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第21章:致命の連携

「グォオオォォォッ!!」


熊の咆哮が空気を裂く。

原始的で、圧倒的なその声は、雷鳴のように雪の森に響き渡った。


地面が振動し、周囲の木々がざわめく。

枝からこぼれ落ちた雪が、白い光を反射して舞い落ちる。


アリニアとヴェイルは肩を並べて歩み出す。

雪に足を取られながらも、一歩ずつ確かに。


吐く息は白く、凍てついた空へと消えていく。

張り詰めた空気の中で、二人の動きには重みがあった。


疲労は、明らかだった。


ヴェイルの足取りは鈍く、肩は落ち、呼吸は乱れていた。

震える指先が、残されたわずかなエネルギーを掻き集めている。


その隣で、アリニアの目は鋭く敵を見据えていた。

わずかな隙さえも逃さぬように、視線を走らせる。


だが、これまでの消耗は無視できない。


(攻撃は届いてる。でも、倒すには足りない……)


アリニアが苦悶の表情で唇を噛む。


「……全然、動きが鈍らない。疲れてる様子すら見えない……こっちはもう……」

苛立ちを押し殺すような声で、そう呟いた。


彼女の目がちらりとヴェイルを見る。

そこには、痛みと疲労が色濃く刻まれていた。


だが、その奥で確かに――光が、あった。


「ちびオオカミ……調子に乗ったわね。でも、まだまだよ。」


視線を戻しつつ、軽く口元を歪める。

小さく、挑発的な笑みだった。


「……まだ動けるよ。やれるだけ、やる。」

ヴェイルの声は息苦しげだったが、その意志は揺るがなかった。


「フン、気取るな。今、倒れたら……」

少しだけ身を引き、彼女はわざとらしく肩をすくめた。


「……そのまま餌にしてあげるわよ。」


そう言って、ちらりと熊に視線を送る。

その目は笑っていたが、警戒は一切緩めていない。


「さあ、どうぞってね。」


直後、熊が動いた。


ドンッ、ドンッ!


巨大な足音が雪原に響く。

突進――その質量が風を切り、森全体を揺らす。


雪が舞い、視界を遮る。

白い渦が巻き上がるたび、空気が冷たく尖るように感じられる。


アリニアが左へ跳躍。

粉雪を蹴るようにして、軽やかに駆け抜ける。


ヴェイルも反射的に右へと走る。

動きはぎこちないが、彼なりにタイミングを合わせていた。


「このまま好き放題動かせたら、先にこっちが潰れる!! 止めるのよ、ちびオオカミ!!」

アリニアの叫びが、轟く風を切ってヴェイルに届いた。


「どうやって止めんだよ!? こんなバケモンを!!」

ゼェゼェと荒い息を吐きながら、ヴェイルも叫び返す。


目の前に立つのは、圧倒的な質量と暴力の化身。

だが、それでも彼らは――


一歩も退いていなかった。


アリニアが足を止めた。

その瞳には、氷のような決意が宿っていた。


「雪……冷気……」

わずかに息を漏らしながら、彼女は周囲を見渡す。


この白い世界は、敵ではない。

――味方だ。


雪は水。水は力。

そして、自分はその水を操る者。


「……凍らせる。時間を稼いで。」

その声には、揺るがぬ意志があった。


その瞬間だった。


熊が急に方向を変え、大木を爪で叩き折る。


バギャァッ!!


木が裂け、破片が四方へと弾け飛ぶ。

風と共に、雪が乱舞し、視界が真っ白に染まった。


「くっ……!」


ヴェイルは目を細め、視線を彷徨わせる。

アリニアの姿を見失わないように、必死に。


「少しでも動きを止められれば……チャンスがある。

ちびオオカミ、少しだけでいい……持ちこたえて……!」

アリニアがそう言って、背筋を伸ばす。


「囮になって!!」

声が鋭く、空気を裂いた。


「任せろ……やるさ。やらなきゃ意味がない。」


ヴェイルは最後にアリニアを見て、うなずいた。

その目にはもう、迷いはなかった。


「今度こそ……やりきる……!」


彼は膝を深く曲げ、息を整える。

マナを集中し、風の流れに身を任せる。


――ドンッ!!


足元で爆風が生まれ、彼の身体が弾丸のように前方へ飛び出した。


今回は違った。

力を抑え、重心を調整し、ぎりぎりのバランスで軌道を制御していた。


右側から熊へと接近し、その脇腹へと一撃を叩き込む。


「せいっ!」


ダガーの刃が、硬い装甲の隙間を狙って振るわれた――


だが。


キィンッ!


刃は滑り、石のような装甲に阻まれる。


「くそっ……!」


熊が吠える。


「グオオォォォッ!!」


怒りを爆発させるように、前脚を大きく振り上げる。

空気が震え、冷たい風が吹きつけた。


(来る――!)


風の流れで危険を察知し、ヴェイルはすぐに反応した。


「風よっ……!」


すかさず横へと跳び、回避。

体を横滑りさせるように、雪の上を流れる。


「ふぅ……ギリギリ……」


足元が乱れたが、なんとか踏ん張って着地。


アリニアがその様子を見て、目を細める。


「よくやった……そのまま時間を稼いで!」


彼女は後退し、熊の攻撃範囲から外れる。

深く息を吸い、目を閉じ、両手をそっと持ち上げた。


呼吸が静かに、安定していく。


周囲の空気が変わり始める。


彼女のマナが広がり、雪から滲み出る微細な水の粒を捉えていく。


――ふわり。


空中で、粒子が浮かぶ。


水が宙に舞い、アリニアの掌に吸い寄せられる。

まるで磁力に導かれるかのように。


その中心で、透明な球体が現れる。


ゆっくりと回転しながら、氷と水が溶け合っていく――


アリニアの魔術が、今、静かに動き出した。


「……落ち着いて……ゆっくり……もっと濃く……」


アリニアが低くつぶやく。

その声は、凍りつくような静寂の中で、確かな意志の輪郭を描いていた。


球体はさらに回転を増し、その軌道に合わせて冷気が濃密に渦巻いていく。

空気が震え、周囲の雪が吸い寄せられるように浮かび上がった。


熊の瞳が動いた。


野生の直感か、それとも本能か。

その目がアリニアを捉えた瞬間、獣は迷うことなく方向を変える。


「……来るな……!」

ヴェイルの叫びが、恐怖に染まる。


「アリニアを狙うな……!」


咄嗟に身体を動かす。

風が呼応し、足元に力が集まる。


――ドンッ!!


雪が炸裂するように弾け、ヴェイルの体が疾風のように前方へと跳ぶ。


だが、今回は逃げるためじゃない。


「止まれぇぇぇぇっ!!」


真正面から――突っ込んだ。


両脚に力を込め、ダガーを握った右腕を振りかざす。


ズバァッ!!


その勢いのまま、熊の頭部に一撃を放つ。


「グルッ……!」


獣が低く唸る。

わずかに、ほんのわずかに後退する。


それでも、ヴェイルの攻撃は通らなかった。

だが、その一歩を止めさせたことに意味があった。


「今だ、アリニアっ!!」


叫びながら振り返る。


彼女の瞳が開かれる。


両手の上、回転する水の球体は、もはや霧のように霞むほどに密度を増していた。

氷のような輝きを放ちながら、まるで生き物のように脈動している。


――完成していた。


アリニアは力強く拳を握る。

目はヴェイルを、そして彼の背後にいる獣を見据えていた。


「風を使って、ちびオオカミ! 流れを乗せるの!」


その一言は命令だった。

そして、信頼の証でもあった。


ヴェイルは、迷わず手を伸ばす。


氷のような冷気が指先を包む。

痛みではない。確かな感触――魔力の共鳴。


「風と……水……混ぜるんだ……!」


目を閉じ、息を吸う。

自分の中心にある核を意識する。


マナが心臓から四肢へと流れ出す。

風が周囲を巡り、彼の命に呼応する。


シュウウゥゥゥ……


雪が舞い、彼の周囲に小さな渦が生まれる。


「行け……!」


その瞬間――


ヴェイルの手から放たれた風が、

まっすぐに、迷いなく、アリニアの氷球へと突き進んだ。


ヴェイルの手から放たれた風が、一直線にアリニアの水球へと突き進む。


――ビィィィンッ!!


瞬間、反応が起きた。


水球が暴れ出す。

内側から風が巻き込まれ、回転が爆発的に加速した。


ゆるやかだった流れは、渦と化す。

それはもはや水の塊ではなく、回転する刃――水と風の嵐。


その回転は視認できぬほど速く、周囲に無数の音を残した。


キィィィィン……!


空気を裂くような高音が響き、まるで見えない刃が空間を切り裂いていく。

一歩でも近づけば、肉をも断ち切ることだろう。


雪が舞い上がり、白銀の幕が彼女の周囲を包み込む。

アリニアの髪が宙に浮かび、風に踊る。


その肌に走る冷気が、力の到来を告げていた。


「……これなら……通る。」


静かに、だが確かな声でそう言った。


水球は完全に制御され、かつてない力を纏っていた。

内部の水分は凍てつき始め、外殻は鋭い氷刃のようにきらめく。


彼女は一歩前に出る。

その眼には、一片の迷いもなかった。


「食らいなさいっ!!」


叫ぶと同時に、彼女は両手を振り抜いた。


――ビュォォォッ!!


解き放たれた氷嵐が一直線に獣へと迫る。


その軌道は鋭く、狙いは正確だった。


「グオオオオオオッ!!」


熊が咆哮する暇もなく――


――ドガァアアアアアアアアン!!!


氷の竜巻が、熊の頭部に直撃。


衝撃で装甲が砕け、石のような皮膚に亀裂が走る。

その隙間から肉が露わになり、冷気が深く染み込んでいく。


「ギャオオオオッ!!」


激痛が走り、熊の身体が痙攣する。


一瞬後――


バキィッ!!


凍った水球が破裂し、無数の氷片となって四方へ弾け飛ぶ。


キィンキィンキィン!!


鋭い破片が獣の体に突き刺さり、動きを完全に封じた。

その巨体がたじろぎ、地を引き裂くように後退する。


息は荒く、吐くたびに白い霧が舞う。

苦痛と絶望が、その全身から漏れ出していた。


熊は最後の咆哮を上げた。

それは怒りではなく、断末魔。


「グォオオォォォ……ッ!!」


力を振り絞って、一歩。


だが、足がもつれる。

次の瞬間――


――ドサアアアアアッ!!


その巨体が、雪原に崩れ落ちた。


地が震え、雪が舞い、世界が一瞬だけ沈黙に包まれる。


――終わった。


雪が、また静かに舞い始めた。


ひらひらと空に浮かび、ゆっくりと地に降りる白い粒が、戦いの場に新たな静けさをもたらしていた。


さっきまで森を引き裂いていた熊の咆哮も、遠い記憶のようにかき消えていく。

雪に覆われた木々は、まるで何もなかったかのように黙していた。


重たい沈黙――


それが、逆に痛いほどだった。


ヴェイルはその場を動かず、雪に埋もれた巨大な熊の亡骸をじっと見つめていた。

荒れた呼吸が白く漂い、寒さとは別の震えが体を締めつける。


「……やった……のか……?」

息も絶え絶えに、かすれた声でそう呟いた。


アリニアがゆっくりと歩き出す。

その一歩一歩が慎重で、雪を踏みしめる音さえも消えそうなほど静かだった。


銀の髪が風に揺れ、冷たい空気が彼女の頬を撫でる。


眼前には、動かぬ獣の影。

だが――油断はしない。


「……本当に終わったの……? まだ……」

警戒を込めたまま、彼女はさらに一歩近づく。


その距離、数歩。


熊の巨体はピクリとも動かない。

鼻先からの白い吐息すら、もうどこにもなかった。


長い一瞬のあと――


アリニアは、ふっと息を吐いて肩を落とす。

彼女の指から、金属のような音を立てて爪が引っ込んだ。


「……もう、動かない。」

振り返りながらそう告げるその顔に、わずかな笑みが浮かんでいた。


その言葉に、ヴェイルの中で張り詰めていた糸がぷつんと切れた。


「……やったんだ……オレたち……!」


へなへなと膝から崩れ落ち、雪の上に座り込む。

肩で息をしながらも、その顔には達成感に満ちた笑みが浮かんでいた。


アリニアもその隣に腰を下ろす。


静かな森を見つめたまま、ゆっくりと身体を雪に預けていく。


息はまだ荒い。

筋肉は重く、心は疲弊していた。


それでも。


――戦いは、終わった。


白く染まった大地が、ふたりを静かに包み込む。

まるで何もかもを受け入れるかのように。

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