。

だが――彼もまた、一歩を踏み出す。


迷いを断ち切るように、扉の中へ。


……その瞬間だった。


「アリニア! 扉が――!」


彼の叫びが響いたのと同時に、

背後から、石の重い軋み音が再び迫ってきた。


振り向けば、あの巨大な扉が――勢いよく閉まり始めていた。

今度はゆっくりではない。容赦ない速度で迫ってくる。


ゴォォン……ッ!


轟音とともに、二人の世界は――閉ざされた。


パァン――!


乾いた音が響く。

それは、世界の終わりを告げるかのような静寂を呼び込んだ。


漆黒。


まったくの、暗闇。


時間も、空間も、感覚すらも――飲み込まれていく。

呼吸の音すら、どこか遠く、響かない。


その沈黙を、破ったのはアリニアの声だった。


「……もう、戻れない。ここからは……進むしかない」


その声は、冷静でありながら、どこか重さを帯びていた。

まるで、儀式の一言のように。


森の風の残滓さえ、今ではもう思い出でしかなかった。

背後に広がっていた世界は――消えた。


代わりに彼らを包むのは、底知れぬ闇。

圧し掛かるような、何もかもを呑み込む虚無。


そして――


……かすかに。

ほんの微かに。


聞こえてきたのは、声だった。


誰かの囁き。

遠くで、近くで、耳元で――

判別もできない、不明瞭な“音”。


冷たく、濡れて、影のようなその声は、

まるで彼らの心に忍び込み、揺さぶるように囁き続ける。


「――――――……」


言葉にならない。

意味もない。

だが、その囁きは確かに、“生きて”いた。


彼らは闇に呑まれた。

残されたのは――囁き声だけ。


そして、それは、血の気を奪うような寒さを孕んでいた。

 


──第一巻・完──

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